1-1「腹痛」
午後の1限目、通算5限目。
「てふてふ、をかし、ありをりはべりいまそかり……」
老教師が呪文を繰り出す古文の授業へ、20人程度が向き合っている馴染みの光景。
まんぷく感と疲労感と集中力の限界が溜まり、ため息でも溢れたように弛みきった空気が流れている。
地味に肩の凝る学ランに袖を通すのも2ヶ月目。来月の衣替えで早く夏服になりたいものだ。
板書もおざなりにそんなくだらないことばかり考えてしまうような時間であり、クラスメイトたちもちらほらと、居眠りやスマホ遊びに励んでいたが……。
「……う」
看谷 悠斗といえば、嫌な予感じみた下腹の鈍痛と戦っていた。
まあ、要するに腹痛である。
(腹が……。でも『トイレ』なんて手を挙げたらジサツ行為だぞ、あと15分……20分でチャイムだから耐えろ)
この微妙な静けさの中でクラスの注目を一身に浴びなければ救いはない、そういう類いのお腹イタである。
(……いやいや、もう中学上がったんだからそういうガキみたいな駆け引きいいって。黙って席立ってもスルーしてくれる可能性に賭けるか? いやいや古文のジイさん先生は変なトコ厳しいからな…………って、これがガキみたいな駆け引きじゃないのか?)
と、痛みの波が上がってくるにつれ加速する思考。
そうとも、腹痛というものには痛みの波がある。寄せては返すその焦りが冷静さを失わせるもの。それを理解してしまえば、あとは何ターンか乗り切るだけでチャイムが……、
「先生。看谷さんがお腹イタイみたいです」
……チャイムの前に、鈴のように振り向かせる挙手が響いた。
看谷の隣の席で、ゆるふわロングヘアーを古風に整えた彼女が……、
「あっ」「あっ?」
彼女が。……挙手だけでも十分なのに、勢いよく立ち上がったものだから机で膝を強打した。
「ああああああ」「あーーーーっ!?」
体勢を崩し、机と椅子を巻き込んで盛大にぶっ倒れた。
「己己己己ぃぃぃぃ!?」
「はい」
ビクンビクンと無表情に悶絶した彼女……己己己己 癒子の姿に。青ざめたクラスメイトたちや教師は、もはや看谷の腹痛なんて誰も気にしてはいない様子だった。
「先生。……保健委員として、私がハルトさんをトイレに連れていきます」
「おまえを保健室連れてくほうが先だよ!」
「看谷ぃ、己己己己に付き添ってあげなさい……。それが終わったら便所行ってきていいから」
(空気読めよ!)
けっきょく。最弱保健委員を引きずりながら、学友たちにドッと笑われてしまったのだ……。