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XNUMX  作者: 上兼一太
1/11

XNUMX(1~3)イントロ

前に小学校の同級生だったマツシタが現れる。彼の依頼は、時々メディアでも扱われる、幼少期から特別なチカラ(アレ)を持っていた人間たちは、なぜ大人になると失うのか。それについて調べて記事にして欲しいという物だった。旧友に頼まれて軽い気持ちで始めた取材から「俺」は大きな運命の波に飲み込まれる。時間、場所、空間、様々な既成概念を乗り越えて交差するオトナのSFエンターテイメント・ミステリー。<こちらは連載一回目なので1~3話分をまとめて配信しております。>

(1) イントロ

 時々考える事がある。俺はもうとっくに死んでいるんじゃないかと。自分でも気づかないうちに死んでいて、間抜けなウイニング・ランのようにゴールした事もわからずに走り続けているんじゃないかと。

 それがいつからか定かではないが、ある時から喜びや憎しみや悲しみなど、人間らしい感情をほとんど感じなくなっていた。誰かといる時には、それらの感情をまるで演じているように表現している自分に気がついた。ある種のアスリートがそうであるように、何度も同じ動作を反復する事で、俺はいつの間にかその素振りを無意識のうちに行えるようになっていた。・・まぁそれはあくまで処世術としてであって、一日のほとんどは何の感覚もなく、生存活動を強制労働としてただただ無意味に繰り返している。そして最近はそれが特にひどくなってきている。朝の太陽はただ眩しいだけであり、日中は最低限のタスクをこなすだけで過ぎて行き、おのずと人付き合いは希薄になり、日が暮れれば一刻も早くベッドに入る事だけを考える、そんな生き方だ・・・だが、それも仕方がないのかも知れない。俺のように、止めてくれる人が一人もいないような人間なら。


  2010年 6月下旬


「これはオレの聞いた話なんだけど、ついこの間、突然引退を発表した若い投手がいただろ?そうそう、甲子園の時、プリンスとか言われてもてはやされて、いざプロに入ったら大して結果も出せなかった彼だよ。その彼もさ、要するに(アレ)の人だったらしいんだ。そう、小学生の頃から高校生ぐらいまで物凄い(アレ)を持っていたらしい。高校卒業後の彼はなぜかすぐにプロには行かず、進学して大学野球の方にいったじゃない?めちゃくちゃドラフト指名がかかってたのにさ。それがね、どうやらその時にはもう(アレ)がなくなっている事に気がついてたらしいんだよ、それで、このままじゃ自分はプロでは通じないって大学に行って時間稼ぎっていうか、様子を見てたらしいんだよな」

 マツシタは後ろを向いてウェイトレスにコーヒーのお代わりを頼むと、鼻先に下がってきている眼鏡も気にせず話を続けた。

「うん、もちろん彼は努力家だからH大で野球を続けてから何とかプロまでいったけど、その後は、まぁご存知の通りだ。ん?(アレ)を失った事に気付いたのは具体的にいつだったかって?う~ん、高3の夏休みって言ってたかな。その時、たまたま遠い親戚の家に家族旅行に行ったらしくてね、それまでは野球ばっかりであんまり家族みんなで旅行するタイプじゃなかったみたいだし、そもそもそんな遠い地方に親戚がいるなんて彼は知らなかったらしいけど。でも両親に、プロになる前の思い出作りとしてどうしても一緒に旅行に行こうって言われたらしくてね、その時は当然そんな事になるとは思ってなかったわけだから、高校卒業後はすぐプロになるつもりで、まぁプロ野球選手になったら忙しくなるだろうし、親孝行として家族旅行もいいかな、なんて思ってたらしくてね。その後だよ、彼が旅から帰ってきてしばらくしてから、練習に行ったらさ・・・うん、そうみたい、一球投げてすぐ分かったらしいね、すぐ気付いたって(アレ)が無くなってる事に。いや、投げるまでもなかったって言ってたな、球を持った瞬間、今まで何千回、何万回と握ったそのボールがまるで生まれて初めて握らされた鉛玉か何かのように、恐ろしく重くて冷たい物体に感じたらしいんだよ。その瞬間に、あ、オレにはもう(アレ)がないんだって。で、キャッチボールしてみたら実際その通りだったってわけ。」

 

