(1)異世界はエセヨーロッパ?
プロローグの語りは転生者の主観から。
本編はこちらの世界を俯瞰する語りでいきたいと思います。
ファンタジー世界ですが、歴史的事実っぽいことを連ねると、かなり残酷描写や公序良俗に反するキャラが出て参ります。ひとまずエロはありませんがグr…いことはあるかもしれません。ご注意の上お進みください。
初めて『前世の記憶』なるものを感じた?意識した?のは、この国の王と王妃が獄に繋がれ、名ばかりの裁判を経て処刑された時だ。
「……、え? っと、これって……フランス革命……?」
フランス、という国名が、この国『ランセー王国』の名とかぶった。
ここではない世界での十八世紀後半、小氷期と呼ばれる地球的低温期、それに伴う飢饉を端緒とする民衆の大動乱。王政を廃止して共和国を樹立、王族を処刑し、幽閉し、虐待したアレだ。
ということは。
仮にも王族(!)の末端に数えられていた、この私にも害が及ぶということでは?
かくいう私は生まれた時から日陰の身。世継ぎの王太子が王太子妃の侍女との情事の結果、できてしまったのだ、子が。
つまり私は王太子の庶子。だが、生まれ落ちたその日に王宮から出され、長距離移動に耐えられるようになったと考えられた3歳の時に、王都から遥か遠くに隔たった、ここ、サンタンジュ修道院へと隔離された。らしい。そう聞かされた。
命名だけは王太子が責任を持ってつけたらしいが、候補を列挙したのは王太子の父、国王だったそうな。ついうっかりできちゃった子供に、王統に連なる者として迂闊な名前を与えるな、ということ、か?
セラフィーヌ・ファリア。そんな名前。
王家はこの500年くらいは、同じ名を王子に与えてきた。代々の国王や王子たちのファーストネームは、ほぼほぼ『ファラオン』という。
前世の地球でなら古代エジプト王ファラオから来たフランス語のファラオンだろうけど、こちらの世界ではギリシャ風の響きとでもいうのか、古風で典雅な音律を持つ由緒ある名前ということになっている。
ランセー王国のファラオン1世が即位したのが500年とちょっと前。それから王朝はざっと3回交代しているものの、王の名として認知され強化されてきたファラオンの名を忘れず襲名しているらしい。
『ファリア』はその女性形とでもいうか、同族としてのアイコンだ。ファーストネームでなかったのは、嫡子でないから。それに尽きるだろうね。
本当に名ばかりの王族だが、それでも王族。だからこそ、いつ新たな権力者の気分次第で処刑されるかもわからない!
激動の王都から極めて遠い国境の山の中、埋もれた私のことを革命政府が思い出したのか、初めて知ったのかがいつなのかは知らないが、生まれてすぐに王宮から棄てられた私が、ここ、ランセー南部山奥、タリア(=イタリア?)国境にほど近い修道院の院長として存在することを許さず、聖域を武力で制圧、私の身柄を拘束し地下室に幽閉した。
王妃の処刑を知らされる数日前のことだ。
修道院で造るワインを寝かせるための地下室で、広さだけは申し分ない。その一角に施錠できる小部屋があり、私はそこに収容された。
普段は物置小屋のような扱いだったと思うけど、女ばかりの集団生活で不都合な者(どんなタイプかは想像はできる)を閉じ込めるためにでも作られたのかもしれない。
地下室では暖を取るのもままならない。
天井近くに空気穴としか呼べないような小さな細い格子窓があるが、陽射しを床まで届けない。ベッドに立っても、顔にしか当たらないのでは凍えた全身を温めるに足りない。
『清貧』という名の粗食を旨としていた私以下の修道女たちには、革命後の世界でも慎ましく暮らすことは許されていて、それなりに暮らせてはいた。
幽閉されてからも、それはあまり変わらない。与えられる日に一度の食事でも、どうにか耐えられた。こんな扱いは私だけで、ほかの修道女たちは通常の勤行をつとめながら、これまでと同じ暮らしをしていると思いたい。
王家の隠された王女という身分は私に院長という肩書を与えたけれど、もともとこの修道院の伝統なのか、王侯の庶子や、身分を継承したわが子に疎まれた貴族の未亡人たちが身を寄せていたわりに質素な暮らしで、そんな中、いかにも貧しい民衆への施しにも精を出していた私はそれなりの崇敬を受ける立場ではあった。
私の両親は、国王ファラオン25世の王太子ファラオン・セザールとその情人、伯爵夫人のロゼット・デリゼーだという。
ダブル不倫かといえば、そういうことではなかったみたい。
ファラオン・セザールがルイ15世の王太子ルイ・フェルディナン相当なのだとすれば、愛人も庶子もいない正妃一筋の人だった気がするんだけど、そこはそれ、適宜変動スライドしているということなのかな?
