一線先の秘密を君と
そこは誰にも知られない、ふたりだけの秘密の場所だった。
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「もりっぺ、ちょっと山に死体埋めにいかない?」
部屋に招き入れるなり、いつもの軽薄な笑顔はそう言った。
「は?」
「っていうか、ヤニ臭っ。また籠ってゲームばっかしてたの? それとも配信見て銭でも投げてたの? 空気ぐらい入れ替えた方がいいって」
全力で叩きつけた俺の困惑をスルーして、空気を変えろと言いつつ、金髪頭は人の煙草を勝手に抜いて火をつけた。
「ここ賃貸じゃなかったけ? 煙いいの? ま、俺が借りてるんじゃないからいいんだけどさ」
「余計なお世話だよ、うるせぇな。というか、人がなにして過ごしてようがお前には関係ないだろ。いきなり訪ねてきて、ずうずうしい」
「携帯、連絡入れても出なかったのは、もりりんの方」
「……携帯は職場に忘れて来たんだよ。そいつは悪かったが、お前、いい加減人の名前をまともに呼べ。俺たちいくつだと思ってんだ?」
「やだなぁ、もりぞー、名前ちゃんと呼んでほしいなんて、可愛いとこあるね」
「なんかの著作権に引っかかりそうなあだ名をだしてくんなよ」
にやにやの薄ら笑いを睨みつける。だがどうせ、効果なんてありやしない。この幼馴染はいつだってそうだ。苦言を呈してもどこ吹く風。へらへらと笑ってる。
だが、それが俺以外には明るく気さくで親しみやすく映るらしい。頭も染めてる、風体も軽薄。それでもこいつが人好きするのは、顔がいいからだと、俺は思っている。
顔さえよければたいていはなんでもうまくいくのだ。妬ましい。
――だからどうして、この勝ち組幼馴染が、容姿は平凡、地味眼鏡。気質は僻んで、根暗な俺に、昔から構ってくるのか分からない。
「まあ、名前呼びは後にとっといて……どうする?」
整った薄い唇が煙を吐き出し、煙草が山となった灰皿にまた一本、積み重ねられた。たいして吸いもしてないくせに、もったいない。だが、それに歯噛みするよりも先に、俺の口は気になることを尋ねて動いていた。
「どう、って?」
「だから、死体。一緒に埋めにいかない?」
伸びた長い指先が、勝手にパソコンの電源を落とした。軽快に響いていた可愛らしい声が部屋から消える。
静けさが、妙に重くのしかかるのは俺だけなのだろうか。目の前の傍若無人野郎は、気にした素振りもなくへらりと笑った。
「俺は、あそこがいいと思うんだよね。モーリーと一緒に見つけた山の奥の寂れた社」
「……お前、それ本気で言ってんの?」
「本気、本気。あそこ、誰も来なさそうじゃん。絶対バレない」
「そこじゃねぇよ!」
的外れな安請け合いに、思わずこめかみに手をやる。頭が痛くなってきた。
「死体……って、冗談だろ?」
「俺、笑えない冗談は言わないよ? もりっち、死体埋めよって冗談で笑えるタイプだったっけ?」
ちらりと投げかけらた視線が、笑みの中でどこか試すように刺してきた。
ああ、まずい、これは――冗談ではない。
長年こいつとつるんできた感覚がそう告げて、俺は頭をかきやった。
隣にいって、我がもののように手にしていた煙草の箱をふんだくる。一本火をつけて、煙を吐き出して――問いかけた。
「……なんで俺誘ったの?」
「もりすけ君なら、ノッてくれそうだって思ってね。友達少なくて彼女もいないけど、仕事は順調、趣味も充実――だけどちょっと日々が空疎。刺激が欲しいってツラしてる」
「前半わざわざ言葉にしてくるなよ。それに別に……刺激が欲しいとか思ってない」
「え~、本当に? そいつは残念だなぁ。じゃ、俺一人で埋めてくるよ」
ひらりと軽い調子で手を振って、鮮やかな金色頭が俺の脇をすり抜ける。
1DKのマンションだ。廊下もなく繋がる玄関で、靴を履く気配がした。
「――待てよ」
思ったより、掠れた、低い声がこぼれでた。
「山より海の方が、いいだろ。見つかりにくい……と思う」
「へ~、もりもりは海派だったんだ~。でも、俺は山派だからさ」
アウトドアの話をしてるような響きが背後から返って来る。
俺は苦い思いで煙草を噛むと、盛大な溜息をついた。