 マツシタはそこで高そうなサマージャケットの内ポケットから左手でアイコスを取り出した。「いいよな?」そう言うと俺の返事も待たずに深々と吸いこんだ。もちろん喫煙席なのだから構わない。「煙草からこれに変えて、もうしばらく経つけど、実際慣れないもんだよ。ああ、マイルドセブンが吸いたいなぁ、メビウスじゃなくて。」そう言ってマツシタは音もなくケタケタと笑った。自分の連載している漫画が次々とアニメ化され、次は実写化映画版も決まっているという人間なのだから、どうしたってこういう人を不快にする笑い方になるのだろう。

「でね」マツシタはおかわりしたコーヒーにいっさい口を付けずに続ける。「オレはこう思うわけ、(アレ)ほどじゃないにせよ、小さい時にある種の能力があったヤツらって大体大人になったら無くなるっていうじゃない?それってさぁ(自然に)なのかなぁ?いや、文字通りオトナになったから無くなったって言うヤツもいるよ、でもさ、それは人それぞれタイミングがあるわけじゃない?だったら童貞なら30過ぎても能力が残っているのかって。そういうとさ、何か微妙な感じするよ、その仮定だと全然説得力がない。セックスと能力の喪失には因果関係を感じないよね?オレが漫画にするとしても理由としては弱いなと感じるよ、やっぱりさ、ハッキリした原因があるんだと思うんだよね」そこでまたマツシタは音もなくニタリと笑った。長い付き合いのコイツには、きっと俺のジャーナリスト魂に火を付けられるという自信があるのだろう。俺はなるべく冷めているように聞こえるトーンで、それで?と言った。

「要するにある時期になったら外的要因に消されるんだよ、その能力を。」

「誰に?」

「さぁ。それを調べるのがお前の仕事だろう?」

 マツシタは一瞬コーヒーカップを握ったが飲みはしなかった。俺はバカみたいな質問した。

「国とか、政府にか?」

「政府じゃない・・でも、あながち間違ってもいない。というか政府に委託された団体、機関のようなものだとオレは睨んでる。」

「なんだそれ、バカバカしい」

「そう思うか?」と言いながらマツシタはやっと眼鏡を上げた。

「なぁ。オマエもしかして次回作のプロットを俺に話してるんじゃないのか?」

「バカを言うな、漫画にするにはそれっぽ過ぎて逆に話にならんだろう。第一、連載2本、雑誌のコラム月3本、アニメの脚本、ゲームのキャラデザイン、実写映画化の打ち合わせと年中休みなしのオレが、わざわざ腐れ縁のお前に会って次回作のアイデアなんかを話すと思うか?」

 その通りだ。俺はアイスコーヒーを飲みながら続きを待った。

「ふーっ。これはなぁ、最近仲良くさせて貰ってる大手スポーツ誌の編集長からつい三日前に聞いたばかりの話なんだぜ、グッと握ったら火傷するほどアッツアツのネタだ。その人がな、ピッチャー王子の突然の引退話が出たから記念に〈引退特集号〉を発刊する事になって、三ツ星の超一流の和食の店を予約して二人だけのロングインタビューを慣行したら(これはオフレコで)って機嫌が良くなった本人が特別に話してくれたって言ってたんだから。まぁ絶対誰かに話しちゃダメだよと言ってたけど・・しかしネタとして野球雑誌の記事には出来ないものだろうしな」

 秘密をあっさりと破れるのがコイツのすごい所だ。まぁその編集長もだが。

「でも、なんでわざわざそれを俺に?」

 マツシタはもう一度アイコスを深々と吸いこんだ。アイコスは若い女の子が咥えていると愛嬌があるが、大の男が吸うと何故か喘息の発作を抑える薬に見える。

「ここがこの話の骨子だよ、わざわざ超売れっ子漫画家のオレが、とんでもなく貴重な時間を割いてまで小学校の同級生を呼び出して話したかった理由だ。」

「わかったから早く言えよ大先生」

「ははは、お前もそんなお世辞が言えるようになったか。まぁいい。とにかくオレはそのピッチャー王子の(アレ)が消える前に行った旅行先が、なんだか妙に引っかかってさ、居ても経ってもいられなくなって昨日、その編集長に飲み会のお礼も兼ねて電話したんだよ、それで何気なく訊いたんだ、Sくんは高校最後の夏に家族旅行でどこに行ったんですか?って、そしたらどこだって言ったと思う?」

