XNUMX(30)カイエダモンターメ ~(31)ルー
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(30)カイエダモンターメ
「兄の遺体には、右目がありました。」
「えーと・・・義眼ではなく?」
「はい、先ほど詳しく遺体の確認をしたのですが両目とも完全な、こういう言い方もおかしいですが(生の眼球)が残っておりました。」
「まさか・・・」
「もちろん遺体は目を瞑っていましたが、右の眼窩底に窪みが見られなかったので、医師に訊いたところ瞳孔検査のように瞼を開いて照らしてくれました。レントゲン画像も見せて貰ったので間違いありません。担当医は兄が元々、片方の眼球がない人間である事も知りませんでした。・・当然です、そこにはあるんですから」
「・・・」俺はただ言葉に詰まった。健三社長は続ける。
「私はあの日・・中学2年の夏以来、半世紀ぶりに二つの目がある兄の顔を見たんです。この事を知っている他の人間・・ほとんどは家族ですが、父も当時のお手伝いさんも、マツシタくんももうおりませんし・・今この話を出来るのは貴方だけだったので、どうしても伝えたくて」
「なるほど・・」
「もう一度お訊ねしますが、最後に兄と話した時、何かおかしなところはありませんでしたか?」
「いえ・・特には・・いつもどおりの口調で快活でした・・・」
「そうですか・・」
「?、ちょっと待ってください、そんな事を訊くという事は、もしかして死因が分かってないんですか?」
「はい・・お察しの通り不審死です。今日の夕方、ギャラを受け取りに来たライターの方が、仕事場で倒れている兄を見つけて救急車を呼んでくれたそうです。もうその時には心肺停止状態だったそうですが・・外傷もなく、病気のような兆候もない・・一応診断は心臓発作となっていますが、警察は事件性の有無も含めて調べ始めています。」
「という事は、他殺の可能性もまだあり得ると?」
「現状はまだ全ての可能性を内包しています。」
・・マツシタと同じだ。
「なので、貴方との最後の会話から何かヒントがあればと、それも含めてご連絡させて頂いた次第です。」
「・・なるほど、お力になれなくてすいません」
「いえいえ、とんでもない。私はこの困惑を誰かと共有したかったのです。それだけでも大変有難い。妻や家族には話せません。そういう話題ですので。実際、余りにも自然な眼球の付いた兄の遺体を見ていると、実は目は元からなくなっていなかったんじゃないか、とさえ思えてくるのです、入院して包帯を取った14歳のあの一瞬だけ、兄は父を驚かす為に何かしらの手品でも使ったのではないかと。それこそが兄の復讐だったんではないかと・・・」
「でも健三さんは、片目のお兄さんの姿をその後、何度も見ているんですよね?義眼を使っていたり・・」
「はい・・そのはずです・・」
「はず?」
「貴方はマンデラ・エフェクトという言葉をご存知ですか?」
「ええ、過去の出来事について何人もの人が違うように記憶しているっていうアレですよね?近年大統領もやっていたネルソン・マンデラを80年代に獄中で死んでると記憶している人が、ある時期から沢山出てきたという・・日本ではマンデラ効果とも言われている」
「はい、最近でも映画、千と千尋の神隠しの別バージョンのエンディングを映画館で観たという人が沢山いる事が分かりました。でも実際には、ジブリに2バージョンの千と千尋は存在しないという事です」
「もしかして健三さんは、マンデラ効果のようにお兄さんの眼球喪失事件がなかったように感じているのですか?」
「何だかそういう気がしてきたというのが正直なところです・・いえ、今はきっと疲れてるだけでしょう、病院に行ったり警察と話したり色々あったので・・ただでさえ双子の兄弟が片方を失うというのは、普通に近親者を失うのとは少し違う意味合いがあるので・・・」
「きっとそうでしょう。私には計り知れない喪失感があると思います。もうお休みになった方がいいんではないですか?」
