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巌窟女王の愛娘  作者: ロサロサ史織
第一章 エステルライヒへの道
11/14

(6)公女『誕生』

 



 深更——

 皇宮から距離があり、帝都ヴィマー郊外に位置するクリステンベルク公邸は、時ならぬ不協和音と喧騒に包まれていた。

 公妃ゼラフィーネの『出産』が始まったのである。


「ラフィさま! あああっ、あけて! ここをあけて! わたしのきさきがぁぁぁあああ!」

 絶叫するロスムントを囲み、取り押さえるわけにもゆかず近衛と侍女は右往左往しているが、皇帝差し回しの重鎮モルゲンレーテ宮中伯は、泣き叫ぶ皇弟を断固と産室前から排除に移った。

「殿下! お妃様はいま戦っておわします。殿下も戦わずして夫の義務が果たせましょうや? 如何(いかん)?!」

「うっ、こ、こわいヨハン、どならないで! わたしはラフィさまをしんぱいしているだけなんだから! どいてよおおお!」

「なりませぬ! 妃殿下はいまお命をかけて殿下のお子を生まんとしておわします!」

「いやだあああ! ラフィさま、いのちなんてかけないでえええええ! こどもなんかいらないいいいい! ラフィさまがしんだらわたしもしぬうううう! あけてええええええ! ここをあけてよおおおおおおおお!」

 閉じられた扉から鋭い悲鳴が漏れ聞こえてくる。

「ラフィさまああ!」

 両の拳で扉を叩き続けるクリステンベルク公爵ロスムントに溜息をつき、モルゲンレーテ宮中伯は宣言した。

「……殿下を取り押さえよ」

「はっ」

「いやだああああああああああ」

 絶叫しつつ産室の前から排除されたロスムントは、産室から遠く離れたおのが居室へとひきずられた。

 居室の奥の壁際に置かれたディヴァンにむりやり掛けさせられたロスムントは、両手で頭をかかえたまま両側から抑えつけられた肩の間へと頭を沈み込ませてゆく。

「うっうっ……ひどいよヨハン……わたしのラフィさまがたいへんなのに……ラフィさまが、ラフィさまがしんだらおまえをころすからなああああ!」

「いかようにも殿下のお望みのままでございますよロスムントぎみ。改めるが、殿下が泣き叫んでおられるたった今もお妃様は命懸けで戦っておられるというのに、情けないにもほどがある! それでも父親になる覚悟はおありか!」

「ラフィさまがいればいいっ! ああああっラフィさまああああ!」

「ロスムント・アウグスト・ユリウス・クラウス・イツァーク・フォン・エステルライヒ! あなたさまを大切に思し召し、命懸けであなたさまのお子を生まんとあそばすゼラフィーネ様の御心を無駄になさいますのか!」