 俺はアイスコーヒーを一口含み、考えているフリをして椅子の背もたれに体重をかけた。コイツは黙ってても勝手に話し出すだろう。

「T県のJ市だよ。」

 うっ!俺は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

「あぶねえな、気を付けろよ、オレのジャケットはグッチだぜ」そう言ってマツシタは笑った。しかし、ペイルカラーのサマースーツはガリガリのマツシタには殺人的に似合っていなかった。まるで眼鏡をかけた日本版のジョーカーだ。それよりも・・

「T県J市?」俺は紙で口を拭きながら訊いた。

「そうだ。昭和の初期に集落の32人が、一人の男に皆殺しにされた、あのT県J市だよ。」

「・・・そして我々の故郷のな」と俺は続けた。マツシタはもう笑っていなかった。


(2) マツシタ

 俺は昭和5x年にT県J市、K町に生まれた。例の昭和10年に起きた大事件「村人32人殺し」があったW町は隣町だ。W町とは少し離れていて、K町もかなりの田舎だが、東京から鈍行を乗り継げば何とか辿り着ける最寄り駅があった為、当時のT県の中では幾分発展している部類に入った。とはいえ、けして誰かに自慢できるような所ではない。今もまともなのは駅前だけで数ブロック歩けばコンビニはもちろん、明かりも届かない山道にすぐ切り替わってしまう。K町は街全体がアルプスという外壁に覆われた大きな刑務所のようなイメージだ。同じ顔、同じ話題、同じ空気、同じ毎日。確実に都会より少ない色数で構成された艶のない景色。少なくとも俺は幼少の頃からそう感じていたし、早く大人になってこの塀の中から出ていきたいとずっと考えていた。

 小学校4年の時、そんな閉ざされた世界の外側からマツシタという男は突然やってきた。横浜という、この町の人間にはあまり耳馴染みのない土地から引っ越してきた無駄にオシャレな奴、それがマツシタの印象だった。

 当時の田舎では見た事のない熊が描かれたラルフローレンの真っ赤なスウェットに、濃いワンウォッシュぐらいのデニムを数センチ折り返して着用し、靴も小学生らしくない茶色のローファー、おまけにランドセルではなく、レザーのショルダーバッグを斜めにかけていた。その田舎町に余りにもそぐわないいで立ちに、我々クラスメイト(人数が少ないので同学年は全員同じクラス)の男子はイジメようとすら思わず、ただただ珍妙な生き物として彼を遠巻きに見ていた。マツシタは確かにオシャレだったし、髪型も真ん中分けで後ろを刈り上げていて清潔感もあったが、重たそうな一重瞼に度の強い眼鏡をかけていて、上の歯は出っ歯できっちりと口が閉じれず、頬もこけて身体もやせっぽち、漫画で言えば水木しげるタッチのルックスだった。そのせいでここでは珍しい都会人だったとしても、田舎のタフな男を見慣れている女子達にとっては何かが足りないようで、誰もマツシタという人間に興味を示していなかった。・・・いや、一人を除いては・・・。

 メンソレと呼ばれていたその女の子は、誰とも満遍なくコミュニケートして公平に仲良くなるタイプの女子だった。(ゆえに他の女の子達からは嫌われた。)だから特別マツシタにだけ興味を持ったのではなかったのかも知れない。ちなみに、メンソレとは薬局で売っているメンソレータムの事ではなく、顔が濃くて沖縄出身のように見えたので(実際には地元の人間だ。)最初「めんそーれ」と呼ばれていたが、そのうちそのアダ名が短くなって「メンソレ」になったのだ。

 案の定、メンソレは転校初日から容赦なくマツシタに話しかけていた。マツシタはといえば、半分拒絶ともいえるほどの煙たそうな態度をとっていた。それでも、頼んでもいないのにメンソレは学校内の大まかな取り決め事や、わかりづらい特殊教室の場所(建物が違う)、クラスの人間関係(相関図のような物)など、学校生活を円滑に行う為のローカル・ルールをマツシタに丁寧に教えていた。マツシタとしてはこんな土地には長居はしない、すぐにまた横浜に戻るんだ、という仮住まい的な感覚からか、そういった事を覚えようともしていないようだった。後々マツシタに聞いた話では、父親の仕事の都合で急遽T県に越してきたが、当初の予定では一ヶ月で横浜に帰るという事だったらしい。まさかその後、中学に上がるまで居座る事になるとは、本人は微塵も思っていなかったのだ。


