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巌窟女王の愛娘  作者: ロサロサ史織
第一章 エステルライヒへの道
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(7)ロザムンデ

 



 それからは『産後』の手順として『新生児』の清拭、『後産』の始末と、(豚の)血液と胎盤が撒き散らされぐちゃぐちゃになった寝台の始末、そしてなによりも疲れ果てた産婦の清拭と移動の介助となる。

 こと後産の始末については侍女頭エリーゼが自ら外庭へ赴き、祈りを捧げた聖火を護衛と共に興して念入りに焼き浄め、灰を公邸内にもある聖堂で供養した。

 エステルライヒに於いて未だ顔が広くもないゼラフィーネの側近にとって、どんな間諜の目をも欺く体制で臨まねばならない。

 『御誕生でございます!』のエリーゼの声を受け、続きの間に待機していた五人の侍女たちがまず『産室』に突入し、わらわらと公妃の世話を始める。

 間、髪を入れずに続いたのはファリア・アウグスティーネ王女。異母姉の枕元へと駆け寄り、すかさず姉の手を取ると泣き崩れる。アウグスティーネの侍女となっているアレンセン子爵令嬢ヨハンナも寄り添う。

「お疲れ様でございました、ラフィ姉上! お見事でございます! 玉のような姫君でいらっしゃいます!」

「……グスティ、ああ……そなたも待たせてしまいましたな、また逢えてこれほど……うれしいとは……どうかそなたはすぐに休んで……」

 息も絶え絶えの演技をする公妃。

 演技と知らない王女がたいへんにいい仕事をかましてくれる。

「いいえ! まずは姉上がお休みくださるのを見届けねば、休むわけには参りません! わたくしはただ待っていただけですもの! 皆、早う姉上をご寝所までお運び申して!」

「はっ、王女殿下、ただちに!」

 近衛たちがうやうやしく一礼して配置に就いた。

 『疲労困憊』の公妃は頑丈な車輪付き寝台に載せられ、四人の近衛が周囲を囲んで私室へと移動してゆく。それに付き従うのは『出産』を見届けた産婆ミューレン女男爵と、続きの間で待機していたアウグスティーネ王女、次席侍女キルヒャー伯爵夫人ともう一人、新たに側仕えをすることとなった侍女ベルゲン伯爵夫人だ。

 一方、清められた『赤子』は真っ白な絹のおくるみにくるまれて、やはり近衛騎士四人に前後左右を護られたエリーゼに抱かれ、ロスムントのもとへとうやうやしくも速やかに運ばれた。

 狂乱のため目に見えて憔悴し、もはや失神寸前だったロスムントは、赤子を見るなり悲鳴のような声を上げた。小さな小さな存在に改めて仰天したらしく、わなわな震えたきり抱き取ることができなかった。

「まったく……化け物ではござりませんぞローゼルぎみ。致し方ござりませぬなぁ。不甲斐ないおん父君の代わりに、さあ、(じい)が姫君を抱っこして進ぜよう。皇帝陛下より先に姫君を抱けるとは、これほどの末期(まつご)の勲章があろうか!」