「うっ、あっ……あ、ああぁ………」

 押さえつけられた椅子の上でうずくまるロスムントをモルゲンレーテは厳然と糾弾した。

「ロスムント様、あなたのラフィ様はあなたのために命を懸けて戦っておいでなのですよ。そのあなたが敵前逃亡してどうするのか!」

「ッ!……ラフィさま……わたしのせいで!」

「そう、あなたのせいなのだよローゼル! あなたがラフィ様とお子を作ってしまったからのこの始末! 泣いて済ますことはできませんぞ!」

「ああああああああ」

 モルゲンレーテ宮中伯の背後からそっと近づいた公妃の侍女キルヒャー伯爵夫人アルベルタは、静かに立ったまま首を横に振った。

「閣下、……殿下のお耳に入れるには憚られますが、妃殿下かお子か、どちらかが危ういようでございます」

「なぜだ! ラフィさまはわたしをえいえんにみすてぬと、あれほどやくそくしてくださったのに!」

 絶叫し、跳ね上がろうとしては崩れ落ちるクリステンベルク公爵を、正面から両手で押さえつけたモルゲンレーテは、アルベルタに命じる。

「わが帝室のお血筋を優先せよ」

「……畏まりました」

「まっ! まって、まって! ラフィさまをみごろしにするの?! ヨハン、なぜ!」

「貴方様のお子だからですよローゼル。あなたが夫でさえなければゼラフィーネ様は生きられただろう」

「いやだ! やめてヨハン! ラフィさまがいきていてくれればわたしはしんでもいい!」

「行け」

 アルベルタに顎をしゃくったモルゲンレーテは、近衛三名に命じてロスムントを部屋から出さぬよう言い置き、去った。




「……いいかげん疲れたわー……あと何時間やればいいの……」

 掠れた声をさらにひそめたゼラフィーネが囁く。

『まだ二、三時間は要るだろう。半日も経っておらん。初産でしかもラフィ様は『高齢』だ。死んでもおかしくはないぞ』

「疲れたー」

『産室』とされたクリステンベルク公邸の奥まった一室で、ゼラフィーネは侍女頭の元ジョリー、現在はシュロスローゼン女男爵エリーゼ以下、皇族専門の産婆ミューレン女男爵アルブレヒタ(五十五歳)、皇帝の主治医メクレンブルク宮中伯コンラート(四十九歳)という顔ぶれにより、『ゼラフィーネの出産』という演目の主演女優を務めているところである。

「気を抜かれてはなりませぬぞ妃殿下。公爵殿下は出産がどんなものか、さっぱりおわかりでないかもしれませぬが、妃殿下のお声にだけは問答無用で反応なさいますからな」

「だから絶叫しておる」

「エリーゼ殿ももっと大声を上げて動揺している向きを演出してくだされ。皇帝陛下も『吉報』をお待ちかねですぞ」

「承知致しました。こほん。……あああー! ゼラフィーネ様ーッ、お気を確かに! 神よ!」

「はいそこ! 息を止めてはなりません妃殿下! お子はもっと苦しいと思し召せ!」

「……綿を持ってきてエリーゼ。鼓膜が破れそう」

「ただちに」

『芸達者揃いだのう。ノイエンシュテルン伯の時もこんなふうであったでなぁ』

 ニンフェンケーニヒは、黒くてもこもこの巨大で丸い義体となって産室の天井付近を浮遊している。シュールである。

「おお、ニンフェンケーニヒ殿にはあの折のこともご存じで」

『見ておったと言うたであろう』

「ほんに、つい最近のことのようですねメクレンブルク様」

「アルブレヒタの(わざ)の見せどころだな。エリーゼ殿、湯とリネンを大量に運ぶよう外の侍女らに伝えてくだされ。それから、そろそろ豚の血液と臓物の準備を」

「はい閣下」

「あ、白湯もお願い。喉が()れてきた」

「はいラフィ様」

「して、肝腎の赤子はどのように?」

 わくわくと瞳を煌めかせてアルブレヒタが問う。

 前回、ランツァー王妃ヨハンナ・マグダレーナの私生児を兄の皇帝ヨハン18世の庶子として偽装するにあたり、皇帝の主治医メクレンブルク宮中伯と、妊産婦の専門家であるミューレン女男爵が抱き込まれ、肝腎要の『産婦(ヒロイン)』役に選ばれたのがマルグレーテ・フォン・レッツェン。エウロペイア大陸とアーシュ大陸の融合による美の結晶のような美女であるが、その実、父のレッツェン騎士爵を上回る女傑なのであった。

『ただ美しいだけなら、わざわざ新しく寵姫を迎えたりはしないのだよ』

 前皇帝はそう(のたま)って笑い、新たに『誕生』したことになったノイエンシュテルン伯爵ユリウス・ツェーザーの強靭な後ろ盾となることを宣言した。

 あの時はヴィマー市中から、生後間もない男児の中から特徴の似通った者を探し出して密かに迎え、本物の王子が来るまでの繋ぎとした。

 なによりも前回と異なるのが、ゼラフィーネを妙に鍾愛するニンフェンケーニヒの存在である。

 人がどれほどの策を弄しても、彼の手妻(てづま)にかかれば秘密は暴かれ、その凝った演出を人は真実と信じるだろう。

(われ)が分身して義体(きたい)を造って授けようほどにな。マグダレーナ王女の生まれた時そのままに再現できるぞ』

「ほんと便利だけど不思議な能力ね。やっぱりニンフェンケーニヒって神様の一種なんじゃないの?」

『違うと言うておろう。あんな妙ちきりんな女神の眷属などであってたまるか』

「えー? エウロペイア以外にも神様はいるでしょ。ペルスとかヒンダとかシャイナとかヤパノとか」

『おらん。というか、興味ない』

「未知との遭遇ができるじゃない?」

『おけ。で、こたびの赤子だが、マグダレーナ王女は都合のよいことに面立ちは王妃似だ。ノイエンシュテルン伯よりもな。金髪で、王妃は青みの強い灰色の瞳だったが、こちらは淡い緑の瞳。『女帝』は赤毛で濃い緑の目をしておった。まずまず王妃よりも美人となろう。嫁ぎ先が今から揉めるな』