 彼が越してきて二か月が経ち、マツシタ自身、横浜に帰る事を諦めかけた頃、クラスメイトに一向に馴染まない彼を気にして、県大会までいった柔道しか取り柄のない担任が突然、マツシタにクラス内での役職を与えると言いだした。(こういう事を思いつくのはいつだって体育会系の人間だ。)それが、それまでなかった学級新聞を書くという係だった。そもそも全校生徒が少ない学校で、学年にクラスが一つしかないのに、一体誰が誰のニュースを知りたがるというのか?どんな些細な事でも筒抜けになるような生活の中で、新聞という媒体は、はたして意味を成すのか?当時の俺でも子供ながらにそんな疑問を持った。

「手伝ってくれる者ー」と、その脳筋担任が腹式呼吸の大声で有志を募ったが、案の定、誰も立候補せず、その声は虚しく教室の後ろの壁にそのままぶち当たった。するとすかさず空気の読める(いや、読めていないのかも知れない)メンソレが元気よく手を挙げた。「私がやります!」その時の女子たちの冷めきった視線たるや・・・それはまぁいいとして、残念ながらメンソレは、既に3つもの係を担当していて、その一つが一番忙しい学級委員でもあった。そんなわけで、余計にマツシタを傷つけたその気遣いはあっさりと却下され、この俺が代打の任をまかされる事となった。もちろん最初は断ったが、やらざるを得ない理由もあった。当時の俺のニワトリ係としての役職は、ルースター(と名付けていた雌鶏)の急逝により前週から解かれていて、その時クラスで唯一、俺だけが無職だったのである。十歳頃の俺は、とにかく時間があれば野球をするか、山道を走っていたかったのだが、クラスで係のない人間をいつまでも担任はほっておいてくれるわけもなく(今考えれば大した意味もないのだが)残念ながらその「学級新聞係り補助」の任命をありがたくもなく頂戴する事になってしまった。かくして、俺史上もっとも取っつきにくい男との気の重い交流が始まる事となった。


 しかし事態は思いもよらない進展をみせた。我々は真逆のタイプであったにも関わらず、誰もが驚くほどのスピードで友人関係になったのである。理由はまず、何といっても子供だったという事。それから計らずも共通のディープな趣味があった事。そして家も近所だった事など、いくつかの偶然が重なり俺達は、まるで無人島唯一の男女のように、急速に距離を縮めた。

 二人の趣味はホラー映画だった。

 俺の祖父はこの町・・というか、もしかしたら当時は県内唯一だったかも知れない、小さな映画館のフィルム技師をやっていた。マツシタが引っ越してきた頃にはもう引退していたし、映画館自体もその後すぐに取り壊されたが、幼い頃はよく祖父の職場に出向いて行っては仕事の邪魔をし、ニュー・シネマパラダイスのように映写室から沢山の映画を見せて貰った。田舎の映画館は都会で使い古したフィルムの終着駅みたいなもので、流行からは何年も遅れていたし、フィルムの劣化による見苦しい場面も多々あったが(だから入館料は極端に安い)テレビを親と兄に占領されていた当時の俺には、映画が最も刺激を与えてくれるエンターテイメントだった。田舎の客にゴダールや小津安二郎は通じない。求められるのは、分かりやすい物語と暴力、セクシャリティ、そうなると当然、アクションやホラーが優先される。当時アクションと言えばジャッキー・チェンか任侠物ぐらいで、当たりの時は古い黒沢明のチャンバラだった。そうやって徹底的に狭いニーズに合わせたラインナップの中、ホラーだけはなぜか国籍も作年も多様で、今思えばそれらは祖父が勝手にストックしていたのかも知れない。ロメロのゾンビ三部作イタリアも全て放映したし、悪魔のいけにえ(アメリカ)も観れたし、吸血鬼ノスフェラトゥ(ドイツ)も、祖父が好きな映画だからと勝手に何度も流していた。(そんな時、客はほとんど誰もいなかったが。)それらは子供が見る物としては刺激が強すぎたが、なぜか大笑いしながら見ている祖父の膝や横に腰かけて一緒に観ていると、怖いながらも恐怖は半分ぐらいに和らいだ。字幕の漢字が完全に読めなかった歳だったが、俺は内容よりも世の中には自分の知らない不思議な世界が沢山あるのだと、田舎暮らしの自分の視野が広がっていくような感覚を楽しんでいた。その時の俺が特に好きだった作品は、SFでもあり、ある意味ホラーでもあるアメリカの作品「禁断の惑星」や「猿の惑星」、それから縦溝正次シリーズ「猫神家の一族」(1976)や「六つ墓村」(1977)などだ。前二作は宇宙という、自分のいる場所とは全く別の遠い世界の話、そして後者は田舎の町を舞台とした、ここに似た世界で繰り広げられる物語。その二つが、俺の興味を大いに刺激した。