私を産んだロゼット・デリゼーという女性は、ファラオン25世の側近エリゼー伯爵の娘で、なんといったか、……そう、かの変態モルロー伯爵の、最後の夫人だという。名前がモンローと似ていたのでどうにか憶えているんだけど、憶えていたいかどうかは論外だ。
聞くところによると、モルロー伯爵は高齢で(この世界の平均寿命がどれほどか知らないが、モルローが50代より下ということはないだろう)、裕福でなかった、というかはっきり言って困窮していたエリゼー伯爵の十女を後妻に迎えたのだそうな。しかも5人目の後妻というから呆れる。
だいたい十女ってなに、十女って!
貧乏なのにそんなに子供こさえてたら破産一直線なの当たり前でしょうが! エリゼー伯爵ロクデナシ確定!
とはいえ、そんなに子供作りたくなるほどエリゼー伯爵夫人は美人だったのかもしれない。いや、カネもシゴトもなくヒマすぎると、性行為しか娯楽がないって世界だったのかもしれないが。女のほうはたまったもんじゃないだろうに。
そんなわけでエリゼー伯爵家は極めて貧乏だった。しかも働き手になりえない娘ばっかり10人も作ってしまった。エリゼー伯バカすぎでしょ。半数は夭折したらしいから、名前がかぶるかぶる。
ロゼットちゃんは十女だが、六女から十女までぜーんぶロゼットって名前らしい。なんなの。バカのひとつ覚えの命名なの? それとも奥さんの名前がロゼットだから継がせたいってやつなの?
ていうか! そんなに嬰児死亡率高いんなら子供作るのやめて!
エリゼー伯爵家の娘たちは美人揃いだったらしいが、中でも末娘で大変な美少女に育ってしまったロゼットちゃん11歳は、どこで見初めたんだか富豪のおじいちゃん伯爵にロックオンされちゃって結婚させられた。いわゆるお金で買われた花嫁というアレね。
サイテーだよサイテー!
11歳ってなにごとだよ!
小学生じゃないか!(但し前世の日本でならという注釈。この世界に学校は男子専用の大学や士官学校、職業訓練校くらいしかないみたいだし)
そんな少女と結婚したがるなんてモルロー伯爵は変態一択だ。ロリコンより酷い。考えたくない。
そんなジジイに幼い娘を嫁に出すほうも外道極まってるけど、貧乏してると倫理観とか擦り減っちゃう確率高そうだし、児童婚が法的に認められたこの世界を、21世紀日本の社会を記憶している私が受け入れられないだけなのかもしれないっていうことはわかっている。実の祖父だろうが許さないけどねエリゼー伯爵も。
性的ペットとして伯爵夫人に迎えられたロゼットちゃんがどんな生活を強要されたか、考えるだにおぞましい。思考停止したいよ。
その後モルロー伯爵から、ロゼットちゃんは女官として王宮に差し出された。つまりは王様への夜の賄賂ってか。
ファラオン25世もいい年だったはずだけど、それでもモルロー伯爵よりは下だった。
だからなんだという状況だけど、商売上手なモルロー伯爵はなにをどうすれば王のご機嫌をうるわしくできるかを熟知していたらしい。だいたい王の側近がそんな変態でいいのかよ!
そもそもファラオン25世は王妃を亡くしてからタガが外れていたようで、貴族出身の膨大な愛人だけでは飽き足らず、裕福な平民や王都近郊の美しい少女たちを王宮の一か所に隔離して囲うハレムとしかいいようのない小離宮を造営し、政治は公妾(この時期の女性はブルジョワ出身だったはず)と王太子に任せて快楽の苑に入り浸ったというあんぽんたん。
そりゃあ、のちのち革命くらい起きるでしょうよ。
そんな腐った王宮へ送られたロゼットちゃんは、まだ10代の娘盛りだった。
幸か不幸かファラオン25世の好みド真ん中ではなかったようで、手はつけられたらしいけど(つけるんかい!)すぐに放置され、その後、そのハレムもどきから出戻って王太子妃付の侍女となったらしい。
そこでようやくわが父、王太子ファラオン・セザール登場。
それまで正妃一筋だったのに、男子も二人生まれていたのに、なんの気まぐれか手を出されたせいでロゼットちゃんは妊娠し(不運すぎる)、王族の子を懐胎した女性は必ずヴェルメイユ宮殿(ヴェルサイユかー?)内で衆人環視のもと出産するというランセー王室伝統の弊害のもと、私を産んだそうだ。そんなの血統を重視される正妃たちだけでよさそうなものなのに、うら若いロゼットちゃんもそんな目に遭ったらしい。
絶対許さないぞモルロー!