「あらま。ヨハンナ・マグダレーナ王妃は好みじゃなかった?」

『好みとか好みでないとか、ヒトの美醜など我にはどうでもよいこと。中身が面白いか面白くないかが重点なのである』

「うん。愉しみね、ニンフェンケーニヒが擬態する赤ちゃん!」

『分身などいくらでも置いてあるが?』

「えっ! マジで?」

『アングリアに亡命しておるオルレンセン公爵など、王妃の私生児を確信しておったからな。死んだことにした赤子が発見されてしまったのだ、それはもう当然のなりゆき』

「狸爺め(あ、タヌキはエウロペイアにはいなかったか。じゃあキツネ? いやジャッカルかな?)。居ながらにして現状がわかるんだし、とっととこっちに奪還すればいいんじゃないの? 拉致した子供が突然消えても文句は言えないでしょ」

『ああ、言わなんだか? とうにオルレンセンよりはマシと思われる女子(おなご)猶子(ゆうし)として平和に暮らしておるぞ』

「どこ?! 誰?! ってか、いつ!!」

「スクダリア寄りのアングリアに住まう、ロゼット・デリゼーやらいう女子だ」

「……!」

 それはゼラフィーネの実母の名である。息を呑むゼラフィーネを気遣い、エリーゼが寝台へと駆け寄る。

「生きてたの……」

 帝国語にするなら、さしずめロゼッテ・フォン・エリザイエンとでもなるだろうか。

『革命前からアングリアに移住しておった。遠くはなったが仮にもアングリアの王族だ。あちらが放ってはおくまい。そなたを手放してからも前王太子が物故するまではヴェルメイユにおったのだが、王太子の死と共に王宮を下がった』

「そうなの……」

 即位もしていない王太子の愛妾など、国王の公妾として予算を組まれることもない。

 前王太子といえば、嫡男ファラオン・オーギュストと神聖帝国皇女ヨハンナ・マグダレーナとの婚約を夫婦そろって猛反対する最大派閥だったのだから、時代の流れとはいえ皮肉である。彼らが生きていたなら、ヨハンナ・マグダレーナはランセーに嫁がず、革命は起きなかったかもしれない。

 だが現実では、前王太子とその妃がそろって流行り病であっけなく死んでしまい、反対陣営は壊滅した。豪腕を奮っていたエステルライヒの『女帝』とルーシ帝国のエカテリンナ女帝とで三国同盟を結んでいた、ファラオン25世の公妾ポンピディール女公によってヨハンナ・マグダレーナの輿入れは確定したのだ。

『それに、そなたには朗報だのう。革命のどさくさで例のモルロー伯爵が死んだぞ』

「生きてたの?!」

 ロゼット・デリゼーの夫である。年がどれほど離れていようと、夫から国王のベッドに送られようと、前王太子の娘を産もうと、聖皇が離婚を認めない限り彼女は『モルロー伯爵夫人』のままなのだ。

『これでグリファン系モルロー伯爵家はめでたく断絶。望みが叶ったな』

「……そうね。グリファン朝の変態の血が絶えてよかった。ようやく未亡人として下衆の楔から解放されたわけね。めでたいわ」

『亡命途上、馬車が民衆の襲撃に遭った。そなたの望み通り虐殺されおったよ』

「そう……うれしい。とっても」

『ロゼットの父、エリゼー伯は健在だがな。老害と呼ばれる者ほど、しぶとく生き残っておるらしい』

「迷惑」

 そうこうする内に、ゼラフィーネの大絶叫と共にニンフェンケーニヒ効果演出の新生児の産声が『産室』に響き渡った。

「どこから産声?」

『マグダレーナ王女が生まれた時を再現しておる』

「見てたの?」

『むろん』

「……リアルでとってもいいわ」

『ほれ、分身の赤子義体だ。実物そっくりに反応するゆえ、子育ては通常通りするのだぞ』

「おおおー、確かに美少女に育ちそう。きれいな子。ではコンラート、アルブレヒタ、頼みましたぞ」

「「公女殿下の御誕生、おめでとう存じまする妃殿下」」





ロスムントくんのセリフがほぼひらがななのは、彼がアルファベートを知らないので、スペルがわからないという表現のつもりでございます。耳で単語と意味はわかるので会話が成立しているという具合です。


注釈になってしまい恐縮ですが補足を。ローゼルはロスムントの愛称・略称のつもりです。マルグレーテならグレーテル、皇帝レオポルトは大人になってもポルドルとママから呼ばれていたそうな。

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