 マツシタはと言えば、そもそもお金持ちの家なので海外映画全般をよく見ていて、俺の知らない作品の話も沢山してくれた。ホラーはスプラッター系が苦手なようだったが、サスペンス寄りの物は好きなようで、例えばヒッチコック監督などは、子供のくせに当時から「敬愛している」と言っていた。読書家でもあるマツシタは、父親の影響で縦溝作品は映画よりも原作を読み込んでいた。「この町に来てから縦溝文学がよりリアルに感じるよ」と、マツシタは田舎町の唯一のメリットを語った。そんなわけで我ら新聞係はもう一人、コピー等の実務を担当する同級生、通称シタウケを加えて(本名は思い出せない。)3人で学級新聞を作る事になった。

 その「怪奇!学級ホラー新聞」と題した隔週紙は、子供ながらに斬新な切り口で「3丁目にゾンビが出現!」(もちろん嘘)や「煙草屋の主人が見たUFOの話」(話半分)「戦慄!うりぼう婆!」(ただの村はずれに住む小さなイノシシを飼ってる老人)等、雑誌ムーのようなスタイルを田舎の小学校に持ち込み、発刊毎にどんどん人気を上げていった。俺の担当は主にメインテーマのアイデアと取材で、煙草屋のオヤジがUFOを見たらしいと親づてに聞けば、放課後すぐに煙草屋に出向き、詳しく話を訊いた上で、(大体が酔っぱらっていた時の話で信ぴょう性も辻褄も合っていないし、そもそも大した話じゃない)それをまとめてマツシタに届けた。マツシタはそんな話をストーリーとして整えて記事にした。ヤツにはその頃から話を作る才があったし、絵も上手かったから印象深い挿絵も描いた。そして今の職業に直接つながる「ミイラのマミーくん」という4コマギャグマンガを紙面の端に描いていた。お決まりのセリフ「マミーのマミー(母親)もマミー(ミイラ)だから」は大ウケで、クラスの誰もが一度は言った事のある流行語になった。「怪奇!学級ホラー新聞」はあっという間に学年のみならず、全校生徒に配布された。(そもそも全校と言っても部数は少ない。)そしてしばらくすると教師たちもこぞって読むようになった。朝礼で校長が「今回の4年生の新聞の記事で・・」と話題にする事すらあった。読んでいない生徒は半ば仲間外れにされ、週刊化を望む声は日に日に増していった。(クオリティを下げない為にもそれはしない、とマツシタは断言していた。当時から作品に対する頑固で真摯な姿勢は変わらない。)我々は自分達のやっている事にハッキリと手ごたえを感じ、しっかりと味をしめ、時間があればお互いの家を行き来して、より良い紙面作りに努力を惜しまなかった。唯一、女子ウケが悪い記事が続いたと感じた時は、マツシタも話せる貴重な女子としてメンソレのアドバイスを聞いた。そして時々ヘップバーンの衣装の記事や、歴代ジェームスボンドのハンサムさについて書いたりもした。(その頃はロジャー・ムーアだったが、やはりショーン・コネリーが一番だ。)どちらももちろんマツシタによる挿絵の功績が大きい。「怪奇!学級ホラー新聞」は6年生になるまでの一年半の間、自分達でも驚くほどの人気を博した。

 

