丘にて
きっちゃんを思う存分からかったホームルームが終わり、てくてくと歩いていると、鞄がごそごそ動き始めた。
ーぎゅぎゅぅ~
押し込められた鳴き声(出ても良い? と聞かれたと思う)に、俺は苦笑した。
「やっぱ窮屈か」
「きゅ!」
周りに人気がないことを確認し鞄を開けると、底で丸まっていた蒼貴が顔を伸ばした。
「きゅきゅ?」
「ああ、暁を迎えにな」
どこへ、と聞かれた気がするので、正面の丘を指さす。
さあ、と気持ちの良い風が身体をすり抜けて行く。
「あいつら、自覚ないだろうけどな。時折迷子になったような表情するんだよ。心細そうな、でも助けを得られない、なんつうか……」
入り組んだ獣道に道を逸れ、ゆっくりと坂を登りながら、俺は言葉を探す。
「なんか独りでの絶望? 己だけで立たなければいけない、救いがないことを覚えた、みたいな? なんつうか、やるせない小さな子どもが泣きそうになっているような顔をすることがあってな。多分今、暁はそんな顔してるだろうからな」
黙ったまま鞄の縁に手をかけている蒼貴を肩に乗せ、透き通った空を見上げた。
「そんな時、迎えに来て欲しがってるんだ。独りじゃない、って知りたいんだろ。
だから、俺は迎えに行ってやるんだよ、どんな時でもな」
なんか妙に、紗那も同じ種類の表情を浮かべること、あるんだよなーと呟く主を見上げた蒼貴は、目を細め尻尾を緩やかに振る。
「きゅうー」
「……、お前、今、二人がよく言う`キオだから`って科白、言っただろ!」
「きゅ」
明らかに同意され、俺は肩を落とす。
「なんだかなぁ」
妙に馴染んでいるこの会話自体、常識的に考えてあり得ない、はずなのだが。
ひゅっと身体を通り過ぎた健やかな風に促され、顔をあげると。
大きな大木に凭れかかり、大空を見上げている暁を見つけた。
「ったく。やっぱか」
多分、つき合いの長い俺くらいしかわからないだろうが。
孤独に悩まされた、泣きそうな表情を浮かべていた。
「暁」
暁の雰囲気には一切構わず、ずかずか大股で歩み寄る。
「迎えに来た。帰るぞ」
がっちり腕を掴み、さっさと歩き出す。
「キオ」
「んだよ」
歩みを止めず、顔だけ振り返る。
「……、何でも、ない」
躊躇いながらも言葉を繋げようとしていたが、最後には諦めたように目を伏せた。
「言える時、言えよ。待っててやる」
唐突に立ち止まってやり、慌てて立ち止まり顔を上げた暁の目をみて、区切りながらはっきりと答えてやる。
「……ああ」
口の端をゆるめた暁を見上げ、俺は軽く肩を竦める。
全く、世話の焼ける親友だ。
無言で腕を取られたまま歩いていた暁だが、森の出口まで戻るとさりげなく腕を取り戻した。
俺だって人に目撃されてまで、暁と手をつないでいたい訳ではない。
要望に従い腕を放す。
「で? 今日は直に帰るのか? バイトなら、旨いコーヒー飲ませろ」
町外れの小さなカフェで単発バイトをしている暁のバリスタコーヒーは、ものすごく旨い。
あくまで本当に人がいない時にヘルプであることと、一杯当たりの単価がものすごく高価なため(一杯1300円もするのだ! あり得ない……)、そう簡単に通えないが。
「……、わかった」
俺が迎えに行かないといけないレベルの落ち込みの後に頼むと、必ず奢ってくれるのだ。
……、迎えに行くのは、もちろんコーヒーが目的ではない! 親友のためだぞ!
心の一瞬の葛藤を、無表情に見下ろす暁が見取ったかはわからない。
小さく唇の端をつり上げ、笑う。
「キオには、パソコンとコーヒーがあれば心の平穏を与えられるな」
「つか、取り上げたら、そいつは抹殺、いや瞬殺だ。
人生を後悔させてやる」
そんな地獄、むしろ冥界? 生きていけないぞ、俺は。
「きゅきゅきゅ」
楽しそうに笑う蒼貴に、はっと我に返る。
「蒼貴、お前は鞄に戻れよ? 紗那と暁には、もう見られたから、仕方がない。
だけどな。他の人には目撃されないよう、気をつけろよ? 気にしないのは二人くらいだぞ? お前みたいなの、ゲームの中の存在なんだからな!」
肩でくつろいでいたらしい蒼貴を捕まえ、目の前に持ってきて説教をすると、
「きゅきゅ~」
と鳴く。
……なんか、肩をすくめ「仕方がないなー」と言われた気がする。それも、なんか哀れみの篭もった声な気が。
「お前、とっ捕まって、どっかに送られて実験動物、モルモットにされちまうかもしれないんだぞ! もっと気を張っておけ!」
真剣に注意していると、横にいた暁は珍しく小さな笑い声をあげた。
「まあ、そんなつもりの輩もいるが」
生暖かい笑みを浮かべられた。
……、ムカつくな!