それを教えてくれたのは私の乳母で育ての親、ジョリー・ラ・メール。本名は違うそうだけど、私はそう呼んでいる。そう呼ばれたいと当人に請われたからだ。
ロゼットちゃんがファラオン25世の王妃(若くして死んだ王太子の生母)に似ていたという話もある。うわぁマザコン?
いや、25世は亡き王妃とは仲睦まじかったという伝承だから、似ていたのならロゼットちゃんが好みでなかった説は鵜呑みできない気がする。それとも長年王座にいて年をとってから嗜好が変わっちゃったとか?
ジョリーはファラオン25世の専属娼館で奉仕させられてた平民女性で、25世からそう呼ばれていたらしい。16歳で25世の何人目かもわからない庶子を出産したが、その子はすぐに死んだそうだ。この世界の乳児死亡率は現代日本に比べたら遥かに高いと思う。衛生的にもそうとしか考えられないし。
娼館を言い換えただけの離宮の中で前後して出産し、産褥で死亡した他の女性の赤ちゃんの乳母みたいなことをしていたが、王太子の初めての女子(=私。しかも生母は伯爵夫人!)が生まれたので、改めてそちらの乳母として抜擢されたらしい。……抜擢?
朗らかで、呼び名の通り美しい母といった様子のひとだ。私は実母のロゼットちゃんを人伝にしか知らないが、ジョリーこそ聖母のような清らかな人だと思う。
地方出身の、貴族ではないペリス(パリかな?)勤務の下士官の娘で、その若さと美貌から王宮へ報せが行ったらしく、誘拐されるように王の秘密の離宮の住人になったそうだ。ってか誘拐でしょ、それは。美少女狩り専門の隠密でも市中に放ってたんだろうか。
残されたジョリーの家族に、王宮への出仕に対する褒美という名の金銭が届いたそうだが、そんなもの身売りの身代金に決まっている。ジョリーには恋人がいたらしいのに拉致した挙句、処女を強奪するとかファラオン25世もただの下種だ。その血を受けていることが申し訳ないし恥ずかしい。
私を産んだ実母、ロゼットちゃんは伯爵令嬢からの伯爵夫人で、さらには王太子の(唯一の)庶子を産んだ社会的ヒロイン(女英雄)なのだそうだが、性的搾取されながらおとなになった美少女が高級娼婦として王に献上され、性的奉仕を強要された挙句、好きでもない男の子を産まされただけなんだよね?
変態モルロー伯爵にしろ、好色ファラオン25世にしろ、マザコン王太子ファラオン・セザール(悲しいことに私の実父)にしろ、ロゼットちゃんをひとりの女性として尊重しなかったことは明白だからだ。だいたい、美人と見たら襲って手籠めにするとか、性犯罪者しかいないのか、ここの王侯貴族は。
そんな退廃世界に君臨し、ファラオン25世は長かった享楽的人生をとっとと終わらせて病死。ルイ15世は天然痘だったけど、こっちはどんな病で死んだのかは知らない。
25世とその曾祖父24世による度重なる戦争と宮殿造営、さらに天候不順で経済が傾いた王国のあとを継いだ孫の26世が、元敵国から来た王妃のせいで国を存亡の危機に陥れたと弾劾され、処刑された。
とんだとばっちりだ。
そもそも王妃とは、基本、外国から迎える。
王族という特権階級はフツーの貴族とは根本から違うわけで、神から王権を授かった聖なる血脈ということになっていて、その頂点に立つ者の配偶者(つまり子孫を産む存在)を、ただの臣下にすぎない国内の貴族から迎えたりしない。
公爵令嬢とか女公とかいう、それこそ王家の分家や王の庶子の血統からは王子妃を迎えることもあったらしいけど、それはきちんと他国の王家から来た王妃や王太子妃がいるのが前提で、その他大勢の王子妃に迎えるべき適齢の国外の王女や皇女、公女がいなかった結果にすぎない。
外国出身王妃は、このたび処刑された王妃ジャンヌ・マドレーヌ(マリー・アントワネット相当だと思う)だけじゃない。代々そうだったのに、ジャンヌ・マドレーヌだけが非難轟轟、民衆からの憎悪を一身に受けることになってしまった。なんという悲劇。
王妃ジャンヌ・マドレーヌがマリー・アントワネット並みの人生だったとすれば、誉められたことじゃないこともたくさんしただろう。言説では勉強嫌いで享楽的な王妃様とのことだ。公式にはなかったことになっているけど、夫以外の子供を本当に生んだかもしれないし、賭博で散財しまくったのは史実だ。寵臣ばかりを優遇し、大貴族たちを粗略にしたことだけでも王妃としての資質に欠けている。それでも、殺されるほどの悪の権化だったかといえば、そうではないだろうと思ってしまう。