 あれから25年、マツシタは漫画家に、俺はフリーのジャーナリストになった。要するにお互いずっと同じ事をやっているのだ。

 安いファミレスのソファーに深々と腰かけ、左手でアイコスをまた一口吸いながら、少し生え際が後退しはじめたマツシタが言う。

「あのゴリラのような担任教師に感謝しなきゃな。オレがこうやって売れっ子漫画家になれたのも、あの時の新聞係の経験があったからだ。」

「ああ、お前はそうだな。だけど俺は逆に恨んでる、そのせいでうだつの上がらないジャーナリストになんかなっちまったんだから。」

「ははは・・・なぁ、ホラー新聞が急遽廃刊に追い込まれた時の事を、お前は覚えているか?」

「もちろんだ」と俺は間髪入れずに答えた。「我々の血と汗と涙の結晶が大人の力であっさりと廃刊にされた。J市の本当の新聞社が俺達を取材にくるって所までいってたんだろ?地域で話題の学級新聞だって。それがあれほど突然に・・・忘れようにも忘れられないよ・・・まぁ大人になった今も、ほとんど同じような事が俺の周りで何度も起きているんだが。」

「ああ、オレの周りでもだ。」と、マツシタはその日初めて疲れた表情を浮かべた。


(3) ニュース

 20年以上の時間が経過して、またこいつと共通意識を持って繋がるようになるとは思いもしなかった。それが嬉しくもあり、どこか気恥ずかしくもあった。マツシタは最初とは違う気難しい顔で話を続ける。

「忘れられないほどなら今更オレが何か言うこともないが、一つだけ確認させてくれ。6年になってすぐ・・オレ達が親しくなったきっかけでもある大好きな縦溝シリーズの特集を学級新聞でやった時、・・もちろん他の土地からきたオレは知るべくもなかったんだが・・実は、お前は「六つ墓村」のモデルになったW町が、オレ達の住んでいるK町の隣町だったという事を、当時から知っていたのか?」

「まさか」と俺は言った。

「・・だよな、あの時のお前のリアクションから考えても、オレに隠して話しを合わせていたとは考えづらい。だがな、例の大事件は当時のオレ達から遡ってもたかだか40年前の話だぜ?親はギリギリ知らないとして、祖父、祖母の代はみんな知っていたはずだ。J市はそれほど広くない。隣町なんて近所のようなもんだろう?」

「確かに、今思えばそうなんだが・・・」それは、俺にとってもずっと疑問だった事だ。不思議な事に親からはもちろん、祖父からもそんな話は一度も聞いた事がなかった。知っててわざとその事件を題材にした映画「六つ墓村」を頻繁に上映していたとも考えられない。何というか、町全体が隣町で起きたその昭和史に残る凶悪犯罪を隠遁しているような・・いや、俺が感じたのはむしろ、町民全員がその事をまるっきり全部忘れているような不自然な感覚だった。

 マツシタは俺の思考を感じ取って言った。

「わからないよな?・・じゃあお前はあの事件の事をいつ知った?」

「こっちに出て来てからだ。最初の新聞社に勤め出してすぐの頃、何気なく出身地を先輩に言ったら(ああ、「村人62人殺し」のT県J市か)と言われた。なんの事かさっぱり分からず詳しく訊いたら、歴史に残るようなとんでもない事件だったし、さらに現場は地元の隣町だった。驚いたよ、そして出身の自分が知らない事が恥ずかしくもあった。」

「そうか・・・いや、お前を咎めてるわけじゃない。オレも横浜へ戻ってきて、大分大人になってから知った事だ。わからないんだよオレも。あの時、担任の教師に突然(新聞はもう発行できない。)と言われて、しかも春休み明けの新学年になったばかりのオレ達に、アイツは半ばキレ気味に(来年は中学だからそろそろ将来の事を考えて新聞作りは止めろ)と言ってきた。そもそもあの辺は中学受験をするような土地柄じゃないだろう?それに新聞を毎回一番楽しみにしていたのは、あの担任自身だぜ?」

「・・確かにな。だから俺も大人になって例の事件を知って、あの時の事を思い出して、なるほど、近隣で起きた大事件の元ネタとなった縦溝作品を大々的に取り上げようとして、それを良しとしないオトナと学校の圧力によって強引に廃刊にされたのか、と納得するようになった・・・でも・・」

