XNUMX(16)シオザキ ~(17)ナム
今週も次の水曜日に更新が出来ない為、急遽本日(日曜日)に今週分をアップしました。ちょっと早いですがお楽しみください。
(16)シオザキ
2010年 11月末
年も暮れようとしているのに、薄着のままソファでうたた寝をしたのがまずかったのかも知れない。俺は十数年振りに高熱を出して数日間、無様に寝込んでいた。頭は軋み、背中はこわばり、関節という関節がウイルスによる拷問を受け、悲鳴を上げていた。朝なのか夜なのか、暑いのか寒いのかも分からないほど感覚は鈍化し、立ち上がりたくとも全身の筋肉に力が入らない。だが、熱にうかされていようといまいとシオザキから聞いたマツシタの魂の叫びを、俺は上手く理解する事が出来なかった。小学校の頃から知っているマツシタという人間は、他人に心情を吐露するような人間ではなかったはずだ。情熱的に愛を語るような男でもなかったし、そもそも他人への興味がない人間だったから、誰かの為に私財を投げ売るなどという事はもってのほかだ。それを言うならセーラが言っていた、別れた後のストーカーまがいの言動もおかしかった。自分の事しか興味のないアイツが、人にそこまで執着するなんて・・他の人間から聞くマツシタの話全てが、俺の知っているマツシタのエピソードとは思えなかった。・・・いや、もしかしたら俺が見ていた、自信家で傲慢で極端に物質主義の趣味の悪い男は、俺の前にだけ現れるマツシタのほんの一面でしかなく、残りの99パーセントこそが、本来のマツシタだったのかも知れない。俺は無限にループする答えの出ない思考の問答と共に、高熱のワルツを踊った。
それから2日ほど経って、熱も大分下がった頃、久しぶりにセーラから携帯にメッセージが届いた。
〈お疲れさま。ちょっと間が空いちゃったね、元気にしてる?ワタシは数日前に、例の元マネージャーだったマキソンと会ったよ。結論から言うと、興味深い話は聞けたけど、マツシタ君とは直接関係のないものだった。もしかしたらマキソンは、沢口明菜とマツシタくんが会っていた事すら知らないかも。そうそう、明菜ちゃんにも会えたんだ。挨拶しただけだけどね。もう少し時間があれば、本人に直接訊けたかも知れないけど、マキソンもいたし、本当に時間がなくて・・。明菜ちゃんはもちろんだけど、もう一度マキソンに会うのもしばらくは難しいかも知れない・・・ごめんね。大して役に立てなくて。そっちは何か進展あった?ワタシはそろそろ本格的に実家に帰る準備を始めようと思っています。〉
俺は自分が体調を崩し、数日寝込んでいた事を伝えた。するとセーラはすぐに(ご飯でも作りに行こうか?)と返してくれたが、俺はまだ食欲がないからと、断った。今はセーラのまずい手料理も、素晴らしい身体も欲していなかった。
これで手がかりはほとんどなくなった。セーラのラインが断たれてしまったなら、振り出しに戻ったと同じだろう。しかし、シオザキが言っていた(人を操れる不思議な女の子)は、おそらく沢口明菜で間違いない。その話を全て信じるとしたら、セーラが言っていた、うだつの上がらない元マネージャーが突然、敏腕美人マネージャーに変わっていたというのは、沢口明菜の力によるものなのかも知れない。そんな(力)があれば、だが・・・。普通に考えれば、それは特殊能力というよりも、単に人の扱いが特別上手いだけではないだろうか?私のマネージャーなんだから、こうして欲しい、ああして欲しいと要望を突きつけて、自分の担当者を仕事の出来る存在に上手く育て上げただけかも知れない。二十歳前後の女の子がそれをやったというのは脅威だが、別にない話ではない。何もB級雑誌の記事のように、大げさに考える必要はない。問題はその娘がマツシタの死の現場にいて、なぜそれが隠蔽されているか、だ。
