3-3「保健体育」
看谷は妙な緊張感を覚えていた。
今は授業中だ。学生たるもの、学業へ真剣に打ち込めば気も張り詰める……かもしれないが、そういう類いではないのだ。
他にもハラハラドギマギしている様子のクラスメイトは少なくなかったが、彼らのそれとは似て非なるものなのだ。
看谷だけが、静かすぎる隣の席に戦慄していた。
「……………………書き書き、書き書きカキカキ」
(だいたい何かやらかす己己己己が大人しすぎる……。オレには目もくれてない感じだ)
己己己己が、真剣すぎる眼差しを教壇とノートへ行き来させていた。
机の上に垂れがちな横髪を耳元へ除けて。教科書のページの上で指先が滑っていく所作ですら、彼女の中の繊細な思考を表しているかのようだった。
(……。……よく見るとこいつ、黙ってたら普通に…………ってっっ、しっかりしろオレ!)
そう、いつもは彼女からの保健委員的視線を感じてやまないくらいなのに。今は逆に看谷のほうから盗み見している……けども、見つめていたわけでは断じてないのだ。けっして。
(保健体育の授業だぞ……!)
「第1次性徴期……第2次性徴期……性の目覚め……月経、受精、避妊、✕✕✕、✕✕、✕✕✕……書き書きカキカキ」
「みんな恥ずかしがらずにちゃんと聞いてる? 保健体育の目的はエッチなことを学ぶだけじゃないわ。みんながごく自然に経験するカラダとココロの成長を勉強して、いざという時にトラブルにならないよう自分や友達を守ってほしいの」
体育教師で担任でもある有住先生もそう言っていることだから、己己己己が変だなんて言ってはいけない。でも実際、隣の看谷が恥ずかしくなるくらいの変態的熱意を見せていたのだからしかたないではないか。
「あう」「あ?」
己己己己が、糸でも切れたように机へ突っ伏した。
真っ赤な顔で、目を回しながら。
「……はは。なんだよ、おまえも恥ずかしいんじゃん……」
「頭使いすぎました、吐きそうです」
「己己己己ぃぃぃぃ!?」
◯ ◯ ◯ ◯
「また留守かよ相馬先生」
「大丈夫です。冷えピッタンは左の引き出しの下から2段目です」
「勝手知ったる感すごいな」
無人の保健室。看谷は千鳥足の己己己己をベッドへ腰掛けさせてやった。
「看谷さん。貼ってくれますか」
「じ、自分でできるだろ。おんぶにだっこかよ」
「おんぶもだっこもしてくれなかったじゃないですか」
「自分で歩いてこれただろ……!」
かき上げられた前髪の奥には、くすみ1つ無いおデコ。何故だか渋々といった風情で、看谷が突き出した冷却シートを自分で貼った己己己己だ。
「はあ、なんかこっちまで疲れた。どうせあと少しで休み時間だし、授業終わるまでオレも休憩してるよ。文句無いよな」
「休憩、了解です」
(しめしめ。あんな気まずい教室から逃げる口実作ってくれたのだけは感謝するよ)
看谷はカーテンで仕切られた隣のベッドに寝そべった。
「ん、っぅ……」「ん?」
悠々と目を閉じようとしたところで、響いたのは、衣擦れの音。
カーテンの向こうに映ったのは、セーラー服を脱いだ少女のシルエット。
「な、なななな……!?」「はい?」
なんで。そう言いたかったのだが伝わるはずもなく、シルエットは体の前へ乱れた髪を背中へ流した。
膝を曲げて、スカートも脱ぎ去った。
「な、ななななああああ……!?」「はい?」
普通にカーテンを開けてきた。
インナー姿の己己己己が。
触れればほどけてしまいそうな肌の細工を、真白のキャミソールと桜色のペチパンツが彩っている。
看谷は息を呑んでしまった。本当に、触れてしまうのが怖いほどだったから。
やむなくココまで寄り添ってやったように、触れて触れられるぐらいのことならほとんど平気だったはずなのに。
「休憩。ですよね?」
ベッドの間の微妙なスキマを越えて、己己己己が看谷のいるベッドへ乗ってきた。
揺れることなく、看谷をまっすぐ見つめながら。
小さな膝はマットレスをほんの少し沈ませただけだったが、2人分の重みでスプリングがピンと軋んだ。
(そういえば安藤が言ってた……! 『休憩』っていうのは、その、そういう保健体育用語の隠語として使われることもあるって……!)
「看谷さん。ねえ……看谷さん」
「ま、待て待て待て……! わわわ悪かったオレが変なこと言ったっ、そういう意味じゃなかったんだっ、もうサボろうとしないし保健体育もちゃんと受けるから! 先生の言葉を思い出せぇぇぇぇ……!」
「ちょっと、失礼します」
「ぇ?」。看谷を跨いでいって、己己己己はベッドと壁の間をまさぐった。
そこに隠されていた、大きな巾着袋を抜き取った。
……中から、『1-3 己己己己』とゼッケンの縫われた体操服が現れた。
「次は体育なので、休憩しながら着替えておきます。こんなこともあろうかと予備の体操服を隠しておいて正解でした」
「勝手知ったる感すごいな……!」
看谷は、腰が抜けて起き上がれもしなかった。
「そうですよ。はい」
そんな看谷を見もせずに隣のベッドへ戻っていった己己己己は。
せっかく貼った冷却シートも効いていないのだろうか……なぜだかさっきよりも赤い顔で、カーテンを閉めたのだった。