私が処刑されなかったのは、そういう身上が革命政府に考慮されたのかもしれないし、単にまだ若い(といえるだろう)女の首を斬るのが嫌な男しか近隣にいなかったせいなのかもしれないし、もしかすれば私(=修道院長=神の僕)に救済されたと考えた民衆のうちの発言権ある誰かが助命嘆願してくれたのかもしれない。
処刑器具のギロチンというあの有名な装置は、生きた人間の首をすばやく的確に落とすだけではない、死ぬべき人間への『人道的』配慮、死なせる人間への『人道的』配慮がなされたものだという。
斧で首を斬り落とすのは、けっこうな力業だし、技術が要るのだそうだ。
残虐なケースでは、わざとなまくらな斧を処刑人に与え、何度も首に当てさせ、何度も何度も失敗させ、罪人に恐怖と苦痛を味わわせてから殺すという。一度でも頭部に斧を振り下ろされたら大出血間違いない。でも即死できない。血塗れになり、激痛にのたうち絶叫する罪人へ、その罪を自覚させるために残虐な処刑がなされ続けたらしい。
また身分によって処刑法は違っていて、平民は主に絞首刑だったそうだ。斬首刑は貴族にのみ適用された。処刑方法の貴賤なんて、殺されるほうにとってはどうでもいいのでは?
それでも貴族にとって城壁から吊るされるのは、非常な不名誉と感じるらしかった。
斧を奮うほうも人間の骨肉を断つ感触が手に伝わるので、トラウマに陥る処刑人もいたかもしれない。一撃で落とせる技術者は讃えられ、処刑される当人から高額で雇われたというくらいだから驚く。
そんな残酷な処刑法が批判され、すぱっと首を斬り落とせる『人道的』処刑器具として発明されたのがギョティーヌ。つまりギロチン。発明者として伝わる名前は革命期の医師ギョタンだそうだけど、その数百年前から同様な装置は使用されていたとされていたらしいし、真相はわからない。
私が殺されなかった理由を、何も知らされない私にはわからない。
でも、それでいい。私はひとまず殺されず、こうして生きているのだから。
フランス革命前後の展開にはかなり詳しい『歴女』だった記憶も蘇えっていることでもあり、先読みできる安堵感は確かにある。
でも私は無名の王族で、闇から闇に葬られたとしても歴史に残ることはないだろう。ひとりの修道女が生きて、死んだとしか記録されることはないだろう。
王妃の処刑から一年ほど後、王妹の処刑が伝えられた。
元国王ファラオン26世の同母妹、つまり私の異母妹ということになるファリア・オーギュスティーヌ王女。結婚どころか婚約すらしたことがないという特異な嫡出王族。なにも伝わってはこなかったけど、病弱だったのだろうか。
そんな二十歳にも満たない、うら若い乙女が処刑された。
革命政府に囚われて生き残ったのは、26世の王女のみ。
なぜ王女のみなのかはわからないけど、処刑されたファラオン26世に嫡出男子は一人だけだったということで、その嫡男が夭折してからは王太子を定めていなかった。
あのルイ16世と擬された境遇なら、ファラオン26世には歳の近い同母弟が二人いるはずだし、末妹とは十歳離れている計算だが、外国へ嫁いだ同母妹が末妹の上にいたはず。前世のフランス革命ではフランス王室とは距離があったのか、ほとんど話題に上らなかった気がする女性だ。
それにフランス革命よりも時期的(暦的?)に早いのが気になる。平和な人生を送れた王女がいたのだろうか。そこも気になる。
国王夫妻はまだ30前だったはず。
それならこれからまだ男子出生の可能性も充分あるわけだし、王太子を立てなかった理由にはなる。
とはいえ、あの王妃がマリー・アントワネット相当だとすれば、生まれてくる子が王の実子かどうかわからない。
現に、待望の王太子が2歳で夭折のあと、王女が生まれたんだけど、数日で夭折したという。あの、ヴィジェ=ルブランの筆によるカラの揺り籠を囲む王妃と子供たちには3人の王子王女が描かれていたのに。
ということは、フェルセン伯爵に相当する誰かの子を王妃が生んでしまい、それを隠蔽するために夭折と公表した可能性はある。もしかするとこの時代、中絶よりも、出産後に赤ん坊を始末するほうが母体が安全という考え方だったり?