次の日、俺はまだブリキ製のようにあちこち軋む身体を無理やり起こして、パソコンの前に座ってみた。モウリから2件目の案件に関する催促のメールが届いていたが、もうそれに着手する意欲は少しも持てなかった。だが実際問題、貯金ももうほとんどなく、懐具合はいよいよ年を越せるかどうかという厳しい状況になっていた。外にも出ていないから、今日食べる物もない。・・・空腹を感じ、茫然としていると、ふと玄関の方でコトンと聞き慣れない音がした。俺はしばらく無視したがやっぱり気になって、重い身体を引きずりながら玄関に行き、様子を伺う為にドアをゆっくりと開けた。するとノブに買い物袋がぶら下がっていた。中には俺の好きなコンビニのおにぎりとインスタント食品、それから栄養ドリンク数本、そして紙のメモが入っていた。― お大事に、あとこれ良かったら使ってください。当面大変でしょう? セーラ ― よく見ると、袋の底にバンダナで包まれた物体が入っていた。恐る恐る開いてみると分厚い封筒で、中には数百万円ほどの現金が入っていた。金にももちろん驚いたが、こんな札束をバンダナに包んだだけでドアにひっかけて行ってしまうセーラの無頓着さにも驚いた。いや、それが(メンソレ)らしさか・・・。
セーラの差し入れのお蔭もあって、翌日になると何とか外出できるだけの体力と気力が戻ってきたので、俺は食料の買い出しも兼ねてテレクラまで足を運んでみる事にした。今ではシオザキが唯一の手がかりだ。とはいえ、3時間パックを利用するような元気はまだなく、受付の金子ジュニアにまた小銭を掴ませてシオザキ周りの情報でも聞こうと思ったのだ。もちろんセーラの金は、届けられた時から鍵のかかる机の引き出しにしまったままだ。あれに手を付ける気には到底なれない。正直、少しの出費も痛いところだが、調べ始めた当初、あんなに重かった車輪がなんとか回り始めているのだ。ジャーナリストの勘として、こういう時は動きを鈍化させてしまうと、そのまま止まってしまう恐れがある。車輪をもっと回転させる為に火をくべなくては。
「どーも」と、俺が店内に入ると「あ、こんちは!」と、こっちが釣られそうになるぐらいの笑顔で金子ジュニアが迎え入れてくれた。こういう人間は、数回会っただけで他人を友達だと思うのだろう。
「久しぶりっすね」
「そうか?一週間ぐらいしか経ってないだろう?」
「一週間は久しぶりっすよ」
そういえば若い時はそうだった。会社や学校などで、毎日会う人間が決まっていたから、三日合わなければ久しぶりの感覚だった。けれど、組織に属さずこの年齢になると、週に一回確実に会う人間などいない。もしいたとしても、そのタイミングを一度外せば、簡単に二週間以上会わなくなる。すると当然、久しぶりというのは年間隔になる。それはまぁいい。
「久しぶりに風邪をひいていたんだ」
「そうなんすか?最近寒いっすからね、大丈夫っすか?」
「ああ、もう熱は下がった。でも三十も半ばになると、治りが遅くて困るよ」
「そうなんすね、気をつけてください、じゃないとシオザキさんみたいになっちゃいますよ」
「ん?どういう意味だ」
「あれ、知らないっすか?シオザキさん、死にましたよ。」
「!」
「ニュースにもなってたから。あ、まぁでも知らないか、お客さんこの辺の人じゃないし。」
「い、いつだ?」
「先週っす。ああ、多分、お客さんがこないだ来た日の夜ですね」
「どうして・・・」
「元々シオザキさん重度の糖尿病だったんすよ、片足も義足だったし。駅近くの路地でのたれ死んでいたのを、次の日の朝ホームレスに発見されました。警察やらなんやら来てこの辺、大変だったんすよ」
あの日の夜だ・・間違いない。俺が最後に見かけた時、シオザキはフラフラと路地に吸い込まれて行った。その先で多分、低血糖で倒れて、そのまま・・・。
「最近寒かったですしねー、発見時は結構薄着だったっていうし、シオザキさんの体力じゃ路上で寝たらもちませんよ。あの人ガリガリだったでしょ?あ、お客さんは会った事ないか。シオザキさん、ああ見えて昔は130キロぐらいあったんですよ、それで柔道のオリンピック候補にも選ばれていて。あ、親父の大学の時の先輩なんです。怖かったらしいっすよ、同じ柔道部で、背も2メートル近くあったから巨神兵シオザキって呼ばれてて。」