「やっぱりそうだよな!」とマツシタはテーブルに身を乗り出してきた。

「そうなんだよ、おかしいんだよ、それでも担任はあの時、事件の事を知ってる風でもなかったんだ!なぜなら発行前のお決まり事として初稿を確認させに行った時に、アイツは(今回も面白そうだな、市の新聞社が面白い学級新聞を書いてる子供たちがいるって取材に来たいと言ってたぞ)なんて興奮して言ってたんだ。オレはそれをはっきりと覚えている。お前も覚えてるだろうが、その頃は同級生の子供達だけでなく、担任はもちろん、他の教師や大人達も全員オレ達の新聞を楽しみにしてた。校内だけじゃないぜ、近所を歩いてた時、誰の親かもわからないオッサンに、こないだのゾンビ特集良かったぞ、なんて声をかけられた事もあったんだ。だからオレ達はいつにも増して完璧な紙面を作り、あとはコピーを取って校内に配布するだけだった。それなのに次の日になって急に(もう学級新聞作りは中止だ)と、強引に廃刊にさせられた。なぜそうならなきゃいけなかったのか・・・余りにも不自然過ぎるし、正直に言えばオレは今でもその件がずっと気になっているんだ。」

 まったく俺も同感だった。フリーのジャーナリストになって約10年、海外の危険地帯や秘境や国内の凶悪犯罪や解決していない大小様々な事件を取材している中で、自分が追っているもの、本当に知りたい謎の真相は果たしてこれなのだろうか?と、どこかで感じていたのだ。そもそも自分の奥底に刺さったままの小さな棘を抜きたくて、この仕事に就いたのではなかっただろうか?最近は特にそういう思いが強くなってきていた。

 あの時、急遽「学級新聞係」の任務を解かれた11歳の我々はその後、本来違う生息地域の生物同士だったから、いよいよ話す理由もなくなり、次第に関係が希薄になっていった。夏にもなると、俺は以前の仲間達とのっぱらを走り回る典型的な田舎児童に戻り、放課後は校庭で野球をやったり、川まで魚を取りに行って、頭の先から足の先まで真っ黒に日焼けし、あっという間に風景と同化した。マツシタは急遽中学からまた横浜に戻る事が決まり、都内の私立を受験する為に親が遠方から呼んだ家庭教師を雇い、勉強漬けの毎日となって学校以外で彼を見かける事はほとんどなくなった。

 

 それから二十年近くが経った頃、我々は同じ出版社のレセプション・パーティーで偶然顔を合わせる事となる。マツシタはその時「このマンガが凄すぎる賞」に、ほぼ毎作品がノミネートしていて、完全にキテいる漫画家だった。(中学受験で志望校に落ちたので、その後は勉強に身が入らなくなり、医者になる事は諦めて漫画家になったらしい。)俺はといえば、新聞社を退社してフリージャーナリストとなって数年後、命を賭けて取材した南アフリカの内戦の記事が、初めて日本記者クラブの小さな賞を受賞した時だった。そこで顔を合わせて以来、我々は時々連絡を取って年に2、3回ほど会うようになった。


 チェーン店だがもう店舗数が少なくなり、街でも見かける事が珍しくなった一昔前のファミリーレストランの空いている店内で、平日の夕方に差し掛かった時間帯に三十代後半の男二人が難しい顔をして何かを話している。この構図は、はたして他人にはどう見えているのだろうか?借金の取り立てか、ゲイカップルの別れ話か、はたまた・・・

「なぁ、オレは漫画家で、もう長いこと身体の半分をフィクションの世界に突っ込んじまってるから、正直自分がこれから言う事がまともな考えかどうかわからない。だからお前のジャーナリストとしての、リアリストの観点から教えてくれ」

 マツシタは続ける。

「あの、高校球児の時に王子様と言われた凄腕のピッチャーがその能力を失った事と、K町の町民全員が隣町で起きた事件を忘れていた事、そしてオレ達の学級新聞が何かの圧力でもって突然廃刊に追い込まれた事は、もしかしたら何か繋がりがあるんじゃないか?」

 店内に流れているイージーリスニング・アレンジのミスター・チルドレンが、やけにコミカルに聴こえた。

「・・・あるはずがない」と、俺はぶっきらぼうに答えた。

「おいおい、何も百点の答えを言ってくれとはいってないんだ、当事者だったオレ達二人でもう一度ディスカッションしてみて、少しでも閉ざされた真実に近づいていければ・・」

「ありえない、と言いたいんだ、ジャーナリストの端くれとして。けれど・・・」

 マツシタは俺の言葉の続きを欲しがって口をつぐんだ。

「けれど、それ以前に感覚、人間としての圧倒的な皮膚感が、あるはずがないと言葉にしつつも、諦めようとする自分を許してはくれないんだ。」

 そう言った後、俺は飲みたくなかった氷の溶けきった薄いアイスコーヒーの残りを、一気に飲み干した。そして然るべき沈黙が然るべき時間を経て、その存在が店内の壁に全て吸収されかかった頃、今までもずっとそうであり、これからもずっとそうであるようにマツシタが先に口を開いた。

