働き始めました。
そんな経緯で私はマーカス教授の研究室で働き始めた。
仕事内容はお茶を淹れたり、資料を集めたり、読み込んでまとめたり。
それらの作業は私の性格に合っているようで、研究室に行くのが待ち遠しい。
「えぇと、『量子魔法論』と『物理と魔法概念』と……」
授業を終え、私はまず図書館へ向かう。
教授から渡されたメモを片手に本を借りてくるのが、今日の最初のお仕事だ。
「あった、あった。早く行って教授にお渡ししなくちゃ」
咎められない程度の早足で貸し出しカウンターへ向かう。
「これ、お願いします」
「貸し出しですね。あら、こちらの本は閲覧制限ありと、こちらは持ち出し禁止本です」
顔なじみの司書、サラから注意され、私はマーカス教授名義のカードを出す。
「許可証、あります」
「見せてください。……マーカス教授の?」
司書は目を丸くして私の提示したカードをまじまじと見つめた。
これは学園の図書館はおろか、王宮にある王立図書館の本も借りられる特別なカードだ。
「マーカス教授のお使いなの?」
「そうです。教授の裏書きもあります」
「まぁ、本当だわ」
カードの裏には『リディア・パウエルがこのカードを使うことを許可する』と書いてある。
「すごいわねぇ、マーカス教授は弟子を取らないって聞いてるのに」
「弟子じゃなくて小間使いです」
「でもカードを預かったり、研究室に出入りできるんでしょう?」
個人的にお話できるなんてすごいわ、と言われ、その気持ちが分かる。私も同じだ。
マーカス教授の研究は主に魔法史の分野だけど、論文は読み物としても面白く、全世界で大人気。
私も幼い頃、マーカス教授が書いた子供向けの本を読み、魔法史が好きになった。
その時から大ファンだし、この学園に通いたいと思ったのもマーカス教授の本のおかげ。
授業は分かりやすく、出席するだけでも満足だったのに、研究室に入れるなんて夢のよう。
幼い頃、マーカス教授の本を抱えて読み込んでいた自分を思い出す。
あの頃はまさかマーカス教授にお金を借りる事態になるなんて想像もしていなかった。
「しっかり働かなくちゃね」
少しでもマーカス教授の手助けになって恩を返したい。
もちろんお金もきっちり、早めに返したい。
決意を新たに五冊の本を抱えて図書館を出る。
「リディアじゃないか」
「コーディ?」
研究棟に向かって早足で歩いていたら、元婚約者にばったり会った。
「重そうだな、手伝おうか?」
「平気、ありがとう」
あんなあっさり見捨てといて、何事もなかったように話しかけてくるのが信じられない。
いらつきと失望……ほんの少しの何がしかの期待が、心の中で混ざり合って落ち着かない。そんな気分を振り払おうと足早に横を通り過ぎれば肩を掴まれた。
「なに?」
「どこへ行くんだ? それは持ち出し禁止の貴重な本ばかりだ」
「そうだけど?」
「リディア、お金に困ってそんなことを……?」
「は?」
コーディは眉をつり上げ、口元をぐっと引き締めた。
「いくらなんでも学校の本を盗んで売るなんて見過ごせない」
「何を言ってるの? これは……」
「分かってる。少しならお金を恵んであげるから馬鹿なことは止すんだ」
コーディはそう言って私から本を取り上げた。
「ちょっと! 返してよ!」
「これは僕が図書館に戻しておく」
「だから違うってば! 本を返してっ」
「今なら誰も気付いてないだろう? ここは見逃すから」
「私の話を聞いてよ」
「事情はこれを戻してから聞く」
「どうした?」
通路で言い争っていたら、低い声が聞こえた。
「ガルシア先輩!」
振り返ればクリフォードが長い足を最大限に活用して私に近付いてくる。
顔だけじゃなく、スタイルも非凡だなぁ。
手足が長くてすらりとしているのにひ弱さを感じない。きっと体をしっかり鍛えているのだろう。
こんな時なのについうっとり見とれてしまった。
その間にクリフォードは私の隣へ到着している。
「教授がお待ちかねだ」
「教授が?」
「本が重くて動けなくなっているかもしれないから、迎えに行けだそうだ。大丈夫か?」
「はい、遅れてすみません」
「本はそれか?」
クリフォードはコーディから本を奪うと片手で抱え、私の背に手を置く。
「行くぞ」
「はいっ」
「ちょっと待ってくださいっ」
コーディは慌てて、私の腕を掴み引き止める。
「なんだ?」
「あの、違うんです。その本は盗んだんじゃなくて、彼女がうっかり持ち出してしまったもので……決して売っぱらおうとしていたわけではないんです!」
「は?」
「なので学園に報告は待ってくださいっ!」
コーディはクリフォードに頭を下げ必死に言い募った。
言われたクリフォードは一瞬目を丸くし、すぐに険しい表情を浮かべる。
「盗んだ?」
「はい、彼女はちょっとお金に困っていて……出来心だと思います」
「……君は」
「あ、コーディ・ゲイルです。彼女の顔見知りで」
つい先日まで婚約者だった私を顔見知りと言い切った。
なるほど、犯罪者の知り合いだと思われたくないんだな。
つくづく自分本意な人だなぁ。
私は二の句が継げず、肩を落とす。
クリフォードがうつむく私をのぞき込んできたので、力なく笑えば、小さく頷かれた。
「君は彼女の話をちゃんと聞いたか?」
「はい、実家の領地経営が傾いて……」
「その話じゃない。この本は彼女がマーカス教授から依頼されて借り出してきたものだ」
「え?」
「許可証もあるし、貸し出しカードにもきちんと記載されている。どこを見て盗んだなどと言ったんだ?」
「え、でも……」
「しかも売っぱらう? 君は彼女がそんなことをする人間だと思っているのか?」
畳み掛けるクリフォードに反論しようとして、口をぱくぱくさせるコーディは魚のようだ。
「でも、彼女はお金が無くて……」
「君はその先入観で勝手に誤解し、彼女を貶めたのか」
クリフォードは冷たい声でコーディを睨め付ける。
「誤解……?」
「恥を知れ。行くぞ」
何も言えなくなったコーディを置き去りに私たちは歩き出す。
言葉の強さとは反比例して、私の背を押すクリフォードの手の力はやさしかった。