「そうですね・・大分遅い時間なんですが・・まだ少しだけお話ししても大丈夫でしょうか?」
「こっちは大丈夫です。あ、ちょっと待ってください」
俺はフリースの上着を羽織ってリビングに行き、自分以外誰もいない室内の温度をひしひしと感じながらストーブを付けた。
「どうぞ」
「すいません。なるべく手短に済ましますので、もう一つだけ。さっき外注のライターが兄を見つけてくれたと言いましたが、その彼がですね、ビルに入る時、見た事もないような美人が入れ違いでエレベーターから降りて来たと言ってたんです」
「はい?」
「それで警察もビルの監視カメラを確認したところ、兄の会社がある三階からその女性がエレベーターに乗って出てきた事が分かりました。また、ライターの彼が行くまでにその日ビルを訪れた人間は、関係者以外ではその人物だけでした」
「はぁ・・」
「私も知人かどうか確認するようにと言われてその映像を見たんですが、全く存じ上げない方でした。その女性は大きなサングラスで顔を隠していて、ショートカットでとてもスタイルが良く30代前後の・・素人ではない、モデルのような人物でした。警察はとりあえずその女性を重要参考人として、行方を捜すそうです」
「・・・」
「それでですね、もしかしたらタレントや芸能活動をしている人間かも知れないのですが、いかんせん私は若い女性芸能人の事をよく知らないので、もしよかったらお時間がある時に一緒にその映像を確認してもらえないでしょうか?」
・・それを見て、もしセーラだった場合、俺は一体どうするのだろう?自分の行動の予測が立たないという、初めての恐怖感を味わっていた。
一九三五年 六月下旬
お清めの祈りは灰烏家の者達が外から戻って来た時に行われる。よそで付いた邪気を取り払い、この土地全体の気を整える儀式である。その為に全員が揃ってから当主が三日の間、毎朝カイエダモンターメを唱える。当主・咲千代の声が今日も響く。モンガーヤ・モンガータ・モンガーラ・ラシラセッ!、モンガーヤ・モンガータ・モンガーラ・ラシラセッ!、モンガーヤ・モンガータ・モンガーラ・ラシラセッ!、モンガーヤ・モンガータ・モンガーラ・ラシラセッ!・・・
2010年 12月下旬
昨晩の健三社長との電話で、監視カメラの映像確認を頼まれた時、俺は返事に一瞬詰まってしまった。しかし数秒遅れて何とか「ええ、構いませんよ」と応える事が出来たのは、(都内にショートカットの美しい女性は大勢いる)という当たり前の事に気付けたからだ。冷静に考えればそこに映っていた女性がセーラである可能性はそれほど高くない、いや極めて低いと言えるだろう。もちろん、セーラクラスの(超)がつく美人はそう多くはないが(並みの美人)であれば、表参道辺りで一時間ほど探せば十数人は見つかる。モウリの仕事場も渋谷区ではないが都内ではあるから、そういった女性が何かの用事でビル内に入って来たとしても、なんら不思議はない。俺の今の思考回路が(美人のショートカット女性)イコール、セーラになってしまっていただけで、何から何まで自分の世界と関係していると考える方が傲慢というものだろう。そう思うと、多少落ち着く事が出来た。
健三社長に「例えば明日なんていかがですか?」と言われて、俺は勢いで危うくOKしかけたが、そこで大事な用事を思い出した。今日の午後10時に、例の名刺の人物(オチアイ・ユキエと会う)のだ。これはセーラの代理としても重要な仕事である。もちろん映像確認は昼間の1、2時間程度で済んだかも知れないが、万が一そこに映っているのがセーラだった場合、俺はその後、300万という大金を持って謎の心理カウンセラーと対峙するという、想像を超えた仕事をやり遂げられる自信がなかった。わざわざメンタルを崩した状態になってからカウンセラーに会いに行くというのも、わざと太ってからジムに行くようなもので滑稽極まりない。そうでなくとも鬼が出るか蛇が出るかという場面なのだ、コンディションは出来るだけ良い方がいい。昨夜もまともに眠っていないのだ。
