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巌窟女王の愛娘  作者: ロサロサ史織
第一章 エステルライヒへの道
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(4)クリステンベルク公爵

ちょっと過去話です。

 



 この半年前、皇帝ヨハン19世の夢枕(?)に怪異が現れた。

 息苦しさに皇帝が目をあけると、天蓋には黒く巨大な輪郭の中に出現した金色(こんじき)の一つ目が、些末なものでも見下すようにこちらを睥睨していた。

 恐怖と嫌悪で皇帝は金縛り状態だ。

『皇帝よ、(なんじ)の求めるものを与えよう。交渉するや否や?』

「も、求めるものとは」

『ジャンヌ・マドレーヌ王妃の忘れ形見』

「なんと! 我が妹の娘たちが無事で生き延びておるのか?!」

『命に別状はない』

「そ、それは……」

 ランセーに残された忘れ形見はどちらも王女。生きてはいるが、それ以外は保証しないという意味だ。

 どこでどんな目に遭わされているか想像しただけでも皇帝は総毛立った。

「応ずる! 取引する! 我が姪たちを取り戻せるというのであれば!」

()かろう。では今少し、これへ』

 金色の目は大きく拡がり、寝室全体を覆わんばかりに思えた。震える皇帝は歯を食い縛った。

 ゆらゆらと何もない空間が波のようにゆらめき、伝説に聞く蜃気楼のようなぼんやりした輪郭が渦巻き、ゆっくりと美しく静謐な佇まいの女が現れた。ゆらぎの向こうのようで、こちらの空間にいるとは思えない。なにせ天井なのである。

『この女子(おなご)を汝の末弟、クリステンベルク公と(めあわ)せよ』

「なんだと……確かにクリステンベルク公は未婚だが、どこの誰とも知れぬ女子を(めと)らせるわけにはゆかぬ! あれは病弱だが皇位継承権者の一人であるのだぞ!」

『これなるはランセー前王太子の庶子、セラフィーヌ王女。この者を隠れ蓑とし、ラファエル・マドレーヌ王女を汝のもとへ遣わそう』

「……どういうことか? 隠れ蓑? なんのために……」

『知れたこと。ノイエンシュテルン伯と同様にすればよい』

「くっ……我が帝室の秘密にも通じておるとは、貴様は何者か? 悪魔の眷属でもあろうか」

『帝国語なればニンフェンケーニヒと呼ぶがよかろう』

「おお神よ、妖魅の誘惑に耐えん力を垂れたまえ!」

()れ者。我の力なくして姪どもは救われん。ラファエル・マドレーヌなど昨今はアングリアまで略取されておるというに暢気な』

「なんだと!」

 皇帝はわめいた。

「おのれシュヴァルツ=ギリンクめ、色事ばかり長けおって肝腎要で役に立たぬ!」

『奴にばかり任せてもおけまい? 我が手の内にはセラフィーヌ王女と国王の同母妹オーギュスティーヌ王女がある』

「なんと! アウグスティーナ王女は処刑されたはずではないか!」

『あれは替え玉。獄中で凌辱され孕んだ。処刑されたのは喉を潰された別の若い女子。王女に通ずる美しい娘であったがために身代わりに選ばれた、ただの町の娘に過ぎぬ』

「……なんということだ! どうなっておるのだあの国は! この世の地獄なのか! ううむ……承知する。取引に応ずる! ゼラフィーネ王女をクリステンベルク公妃とし、マグダレーナ王女をクリステンベルク公女とすればよいか?」