金子ジュニアの話は全く入ってこなかった。俺と自宅の電話で話していた時、シオザキは多分、もう死んでいたのだ。いや、心肺機能が止まっていたかどうかは、正確には分からないが、あのタイミングなら昏睡状態だった事は間違いないだろう。常識的に考えて、そんな人間があれほど饒舌に通話出来るはずがない・・・俺はハッと気づいて携帯を取り出し、写真フォルダを確認した・・が、あの時撮ったはずのシオザキの写真は一枚も残っていなかった。・・まともに撮れていなかったから、その場で無意識にデータを削除したのだろうか?・・しかしその瞬間、なぜか俺は、自宅の固定電話で録音したシオザキとの会話も残っていない事を直感的に理解した。
「大丈夫っすか?」
「あ、ああ」
「お客さん、毎回ここでも出会えてないみたいだし、なんなら俺が相手しましょうか?」
金子ジュニアの特別な好意を丁重に断り、俺は家路についた。食料の買い出しをする余力は残っていなかった。
(17)ナム
どうやって家まで辿り着いたかほとんど覚えていなかったが、カギをノブに差し込んだ瞬間に、チェスターコートのポケットの中でスマートフォンが鳴った。俺は玄関に身体を滑り込ませながら電話に出た。
「もしもし」
「えー、モウリです。えー、頼んでいた2つ目の案件はどうなりましたか?えー、メールの返答がなかったものでね、お電話させて貰いました」
「ああ、すいません。ここのところ体調を崩していたもので返答が遅れてしまって」
「そうでしたか、それはそれは。えー、でも、こちらとしてはもう締め切りはとっくに過ぎていましてね、えー」
「そうでしたね、ちょっと急な高熱だったもので、取材はしたんですがまだ記事にまとめられていないんです。これ以上お待たせするのは申し訳ないので、二つ目の案件は辞退させて下さい」
「なるほど、分かりました。えー、ただね、単発の仕事でギャラも安いもんですが、そう簡単に断られると困るんですよ、えー、一個ネタがボツになるという事は、一個違うネタを用意しないといけなくなるというわけで。えー、雑誌とはそういう物です」
わかってるよ、でもアンタの雑誌なんて一つ記事が変わった所で誰が気にするんだよ。と言いたくなったが、どんな理由にせよ、約束していた記事を落としたのはこちらだった。
「ええ、大変申し訳ないです。私はどうやらそちらの雑誌のテイストに合った記事を書く事に向いていないようです。もちろん、テレクラの取材でかかった経費も請求しませんので、今回の依頼はこれで終了にさせて下さい」
「中々マイペースな方ですね、えー、こっちはそれで構いませんが、しかしそれじゃあ一軒目のギャラが、経費で消えてしまうでしょう?お金がいるんじゃなかったんですか?」
「仰るとおりです。ただ、ちょっと纏まったものが入ったのでご心配には及びません。お気づかいありがとうございます。」
口から出まかせのつもりだったが、俺の頭にはセーラの封筒の金がチラっと頭を過った。もちろんアレは今度彼女に会った時、返すつもりだ。
「・・まぁいいでしょう。我々、地下雑誌界隈の人間は、ただ空いたページを違う文章で埋めるだけです。えー、貴方のように格調高いジャーナリスト精神は持ち合わせておりませんので」
中々キツイ嫌味を言われたが、それよりも俺の素性を知り尽くしているかのようなモウリの口調に、ゾクっとした。
「丁度くだらないネタが一個入った所なんで、それでいきますよ。えー、誰も注目するようなもんでもないですけど、テレクラ分ぐらいはそれで埋まるでしょう。えー、申し訳ないけど、もう貴方に仕事の依頼はしませんよ、それが我々の業界のルールですから」
願ったり叶ったりだ、と俺は思った。
「ええ、わかってます。お世話になりました」と言って、まだ何かしら皮肉を言っていたモウリを無視して、俺は電話を切った。
