お帰り…
「……? どうしたの、貴生? 妙に疲れた顔をしてるけど」
リビングのソファーにぐったりしていると、紗那が声をかけてきた。
「あら、いらっしゃい」
「こんにちは、桜花おば様。
お久しぶりです。
お邪魔致します」
丁寧な仕草で頭を下げた紗那に、母さんは上機嫌に頷く。
「ありがとう。
座っていて? 今お茶を淹れるわ」
落ち着いた笑みを浮かべる母さんに、紗那もにこりと微笑み頷いた。
「父と母もすぐに参ります。
少しお待たせしたので、私が先触れにお伺い致しました」
ソファーに近寄り、ちらっと見下ろされたが、倒れた姿勢を正す気力はなかった。
もうしばらく、そっと放っておいてくれ。
一瞬顔を上げ、目で訴える。
紗那は呆れた表情を見せたが、気にはしない。
精神的に疲れ果てているのだ。
***
暁と別れた後、チャリで帰宅したのだが。
「……ただいまー」
ガチャリと玄関を開けた瞬間。
気配なく伸びてきた腕に拘束され、思いっきり抱き込まれた。
「お帰り~!
遅いわよ? あんた、もっと早く帰って来れるでしょうに!
もう! ただいま、貴生クン!」
物凄い力で抱き込まれ、思わず悲鳴を上げる。
「いだ! 痛いいだい! 痛い背骨が軋むつか本気の力で抱きつくな死ぬ!!」
叫び散らすが、母さんは今まで以上の力で締め上げてきた。
「何を言ってるの?! 母さんと貴流さんの息子なんだから、これくらいで死なないわよ!
半年振りの再会に言うのがそんなことなの、貴生クン!」
この母が何を専門にして仕事をしているのか、未だにわからない。
だが、これだけはわかる。
この人は、絶対荒事のプロだ!
道場に通う俺を、難なく力だけで押さえられる技。
反撃を難しくする急所を押さえつけられ。
身動きが取れない!
「も~う、貴生クン! 私の可愛い息子! お母さんにもっと存在を確かめさせてちょうだい!」
……、嗚呼。
始まってしまった。
なし崩しに始まった儀式に、俺は観念に目を伏せた。
逃げられないのは、経験から実証されている。
それに。
今回は確かに長かった。
大体一ヶ月に一度は帰ってきていたのだ、今までは。
母さんみたいな人には、辛かったのだろう。
とりあえず。
「お帰り、母さん」
呟くと。
「……! だから貴生クン大好きよ!」
歓喜の声を上げられた。
……失敗したかも。
儀式が終わったタイミングを見計らったように、玄関の扉を開き父さんが帰って来た。
「ただいま」
「お帰りなさい」
先ほどまでの狂乱の欠片も見せず、母さんはにっこりと微笑む。
くったりした俺を抱き締めたまま。
「お帰り貴生。
着替えてきなさい。
天城家の人たちが来たら出掛けるよ」
何があったか気付いただろうに、何事もなかったように言うのは止めて下さい、父さん。マジで。
***
ようやく着替えて、ソファーで休んでいたのだ。
「そんなに気を使わなくても良いのよ?」
「いえ、当たり前のことです」
母さんと紗那の会話を聞きながら、本格的に意識が遠退き始めた。
……攻撃力強すぎだよ、母さん……。
さて、天城家の夫婦が合流し、向かったのは個室のあるレストラン。
看板が出ていない、本物の隠れ家レストランだ。
……毎回思うが、どうやってこんな店を見つけるんだろうか、父さんと母さん?
母さんは特に、最近日本にほとんどいないみたいなのだが。
「ねえ」
ツンツンと肩を突っつかれ振り返ると、背後に紗那がこっそりと立っていた。
まあ気配で分かっていたので驚かないが。
「どうした?」
親たちの前でコソコソしようとするのは珍しい。
腕をぐいっと引っ張られたが、俺は逆らわず身を屈めた。
「蒼貴様、どうしたの?」
背伸びされ、耳元で囁かれた。
うむ、こそばい。
「連れて来れないだろ、あんなファンタジーなイキモノ。
あの人たちに気付かれないよう、事を運べる自信がないしな」
肩を竦め、持っていた皿をテーブルに置いた。
普通にコースっぽかったのに、無理矢理母さんがバイキング形式にしてしまった。
大皿に料理が盛られ、成長期な俺的にはOKだが……。
母さんがマナーもない無理を言って、ウェーターさん、ごめんなさい。
自分の欲しい物だけを取り、端に避けられたテーブルに向かう途中、紗那に声をかけられたのだ。
親たちは、なにやら仕事の話っぽいもので話込んでいる。
それにしても、真剣な割りに食事を優雅にこなすよな、あの人たちは。
「……バレてはないのよね?」
珍しく二度も聞くので、俺は首を傾げた。
「あんな非現実的なイキモノ、見つけたら普通、問い質してくるだろ?」
椅子を引いてやると、紗那は小さくため息をつき、手に持った皿を置いて俺の引いた椅子に座った。
「……ホントに問い質してくると思う?
貴生のご両親だよ?」
「あー……」
普通なら聞いてくるだろう。
だがあの両親だ。
息子の俺が言うのも何だか、あの人たちの反応はいつも想像が付かない。
常識の斜め上の反応をされるのが常だ。
「うーん。
まあ見つかっても、可愛がるんだろうな、とは思う」
取り分けたのを口に運ぶ。
……美味い!
がつがつ食べ始めた俺に、紗那は眉を下げた。
「真面目に考えてる?」
「考えて答え、出るものか?
それよりも、食えば?
母さんが見つける場所は毎度トンデモだけど、飯はめっちゃ美味い。
今回もスゲー!」
早くも空になりつつある俺の皿を見つめ、紗那も料理を口にし始める。
「そりゃあ、かなり美味しいけど。
でも、こんなに魔元素っぽい、強制魔力回復料理を調味料だと思える貴生に感服。
魔力酔いもしてないし……」
「? 何をぶつぶつ言ってるんだ?」
皿を空にしてしまったため、補充しようとしつつ立ち上がりながら首を傾げた。
「なんかいるか?」
「お茶が……、いいわ。私も行く。
両手塞がるでしょ?
貴生こそ、何を飲みたい?」
「そうだな……」
飲みあわせを考えつつ、大皿の乗っているテーブルに視線をやると。
いつの間にか黙り込んで、じっとこちらを眺めていた四人と目が合った。
妙に意味ありげな沈黙とともに。
「……んだよ?」
「「「「なーんでも?」」」」
にやにやしている親たちに、俺は顔を引きつらせる。
明らかに下世話な事を考えている眼だ!
母さんなんて、目が三日月になってやがる!
このあと、散々意味不明な事でからかわれた。
飯は美味かったが……、疲れた。
妙に紗那に余裕がないのが気にはなったが。
因みに父さんと母さんに、蒼貴のこと、この時点でバレていたと。後で知った事だった。