王にとっては、形式上でもかつての敵国から和平の証として迎えた王妃が健在なことのほうが、嫡子の有無よりも重要だったのかな。
(そんなに魅力的ですかそうですか)
もちろん、単に乳幼児死亡率が高かっただけの可能性はある。18世紀相当の医学なら、ただの風邪でも容易に死ぬかもしれない。
マリー・アントワネットの生家ハプスブルク家といえば、突き出た下顎が有名だ。嚙み合わせは悪そうだし、濃縮された血族結婚からは多少薄まった時代とはいえ、数百年もの近親婚の弊害はそんじょそこらの新しい血でも簡単には薄まらないんじゃないだろうか。王家に迎える血統なわけだから、どんな小国だったとしてもハプスブルクの血が入っていないところは少なかったのでは。
こんな辺鄙な修道院にさえ国王夫妻の肖像画は配付されていた。それはもちろん前世のフランス国王夫妻の肖像じゃない。ランセー国王ファラオン26世と王妃の姿で、当たり前だけど私の知るルイ16世とマリー・アントワネットの顔じゃなかった。
残された王妃の肖像では、ハプスブルク家らしき血筋の片鱗は感じるものの、そこまで顕著じゃない気がした。まあ実物にどこまで寄せて描かれたものかは、後世の人間(=前世の私)になどわかるわけはないんだけど。
ファラオン26世は享年28歳だった。21世紀を生きた私の感覚ではまだとても、とても若かった。
王妃も同じ年齢で処刑された。若く、美しかったことだろう。
残された王女ジャンヌ・ガブリエルは、どちらに似ても醜くはないだろうね。8歳か……幼いとしか言えない。
フランス革命では王妹と同じ房に収監されていたと記憶してるけど、たった独り残されて寂しいだろう。苦しいだろう。両親も、残された叔母も奪われた、わずか8歳の女の子がどうやって生きているんだろう。
誇り高いだろうその幼女が、ルイ17世のような虐待を受けないことを祈るしかない。王女の弟が一人でもいたら、その子がルイ17世同様の運命を生きるかもしれないと思うなんて、それはそれでとても酷い考え方だとは思うけど、滅亡した王家には王子が残っていなかったのだから。
山奥の修道院という隔絶された場所をしか生きたことしかない私は、このランセー王国の実社会をほぼ知らない。
国王夫妻や王妹を処刑してから、ロベスピエール相当(未だ辺境には氏名は伝わってきていない)の革命政府はどんどんエスカレートして、今頃は恐怖政治を敷いている頃なのか。
小氷期はまだ続く。
何年も何年もずっと晴れた日が少なく、国の最南端のこのあたりでも小麦は全盛期の8割ほどもあるかどうか。北の首都ペリス周辺までいくと深刻なことになっていると聞く。
「院長様……」
冷たいベッドに横になっていると、よく知る声が、かすかなノックとともに天井から降ってきた。
「ジョリー?」
「おいたわしい……高貴なおからだがこのようにむごい扱いを……!」
「どうしたの? ここは兵士に見張られているのでしょう?」
重く硬い木と金属でできた扉には、一番下に窓が薄く開くようになっていて、そこから食事の盆が上げ下げされる。
そして今は食事が運ばれる時間じゃない。
「こんなところにいるのを見られては危険だ。そなたはただの修道女でいてよいのだ。お勤めに戻りなさい」
「院長様! いいえ王女様、上に兵士がたくさん来ています。馬車もいます。どうやら王女様をどこかに移すようなのです!」
切迫した様子でジョリーは強い調子で囁く。
「……処刑が決まったのかしら」
「まさか! 聖なる修道院長ともあろうお方をそんな……ありえません! お気持ちを強くお持ちくださいませ!」
「ありえないことだらけであろう? もう何年も、この国には、昔はなかったことが起き続けている。いいえ、もう、わたくしたちが生まれ育った国、ランセー王国はないのだ。わたくしをここに入れた者たちが言っていた。市民たちの国、ランセー共和国だと」
『市民』という言葉も生まれたばかりだ。平民や庶民、民衆、大衆という言葉はあったけれど、個々人を表す『市民』という新しい言葉で自分たちを表現する民衆たち。それも革命的なことなのだろう。
政治体制が変わったからには、あらゆる組織が変化を求められたことだろう。
そして、それまでの支配者だった貴族の多くは国外へ亡命したと聞く。国王一家も王妃の母国『神聖帝国』の東南部、エステルライヒ王国へと亡命するはずだったようだが、途中で露見し、ペリスへと連れ戻されたのだという。(ヴァレンヌ逃亡事件のアレね)
ここでも失敗するのか。革命を過激化させる王家の失態が、あの裁判へと直結していた。
亡命を手配したはずの王妃の寵臣はなにをしていたの? 名前はなんだっけ……確かエステルライヒの伯爵だったはず。某フェルセンのように第三国の貴族じゃなかったらしい。
王妃の寵臣。正しくは王妃の愛人(伝聞だけど恐らく)。
同じエステルライヒ宮廷でランセー王太子との結婚前に出逢っていたなら、それはいわゆる『真実の愛』とかいう前世で流行っていたアレな関係だったってことなの?