「分かったよ! ……つきあう」
「やったね! 我が友!」
「うっるせ!」
煙草を灰皿に力強くこすりつける。と、力の加減を間違えて、机の上から盛大にひっくり返してしまった。
吸い殻と灰の散らばるフローリングに、あちゃ~と、他人事として肩をすくめた声がかかる。
「気をつけな? 焦るとモリルン、結構そそっかしいんだからさぁ」
「分かってるよ……!」
図星の指摘に、それ以上言い返せない。こいつは昔から注意散漫に過ごしているようでいて、意外と人のことをよく見ているのだ。
「片付け、あとで手伝うからさ。先に俺の方手伝ってよ」
凄惨なフローリングに、どうしたものかと二の足を踏んだ俺を、甘い声が誘った。顔を上げた先、ちゃりっと長い指先が車の鍵を回してみせる。
「それじゃ、行こうか。俺たちの秘密の場所へ」
◇
真っ暗な夜の山道を進んでいくにつれて、気が重くなる。
車は強引に道なき道を突き進みながら、昔俺たちが見つけた古い社のそばまで辿りついた。
「まずは掘ろっか」
後部座席につまれたでかくて真新しいスコップを背に、意気揚々と歩く姿は、本当にこれからやろうとしていることが分かっているのか疑いたくなる。
もしかしたら、盛大に担がれているのではないか? そんな疑念さえ浮かんできた。
俺の照らす先で地面にスコップの先を突き立てる背中が、いつ、「ドッキリで~す!」と振り向いてもおかしくない。
だが、そんな俺の淡い期待混じりの見通しを裏切って、細い身体は思いの外勢いよく地面を掘り進めていく。誰かが耕してたみたいに掘りやすい、なんて、鼻歌交じりに言って。
その前には、古びた社。鳥居もなく、申し訳程度のしめ縄の名残りがちぎれてぶら下がる、小さなものだ。薄らぼんやりと人工光の中に浮かび上がる朽ちて苔むした社は、どう贔屓目に見ても不気味だ。かろうじて閉まっている戸の隙間から暗い内側が覗き見えるのに、背筋がぞっとした。なにが祀られているのか、分かったものではない。
懐中電灯を持つ俺の手が汗ばんできた。
「……なあ、やっぱり、やめにしな、」
俺の言葉は最後まで紡げなかった。あった、と、奴が声をあげたからだ。
「ほら、もりもっちの携帯」
してやったりの笑顔が、振り返って泥まみれの俺の携帯を掲げていた。
「焦るとポカミスするの、悪い癖だよね。こんな分かりやすい証拠埋まってたら、すぐ捕まるよ? 気をつけな」
「お前、やっぱ、知って……」
「君のことはなんでもお見通し、ってね。ま、そんなわけでもないんだけど」
けたけたと笑う声だけが、いやに耳元で響いた。
「それで、どうする? 俺のことも殺してみる? そこのダレカみたいに」
指さした先。携帯が落ちていた下。そこには、明らかに複数個所刺された人の胴体がのぞいていた。
それに驚きは、ない。当然だ。知っていた。分かっていた。だって、俺がここに、埋めたんだ。
俺は、そのまま力が抜けてしゃがみこんだ。
「……実は、いざとなったら、そうするしかないと思ってついてきた」
「まあ、そんな気はしてた」
思いのほかあっさりと頷かれて、俺は乾いた笑い声をもらした。こいつ相手に妙に気負うのが、急に馬鹿馬鹿しく思えた。
「刺激が欲しくないってのは、あれは、ちょっと嘘だ」
「知ってる」
「でも……」
しゃがみこむと同時に地面に転がった懐中電灯。それが照らす、土を被った他殺体。
「……こんな刺激じゃ、ないと思ってたんだけどな~……」
苦笑して、頭を抱える。どうして、と言われると、自分でもわからない。いまは、それなりに不満のない人生を送っているつもりだった。小さい頃の、クソみたいな人生から抜け出したと思っていた。そのはず、だったのに――
「……親父が死んだんだよな」
「そうだったね」
「クソみたいな親父だったのに、しぶとく生き延びて、病院でも散々看護師や医者にご高説どなりちらして死んだんだ」
「ま、そこは擁護しないよ。俺も嫌いだった」
息子相手に正直すぎる感想が、こいつらしい。俺は楽しくなって、笑った。
「本当にな。俺が殺す前に、死んじまいやがって、あのクソ親父。最後まで、クソだった……」