そんなわけで健三社長には申し訳ないが、(もちろん監視カメラの映像を見て人物を特定するという事自体は、ジャーナリストとして興味があるが)その件は先送りして貰い、俺は夜まで家でゆっくり体と心を整える事にした。
大きな仕事(例えば海外の危険な場所に取材に行くとか、裏社会の大物にインタビューするとか)の前に、俺は必ず丸一日休みを取ってやる事がある。それはフリーランスになってから始めた事で、十年ほど経った今では一種の儀式になっている。
(31)ルー
まず午前中から大鍋にたっぷりとカレーを作り、白米も多めに炊いてそれを一日のうちの好きなタイミングで食べられるようにしておく。そしてシリーズ物の、なるべく深く考えなくていい映画を全作一日ぶっ通しで観るのだ。朝食として最初のカレーを食べながら一作目を見始めて、途中で疲れたり眠くなった場合はいつでも一時停止をして昼寝、また起きて続きを見ながら腹が減ったらカレーを食う。見る、寝る、食うを、時計など気にせず自分のペースで純粋に楽しむのだ。もちろん、電話やパソコンなどの電源は全て切っておく。ポイントはいかにカレーライスを何度も美味しく食べられるかだ。飽きないようにトッピングをいくつか用意しておくわけだが、それは凝ったものでなくていい。スーパーのお惣菜やコンビニのレジ横商品を数種類、残っていたソーセージ等があれば焼いておく。チーズを入れたりソースを入れたりするだけでも味に変化は出るし、最初シンプルにやや甘口で作って置けば、徐々にガラムマサラやカルダモン、チリ、カイエンペッパー等を足して辛さを上げていく事も出来る。そう、人生にもカレーにもスパイスは重要だ。しかし残念な事にカレーに小津安二郎は合わない。大好きなフェリーニやゴダールもこの日は違う。カレーだけでなくご飯をもりもり食べる時には、多少言葉が聴き取れなくても内容が把握できるぐらいの物語がいい。そして一日かけて観る量としては、二部完結では短すぎるし、スターウォーズやハリー・ポッターでは長すぎる。もちろんシリーズ全てを必ず見切らなければいけないわけではないが、作品数が丁度いいと気持ちよく終われる事は間違いない。とはいえ、それだけで考えてもいけない。エイリアンでは食欲が削がれるし、ワイルド・スピードでは目が疲れるし、漫画原作の邦画では軽すぎるので、作品選びはいつも悩むところだ。今までこの儀式に時間と内容がばっちりハマったのは、マトリックス、バットマン・ダークナイト、ゴッドファーザーだった。ロッキーも悪くはなかったが、ランボーは戦火の取材の前に見て尚更気が重くなった。同じドンパチでもイーストウッドの荒野シリーズの方は、上手く楽しめた。大事なのは気分をリフレッシュする事であって、その為にもカレーのスパイスによるデトックス効果が必要なのだ。
色々考えた末、今日は丸一日空いてるわけではなく、夕食後には出かけなければいけないので、3作で済むバック・トゥ・ザ・フューチャーにする事にした。そう言えば、子供の頃以来久しく見ていなかった。確か全三作の入ったDVDボックスが、未開封のままどこかにあったはずだが・・・。
完璧に自分好みに出来上がったカレーをまずは軽めに皿によそい、結局はおかわりをして二杯食べながら1985年作の、最初のバック・トゥ・ザ・フューチャーを見た。オープニング、マーティが目覚まし時計で目覚めるシーンになった途端、一気に祖父の膝の上で見ていた頃を思い出して、こっちの気持ちが先に過去に行ってしまった。しかし、娯楽映画として文句のつけようのない作品だ。多くの人がアメリカン・ムービーと訊かれたらこれを思い浮かべるのもさもありなん、過去に戻って行く時代も良きアメリカの象徴、1950年代なのだから。そう、エルヴィス、ジーンズ、ハンバーガーだ。俺はクラシックもパンクも聴く人間だ。黒沢も観るしマーベルも観る、三ツ星のレストランにも行くし百円のチーズバーガーだって食べる。大人になった時に大切なのはバランス感覚だ、俺はこの映画を楽しめないような気取った人間には成りたくない。ジョニー・B・グッド!
