1話
「エーミーリーオー」
やや強めの風が吹く、騎士団本部の屋上。
干されたシーツから少し離れた場所に、エミリオが佇んでいた。
「……またあなたか」
彼を表現するのならば、麗しいの一言に尽きるだろう。
呆れて嘆息する姿に、こちらは感嘆の息が漏れる。長い手足に小さな顔。さらりとした髪に宝石のような瞳。着用する騎士の制服がよく似合う。
「ここにいるってことは、サボり?」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。私は休憩中だ。そちらこそ、また洗濯物か?」
あたしが持っている洗濯籠を見て、エミリオは呆れた表情を浮かべる。
「あなたは我々が保護している人物なのだから、そんなことしなくても良いと伝えたはずだが」
「妹が頑張ってるのに、姉が何もしないっていうのも外聞が悪いでしょ。ただでさえイリスは大変なのだから」
干したシーツが乾いていることを確かめ、あたしは取り込んでいく。
エミリオの嘆息が聞こえた。それから、彼は他の場所のシーツを取り込んでいく。
「あれ? 休憩中じゃなかった?」
「休憩中に何をしようが私の勝手だと思うが」
冷たい物言いに反して優しい行動に、あたしは思わず笑みを零した。
ああ。やっぱり。
あたしの推しは格好いいなぁ。
——この世界は、乙女ゲームである。
この国には、悪霊と呼ばれる存在がいる。
人々に災いをもたらし、恐怖と悲しみに追いやる存在。倒せるのは、特殊能力の持ち主だけ。
ある日。主人公のイリスは特殊能力に目覚める。
悪霊に住む場所を燃やされた彼女は、悪霊を討伐する王国の騎士団に姉と共に身を寄せる。
そこは、特殊能力持ちのみで結成された騎士団であった。
イリスは悪霊を倒すべく。そして、どうして己が狙われているのかさぐるべく。
そして——愛しい人との未来のために。剣をとる。
「——よし。これで全部ね」
あたしは、幼い頃に両親を亡くしたイリスの親代わり。現在は、こうして妹のイリスと共に騎士団本部で暮らす、ヒロインの姉というサブキャラクター。
それが、ラナという少女に転生したあたしだ。
あたしには前世の記憶がある。
前世のあたしは、生粋の乙女ゲームプレイヤーだった。この乙女ゲームも当然プレイ……している。うん。
「……」
そんなあたしの推しが、この隣にいる麗しの騎士。エミリオである。
ああ、やっぱり格好いいなぁ。
ゲームの序盤でしか見てないけど、パッケージの彼に一目惚れしてプレイし始めたゲーム。この世界に転生し、乙女ゲームだと気が付いた時、死んでしまったショックから復活出来たのは、エミリオに会えるという事実のおかげだ。
「……。帰ってきたみたいだな」
「え?」
ふいに、エミリオが屋上から外を指す。
指の先にいたのは、本部の門をくぐる見知った顔だ。
「イリス―! おかえりー!」
あたしは身を乗り出し、大きな声で手を振る。
この世界でたった一人の肉親、イリスはきょろきょろと辺りを見回し——屋上のあたしに気が付くと満面の笑みで手を振り返してくれる。
「ラナ姉様! 今帰りました!」
騎士の制服を着用したイリスの腰には、小さな剣が下げられている。
見たところ、怪我はしていなさそうだ。そのことに安堵していると、イリスの隣にいる整った顔立ちの俺様風騎士が腕を組むのが見えた。
「夕飯はイリスが好きなお肉だからねー!」
「はーい!」
喜色たっぷりのイリスの声に笑みを浮かべる。
ああ、可愛い。あんな素直に可愛く慕ってくれる妹、まじで最高。世界よありがとう。
「……」
このシーンは乙女ゲーム内にもあったシーンだ。
騎士団の一員として働き始めたイリスに、姉であるラナが声を掛けるシーン。
よく覚えている。なんせ——
あたしが知っているゲームの展開は、ここまでだからだ!