(マリー・アントワネットが賢くなさそうなのは定番だったけど、こっちの王妃ももしかして頭がお花畑系の人だったのかな)
それにあちらでは38歳で処刑されたけど、こちらは10年も若い28だったはず。多少は賢くなれていたはずの経験値が、ゼロのまま革命勃発したってこと?
(うわぁ~~最悪?)
「そなたは賢そうだね?」
「……は?」
唐突に、誰もいない空間から知らない声がした。
地下室内を見回しても、当たり前だけど誰もいない。
(気のせい?)
「いいや、そうではないよ」
「誰だ!」
「しー。静かに。聖なる院長様の気が触れたと下々に思われてしまうぞ」
「……誰?」
「さて、そなたの知らない者、とだけ」
「どこにいるのだ? 外からの声とも思えないが」
「そなたの魂に直接、語りかけているとしたら、どうする?」
「…はあ? アニメかなにか? テレパス? オカルト?」
「そなたのいうことはよくわからんが、違うようだよ」
「いいや、姿がないのに話しかけてくるなんて非常識も甚だしい。こういう時は神か悪魔か? と訊くべきだろうが、どうなのだ?」
「そなたのいう神でないことはあっている」
「では悪魔のほう?」
「それも違うと思うのだが」
「思うのは勝手だが、悪魔が事実を正直に語るとも思えないし、悪魔に悪魔でないと言われても信用するに値しないのでは」
「何者か、決めないとだめなのか?」
「神でも悪魔でもないなら、幽霊とか魂魄とかそういうたぐいか? この修道院は歴史がありそうだし、ここで死んだ修道女なら山ほどいるだろうが。でも、そなたは女ではなさそうだ」
「あいにく性別というものがなく」
「えっ? っと、……それなら中性とか両性とか無性なの? へええ」
「どうでもよいだろうが」
「え、そこは気になるでしょ。初めて見る……見てないけど、体験しているわけだし?」
「……敬虔な修道院長様が、随分な様変わりだな」
「こっちがフツー。あっちは営業用。もしかしなくてもアナタ、知ってるんじゃないの?」
「まあ、そうだな。そなたが脳裡で思っていることは感じられていたからな」
「エッ、変態! 去れ悪霊!」
「し、失敬な! わたしはべつにそなたの思考を覗き見しているわけではなく」
「覗いてるでしょーが、今!」
「だから違う!」
「それで、なにがどうしてこんなところに声だけ出て来てるわけ? 姿はないの?」
「見せてもよいが、そなたが卒倒してはちと困る」
「えええー、そんな気色悪い姿なわけ?」
「失敬な。そなたが認識する神だの悪魔だのの姿ではないゆえ、予防したまで」
「まあ、いいですよ。なんでも。ほぼ生まれた時からここにいますから、多少風変わりな妖怪くらいでは驚かないと思うし。というか見たい」
「よかろう。では、なるべく隅に寄っていてくれ」
「はーい」
と、そんなこんなで、私は人外と知り合うことになった。
恋愛適齢期キャラがいないかもしれません。
美少女、美女、美少年、美青年、美中年、美老人はそれなりにいるんじゃないかな……(;^ω^)
いる予定です。