病み上がりの状態でシオザキのショッキングな話を聞き、ゲイだった金子ジュニアの誘いを何とか断り、帰宅直後にはモウリに嫌味を言われ、俺は疲れ切ってしまい、リビングに進むと、また倒れ込むようにソファで眠りについてしまった。
・・・トントントントントントントン
微睡みの中で聞こえてきたのは、この世で最も心地のいい音・・・まるで自分は十歳で、夏休みに実家の居間で昼寝でもしているのかと勘違いしながら、俺は優しい包丁の音色で目を覚ました。
「ごめん、起こしちゃったよね?でもまだ合鍵持ってるから勝手に入っちゃった。」
キッチンには、セーラがいた。
「そしたらびっくりしたよ、コートのままソファで寝てるんだもん。とりあえずまた風邪をぶり返しちゃいけないと思って、ワタシが巻いてきたストールをかけといたけど・・大丈夫?寒くなかった?」
「いや・・寒くはなかった。ありがとう」
スマホを見ても帰宅から大して時間は経っていない。俺は何だかとても安心した気持ちになった。
「今買ってきた食材でおかゆ作ってるから、良かったら食べて。食欲は戻ってる?」
「ああ、今すぐ食べたいぐらいだ」
「よかった!じゃ今一緒に食べよう。ワタシも夕ご飯、食べそびれてて」
タイミング、サービス精神、言わなくても分かる勘の良さ、どれを取っても彼女は完璧だ。それなのに俺は、アダルトビデオに数回出演していたぐらいで、こんなにも素晴らしい人を失おうとしていたのかと、自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
セーラはキッチンで、自分の作ったおかゆを味見して「うーん、いつもどおり、特に美味しくはないわね」と言って笑った。彼女は自虐的なユーモアのセンスもあるのだ。
俺達は簡単に夕食を終えると、お互いが持ち寄ったマツシタの件に関する最新の情報を交換し合うことにした。セーラから聞いた、牧村マネージャーと沢口明菜が親子だった件は確かに驚いたが、それとマツシタの死因には因果関係がないように思えた。彼女の予想では、牧村は沢口とマツシタが接触していた事を知らないのではないか、という事だったが、果たしてそんな事は有り得るだろうか?マネージャーでもあり親子でもある二人の関係性で、定期的に合う男性の影に気付かないはずはないだろうし、その敏腕マネージャーが今、スキャンダルを躍起になって隠しているからこそ、真相が公に出て来ないと考えるのが妥当だ。しかし訝しんでいる俺を見て、セーラはこう言った。
「口では上手く説明できないんだけど、あの親子は何かがおかしい。マキソンは見た目だけじゃなく、言動もおかしかったし、少なくとも新人タレントがベテランマネ―ジャーの言いなり、という感じじゃなくて、娘である明菜ちゃんの方がマキソンを仕切っているようにワタシには見えた。だからマキソンがマツシタ君の存在や、二人が会っていた事も知らされてない可能性はあると思う。・・うーん、まぁでもこれはワタシの肌感覚でしかないんだけどね」
俺は(特別な力)なんてモノは信じないが、ジャーナリストとして現場にいた人間の肌感覚は何よりも信用していた。そのお蔭で内戦の取材で中東にいた時、何度ミサイルをかいくぐる事が出来たか・・・現地のコーディネーター、仲間のジャーナリストには足を向けて眠れないと思っている。
「そうか・・牧村をよく知っているキミが言うならそうなのかも知れない。」
「うん、ありがとう」
「それで、牧村や沢口明菜に話を聞く時間を改めて作らせるのは、やっぱり難しいかな?」
「そうだね、明菜ちゃんは今まさに売れっ子になろうとしてる時期みたいで、スケジュールはかなりタイトだったし、もちろんマネージャーのマキソンもね・・もう辞めたワタシのような人間は相手にして貰えないと思う・・ごめん。」
「そうか・・いや、謝る必要はないよ」
