9-3「プール見学」
「いってきます看谷さん」
「いちいち言わなくていいよ……」
プール授業、スタート。バタ足の弱すぎる蛇行運転だったが、フォームだけは美しく己己己己は泳いでいった。
脇をも伸ばすように細腕で水を切り。力が入って指たちの丸まった足が水しぶきの合間にちらつく。息継ぎに上げられた横顔がキラキラと日差しに照って……。
「看谷ぃ、なにしとんねんはよ入りぃな」
「って、わ、わるい!」
隣のレーンの金城にニヤつかれて、ようやく看谷もプールに入った。気づけば己己己己はもう対岸にタッチしていた……。
そうして、クロール練習を何周か回した時のこと。
「己己己己? 前、開いたぞ」
「え? あ……ごめんなさい」
今度は己己己己が列の最前列でボーッとしていた。
「なんだよ、もう疲れたとか? 最弱保健委員のおまえらしいな」
「そうですね……。ちょっといってきます」
と、振り向きもせずに己己己己の背中はプールへ入っていって。看谷はますます首を傾げた。
(……? 眠いのか? プールの疲れってやたら眠たくなるけど)
まだ授業時間の半分も経っていないが、虚弱貧弱な彼女らしいといえばらしい……のだろうか。
まあ泳いでいる姿に不調は感じられなかったので、危なげなく対岸へ近づいたのを見てとると看谷も泳ぎだした。
ところが、その途中でふと見えてしまったものもあった。
「先生……ちょっと、いいですか」
(己己己己?)
プールサイドに上がっていた己己己己が、あまり目立ちたくなさそうに……辛そうに、有住先生へ声をかけていた。
泳いでいる最中ではよく見れなくて、聞けなくて、看谷はとりあえずゴールを目指した。
けれども。プールを出た時には、彼女の姿はどこにもなかったのだ。
「先生? あの、すいません……己己己己は」
「ああ大丈夫よ、しばらくしたら戻ってくるわ。待っていてあげてね……」
有住先生の言葉にも、眼差しにも、なんだかこれ以上は触れていけないような危うさがあって……。
◯ ◯ ◯ ◯
「……ふう。遅くなってしまいました」
校内から更衣室に戻ってきた己己己己は、上着代わりに着ていたラップタオルをロッカーへ脱ぎ去った。
プールサイドへ出ると。もう自由時間に突入してしまったようで、みんなが思い思いに遊んでいた。
監視台に座った有住先生と目が合った。とりあえず頷いてみせたら、オッケーサインを出してくれた。
そして、今までの不在なんてウソだったみたいにプールの縁に腰かけて。水の中に足を通して……。
その膝を小突く調子で、目の前にバレーボールが着水した。
「……?」
「おい、そこの己己己己」
拾い上げた球っころの持ち主を探すまでもなく。好き勝手に散らばったクラスメイトたちの奥に、仏頂面の彼。
看谷が、ボールを大暴投されて抗議している友人たちを尻目に歩いてきた。水面をかき分けてズンズンと。
「しれっといなくなってしれっと帰ってきて。いや……べつに、いいんだけどさ。……その……」
「…………? 私、いってきますって看谷さんに言いましたよ?」
「はあっ? 聞いてな……って、もしかしてあの時か……? いや、いやいやそういうことが言いたいんじゃなくて!」
「ありがとうございます。心配してくれてたんですね」
「言ってないって!」
看谷が続く言葉をもぞもぞと紡いでいる間に、己己己己は遠くで手を振っていた金城や戸高に手を振り返した。
「だから……大丈夫なのかよ。よくわからないけどさ」
「はい。田村さんは大丈夫です」
「……ん? 田村? 女子の?」
頷くと、看谷はワケがわからなさそうにプール内を見回した。田村を探しているらしい、けどもいるはずもない。
「まだ保健室にいますよ? プールをずっと楽しみにしてたみたいで、無理してでも泳いでたかったみたいですけど」
「ま、まった。まさか、田村を保健室連れていってただけなのか?」
他に何があるのだろう、と三つ編みを揺らした己己己己は……秒で察した。
「あ。私が具合悪くなったと思っちゃったんです?」
「っ……そう、だよ! 泳ぐ順番来てたのにボーッとしてたし、そう思うじゃん!」
「違いますよ。それって田村さんの様子を見てたんです」
ーー「田村さん。無理はダメです、保健室に行きましょう」
ーー「う。バレたか……さすが己己己己ちゃん、最強保健委員」
あの時。己己己己は、プールから上がろうとした田村が水面下でお腹を押さえていたのをしっかり見ていた。
なので(看谷にもあらかじめ断っておいたし)、有住先生に一声かけて田村をこっそり連れ出したのだ。
「は、あ……なんだよそれ。おまえがダレ見てたかなんてさすがにわかんないって」
「…………。看谷さん」
看谷は「なに?」、己己己己が拾い上げていたボールを返せと言わんばかりに手を差し出していて。
「私のことばっかり、見すぎですよね」
「うあ!? っ、わっぷ!?」
ボールを返す代わりに、己己己己はつま先を跳ね上げて水しぶきをかけてやった。
そうして、プールの中に下りた……潜った、
「……ふふっ」
彼が目をこすっている間に、他の誰にも見せない爛漫の笑顔を水中に秘めた。
潜水したまま、金城や戸高のほうへスイ~ッと泳いでいったのだった。
「って、はや!? おまえ潜ってるほうが泳ぎ上手いじゃん!」
きっと己己己己が同じように、誰にも言えないお腹イタに悩んでも。
彼ならきっとワケもわからずに……それでもきっと彼なりに安心させてくれるのだろう、と思えるのだった。




