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XNUMX  作者: 上兼一太
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XNUMX(5)セーラ

 人生には時々、目の前の状況が上手く飲み込めない時がある。夢なのか、はたまたある種の別世界にいるのか、よく知った場所にいるはずなのにまるで感触のない現実。

 俺は今、数か月前にマツシタと会っていた同じファミレスの同じ席で、二十年以上の時間を経て美しく完成したメンソレと対峙していた。

「整形ならしてないよ」と唐突に彼女が言った。

「あ、いや、そんな事は思ってない。ただ何というか、昔とイメージが違い過ぎて・・」

「そりゃあそうだよ、20年は経ってるんだから。ワタシももうおばさんだもん」

 そんな事は全くなかった。どう見てもメンソレは実年齢より10才は若く、初対面の人間に25歳と言ってもきっと疑われないだろう。それほど美しさと若さに満ち溢れていた。元クラスメイトとして彼女を前にすると、自分がいかに歳をとったのか痛感させられる。J市にいた時のメンソレは活発でこんがりと日焼けをしていて、時々男児と間違えられるような典型的な田舎の女の子だった。母親がフィリピン人で家庭も裕福ではなかったから、言い方は悪いが健康だけが取り柄の誰とでも話しをする明るい子、という印象でしかなかった。それがどうだろう。今では肌の色も白く輝いていて、顔が小さく首が長く、目は母親譲りでパッチリと大きく、オレンジ色のインナーカラーが入ったショートボブの黒髪が、耳の下ほどで綺麗に整えられていて、実に精悍でしっとりとした大人の女性に変化していた。大きく印象が変わったのは顔のせいだけでなく、その身体つきのせいでもあった。当時、男の子のように細くて小さかった彼女の体形は、170センチ近い身長になり、全体的には華奢なのに胸だけアンバランスに大きく、それはきちんと着用された喪服の中でも暴れ出さんというほど、その存在を強く主張していた。店に着くまで二人で歩いていた時、一体何人の男が彼女を見て振り返ったことだろう。そういう優越感を感じたのは初めてだったが、俺自身も正直、目のやり場に困っていた。


「ワタシこっちで女優をやっていたの」とメンソレは言った。

「池上セーラっていう名前で。と言っても知らないよね?」

「ごめん」申し訳ないが本当に聞いた事もなかった。

「だよね、いいのいいの、あんまりテレビとかに出るタイプの女優じゃなくて舞台中心の女優だったから。ワタシ高校は大阪の学校に行ったじゃない?」

 それも知らなかった。中学ぐらいまでは確かに公立の同じところに通っていた気がするが、そういえば高校ぐらいから彼女を見かけなくなっていた。今思えば県外の高校を受験して両親を残して父方の親戚がいるどこかの地方に行ったとか何とか、人づてに聞いたような記憶が微かにある。

「それで大阪にいる時にスカウトされて高校を卒業すると同時に上京したんだ。女優になれば両親に仕送りとか出来るかなって思って。それで事務所の専門学校っていうか俳優セミナーみたいな学校に入ってみっちり歌とか踊りとかお芝居とかを稽古して、そこでしばらくすると所謂、映画やドラマに出る女優さんと舞台系の女優さんとのクラスが別れるんだけど、私は大阪にいた時に宝塚の洗礼を受けちゃったからどうしても舞台女優になりたくてね、そっちの方に進んだの、それがどうやら今思えば失敗だったみたい。」

 相変わらずよくしゃべるなと思ったが、それと時々出る笑顔が昔のイメージと重なる部分もあって幾分俺は安心した。

「どうしてそれが失敗だったの?」

「舞台女優ってお給料が少ない上に超実力主義なの」メンソレは悲しそうに笑った。

「ワタシなんて足元にも及ばないぐらいお芝居も歌も踊りも上手い子が沢山いたよ。それでも何とかデビューして15年ぐらい頑張ってやってみたけど、やっぱりダメだった。大して売れないままこんな歳になっちゃった。だからね、先月、女優業を引退したの」

「そうなんだ」と言いつつ、俺は(高校の時から大阪~東京と都会を渡り歩いていたからこんなに垢抜けたんだな)と違う事に感心していた。

「だから丁度いい機会だしね、実家がある地元に帰ろうかなって思ってたんだ。そんな時にマツシタくんの訃報を聞いて・・・」

 いつでも明るかったあのメンソレが、こんなにも影のある表情をするようになった事に、俺は驚いた。それこそが上手くいかなかった彼女の、これまでの人生の産物なのかも知れない。

「なんかごめんね、ワタシばっかりしゃべって。でも君の事はマツシタくんから沢山聞いてたから、何か久しぶりに会ったって気がしなくて。」

「えっ!マツシタから?」

 俺は驚いて自分でもびっくりするぐらいの大声を出してしまった。左の方の席で一人で座って競馬新聞を読んでいた太った中年男性が、一度こちらをチラリと見てから、メンソレだけをもう一度ゆっくり見直して小さく咳をした。

「うん、ワタシ10年ぐらい前からずっとマツシタくんと連絡を取ってたんだよ、最近も時々会ったりもしてたし。」

「・・へぇ、そうなんだ・・」マツシタの奴は何も言ってこなかった。なぜメンソレの事を俺に教えなかったのだろう?

