(2)ロゼット・デリゼーと王室
六人目のモルロー伯爵夫人ロゼット・デリゼーも、十五歳になると国王ファラオン25世からの求愛を享けることを夫から命じられ、ヴェルメイユ宮殿暮らしとなった。だが国王は当時の公妾ポンピディール女公を重用し、ロゼットは寝所へ国王を迎えることもなくなり、かといってモルロー伯爵城へ連れ戻されることはなく、思わぬところで穏やかな日々を手に入れたのだった。
そんな中、神聖帝国の領邦ザック侯国からランセーへと嫁した王太子妃ジョゼフィーヌ・アデレード・ド・サックからの誘いで、王宮住まいのままであったロゼットは侍女として出仕した。そして王太子妃の側に仕えること一年、思いもよらぬ事態が起きた。
王太子ファラオン・セザール・ジュールに襲われたのだ。
好色なファラオン25世とは違い、正妃だけを真摯に鍾愛してきた王太子を尊敬していたロゼットだったが、王太子妃が懐妊中のまさに青天の霹靂。
そんなことは、どれほどひた隠しにしたとしても、いずれは露見するもの。
夫とロゼットとの情事を知ったためなのか、王太子妃はまもなく流産した。ロゼットは主たる王太子妃へ顔向けもできず、宮廷からの退出を願い出たが許されず、それどころか自身の懐妊を知ることとなる。
王太子妃はロゼットを夫の寵姫として尊重してくれたが、王太子の慰めとなるよう打診してきた。それは夫モルロー伯爵の知るところとなり、ロゼットには受ける以外の道は残されなかった。
すでに二人の王子を産んでいた王太子妃は、若い娘のような体型ではなくなっていたことで、王太子の寵愛が目減りしたのかもしれない。王族の使命は高貴な正室を娶り、男子を得ること。これに尽きる。
それでもロゼットの腹が目立つようになる頃、王太子妃はめでたくも四度目の懐妊をし、ロゼットが娘セラフィーヌ・ファリアを産んだ同じ年に、王太子の三男ベリエ公ファラオン・セザール・オーギュスト・アンジェランを出産した。のちのファラオン26世である。
その後、王太子はロゼットを公然の側妾とするでもなくヴェルメイユ宮殿に置きはしたが、正妃との間に四男、五男、長女、二女と次々と子を生した。
長男、二男が早世したためである。そのためベリエ公であった三男ファラオン・セザール・オーギュスト・アンジェランは王太子となった。
(嫡子が増えておめでたかったわ。ファラオン25世があんなに長生きしなければ王太子殿下が即位していたはず。セラフィーヌだって庶出の王孫ではなく庶出の王女として宮廷できちんと遇されたはずだわ。あんなに幼い娘を遥か彼方の修道院へ送って、平然としている王太子殿下も父親としての感性などないのね。ゲルラン・エティエンヌは問答無用で変態だったけど、25世だってかなりの変態だったもの。孫の母親に手を出すなんて頭おかしいのよ。血は争えないというけど事実よね。あんな生真面目そうなお顔をして、王太子殿下だって充分変態だったわ。妃殿下お気に入りの、しかも連合王国の王家の血を引く侍女を手籠めにするなんて、妃殿下を蔑ろにしている以外のなんだというの)
モルロー伯爵とそれまでの五人の正室とは違い、ロゼットとモルロー伯爵とは血の繋がりがあった。だが、その障害でさえ聖皇庁への巨額の寄進によって勅許を得られてしまうのだ。
十歳のロゼットはそこで聖皇庁への崇敬を止めた。金満政治をする宗教団体を信用できるわけがなかった。
娘を守ることをエリゼー伯爵は放棄したのだろうか。没落よりも、せめて残された姉娘たちをまともな夫のもとへ嫁がせるための婚資として、ロゼットの身代金として支払われた支度金は使われたのか。
だが、そうまでして用意した婚資も、残念ながら一度も使われることはなかったのだ。
十人生まれたエリゼー伯爵の娘たちは、最初に二女ガブリエルがすこぶる年長の相手へと嫁ぎ、次いで十女ロゼットが嫁いだ。それ以外の八人は嬰児の頃に夭折した者が四人、三歳を超えることはできたが夭折した二人、残る二人は適齢期まで生き延びても虚弱だったために婚約すら交わされることもなく没した。
彼女たちの母ロゼット・デマンがそもそも弱かったのか、父アルマンとの血統的な相性が悪かったのか、それはわからない。ただアルマンは男子を欲して妻を孕ませ続けたのだった。末子ロゼットの産褥で妻の命が尽きるまで。