「ううん、ワタシとしても気になる事だし、もっと力になれたらいいんだけど・・貴方の方はどう?何か新しい情報はあった?」
ここでシオザキの事を話すかどうか、俺はとても迷った。一連のテレクラでの出来事は、贔屓にしている政党や、自分の信じる宗教の話題と同じく、話す相手をかなり選ぶ代物だ、親しければ出来るというモノでもない。―― 雑誌の取材で行ったテレクラに、古株のシオザキという客がいて、その男はマツシタと(お互いの顔を知らないまま)友人になっていた。そしてシオザキは先週突然、誰にも知らせていない俺の自宅の電話番号に真夜中、電話をかけてきて、イタコのように物まねをしながら、マツシタが特殊能力を持った少女と会うという話を伝えてきた。だが実際にはその頃、シオザキは死んでいた ――・・・こんな話、一体誰が信じるだろう?死人が死人の話をした?誰に言っても頭がイカれたと思われるだけだ。・・・しかし、セーラには伝えなければいけない事がある。それは、人を操る事が出来る(特別な力)を持った女の子がいて、それは多分、沢口明菜の事だという事。そしてマツシタが沢口に近づいた動機は、その力を利用したいと思っていたからだ、という事だ。これは真相究明への手がかりとは言い難いが、元恋人で婚約者に近い存在であったセーラは知るべき事柄だ。彼女が現時点でマツシタの事をどう思っていようとも、アイツがセーラに何度もプロポーズをしつつ、その合間に他の若い女を口説いていたわけではないという確証が取れた事は、友人としても伝えたい。
俺はテーブルを挟んでセーラの顔を見た。彼女は何かを察してコーヒーマグを掴んでいる俺の手を、両手で包んできた。最初から全てをそのまま話しても、きっと彼女は信じてくれるだろう・・・だからこそ俺は、シオザキの件や沢口明菜の特殊な力の詳細を話す事が出来ないと感じた。この奇妙な出来事を彼女が丸ごと信じてしまった時、俺の前にそれは(本当に)存在してしまう。それが怖かった。だから今はこういう言い方しか出来なかった。
「ある筋から情報提供があったんだ。沢口明菜には何か特別な力があるらしい。マツシタはそれを目的に彼女に接触した。キミが言っていたように、二人に恋愛感情や男女関係はないだろう」
「・・・やっぱりね・・マツシタ君については、曲がりなりにもワタシは元彼女だもん、少しはわかっているつもりだよ。でも、それなら尚更マツシタ君の死因が気になるね、ホテルには一緒にいたわけだし・・・明菜ちゃんの特別な力ってなに?超能力みたいなもの?」
「端的に言えばそうかも知れない。でもまだ分からないんだ。」
「それをマツシタ君は、何かに利用しようとしてたの?」
「ああ、何かにね」
キミへの求婚だ、とは言えなかった。
「ふーん、よく分からないなぁ」
「まぁ、俺もだ」
「誰が情報提供者なの?」
「いや、それは・・」
「お仕事関係の人だから言えない?」
「・・ああ」
沈黙が流れた。仕事関係でもなんでもない、死んでいたはずのテレクラの常連客だ、そう言ったら彼女は笑うだろうか?セーラはまた何かを察して、それ以上何も聞いてこなかった。もしかしたらマツシタの行動に何か思う所があったのかも知れない。彼女は飲むわけでもなく、マグカップの残りのコーヒーの水面を静かに眺めていた。
数日の間、別行動をしてお互いが持ち寄ったものでディスカッションをした所で、残念ながら我々の乗った車が前進出来るような燃料は見つからなかった。セーラは近々実家に戻るようだし、俺の取材力にも限界がある。この件を追うのは一旦、休止するべきなのかも知れない。季節は我々を置き去りにしようしているのか、無慈悲なほど一方的に進み、もう一年が終わろうとしている。貯金が底をつく前に俺もいい加減、本業の仕事に戻らなければならない・・・仕事?・・仕事関係の情報提供者?・・そういえば、最初にマツシタに甲子園のピッチャー王子の話をしてきた人間は誰だった?・・アイツの仕事関係の人間だったはずだが・・・ん?・・ああっ!!