葬式にも出なかった。ただ、親戚づてに訃報を聞いた時、ふっと何かの線が切れたのだ。
不満のない、充実した、自分の人生を歩んでいたはずなのに――どこかでずっと渦巻いていたどす黒いものを、蓋をしたせいで膨らませ、太らせて――向かう先を失った今になって、手に余らせた。
「似てたってだけなんだ……」
「顔? 態度?」
「どっちも。ま、俺が煙草ふかしてたら、いちゃもんつけてきただけだけどさ」
蹲る。視界が霞んだのは、眼鏡が汚れたせいだろう。涙など、身勝手過ぎて愚かしい。
「――超えちゃいけない一線だって、分かってたはずなのにな」
「魔が差すってそういものだよ。よくないモノに、魅入られるんだ」
いやに冷静な声が、静かに言った。
俯いた視界に、携帯が差し出される。
「俺は、とやかく言わないよ。ここには、君と秘密を共有しに来ただけだから」
「お前……なんで俺にそこまで?」
見上げる。すると、さらりと揺れた金色の髪は、赤い瞳を細めて柔らかに笑った。
「俺を、見つけてくれたからね」
よく、意味が分からなかった。けれど、俺がそれを尋ねる前に、耳に馴染む声は重ねて言った。
「ほら、これを取って。そうすれば、俺たちは、共に一線超えた共犯者だ」
「普通……進んで殺人の共犯になろうなんて人間、そういないぞ?」
「じゃ、俺はそうじゃないんだろうね」
楽しげに笑う声に、悲嘆に沈む理性も馬鹿らしい気がしてきた。
「――そうだな」
もう、一線、超えてしまったんだ。どう善人ぶろうと、どう常識を装おうと、罪人だ。
「お前もこれで共犯だ」
「ああ、道連れだね。森本司」
携帯を取れば、そう嬉しげに微笑まれて、俺もつられてぶっかこうに笑みをこぼした。
「お前やっと、まともに俺の名前呼んだな」
「ま、やっと呼べるようになれたから、せっかくだし」
「なんだ、それ」
立ち上がる。
ひとなで、いやに生温い風が頬をなでていったのに、ぞくりと背を震わせた。
薄気味悪い社と、埋まりかけの死体。並んでのん気に会話するシチュエーションとしては、最悪だ。
共謀者を得たからか、秘密を一人で抱え込まなくてすんだからか、薄れていく罪悪感のまま俺は死体を見下ろした。
「……これ、埋め戻さないとな」
「別にいいんじゃない? 誰にも見つからないよ、もう」
「あのな、お前……」
さすがに大胆不敵が過ぎると、苦言を呈しかけた先。にこりと笑いかけられた――その笑みに、なぜか悪寒が走った。
どうしてかは分からない。整った目鼻立ち。白い肌。金色の髪。赤い、瞳。むかつくほど綺麗な作り顔。その顔がたたえる笑みが、どうしようもなく恐ろしく見えた。
「あれ……?」
直視できなくなって彷徨わせた視線に、社が飛び込んできて、首をひねる。
あの壊れかけた扉は、開いていただろうか。閉じては、いなかっただろうか。あんな風に、伽藍洞の暗い中身が、見えていただろうか。
「なあ、お前、あれさ」
言いかけて、口をつぐむ。
待てよ、待てよ、と記憶を辿る。
俺は小さい時、こいつと友達になった。ここで、会ったからだ。偶然見つけた小さな社。こいつもたまたまその時ここを見つけたらしく、鉢合わせた。
だからここを、ふたりの秘密の場所にしようと約束したのだ。
それから、なにかとつるむようになって、引っ越して、実家を離れてからもなにかと俺のところに押しかけてきて――それで、それで――
(それでも――……?)
こいつが誰なのか、俺は知らない。確かに色々知っているはずなのに、覚えているはずなのに。現実に会ったことなのか、夢で見たことなのか、辿れば辿るほど曖昧になる。
そもそも俺は――こいつ名前のひとつも、思い出せない。
「よくないモノに魅入られると、一線超えちゃうこともある。そういうものだよ。――森本司」
舌の上で、なでるように、そいつは俺の名前を転がした。
「司の秘密は教えてもらったから、今度は、俺の秘密の話でもしようか? ――ゆっくりと、さ」
生温い風が、虚ろな社の向うから、またふわりと吹き過ぎていって、俺は息を詰めた。
ここは――誰にも知られない、ふたりだけの秘密の場所だった。
だから、俺がどうなるかは――きっと、誰にも知られない、ふたりだけの秘密になる。