エリゼー伯爵アルマンは妻ロゼット・デマンの喪が明けるとすぐに後添いを迎えた。ロゼット・デリゼーは後妻エレーヌ・ドーデュボワを母という認識で成長したが、子を生さぬまま三年後に彼女は離縁された。そして三人目の妻アンリエット・ド・ギュイーズが迎えられた。ロランヌ公国の公族に連なる名門ギュイーズ家の出ではあるが庶子だという。
しかし、その二人目の継母は最初の産褥で胎児もろともに儚くなった。ロゼットがモルロー伯爵から求婚される少し前のことだった。
同じ頃、二姉ガブリエルは、やはり親子以上に年の離れたパーニュ大使、モンテーニュ伯爵シャルルから多額の婚資を援助され後妻して嫁いだ。
そのまま隣国パーニュ王国へと伴われたが、モンテーニュ伯爵夫人となったガブリエルは、なんとパーニュ国王ファラオス3世の寵愛を受け娘まで産んでしまった。夫との間に子を生す前に、である。
不義の子出産後、夫モンテーニュ伯爵から離縁の申し出を受け、そのまま受けてパーニュの宮廷で国王の公妾として暮らしているらしい。
ガブリエルと離縁したモンテーニュ伯爵は、その後一時的にランセーへと戻り、新たな夫人を迎えた。モンテーニュ伯爵とガブリエルとは三十以上も年が離れていたが、ガブリエルよりもさらに年若い妻を娶ったことをロゼットは聞かされる。
姉ガブリエルの不始末への詫びと、元義兄へのせめてもの礼節として、ロゼットはモンテーニュ伯爵の新妻へ最新式の馬車を贈り、伯爵へは名馬と馬具一式を届けた。
モンテーニュ夫人から言葉を尽くした礼状を受け、元義兄が幸福な結婚生活を送っていることを知り、胸が温かくなったのを憶えている。
実家の姉たちはロゼットが生まれる前や幼い頃に次々とこの世を去り、母と慕った継母たちとも縁薄く、十歳で実父に売られたロゼットは、仮初にも義兄と呼んだモンテーニュ伯爵が安寧な家庭を築くことができたことを陰ながら祝福した。
(ガブは不義の娘を産んで離縁された。ガブはお義兄様を愛せなかったのなら離縁は幸福なことだったろう。なのに、わたくしは王太子殿下の不義の娘を産みながら離縁されることも叶わない。娘の父、王太子殿下は妃殿下もろとも流行り病で亡くなり、ファラオン25世は死に、おぞましい夫から遠く距離を保っているとはいえ、モルロー伯爵夫人の名の呪縛から逃れることもできない)
革命の嵐渦巻く故国ランセーが今どうなっているのか、ロゼットには知る由もなし。
国王夫妻でさえ処刑した民衆である。残された貴族を放置などすまい、いっそ夫モルロー伯爵が謀殺でもされてくれないかと日々願っている。
(こんなに醜く恐ろしい心を抱いているのに、幼子を育てているなど、欺瞞だ……)
王太子夫妻の相次ぐ急死後、ロゼットは静養を名目にランセー宮廷を捨て、母方の遠い親族、連合王家を頼りアングリアへと移住したのだった。
同じくステファニー王女の血統である夫モルロー伯爵への情報の遮断だけを希み、ひっそりと我が身が朽ちてゆくことだけを祈った。
そんなロゼットの耳へ伝わったのはランセーの動乱と革命、続く王侯貴族の相次ぐ亡命であった。
国王ファラオン26世の傍系親王オルランヌ公爵は、過激派が政権を奪取すると真っ先に一族郎党引き連れてアングリアへと亡命してきた。
その中に、どう見ても違和感の拭えない女児が交っていたのだ。
ロゼットが放った間者によれば、その女児はファラオン26世の王妃であり、神聖帝国の皇女でもあるジャンヌ・マドレーヌの庶子であり、ファラオン26世の第二王女としては抹殺され墓まであるのに、王宮から生きて逃がされたのだという。
若くしてランセーを離れたロゼットは、神聖帝国から迎えられたその王妃を見たことはない。むろん仮にも王家の一員として近傍王室の構成員の肖像は常に蒐集し情報を更新してきてはいた。だが、その王妃の夫ファラオン26世は我が子セラフィーヌ・ファリアの異母弟であり、義理でも娘の姪であるなら孫にも匹敵するのではないかとロゼットは考える。
そう思うと即座に行動していた。オルランヌ公爵の保護下から略奪したのだ。
その幼児を扶育していたオルランヌ公麾下の貴族は直ちにオルランヌ公爵へと奏上したが、オルランヌ側としても身元の不確かな幼児が消えたとて、なにをもってして誘拐を立証するのかということになり、その行方は有耶無耶になった。