「ワタシね、あまりにも女優として売れなくてお金に困ってた時に、ほんの少しだけアイドルみたいな雑誌のグラビアの仕事を貰ってたの。それでたまたまマツシタくんの漫画を連載していた雑誌でもやってね、それを見てすぐ気づいたらしくて、マツシタくん、私の舞台を観に来てくれてさ。上演後に手紙と花束が受付に渡されていて、カードに連絡先が書いてあったから何だか懐かしくなっちゃって、ワタシからマツシタくんに連絡したんだ」

 アイツはよく名前も変わってこれだけ印象も違うメンソレの事を、雑誌の写真を見ただけでわかったもんだ。元来若い女性が大体同じ顔に見える俺には、その雑誌を読んでいたとしても見当も付かなかっただろう。

「短い間だけど、ワタシ達付き合ってた時もあるし。」

 俺はさすがにコーヒーを吹き出した。辛うじて横を向いて女優の顔を汚す事は免れたが。

「・・マツシタとキミが?」

 テーブルのペーパーを何枚か俺に差し出しながらメンソレは言った。「そう。27歳ぐらいの時だったかな、ほんの数ヵ月の間だけど。」

 丁度それは俺とマツシタがレセプション・パーティーで再会した頃だ。はたしてその時、二人は付き合っていたのか、付き合う前だったのか、それとも既に別れた後だったのか・・・どちらにしてもマツシタは、かなり前からメンソレと接触していたのだ。

「知らなかった・・アイツ、何も言ってなかったよ」

「そうなんだ・・。うん、そういえば確かに、ワタシが君に会いたいって言った時も何度かはぐらかされたな、なんて言うか、君とワタシを遠ざけているような感じがしたよ。・・というかマツシタくんはワタシを誰にも紹介したくないって感じだったから・・なんかタレントと付き合ってる、みたいなのが恥ずかしかったのかな」そう言ってメンソレこと元、池上セーラは、はにかみながらミルクティーを口にした。いや、そうじゃない。マツシタの気持ちも分からないでもない。これほどの美人を他の男に紹介するのは、例え友人だったとしても多少躊躇するだろう。突然お金持ちになった人は余裕を持てるようになるはずが、手にした資産がなくなる事ばかりを怖がり、むしろそれまでよりも生活に余裕がなくなっていくという。彼女は自慢になるというよりも男を不安にさせるほどの女だし、ましてやマツシタのようにコンプレックスの塊のような男は、きっと嫉妬心や所有欲も強いはずだ。

「実はね」と元セーラは、何も感じてないように続ける。

「マツシタくん、付き合ってすぐワタシにプロポーズしてきたの。ほんとにすぐだよ、二週間ぐらいで。多分こんな事を言ったらいけないのかも知れないけど、マツシタくんにとって色んな意味で初めての女性がワタシだったんじゃないかな?」

「それは、全局面という意味で?」

「うん、多分。ほらプライドの高い人だから。それに・・なんて言うか情熱がね、付き合ってからはずっと全ての情熱がワタシに向かってるって感じがして、週刊の連載も時々休載するようになったりしてて、うん、なんか少し・・・いや、少しじゃなくて正直、すごく重く感じちゃって・・」

 十分に想像できる、と俺は思った。

「ごめん、故人をこんな風に言っちゃいけないよね、最初に連絡をしてしまったワタシがいけないんだ。再会した時は凄く嬉しかったし、女優の仕事も上手くいってない時期で、同郷の人に会えて安心したっていう気持ちもあったのかも知れない。なんて言うか、勢いに流されてしまって・・・その前に付き合ってた一回り年上の舞台監督は高圧的で話も全然合わなかったし。同世代で地元の・・まぁ正確には出身とか違うけど、昔の話が出来るような人がその時のワタシには必要だったのかも知れない。」

「そうか・・」

 マツシタ、良かったじゃないか。三十歳まで童貞だと魔法が使えるようになるという冗談があるが、27までモテなかったとしても、女優とグラビアアイドルを手に入れたのだから。そう思って俺は少し笑った。ふと気づくと、十日近くほとんど寝むらずに走り回っていた疲れは、どこかに吹き飛んでいた。


「ええ?何かおかしい?でも勘違いしないでね、マツシタくんは良い人だし、話題も豊富で一緒にいると楽しかった。もう既に売れっ子の漫画家さんだったから金銭的にも援助してくれたし、ワタシの仕事も応援してくれてて色んなアドバイスもくれた。ああ見えて彼、意外と人情味があるっていうか熱い人なんだよ?」

