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「ズル……」
「はい?」
「言いにくいんだけど、お願いがあるの」
「どうしたんです?」
「あのね、私をね、何も知らない幼稚園児だと思って教えてくれないかな」
ズルはそう言われて楽しそうにあははと笑った。
「分かりました。すみません。まあこういった知識はゲートをよく使う冒険者でない限り、普通の魔法使いは知らないことでもあります。ゲートを通るのであれば知っておきたいことではありますが」
「はい。先生」
「では……」
ズルは杖を自分と紬の間の空中で振った。すると魔法で念写したイメージが二人の前に現れた。そこには夜空のイメージが浮かび上がった。
「夜空の星々を見たことはありますね?」
紬は頷く。
「どんな星にいるかで見え方は違いますが……群青だとこんな感じでしょうか」
夜空のイメージが切り替わり、星々の配置が変わったように見えた。
「右側に映っているもやもやとした部分」
「天の川ね」
「そう、空の上に川が流れている様子に例えられることが多いんですが、これは自分が所属する銀河の中心部分を見ていることになります」
「星の雫が流れていてきれいよねえ」
「ええ。美しいです」
紬は夜空の念写イメージをうっとりと見つめた。
「紬さん、聞いて下さい。これは何かが流れているんじゃなくて、恒星」
と言ってズルは頭上に光る恒星を指さした。
「あのような恒星がたくさんあるのでこのように見えるんです」
「そうなの?おばあちゃんから星の雫が流れて子どもの星たちを流しているんだって聞いたわ」
「銀河はいろいろなイメージで語られます。そうだ、群青からはすぐ近くの銀河が比較的大きく見える季節があります」
そう言ってズルは念写イメージを切り替えた。
「ここを見て」
夜空のイメージの一点を指差す。
「あら、こんなのがあるの?知らなかったわ」
それはレンジャーが使う武器の円盤のような形をした光る物体だった。
「これが銀河を遠くから見た姿です」
紬はそのイメージを目を凝らして見た。
「これが銀河?……どういうこと?」
「たくさんの恒星の集まりなんです」
ズルはまた頭上の恒星を指さした。
「あれと同じような恒星がたくさん集まって、このように見えるんです」
「でもズル」
紬も頭上の恒星を見上げた。眩しい。
「ここには恒星は一つしかないわ。そんなにたくさん見えない」
「でも夜になって地面に隠れたら回りの近くにある星々がたくさん見えてくるでしょう?」
「……うん」
「こんな経験はありませんか?どこか山に登ったとします。隣の山は離れて見えていたのに、下山して遠く離れてみると、登った山と隣の山がすごく近くにあるように見えたことが」
「……あるわ。私は空兵だったの。空高く飛ぶと地上の何もかもが豆粒のようにぎゅっと小さく見えるわ」
「それと同じことが言えます。遠くに見える星は、実はこのように集まっていて、ものすごく遠くから見るとこのような形をしているんです」
紬は何か分かりかけてきた気がした。夢中になって円盤の念写イメージを見つめた。
「紬さんがもしこの銀河のここにいたとしたら」
ズルは円盤銀河のはじっこのほうを指さして言った。
「そして夜にこの銀河の中心のほうを見たとしたら?」
紬はごくりとつばを飲んだ。
ズルが円盤銀河のイメージの隣に、さきほどの天の川のように見えるイメージを並べた。
「こう見えるのね!?……すごい、ズル……あなた頭いいのね。たいへん!リン!たいへん」
紬は前方を歩いているリンのほうに向かって駆け出した。
「リン!」
紬に駆け寄られてリンが面食らう。
「どうしたの?紬」
「リン!分かっちゃった。私分かっちゃった」
「何が分かったの?」
「銀河」
「ふふふ。ズルは教え上手だからね」
「星の雫じゃなかった。星の集まりだった」
「銀河の大きさとかも」
正木が近づいてきて言った。
「分かったのか?何光年くらい、とか」
「ぐっ」
「ぐ?」
正木は声を上げて笑った。
「光年はまだ分かってない」
紬は悔しそうに言った。両手の拳を握りながら言うのが可愛いとリンは思った。
ズルが後ろから走って追ってきた。
「紬さん、かけっこが速いですね、はあはあ」
「ズル。紬に教えてくれてありがと」
リンが言った。
「いえ、たいしたことじゃないです」
ズルはリンに感謝してもらって恥ずかしがった。
「紬が銀河のことが分かった!ってすごく喜んで言ってきたのよ」
ズルも嬉しそうに笑った。
「紬さん、ここが大事な点なのですが」
ズルが眼鏡の位置を直しながら言った。
「こういった知識は科学文明がもたらしたものなんです。魔法界ではゲートを通って違う星に行けるんだなってことしか考えていなかった。でも科学文明と少なからず交流を持ったときに、このゲートはあの銀河、こっちに行くとあの星に行けるって分かるようになってきたんです」
「科学文明の知識……」
紬はズルの言葉を繰り返した。
「知識こそ科学だな」
正木が言った。
その時、地面が震えるような気がした。
いや震えていた。何か重いものが地面を叩いて震わせているようだ。
遺跡から出たときに聞こえた重い音が近づいてきた。
ばきばきと木々をなぎ倒す音も聞こえてきた。
「警戒!」
誰かが鋭くしかし大きすぎない声で言った。皆、思い思いに武器を取った。
少し離れた丘の上に突如大きな怪物が現れた。四足歩行のそれは木々をなぎ倒しながらこちらに進んで来る!
紬はみたことのない怪物だった。
「四つ足の……ゴーレム?」
思わず叫んだ。
まだ距離があるが大きいことが分かる!ちょっとした屋敷くらいの大きさの怪物だ。紬が不思議に思ったのはなんだか魔獣のような怪物とは様子が異なる点だった。まるで鉄の塊が歩いて動いているような??
「機械獣だ!」
正木が言った。そして周囲を確認してから指示を出しはじめた。
「紬とデニは魔獣鷹に騎乗!他のものは散開しろ!」
正木も魔具から愛鳥ラオールを召喚しながら言った。紬も迷わず自分のザックから魔具を取り出し魔獣鷹のイムールを呼び出す。デニの行動も素早かった。もう魔獣鷹に騎乗しようとしている。
「動的防御フィールドを忘れるな」
正木が指示を出す。設置型の防御魔法より力は弱まるが、動的な防御魔法フィールドを展開しておけば、移動しつつも魔銃弾による攻撃をある程度は防げる。紬は言われたとおり自分とイムールに防御魔法をかけつつ離陸した。
機械獣なるものはドスドスと走ってきたがスピードを緩めた。
背中にあるトゲのような部分……そこからなんと銃弾を発射してきた。乾いた炸裂音が続いて鳴った。パパパパパパン!
四方八方に銃弾を射出しだした。
紬はいとも簡単に被弾してしまった。幸い防御フィールドを張っていたおかげで無傷だ。
正木が不用意に近づくな、と腕を振って合図した。
機械獣は再び走りだした。金髪の少女のほうへ突進していく。
「リン!危ない!」
正木とデニは機械獣のまわりを飛びながら巧みに銃弾を避けつつ攻撃をしかけようとしていた。
私は、私はどうすれば!?
とにかくリンを助けに行かなければ。
紬はイムールの手綱をリンが追われている地上のほうへ向けた。