俺はそこで思わず立ち上がった。
「わっ!なに?どうしたの!?」
「そうか!、大手スポーツ誌の編集長!!、それだ!」と俺は声を上げて、そのせいで少しむせた。
「ゴホッゴホッ・・ウッ・・」
「大丈夫?コーヒー飲んで・・・で、どういうこと?」
「う・・うん、ああ、今思い出したよ、マツシタが6月頃、最初に俺におかしな話を持って来た時、アイツは大手スポーツ誌の編集長から聞いたって言っていたんだ。どうして忘れていたんだろう」
「そうなんだ・・それで?」
「マツシタに特別な能力を持った女の子がいる、という話をしたのも多分その編集長さ、その人は、甲子園の時だけ物凄い才能を発揮したピッチャーがいた事を面白おかしくマツシタに話した。マツシタは野球になんて興味はなかっただろうけど、その(特殊能力)については漫画家として大いに興味を持った、だからその編集長と会った時はよくそんな話をしてたんだろう。その流れで沢口明菜の事も聞いたんだ、それで俄然興味を持ったマツシタは、自分の連載していた雑誌でグラビアをやっていた彼女に会ってみる事にした。もし、その能力が本物なら実際に見てみたいし、嘘だとしても何かしら漫画のネタになるかも知れないってね」
「なるほど」
「だから、俺は最初からその編集長に会ってみればよかったんだ、それが一番手っ取り早い」
「そっか、・・雑誌の編集長って誰だか分かってるの?」
「ああ、マツシタは別れ際にハッキリと言ったんだ、スポマガの編集長からピッチャー王子の件をもっと詳しく訊いておくってね」
「スポマガ?」
「そう、スポーツファイト・マガジンという創刊50年を越える長寿雑誌さ。男の子だったら誰でも一度は目にした事がある。出版社は林屋出版ってところで、俺は面識はないけど、確か今は二代目が継いでいて、その二代目が会社の看板雑誌でもあるスポマガの編集長も兼ねているらしい。」
「へー」
「その人に会えば色々情報が聞けるかも知れない・・いや、マツシタとは相当親しかったようだから、かなり有力な話が聞けると思う。アイツは有名人だったけど、人付き合いは狭かったから。」そう言ったものの、シオザキの件もあり、自分のマツシタに対する認識には自信が持てなくなっていた。
「そっか、やったね!」
そう言うセーラの笑顔を見て、俺は些細な不安と風邪の気配が吹き飛んだように感じた。
時間も遅くなり、セーラはそろそろ帰ると言った。俺も物事が進展の兆しを見せた事に高揚して一瞬、身体が治ったと勘違いしたが、その後にドッと倦怠感が押し寄せてきた。熱は下がったものの本調子でないまま無理やり外出をしたのだ、疲れていないはずはない。今日は早く(ちゃんとベッドで)寝る事にした。
「また何か分かったら、すぐ連絡してね」とセーラが靴を履きながら言った。
「ああ、そうする」と言って俺は、玄関まで見送ろうとリビングの椅子から立ち上がりかけたが「あ、いいよ、カギは閉めていくから」と、ウインクをしながらキーホルダーをブラつかせるセーラに静止された。俺はそのまま椅子に腰かけ、出て行くセーラの姿を何となく見ていた。
「あのさ、そのバッグのロゴ、最近よく見かけるんだけど流行ってるの?」
セーラは黒く大きな、IKEAで使う買い物バッグのような物を肩からかけていた。
「うん、若い子がよく持ってるでしょ?このブランドのバッグ。海外セレブとかが持っていて火がついて、今すごい流行ってるんだよ。実は日本のブランドらしいけど」
「そうなんだ、今日もそのブランドのリュックやトートバッグを持っている子を、街で沢山見かけたよ・・そのロゴ、なんて読むんだ?エックス・・・?」
「あはっ、もうオジサンだな~、これ読めないとモテないぞー、このブランドはね(XNUMX)って書いて(ナム)って読むんだよ」
「へー、ナムね、覚えておくよ、でももう俺はモテなくていいんだ、セーラがいるし」
「うわ、珍しい、そんな事言うんだ?まだ熱があるんじゃないの?」
「ははは、そうかも知れないな」
「早く寝てね、それじゃ」
「ああ、気をつけて」
「うん、バイバーイ」ガチャ。
それが我々が家で会って、初めてセックスをしなかった日だった。
今週も次の水曜日に更新が出来ない為、急遽本日(日曜日)に今週分をアップしました。ちょっと早いですがお楽しみください。