一方ロゼットは領地の中にいくつもの修道院と孤児院を擁していた。寂しい暮らしのせめてもの慰めとして、庇護下の幼児を引き取り猶子としたとでも言えば、たとえ詮索されたとしても言い逃れできてしまうのだ。
「さあ、おいでセラフィン、母が抱っこしてやろう」
幼女は嬉しげにロゼットへ手を伸ばし、乳母の腕から養母へと抱き替えられた。そして執事頭が引き連れた保母見習いの娘と引き合わされる。
「これなるは、フィッシャーガウ伯爵が長女マーガレット・キャベッジトンにござりまする。伯爵夫人殿下へお仕え致すべく参上つかまつりました。十六歳とのことでござりまする」
執事頭の奏上に従って少女は頭を低く持し、貴婦人からの言葉を待った。
「キャベッジトンとやら、そなたは幼子を抱いたことはあるか?」
「恐れ多くも伯爵夫人殿下へ申し上げます。わたくしキャベッジトンは妹が多く、とはいえ我が家に召使は少なく、幼子の面倒を見るのは長姉たるわたくしの役目にございました。姫君をお抱き申し上げること適いますれば、いくばくかでもご覧頂けるかと存じまする」
「うむ。この子はセラフィンという。抱いてみよ」
「畏まりましてござります。セラフィン姫様、初めて御意を得ます。キャベッジトンでございます」
ロゼットから渡された『セラフィン』の重さにマーガレットはたじろぎもせず、にこやかに幼女と対面した。まったく泣かれもせず、それどころか多くの侍女たちでは数か月経っても見ることの少ない、はじけんばかりの笑顔を向けられたのだった。
「おお……!」
執事頭が唸る。
それへ頷き、ロゼットはマーガレットに微笑んだ。
「セラフィンに気に入られたようだ。マーガレット・キャベッジトン、そなたに娘の保育を任せよう。家令ウィルキンソン子爵と、筆頭乳母オブライエン女子爵に従え」
「ありがたきしあわせにござりまする」
『セラフィン』をロゼットへと捧げ返すと、マーガレット・キャベッジトンは執事頭に従って御前を辞した。
ロゼットの背後から事の次第を見ていた筆頭乳母、ミューズ・オブライエンも笑顔である。
「まあまあ、なんという僥倖でござりましょうか。姫君があのように一目で懐かれるなど、あの者は貴重でござりましょう。手放してはなりませぬぞ殿下」
「そのようだミューズ、そなたの手柄である。よくぞあの者を見出してくれた」
「いいえ、わたくしは夫の上官でありましたフィッシャーガウ伯爵から、年長の子女の出仕の願いを受けていたに過ぎませぬ。姫君があの者をお気に召して幸い、わたくしの夫もフィッシャーガウ伯爵に大きな顔ができますゆえ、どうぞお気遣いなく」
「ケネスの上官とな? 財務官僚であったな。大臣ではないし……参事か参与あたりか?」
「先王陛下の時代に参事であられましたが、後進に道を譲られました。奥方の喪に服された形でした」
「そのフィッシャーガウ伯爵家には、どれほどの子がおるのか?」
「は。かのマーガレットを筆頭に、十五歳のメアリーとミリアム、十三歳のマーシャとマーサ、十二歳のマーティネット、九歳のマデリーン、七歳のマリアンとマリリン、四歳のマリエットとマーキュリンでござりまして」
ミューズは懐から取り出したメモを読み上げた。
「……うむ、確かに子沢山だ。年が同じというのは双子が多かったということか?」
「いかにも左様で。一組の夫婦から四組も双子が生まれております。しかも全て女子。そのような巡り合わせであったとしか申し上げられませぬが」
「……そうか。マーガレットの母君はたいそう健康なおかたであったのだな」
「最後の双子を最期に、身罷った由にて」
「……そうか」
マーガレットの父フィッシャーガウ伯爵は、ロゼット自身の父エリゼー伯爵アルマンのような男ではないかと直観したのだ。ロゼットは十女だが姉の多くは夭折していて見たこともないが、フィッシャーガウ伯爵長女のマーガレット・キャベッジトンの下には十人の妹が健在だという。
没落寸前の家には、確かに多すぎる子女だろう。
「よもやフィッシャーガウ伯爵には後妻を迎えたりは」
「先妻の喪が明けると同時に再婚した由にござりまする。現在十七歳の新伯爵夫人には、じきに臨月とのことで。さぞ物入りでありましょう」