「お前はグラビアアイドルの沢口明菜を知ってるか?」

 突拍子もない話題の変化に俺は反応が遅れた。「・・いや?」

「まぁ元々色気のないお前が新人のグラビアアイドルなんて知るわけがないか。名古屋県出身21歳のGカップ、特技はテニス、高校の県大会では準優勝。沢口明菜は去年のうちの漫画雑誌グラビア大賞のグランプリを獲った子だ。」

「・・・それがどうした?」

 マツシタは一度高そうな腕時計に目をやると、いつものマツシタらしい嫌味な笑顔を向けて言った。

「今夜その子とディナーなんだ。オレの漫画のファンだって言ってたから半年ぐらい前から担当に飯に誘うよう、しつこく言っておいた。(石坂)っていうミシュランで星も取ってる高級創作和食の店を予約して、実写版映画の役を与えてもいいというニュアンスの誘い文句を伝えさせて今日、やっと飯にこぎつけたんだ」

「へぇ・・・それは良かったな」全くどうでもいい、と俺は思った。

「だから今の話はとりあえずここまでだ。もしお前が本腰で調べる気になったら連絡をくれ。それまでにオレはスポマガの編集長からピッチャー王子の件も、もう少し詳しく訊いておくつもりだ。」

「ああ」

「そんなわけで・・」と、マツシタはレシートを持って立ち上がった。俺が自分のコーヒー代を出そうとすると「バカ、不味いコーヒー代なんて、オレには入れる方の角砂糖一個分よりも価値がねぇんだよ」と笑ってレジに向かった。それが聞こえていたのか、会計のウエイトレスはやけに不愛想だった。

 マツシタが店内を出て駐車場に向かう姿を確認してから俺は、スマートフォンで沢口明菜を検索した。するとすぐに去年のグラビア大賞グランプリ、受賞イベントの画像が大量に出てきて、布面積の少ない赤い水着を着て、何人かの女性の真ん中に立っているのが沢口明菜だとわかった。確かに胸が大きく従順そうで、マツシタのような学生時代にモテなかった中年男性には好かれそうだったが、顔立ちはどこにでもいそうな感じでイマイチぱっとせず、どう贔屓目に見ても準グランプリ、いや特別賞の子の方ですら、グランプリである沢口明菜よりも器量が良かった。何しろ彼女には表情という物がほとんど感じられず、アイドルには必要であるはずの愛嬌に乏しく、その重量感のある胸以外に人を惹きつける魅力があるとは思えなかった。申し訳ないが、俺には半年かけて裏工作をして、一人十万円ほどはするであろう高級料理を奢るに値するほどの女性には、どうしても思えなかった。

 

 マツシタと会ってから心に小さくない波が立っていたものの、毎日の退屈な実務に追われているうちにその波は段々とさざ波になり、ひと月を越えるとすっかり凪の状態に変わった。その間マツシタからは何の連絡もなく、俺も海外に取材に行ったりしていて、例の件は完全な保留案件と考えてしまっていた。そもそも一時的な取材とは言え、あの土地に帰りたいとは、今は全く思えない。祖父も死んで母親も死んで、兄貴は大阪で自分の家族と暮らしていて、実家に残っているのは特に仲の良くない父親だけだ。たかだか旧友の気まぐれ話をきっかけに戻ったところで、消費カロリーに対して得る物は少ないだろう。時間が経てば経つほどそう思えてきた。

 さらに一ヶ月ほどの時が流れて、夏の湿気を帯びた風が一変して金木犀の匂いを届け始めた頃、自分の中であの件はもう、旧友との久々に会って盛り上がった昔話、といった形でとっくに着地していた。その日俺は、自宅兼事務所で目的もなくテレビを見ながら遅い昼食を取っていた。前日の取材が深夜までかかり、脳ミソの端の方がまだ睡眠を欲する信号を出していたが、俺はそれを無視して山積みの仕事の為に、強引にエネルギーを摂取していた。すると、ボヤけていた俺の目に突き刺さるように飛び込んできたのは、マツシタの訃報を告げるニュースだった。

これから小説「XNUMX」は毎週水曜日に最新話が公開されます。

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