 ふふんと嘲るような笑みを浮かべるモルゲンレーテ宮中伯へ赤子を差し出すエリーゼに、ロスムントは飛び上がった。

「まっ、ダメッ! ラフィさまのあかちゃんだぞ!わたしによこせ! わたしがだっこする! わたしはあかちゃんの父上だぞ! ヨハンは、あと!」

「グズで役立たずの父上だがな! 大事な大事なラフィ様の分身をおっことしたらどうするのだ、ローゼル? そんな細腕で赤子が抱けるのか? 見よ! 爺のこの逞しき腕!」

 肘を折り力こぶを見せつけるモルゲンレーテに、ロスムントは反抗したようである。

「だっ、だけるとも!」

「……重いですが?」

 不安を煽るエリーゼの言葉に、ロスムントは奮起した。

「だいじょうぶ! わ、わたしとラフィさまの、だいじなあかちゃんだ。おとすわけ、ない……!」

「……恐れ入りますがローゼル様。念のため、あくまで念のため、あちらの寝台にお腰掛けになって、それからお抱きになられてはいかがでしょう」

 おずおずと両手を差し出すロスムントへの不信なのか、エリーゼは赤子を抱き締めてずるずると渡さない。

「う、む、……そ、そうする」

 ロスムントはおとなしく寝台に向かい、深く腰掛けると慎重な手つきで差し出すエリーゼから、真っ赤な(かお)の赤子を受け取った。

「……おもい」

「御立派な御子様でございます。ローゼル様とラフィ様によく似た、お美しいお姫様でござりますよ」

 慈母のまなざしで見返すエリーゼを、ロスムントはひたと見返し頷いた。

「うん、……とってもかわいい。きれいだ。ラフィさまに、にてる……」

 新生児はそこまで重くはないのだが、ただでさえ危険だからと模造剣さえ持たされてこなかったせいで、重いものというものを持ったことのないロスムントは、身動ぎもせず、腕の中の新しい命の重みと鼓動、熱と向き合っていた。

「ラフィさまに、かんしゃ、します。かみさま、ありがとうございます。わたしにこどもをくださって……」

 はらはらと静かに涙を流すロスムント。

 床に膝をつき頭を垂れるロスムントの前で、うきうきした様子を隠さないモルゲンレーテが発言した。

「さあ! お名を考えねばなりませんなぁ、新米父上のローゼルぎみ? また眠れなくなるでしょうなあ」

「な、なまえ……えっと……ええと、ヨハンナ・ゼラフィーネ……かな?」

 懐妊を装うゼラフィーネの大きな腹(擬態)をさわりながら、男子だろうか、女子だろうか、どちらに似ているのかなど、とりとめもないことを語り合ってはきていたが、子供が生まれる実感とてなかったロスムントには子供の名付けなどさらに遠いことだった。

 バウフブルク家の女子の多くは、第一聖別名にヨハンナを持つことが多い。そして母の名を継ぐことも極めて多く、エウロペイア各国ではありふれた慣習だ。『ヨハンナ・ゼラフィーネ』は妥当な線である。

「ラフィ様と皇帝陛下が諾と仰せになれば、それもよろしかろうかと。しっかりお考えなさい。迂闊な名は万難を招きますからな。変な名乗りは姫君から恨まれますぞ。爺は、ローゼルぎみが『おとうさまなんかきらい!』と言われぬよう、お祈り申し上げる」

「そんな……ラフィさまと、ちゃんと! そうだんするから!」




 そして命名談義である。

 ロスムントは寝台に横たわり疲労を隠せ(さ)ないゼラフィーネへと感謝と再会の感激の言葉を尽くしたのち、極力いたわりつつ、まずは適当と思われる『ヨハンナ・ゼラフィーネ』を愛妃に提案してみた。

 が、彼女の視線は浮かない。

「……だ……だめ、……かな……」

「……わたくしの希望を聞いてくださいますかローゼル」

「もちろん!」

 ゼラフィーネの目を間近でひたと見つめる。

 ゼラフィーネの見開かれた瞳が、やんわりと緩んだようにロスムントは感じていた。

「……ローゼル、わたくしは、ずっと考えていたのです。ロザムンデという名を。あなた様のロスムントという御名と対となるものですわ。『世界の薔薇』なんて、素晴らしい名前です。男の子ならきっとロスムントと名付けたでしょう。でもこの子は女の子でした……だから愚考しておりましたの。……お気に召しません?」

「え、そ、えっと、きにいらないんじゃなくて、わたしのなまえをつけるなんて、かんがえたことなくて……ええと……いいよ! うん、そうしよう! ロザムンデか。かわいいね! うん、とてもいい! じゃあ、ロザムンデ・ゼラフィーネで!」

「いいえ。わたくしの名はわたくしだけのものにしておきたく存じます。ローゼルからラフィと呼ばれるのはわたくしだけ。そうでなくなっても、よい、と?」

 それはもしや、ゼラフィーネが生まれたばかりの娘に嫉妬しているのでは? そう思いついたロスムントはどぎまぎして頬が熱くなるのを感じた。

「う、う、ん? ……えっ? ……そっか。ええと、じゃあ、……オクタヴィア……なんてどう? 今日は八月だし。オクトは十月のなまえだけど、八っていみのふるいことばでしょう?」