あたしは、このゲームをクリアする前に死んだ。
だからあたしが知っているのは、ゲームの序盤の展開。それからこのゲームを布教してきた、ネットの友人の感想くらいなのである。
「だから、ここからが勝負なのよね……」
「……」
あたしは一人呟いて、エミリオを振り返る。
麗しの騎士は腰に手を当て、冷めた表情であたしを見ていた。
「エミリオ、見た!?」
「なにを」
「帰ってきたイリス! 頑張って見回りしてきてて……とっても可愛くない!?」
「頑張って見回りと可愛いは、イコールで結ばれるものではないと思うが」
「いやいや、可愛いでしょ! 一生懸命頑張る女の子は可愛い! 古来から伝わる内容よ!」
「意味の分からない知恵を披露するのはやめたまえ」
「いやでも、恋に落ちそうだなとか」
「はあ?」
絶対零度の視線だった。
うう。手強い。
しかし、エミリオにはイリスを意識してもらわねばならない。何故ならば、あたしは推しに幸せになってほしいからだ。
乙女ゲームの攻略対象とは、往々にして問題を抱えているものだ。
その問題の解決が、ヒロインと攻略対象のルートの山場であることが常設である。
——つまり、攻略対象が真の幸せを掴むには、ヒロインの力が不可欠なのだ。
厳密にいうと真相ルートとか、メインヒーローと呼ばれるキャラのルートで問題解決することもあるけど……あたしはこのゲームをクリアしていないから、果たしてそうなるか分からない。
だからこそ、あたしはヒロインであるイリスと、エミリオにくっついてもらいたい。
妹であるイリスには幸せになってもらいたい。
そして推しにも、幸せになってもらいたいのだ。
しかしここで問題が一つ。
あたしはゲームをクリアしていない。イリスがどうやってエミリオルートに行くのか分からない。
これは困った。なんせこのゲーム、友人の話じゃバッドエンドは世界滅亡らしい。
うっかりバッドエンドに進まれては困る。なにより、この世界でたった一人の肉親であるイリスが嘆き悲しむのは断固阻止だ。
となると、あたしに出来るのはエミリオとイリスがくっつくよう、画策することなのだけど。
「ラナ」
「ん? なに?」
一体どうしたら、愛しの妹と推しが恋出来るか。考えを巡らせていると、エミリオが再び門の方向へ視線を向けていた。
彼は極めて冷静に、
「洗濯物が一枚、地上に落ちていっているが」
「もっと早く言ってくれない!?」
あたしは一旦思考を停止し、慌てて洗濯物を回収しに向かったのだった。
◆◆◆
「エミリオさん」
洗濯場へ入ろうとすると、最近入団したばかりの少女——イリスが私に声を掛けてくる。
彼女は私の手元へ視線を移すと、こてんと首を傾げた。
「あれ? どうしてエミリオさんが洗濯籠を持っているんですか?」
さきほど、姉が洗濯物を取り込んでいるのを見たからだろう。
イリスは、回収した洗濯物を置きに来たのが、姉ではなく私であることに疑問を抱いているようだった。
「ラナは今、落ちた洗濯物を回収しに行っている。じきに戻って来ると思うが」
「——」
「なんだ」
「あ、ごめんなさい。エミリオさんの特殊能力、分かってても戸惑ってしまって」
「……ああ」
同じ戦場に立つこともある。そのため、団員同士は個々の特殊能力を共有している。
彼女も当然、騎士として働くにあたり他から私の特殊能力を聞いたのだろう。
「……不快か?」
「え?」
イリスは一瞬戸惑ったような声をあげた。
その感情を、私は正確に読み取り。
「——構わない。不快に思われるのは慣れているのでね」
「ぁ、ええと」
「それは当然の心理だ。人の心を読める特殊能力など、気味悪がられて当然だからね。失礼」
私は彼女に一言断って、洗濯場に入る。
焦ったような心の声が聞こえる。イリスのものだろう。そう判断しつつ、取り込んだシーツを丁寧に畳んでいく。
「……確かに、素直で一生懸命な少女だと思うが」
しょんぼりしながら去っていく心の声を聞きつつ、一人きりになった私は呟いた。
「彼女と恋人になることで私が幸せになる、とは甚だ疑問だな——」
思い出すのは、今頃洗濯物の回収に躍起になっている少女。
前世とか、乙女ゲームとか。そういった意味不明かつ不可解な単語を心中で並べる人物。
「我々の計画に支障がないと良いが」
私の独り言は、誰にも届かず消えていった。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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