『オーギュスティーヌ王女もおるが?』

「望むところだ。ランセー王家は我がバウフブルク家と血を幾度ともなく交わした血族。その王女をひとり敵地に取り零したとあっては我が名折れ!」

 皇帝は不敵に微笑み仁王立ちとなった。それを見下ろす金色の虹彩が笑んだように細まる。続きを、とでも言うかのようだ。

「我が兄キーファー大公が聖職にあり子無しだ。その養女とすることを約する」

『委細、承知。明日にでも送り届けるゆえ、支度を整えよ』

「なんと……ニンフェンケーニヒとやら、そなたはいずこにおるのか。そこな王女はいずこにおるのか」

『マルセーヌ。だが我の力を以てすれば即座に思うことろへ届けようぞ』

 ランセー南端のマルセーヌからエステルライヒの東の果てと変わらぬヴィマーでは、軍馬で駆けても一週間ではこなせぬ距離である。

 あまりのことに皇帝は再び総毛立った。

「なんということだ……それほどの恐ろしい力を持つものがこの世におるのか……」

『この世か他の世かは些末なこと。では明日のこの時刻、クリステンベルク公邸に送り届けよう』

「待…ッ!」

 天井の映像とゆらぎは消え失せ、しんとした夜更けに戻る。

「夢……」

 天井にも壁にも異状は見られない。

 だが、寝台に掛かる天蓋の内に見慣れぬものがあることにギョッとする。

「なんだと……」

 天蓋の縁にひっかかるように垂れ下がるのは、紛うことなきバウフブルク家の紋章。それを刻んだ銀の手鏡が、なぜか天蓋にぶら下がっている。

 立ち上がり引き寄せ、裏返すと鏡の縁にはヨハンナ・マグダレーナのフルネームが帝国語の美しい流麗体で刻まれていた。

「グレール……」

 幼い妹を呼んだ遠い記憶。その手鏡は婚礼に際し、遠くトスクムから妹へと贈った一品だった。

「おまえのものか……おお……ランセーから戻ったのか」

 手鏡を抱き、皇帝は声を殺して涙を流し続けた。




 翌晩、クリステンベルク公爵邸は周囲を物々しく兵で囲み、公爵当人はいつものように自室の寝台に横になっていたが、常と違うのは誰も眠ってはいないということだ。

 室内には皇帝も武装して座っていた。

 極秘の事態により、居室の中には公爵と皇帝しかいない。

「兄上、ゆめか、まやかしなのでは?」

 兄皇帝のほうへ顔を向け、当惑したようにクリステンベルク公爵ロスムントは囁いた。大声で話しては、まるで誰かが笑うのではないか。そんな心持ちなのである。

「夢ならそれでもよい。だが、(まこと)のことなら対処せねばならぬ」

『待たせたの』

 不意に天井から降ってきたような飄々とした声にロスムントはぎくりと固まり、皇帝は身構えた。黒い(もや)も金色の瞳も見えない。

「ニンフェンケーニヒか。貴殿の姿はともかく、約定の女人を連れて来てくれたのであろうな?」

『いかにも。二人を置いてはゆくが、我が見えずとも近くにおらぬとは考えぬことだ。無礼な者には罰を与える。我はいつでも見ておるのだから』

「真に左様。ではごきげんようフェロワ、もといニンフェンケーニヒ? 姪も早く送り届けてくれると嬉しい」

『いずれまた』

 皇帝は目の前に突如出現したのが昨夜の映像とまったく同じ女性であるらしいのを確認し、ごくりと喉を鳴らした。ロスムントはそのまま声もなく固まっている。

「……ゼラフィーネ・ファリア殿か」

「皇帝陛下には初めて御意を得ること恐悦にござりまする。これなるは亡き(さき)のランセー王太子ファラオン・セザール殿下の娘、セラフィーヌ・ファリアと申す者。そして、こちらは同殿下の正嫡の王女ファリア・オーギュスティーヌ殿下でござりまする」

 ハッと見れば、黒いドレスのゼラフィーネの背後には同じく黒いドレスのほっそりした女性がヴェールで顔を隠したまま典雅に跪拝している。

「真、神出鬼没とはこのことよの」

「あれはヒトならざるものにござりますれば」

「ゼラフィーネ殿はニンフェンケーニヒとやらとは親しいのか?」

「気まぐれで、なにかと助けられておりまするが、親しいとは、はて、どのような」

「うむ。これは失言である。高貴な女性(にょしょう)への配慮が足りなんだ。しかし弟に嫁いでくださるという女性のことを何も知らずしては話が進まぬかと()いてのこと、どうか無礼を許していただきたい」

「拝察致すところでござりまする、陛下。これなるは聖地サンタンジュ修道院の院長を長らく務めてまいりましたる者。時世のせいか巡礼もままならぬ時代となり申しましたが、聖邪の気配には敏であると自負するところにござります」

「そうか、ザンクト=アンゲレンの聖女であられるか。なれば都合も好い。そなたの婿()()()、クリステンベルク公爵ロスムントは生来病弱であり、これまで配偶の心得もまるでなかったのであるが、そなたのことなどを話したところ、なにやらいたく興味を惹かれる様子もあり、妖精王の仲人とは幸先がよいものと心得るところだ」

 黒いドレスに金糸のヴェールの美女は淑やかに寝台へと向かい、丁寧に膝を折った。

「クリステンベルク公爵ロスムント殿下、お初に御意を得ます。これなるはゼラフィーネ・ファリアと申す者。急なことで驚きのことではござりましょうが、どうぞお見知りおきくださいませ」

