居心地の良い職場。
「あいつは知り合いか?」
「知り合いというか、元婚約者です」
研究棟へ歩き出してすぐクリフォードに問われ、私はこれまでの経緯を説明する。
「ふぅん……、ずいぶんと思い込みの激しい人間だな」
「そのようですね。今まで知りませんでしたが」
「知らなかったのか」
「はい、ただ優しい人だと思っていました」
婚約前に開かれた顔合わせのお茶会では子供特有のやんちゃさもなく、大人しい男子だった。
だから、あんなにあっさり婚約を解消されるとも、こんなひどい勘違いをされるとも思ってなかったのだが……。
「人はいろんな顔を持っているからな」
クリフォードがぽつりと言う。
その横顔を盗み見て、なんとなくだけど……きっと彼にも思い当たる人の顔があるのだろうと思った。
「やぁ、リディア。お使いありがとう」
「お待たせしました。遅くなってすみません」
「やっぱり重かったかな?」
「いいえ、大丈夫でした。ガルシア先輩もありがとうございます」
マーカス教授に本を届ければ、穏やかな笑顔でねぎらわれた。次はお茶の用意だ。
私は隣にある小さなスペースに向かう。
物の配置も覚え、手早くお茶も淹れられるようになった。
「今日もおいしくなぁれ」
ミルクティー好きの教授のために、毎日届けられる新鮮な牛乳。
静かに紅茶に注いでスプーンでくるくるしながら、つぶやけば背後でくすりと笑われた。
「ガルシア先輩?」
「あぁ、すまない。手伝いに来たんだが、かわいらしいおまじないが聞こえて」
独り言を聞かれていたらしい。
「お恥ずかしい。ついつい言っちゃうんです」
「いや、ていねいな作業で感心する」
トレイに紅茶のカップを乗せるとクリフォードはさっと運んでくれた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、俺の分までおまじないをありがとう」
「おまじない?」
マーカス教授の前にカップをおけば、きょとんと首を傾げられた。
「彼女が、お茶がおいしくなるようにと、つぶやきながら淹れていたんです」
「昔からの癖で。どうぞ」
「ありがとう、頂くよ」
湯気の立つカップを上品に傾け、マーカス教授が一口飲む。
すると一瞬、マーカス教授の目が見開かれた。
まさか、不味かった?
ヒヤッとして、私は両手で自分をぎゅっと抱え込んでしまう。
息をひそめ見守れば、マーカス教授はそのまま続けて三口飲み、私を見る。
「お口に合いませんでしたか?」
「逆だ。今日もすごく美味しいよ」
「よかった」
一安心。
「確かにおいしいな。おまじないの効果かもしれない」
クリフォードも感心したようにカップの中のお茶を見つめている。
彼の口にも合ったようで、もう一安心。先輩にがっかりされたくないもんね。
「ではパウエル君にお願いしたいことなんだが」
「はいっ!」
「借りてきた本から、魔力の有無、増減についての記述を拾い出してほしい」
「かしこまりました!」
割り当てられている小さなデスクで、さっそく作業を開始する。
文字を追うのが楽しくて夢中になっていたから、マーカス教授とクリフォードが私を微笑まし気に見ていてくれていることに全く気付かなかった。