久しぶりにここ数か月の出来事を全く考えない時間を持てている事にも喜びを感じながら、すぐさまパート2のDVDをプレイヤーに入れた。流石にカレーは一休みして、缶ビールを開けた。この後、初対面の人に会う事も忘れて・・・。さて、二作目を観てまず驚いたのがマーティの彼女、ジェニファーが1とは違う女優になっていた事だ。子供の頃観た時には全く気づかなかった、いや、今でもこうやって連続で観ていなかったら気づかなかったかも知れない。どおりでせっかく未来に連れて行ったのに、そうそうに眠らされるわけだ・・・さらに、嘘だろ!よく見たら老いた父親役も代わっているじゃないか!なんてこった・・過去に戻ったシーンでは前作の映像を使ってるし、しまいには、父親は時空の歪みで別の85年では死んでしまっている事になっている・・何という強引な脚本・・しかし最大の問題は、ビフのキャラ変だ。いや、未来のビフが金持ちのギャングのようになって横暴になっているのは分かる、でもなぜ、まだ何も変化していない50年代の若造のビフが、平気で車で人を引き殺そうとするほど凶暴になっているんだ?祖母思いの愛嬌ある町のゴロツキだったはずなのに、これじゃまるで異次元から来た別のビフみたいだ。俺は頭をかしげながらビール缶を傾けた。その時ドアポストに何か投函される音がしたがもちろん無視した。二作目を見終わった後、目が疲れたので少し休憩を挟む事にした。
一時間ほどで昼寝から目覚めてカレーを温め直し、ハムカツとチーズをトッピングして、さっそくパート3に突入した。この三作目は全体的に記憶が曖昧だったので全く新しい映画を観ている気分で楽しめた。元々俺は西部劇が好きだが、パート2と違って時代の行き来も少ないので誰にとっても見やすいはずだ。パート1のような派手さはないが、まとまっている良作と言えるだろう。1では歌手のヒューイ・ルイスがカメオ出演していたが、この3にはバンドのZZトップやレッチリのフリー(2にも)が出演していて、それも全然覚えていなかった。しかし二作目は、なぜ未来に行ったり過去に行ったり現代に戻ったりと、あそこまで忙しないストーリーになってしまったのだろう?エンディングには3の宣伝まで入っていて、まるで1と3を繋ぐ2時間弱の大仰な説明のような作品だった。子供の頃観た時にはパート2が一番好きだったはずなのに・・大人になるとこうも印象が違うものなのか・・これももしかしてマンデラ・エフェクトの一種なのだろうか?・・・いやいやただの勘違いだ、こちらの成長と思い出の美化による、自分勝手な過去の改ざんだ。
腹も心も大満足してふと時計を見ると、もう夜の7時を過ぎていた。これはまずい、と俺は急いでビール3本分のアルコールを飛ばす為にシャワーに入り、出かける準備を始めた。確かノアール・ホテルに10時・・初めて行く場所で正確な所在も確認していない。一体ここからの所要時間はどれくらいなのだろう?・・ああ、こんな時に最新のカーナビの付いた自家用車があればいいのに・・・。
とりあえず最低限の身だしなみ・・髭を剃って髪を軽く整えてから、絶対に忘れてはいけない封筒の金をカメラバッグの底に入れて、いつもの服装で俺は家を出ようとした。玄関で靴ひもを結んでいる時に、さっき郵便物が届いていたことを思い出し、ついでにドアポストから引き出した。それは宛名もない小さな白い封筒で、裏を返すと左下に(メンソレ)と署名がしてあった。セーラからだ!
切手も貼っていないという事は、さっき直接ここに来てドアに投函して行ったのか!俺は自分の鈍感さに苛立ち、クソっ!とドアを叩いた。あの時すぐに気づいて追いかければ話す事が出来たかも知れないのに!これが入ったのはパート2を見ていた時だから、最低でももう3時間以上は経っている。・・俺は少しでも彼女の情報がないかと素早く封を開け中身を確認した。・・・そこにはメモ程度の短い手紙が入っていて、こう書いてあった。
― 明日の飛行機で実家に帰ります。車が必要なくなったので、良かったら使って下さい。貴方の家からすぐ近くのパーキングに停めてある4番の青いプジョーです。駐車代はとりあえず一ヶ月分払ってあります。いらないなら売ってしまっても構いません、必要な書類はダッシュボードの中です。それではまたね 追伸 上手くいけば、貴方の携帯に知らない番号から電話があるかも知れません。もしかしたらそれがマツシタくんの件の突破口になるかも知れないので、見知らぬ番号でもここ一週間ぐらいは出てみてください。―
そして封筒を逆さにすると、車のキーが中から落ちてきた。・・・全く、一方的だが痒い所に手が届く女だ・・よく見ると鍵にはキーホルダーが付いていて、それは小さなガネちゃんのフィギュアだった。