 ベッドに横になっている若者は起き上がることもなく、だが、たいへん嬉しそうに右手を伸ばした。

「ああ、うん、でなくて、はい! はじめまして。ゼラフィーネさま、あなたがわたしの妃になってくださるのですね。うつくしいかたでうれしいです」

「まあ。ロスムント殿下には、お気に召していただけましたのかしら? 嬉しいことですわ」

「もちろんです、ゼラフィーネさま。おんなのひとは、あの、だいたい、こわいのですが、あなたのようなかたなら、なかよくできるとおもうのです!」

「うれしいですわ。仲好く致しましょうね」

「はい!」

 ロスムントの寝台の手前に跪き、横になっているロスムントに微笑みかけるゼラフィーネはまるで幼子を護る聖女さながらで、初対面の女性相手にこんなにも嬉しそうにはしゃぐ末弟を皇帝は初めて見た。

「これは驚いた。ゼラフィーネ殿、貴女は魔法使いか」

「まあ。陛下はあのように仰せですが、ロスムント殿下はいかが思し召しですか?」

「兄上、ゼラフィーネさまはまほうつかいじゃありませんよ。ぜったいめがみさまの、ええと、け、け、……けし?」

「けしん、でしょうか?」

「それです! わあ、わたしのことばをわかってくださるなんて、やっぱりゼラフィーネさまは兄上がおっしゃったとおり、せいじょさまなんですね! すごい!」

「ロスムント殿下と早く仲好くなりたいですもの」

「いっぱいいっぱいなかよくなりましょうね、ゼラフィーネさま!」

「はい。そう致しましょうね殿下」

「ゼラフィーネさま、あの、わたしのことはロスムントとよんでください。でんかはいっぱいいるので」

「畏まりましたロスムント様」

「またあした、あえますか? あさってですか?」

「ロスムント様さえよろしければ、毎日お目にかかりましょう」

 話しながらゼラフィーネの手を放さない末弟に、皇帝は忠告した。

「ロスムント、もう深夜である。お若い女性がたを遅くまで引き留めてはいけないよ。嫌われてしまうぞ」

 聞いた途端にロスムントはパッと手を放し、ひっこめた。

「ええっ? ごめんなさいゼラフィーネさま! わたしをきらいにならないでください!」

「嫌いになったり致しませんわロスムント様。陛下、ロスムント様を脅かさないでくださいませ。夜更けに眠れなくなったらいかがなさいます」

「す、すまぬ。そんなつもりでは、うう……ロスムント、ゼラフィーネ殿はそなたを好きでいてくださるようだ。だが、それに甘えて礼節を守れないのは男が廃る。わかるな?」

「はい兄上。またおめにかかれるのをたのしみにしています。おやすみなさい、ゼラフィーネさま」

「おやすみなさいませロスムント様」

 こうして深夜の邂逅は終わり、屋敷を囲む者はおろか廊下や控えの間に詰めていた近衛ですら、クリステンベルク公爵の妃が迎え入れられたことを知らず、翌朝に目新しいふたりの貴婦人を発見し仰天したのだった。




「姉上、ロスムント様って楽しいおかたですね」

 クリステンベルク公爵邸に新しく婦人室として設えられた一翼が、当座のゼラフィーネとアウグスティーネの居室となった。

 アウグスティーネはロスムントの視界にも入れてもらえなかったことを怒っているかと思いきや、なかなかの好印象である。

「そう思う?」

「もちろんですわ。姉上とご結婚なさったら、わたくしの兄上ですわね! あら、でも、ロスムント様ってわたくしより年下でしょうか。年下でも兄上には変わりないけど。でも、わたくしは姉上が大好きですが、姉上を大好きなかたもきっと大好きになりますの」

「そうだな。家族が増えるのだな。慶ばしいことだ」

「そうですわ。一気に大家族ですわね。皇帝陛下のご兄弟はたくさんおいでですもの。結婚は家門と家門の結びつき。エステルライヒがいつか、あの荒れ果てたランセーを救ってくれることになるかもしれませんわ」

「希望は悪くはない。だが、足許を見ずして先へは進めぬ。激流に足をすくわれたり、崖を踏み外せば谷底に落ちることもある。空だけを見ては歩けぬ」

「あら、わたくしだってもう子供ではありませんわ。ランセーではとても苦しくて悲しいことがたくさんありましたけど、思い出を忘れたりはしません。マドレーヌ義姉上と初めてお目にかかった時のことも、初めてギャビーを抱っこしたことも忘れません。こうして姉上とめぐりあって、いつかどこかで、わたくしの坊やや、ギャビーともめぐり逢うのです」

「そうだな。そうでありたいものだ」


 婦人室は5部屋続きであり、当然王女たちの部屋は別々に設えられていた。

 だが、今夜だけだと約束を交わしつつ、アウグスティーネはゼラフィーネの寝台にもぐりこみ、眠りに落ちるまでゼラフィーネの手首を掴んで離さなかった。






ヲトナ~!なゼラフィーネ様とお子ちゃまなロスムント様?

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