 それについては俺も良く知っている。

「だけど結婚っていうと・・・ワタシもまだ若かったし夢もあったから。それでプロポーズをされてから割とすぐに別れを告げちゃったんだ」

 俺は頷き、ふと窓の方に目をやった。いつの間にか外は暗闇とネオンによる都会らしい夜の雰囲気に彩られていた。行きかう人々は大体、目的を持って進んでいるように見える。実際には大した意味がなかったとしても。俺はそこで自分でも驚くような軽率な行動に出た。もしかしたらメンソレの懐かしい雰囲気に気が緩んだのかも知れない。ジャーナリストとしては有り得ない事だった。

 外の景色を見ながら俺は「キミは沢口明菜という子を知っているか?」と言った。

「えっ?」

「沢口明菜というグラビアアイドルだよ、その子とマツシタが付き合っていた可能性があるんだ、アイツの死の直前まで。」

「そうなの?・・・」

 どうして突然この名前を出してしまったのか、自分でも分からない。驚いているメンソレの表情を見て俺は、自分の言っている言葉の意味に気がついた。そんな俺に気付かずメンソレは続ける。

「沢口明菜ちゃんね・・うん、もちろん知ってる。去年グラビアでデビューして、もう次のFテレビの連続ドラマで主演が決まってるんだって、事務所の後輩が言ってた・・・その子がどうして、マツシタくんと?」

「あ、いや・・」俺は今まで自分がこんなに口が軽いと思った事はなかった。仕事柄、重要な秘密だろうと軽い秘密だろうと持っている情報は、簡単に口にしないことが癖になっていたはずだ。例え酒を飲んでいたとしても取材中の内容を誰かにしゃべった事なんて一度もない。それが、20年ぶりに会った信用できるかどうかも分からない人間に、こうもあっさりと漏らすなんて・・・場合によっては墓場まで持って行くかもしれなかった話なのに・・・けれど、もう後には引けなかった。手詰まりになっていたからもう、どうにでもなれという気持ちもあったのかも知れない。いや、もしかしたら逆に、俺のジャーナリストとして皮膚感が彼女に対して何かしらの信頼を感じていたのかも知れない。コイツなら大丈夫だ、背中を任せられると。

「ああ、世界中でキミを含めても4人しか知らない情報だよ。マツシタが死んだ夜、まず間違いなく沢口明菜はアイツと一緒にいた。キミも知ってると思うけど、マツシタの死因は心臓発作、要するに不審死だ。一応確認だけどキミはマツシタが持病を持っていたとか、体調に不安があったとか、聞いたことはあるかな?」メンソレは首を横に振った。

「俺は沢口明菜がマツシタの死に関して何か知っていると睨んでいる。安易だが複上死的な事故か、あるいは彼女が目的意識を持って殺したのか・・例え直接死に関係なかったとしてもマツシタの最後に一番近くにいた人間は、間違いなく沢口明菜なんだ」

 セーラは安っぽいフェイクレザーのソファーに体重を預け、長い両腕を前に出して大きな胸の下で組んだ。黙っていても絵になる、まるでドラマの1シーンだと俺は、芸能人らしい彼女の雰囲気に感心した。

「・・・ないと思う」セーラはかなり低い声でそう言った。それが余計に刑事ドラマの敏腕女デカのようだった。

「いや、これは確かな筋から得た情報なんだ。沢口明菜がマツシタと一緒にいた事はほぼ間違いない」

「違うの、そうじゃなくて」

「ん?」

「少し話し辛い話題になるんだけど、聞いてくれる?」

「もちろん。」

 俺は自分の返事をした声のトーンを聴いてゾっとした。語尾が上がるような、調子っぱずれの上ずったトーン。30代の後半に差し掛かった中年男が出す声色じゃない。聴いてて自分で恥ずかしくなった。これじゃまるで、恋をしているみたいじゃないか。

「あ、その前に一つだけ教えて」とセーラは言った。

「ああ」と俺は出来る限り、キーを落として答えた。

「子供の頃、どうしてワタシはみんなにメンソレって呼ばれてたの?」

 メンソレは相変わらずのメンソレだった。


一九三五年 六月


 一比己カズヒコは森の中で一人、狩りの為に所有許可を得た猟銃で今日も射撃の練習をしている。自分の親が所有している山でどれだけバンバンやろうと、誰も文句を言ってくるものはいない。だが村の人間に裏でキチガイ扱いされている事は当然、一比己の耳にも入っている。しかしそんな事は問題じゃねぇ。いや、むしろウツケもんだと思われていた方が好都合だ。刃物の手配も済ました。一応、弾薬と散弾銃ももう一丁ずつ用意しておこう。本家の奴らが戻って来るまで、あと二週間はある、何としても奴らに俺のこの力を奪われるわけにはいかねぇ。

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