「……なるほど。フィッシャーガウ伯爵とはそのような男なのだな」
女子相続が明文化されているとはいえ、貴族ならば男子を求めて不思議はない。なにもおかしくはない。ただ、後妻と長女がほぼ同じ年回りなことを除けば。
「新夫人の委細を報せよ。近々、出産が無事に済むかどうかも確認せねばならぬ。マーガレットひいてはフィッシャーガウ伯爵家のため」
後妻に嫡男が生まれれば、それはそれでめでたい。だが、生まれてきたのが十二女だった場合、そして出産が無事に済んでも生母が命の危険に晒される可能性も無視できない現実なのだ。
二日後、手の者から報せを受けたロゼットは、マーガレットの継母が、ランセー王国の北西に位置するニーダーラント連邦共和国出身の、ユード人豪商から迎えられた平民と知る。ユード教から『聖秘蹟教』の『革新派』へと改宗したその豪商が、マーガレットの実家へと多額の支援をしていることも。
ニーダーラントは連合王国の版図ブリタン島の対岸、北方海に面したエウロペイア大陸の一国家であり、王政、貴族制を否定する。王国に生まれ王国に生きるロゼットには理解しづらくはあるが、国王と領主貴族ではなく議会と官僚が国家を維持しているという。
エウロペイア大陸を精神的に支配する『聖秘蹟教』の中でも、聖職者の堕落を糾弾し、自然科学の知見から啓蒙に力を入れる一派とそれを支持する諸侯たちは、やがて『革新派』と呼ばれ『新教』とまで称されるほどの圧倒的支持を得ている巨大集団となった。
対して『旧教』とまで蔑称された母体『西方聖団』から分離離脱し、宗教戦争までをも引き起こすことになった教派である。ニーダーラントはそうした『革新派』が集った国家なのである。
爵位を持つ連合王国の中年男と、外国籍の平民の娘。革命以前のランセー王国なら、貴族では絶対にありえない組み合わせの婚姻だといえる。
まず貴族の配偶者が平民では、子孫にその家の持つ爵位の継承権が得られない。王族ともなれば結婚相手がたとえ貴族であっても限られた伝統家門の出身でないなら、貴賤結婚として断固として正当性を認めないし、子孫は一門として数えられることすらない。
ましてやユード人は、古代からエウロペイア大陸では総じて蔑視の対象とされてきた。子孫のみならず配偶者当人にも家門の夫人を名乗ることは許されないのだ。
(わたくしの父と同じ種類の下種貴族ということだな。娘を送り込んだ豪商も、実子を側妾でなく正室にできるなら、いくらでも支援を惜しまないのだろう。ましてや、じきに孫が生まれる。嫡男なら、ゆくゆくは伯爵になる可能性も……)
報告書を読み進めていたが、ふと、ロゼットの視線が止まった。
「スティーヴン……モルロン?」
ざわっと総毛立つのを抑えられなかった。
忘れもしない憎き夫モルロー伯爵の名、エティエンヌをニーダーラント語にするとシュテファンとなり、連合王国語ならばスティーヴンである。そしてモルローを文字ってモルロンなのだとしたら。
(まさか……モルローの庶子? しかもユード人? まず、ありえない気はするが……)
あの男は両手両足の指よりも多い奴隷を所有していた。ロゼットと結婚していた時期でさえそうなのだから、それ以前のことなど推して知れるというものだ。
(だが。奴隷が産んだ庶子に我が名を許したりするだろうか)
あの男が妻にしていたのは、どれも幼い少女。そして成人した暁には献上品として国王の閨へと送り込まれるのだ。あの男に嫡出子はいない。それは間違いない。
理由は知らされていないが、モルロー伯爵には『モルロー伯爵家』の存続に興味がなかったのだ。だが庶子がいないとも言えない。あの性癖で、あの年齢だ。孫がいて、それが結婚できる年齢でもなんら不思議はない。
「至急、ロビンをこれへ」
侍女頭は無言で頭を下げ、その側に控えていた侍女が足早に姿を消す。
しばらくの後、ロゼットの前に跪いた間者の男ロビンことロバート・スミスは、見上げた女主人の浮かぬ顔に眉をひそめた。
「このフィッシャーガウ伯爵夫人ステフィーの父、スティーヴン・モルロンの身上を調査せよ。殊にモルロー伯爵ファラオン・ゲルラン・エティエンヌとの関わりを」
「御意」




