濡れてる女子はちょっとエッチです
◆ 天海浩介 ◆
『今日は一日中快晴の予報です』
朝のニュース番組を見ながら今日も水無瀬さんが作ってくれたトーストとコーヒーを味わう。
「そういえば女子は今日からプールなんだっけ?」
「うん、みんなは最近暑くなってきたから喜んでたけど私はメイク落ちるし、泳ぐのそんなに得意じゃないからちょっと憂鬱」
うちの学校の体育は男女別で行われており、プールにおいては女子はこの時期――六月末から夏休みを挟んでの九月頭まで。男子はその後から十月頭までと恒例化されている。
僕も泳ぐのはあまり好きではない上、男子の授業の行われる十月頭なんかはもう肌寒い日もあり、そんな日は水に入るのが地獄だ。
高校に進学する際、プールの授業がない学校を選ぶ生徒がいるという話を聞いたことがあるが今ならその気持ちも少しわかる。
「てか、天海くん。今日日直だからそろそろ行かないと行けないんじゃない?」
「ほんとだ、もう半過ぎてる!」
朝はほかの時間帯に比べて時間の進みが早い気がする。僕は残りのトーストとコーヒーを胃に流し込み、一足先に家を出た。
「濡れてる女子ってエッチだよな――」
三限――体育後の休み時間。
ポツポツ教室に帰ってくる女子を横目に見ながら、そう耳打ちしてくる米田に僕は冷ややかな視線を送る。
「な、なんだよ……紳士ぶっても無駄だぜ。水気を帯びて艶めかしく乱れ輝く髪! しっとりとした肌に張り付く夏服! これが嫌いな男子なんてこの世に居ない!」
「君の性的指向についてとやかく言うつもりはないが案外女子はそういう視線に敏感らしいぞ」
見れば、騒いでいたことも相まって数人の女子がチラチラとこちら(主に米田)に向けて痛い視線を飛ばしている。
だが米田はそんな視線など気にすることはなく、
「浩介だって水無瀬さんの濡れ姿を見たら鼻の下を伸ばすに違いない」
なんてニヤニヤ笑う。
水無瀬さんの濡れ姿ねぇ……。
こちとら毎日お風呂上がりで火照ったパジャマ姿の水無瀬さんを見てるんだ。今更これしきのことで動揺するもんか。
水無瀬さん一行は4限開始のチャイム2、3分前に教室に帰ってきた。
首からタオルを掛け、まだ少し湿っている髪で制服が濡れないようにしているその姿は米田のいうエッチな濡れてる女子そのものだろう。
米田はニヤニヤとお顔チェックに覗き込んでくるが依然として僕の表情が変わることはない。
ふっ、見たか――これが日頃の成果よ。
期待していた反応と違う僕を見て米田もつまらないと言わんばかりに顔を上げる。
やがてチャイムが鳴り、僕の体裁は無事守られたのだった。
放課後――日誌をまとめてちゃっちゃと帰ろうと考えていた僕は、運悪く担任に捕まり、明日の実験の準備を手伝わされることになった。
器材の運び込みやチョークの補充など、解放された頃には時刻はもう十七時を過ぎており、校内には部活動の生徒しか残っていない。
「うーわ、雨降ってきてんじゃん……」
昇降口を出ると、大雨とは言わぬまでも小雨とも言い難い雨が僕を出迎える。
教室に居る時はまだ降ってなかったからさっき降り始めたのか。
今朝のニュースで一日快晴と言っていたため、傘はもちろん持ってきていない。
この時期だ、通り雨だろうからすぐ止むと思うが……。
スマホのお天気アプリを見ると、この雨はもうしばらくは続くらしい。
多少濡れても帰ってすぐにお風呂に入れば風邪をひくことはないか。
グズクズしてても時間の無駄だが、せめてもう少し弱くなるまで待つか。と、天を見上げていると、
「――天海くん?」
名前を呼ばれ、振り返るとちょうど昇降口から水無瀬さんが出てきたところだった。
「水無瀬さん、まだ残ってたの?」
「美化委員の集まりがあって。天海くんはこんな時間まで日直?」
「そっ、先生の実験準備を手伝わされて。終わって外出たらこれだよ」
「今朝ニュースで一日晴れるって言ってたのにね」
そう言いながらガサゴソとカバンを漁り、折り畳み傘を取り出す水無瀬さん。
「……折り畳み持ってきてたんだ」
「一応こういう時のためにいつも持ち歩いてはいるの」
一切水無瀬さんに非はないのだが、なんだか裏切られたような気分だ。心做しか雨もさらに強くなってきた気がする。
どうしたものかと再び空を見上げていると、
「あ、天海くんも一緒に入、る……?」
「え?」
少しうわずったような声の水無瀬さんが傘を広げる。
「べべべ、別に同じ家に帰るわけだし、天海くん傘忘れて困ってそうだったし、でも嫌だったら全然断ってくれていいというか……」
なんやら取り乱した様子で何かを言っているだが、雨音のせいで内容までは聞き取れない。
でも、傘に入れてくれるというならそれこそ渡りに船。若干恥ずかしさはあるがここは水無瀬さんの好意に甘えてさせてもらおう。
「じゃ、じゃあ……お邪魔します?」
「あ、うん……どうぞ……」
「傘……僕持つよ」
「ありがと……」
傘は折り畳みということもあり、高校生が二人で入るには少しばかり小さい。
それに身長差もあり、二人共が濡れないようにするにはちょっと工夫が必要そうだ。
「天海くん、肩めっちゃ濡れちゃってる……。もっと近づいていいよ……」
「ッ――!?」
軽くぶつかる華奢な肩。
目の前にあるサラサラな髪から香る、鼻腔をくすぐる甘い匂いと少し塩素の匂い。
僕はクラクラして思わず、よろけてしまいそうになるのを堪え、改めて傘を強く握り直す。
雨のせいで若干肌寒い夏服の右肩だけが心地よく温かい。
何も会話はない。だけどなんだか心は満たされているような気持ちだ。
「……ちょうど一年前ぐらい。天海くんが今日と全く同じ、傘がなくて昇降口で立ち尽くしてることあったじゃん」
「あったね」
「あの時もホントは一緒に帰る? って誘おうと思ったんだよ。だけど恥ずかしくて……勇気出せなくて……」
きっと水無瀬さんの中であの時の最悪感が凝りとして残っていたのだろう。
なんて優しい人なんだ。
「全然、あの時は帰る方向も違ってたし、明里さんと琴吹さんもいたしね」
家に着くとちょうど雨も上がり、雲の隙間から西陽が眩しく差し込んでいる。
傘を閉じていると、僕の前に出て振り返った水無瀬さんは夕陽をバックに、
「相合傘ドキッとした?」
と、イタズラにはにかむ。
少し紅く色付いた頬。夕陽を反射してきらめく、艷を帯びた髪を靡かせるその姿は、まるで映画のワンシーンを見ているようで、気づけば息をするのも忘れていた。
きっと僕はこの瞬間を生涯忘れることはないだろうと思うほどに彼女は美しく、そして妖艶に見えた。
米田……どうやら僕も男子の一人でだったようだ。