「隠形した方がいいかもな。キオも心配しているし」
「きゅう」
わかったと言わんばかりに首を縦に振った蒼貴を見て、俺は首を傾げる。
妙に仲良くなったもんだ。
つか、なぜにそんなに速攻馴染めるんだろうか。
今更だが、竜だろ?
すっごくファンタジー。
すっっごくあり得ないだろ、存在自体!?
……、ゲームか? ゲームをするってのは、ファンタジーに耐性がつくものなのか?!
自問自答している俺を見て、暁は何かを思い当たったような表情をしてから、「実験動物で理解したのか……」と呟きながら、見えないように小さく肩を竦めていた。
「キオ。俺はカバンを取ってくるが」
暁の声に我に返った俺は、掴んだままの蒼貴を鞄にしまい慌てて歩みを再開する。
「珍しいな? 鞄に大切な物でも入れたのか?」
ムカつくことに、こいつは教科書を丸覚えしているようなのだ。その上全ての問題をすでに解き終わらせたノートを持っていやがる。
それも全教科分。俺と話している目の前で、2日もかけず終わらせやがった。
嫌みな奴だ。
それはともかく。暁の鞄はいつも軽い。
教科書とノートを持ち帰る必要がないからだ。
むしろ時々重そうに見える時、何が入っているのか突っ込めない。
そういう時は大概、授業を途中から抜け出す。
……、何やってんだか。
「携帯、入れてる」
「ああ! なーる」
携帯を持ち歩くのを面倒がるのだ、暁は。
だが紗那が、俺と連絡を取るには必要だ! と力説していた。
……、そこになぜ、俺を説得材料にする?
そしてなぜ、納得したように持つことにするんだ、暁!
という一場面があったのは、閑話休題だ。
普段通り無表情になった暁と校舎に向かっていると。
ピリリリリ!
「……うわぁ……」
思わず引いた声をあげ、音の元を見下ろす。
携帯の着信だ。わかっている。わかっているが、この音の相手は。
「まじ、今日帰ってきたのか……」
「キオの母さんか?」
「……、ああ、ああ……」
ため息をついた俺を見下ろし、暁は俺や紗那しか気づかないだろうほどの微かに表情を動かした。
「……、イヤなのか?」
気遣う表情に、俺は手をひらひら振る。
「いや、別に。母さんがイヤなんじゃなくて。
今回、かなり長期出張だったから、すっごいテンションが上がってるだろうから。付き合いたくねぇんだよな……」
そう、長期になれば長期になるほど、帰宅直後の母親のテンションはヤバい。
まずは、
1。抱きつかれ……
2。すりつかれ……
3。家族愛を叫ばれ……
4。息子愛を叫ばれ……
5。父さんへの愛を叫ばれ……
6。父さんのノロケを延々と聞かされる……←これが一番長く辛い。
……、鬱だ。
帰れない期間に比例して、最後のノロケの時間が延びる。
愛し合うのは構わないが。
そんなの本人に直に言えよ、と思う。
父さんはそんな母さんを見て、にこやかに微笑んでいるだけだ。
くそぅ、絶対安全圏で巻き込まれるつもりはないんだろうな……。
放っておいても着信し続ける。
……、マナーモードのままにしておけば良かった。
「はい」
「まだ帰れないの?」
渋々出ると、滑らかな声が響いてきた。
「今帰るところ」
「そう。早く「ただいま」って言いたいから、至急に帰ってきてちょうだい」
「……、母さん、今どこ?」
冷静な口調が、嵐の予感だ。
少しビビりながら聞く。
「うちに決まってるでしょ。母さんが帰る場所は」
「うん。まあ、そうだけど。
お帰り」
「……、もう! 早く帰ってきて、顔を見せてちょうだい! って、貴流さん?」
ごそがさ、という音とともに、今度は父さんの声が流れてきた。
「貴生。お前が帰り次第、天城さんたちと夕食を一緒に行く予定だ。早く帰ってきなさい」
暗に、そんなに再会の儀式は長くならない、と言いたいのだろう。
しかし。
「紗那もか? あいつのクラス、劇をするらしいから、放課後帰るの遅いけど」
「もう帰路についているはずだ。先ほどケイトから連絡があったからな」
「……、了解」
渋々頷き通話を切る。
紗那の父親、慧斗は自分の父親、貴流の部下だ。
絶対、公私混合で電話させやがったな、くそ!
黙って聞いていた暁は、ため息をついた俺の肩を叩き、歩きだした。
「また今度、奢るさ」
ひらり、と手を振り、校舎に向かった暁の背中を見送る。
取りあえず暁の元気が出たのは、よいことだが。
「俺が黄昏たいぞ……」
帰ってからの狂乱を想像し、思わず空を見上げてしまう俺だった。