「ああ……美しいですわ、……ロザムンデ・オクタヴィア皇女殿下。あとは、皇帝陛下の御意を容れればよろしいのではなくて?」

「……兄上も、このこになまえ、つける?」

 思い切り不満そうである。兄上大好き殿下の思わぬ反応に、ゼラフィーネは優しく微笑み返すのみである。

 ロスムントの独占欲はこれまでゼラフィーネにしか発現しなかったが、『我が子』を抱いたことで彼女への愛着が芽生えたのだろうか。

「陛下はローゼルとわたくしの婚姻をお導きくださいました恩人でおわしますし、婚礼を執り行ってくださいましたキーファー大主聖猊下にして大公殿下とも、ご相談しなくては礼を欠きますよ」

「うーん……ながいなまえに、なりそうだね……」

「あら、ローゼルだってとぉーっても長ーい名をお持ちでしょう。皇族というもの、そういうものですわ。諦めて」

 やつれたゼラフィーネの額に落ちる一筋の髪を払い、ロスムントは愛妃の瞳を覗き込んだ。

「わすれちゃったらどうしよう……」

 真顔が、もはや涙目となる。

 ゼラフィーネはロスムントの右手を左手で握り、右手で包み込んだ。

「姫本人がきちんと憶えますわ。ローゼルだってご自分の名前はちゃんと憶えているでしょう?」

「いみ、わからないけど、そういうものかなって」

「子の命名には、父君と母君のお気持ちと、女神の祝福が込められているものです。ちゃんと考えて、たいせつに呼ばなくてはいけません」

「はい、ラフィさま。わたしたちの、ひめを、たいせつにそだてましょう」

 ほんの2キロほどの赤子(の義体)だが、この時代の新生児としては充分な体格である。

「ローゼルによく似た子をわたくしに授けてくださって、感謝致しますわ、わたくしのあなた……」

 とろとろと、眠りに落ちてゆきそうな愛妃の前で、クリステンベルク公爵ロスムントは決然と心を決めた。

 命に代えても、誰よりも大切なゼラフィーネが授けてくれた我が子を守ろうと。

「もう……おやすみになってラフィさま。あのこのことは、エリーゼも、ヨハンも、兄上もほかのみんなも、まもってくれる」

「信じますわ、……ローゼル」

 自分を見返すゼラフィーネの瞳が潤んでいることを、出産のための疲労ゆえとロスムントは思っていたが、ひたすらに彼女を信じているロスムントを数々の嘘で塗り固めて裏切っていることへの贖罪の念であるとは思いもよらぬことだった。




 不健康と不出来の代名詞のようなクリステンベルク公爵と、滅亡した王家の王女から、健康優良かつ美貌でさえある公女が生まれたと、社交界の話題をさらうことになるのは当然の帰結である。

 そして、赤子を抱くクリステンベルク公爵夫妻を画題とする種々雑多な絵画が、エステルライヒ王国ならびに神聖帝国全土へと拡散してゆくこととなった。実際に夫妻を前にして描くことを許された画家はほんの一握りだったが、その絵をモチーフに身分や地位のない画家たちも、神話や伝説が題材であるかのように、こぞって描くようになるのである。




「早く本物のあなたに逢いたい」

 会ったことも抱かれた記憶もない生みの母、ロゼット・デリゼーが育てているという本物のラファエル・マドレーヌ王女。王家の逃亡事件の前に生まれ死んだことにされたわけだから、もうまったく赤子ではない。

 幼少期の数年の差は極めて大。これからどのようにして義体が実物と入れ替わるかも、ニンフェンケーニヒの思惑をよくよく確認し、その意図を理解しなければならないはずだ。

「オルレンセンなんかに育てられたらナニされるかわからない。願わくは……ロゼット・デリゼーが歪んだ老害になっていないことだけね!」



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