初夏の雪。
裏庭の樹にすがって泣くことしばし。
空はすっかり赤く染まり、嗚咽もかすれた頃にふわりと雪が降ってきた。
「え?」
今は初夏。空は雲ひとつない。
いぶかしんで上を見たら、すぐ側に立つ魔術研究棟の窓の一つから、その雪は降っていた。
雪は意志を持つように私の頬や髪をやさしく撫でて、融ける。
ぽかんとしたまま固まっていると、最上階の窓から二人の人物が頭を出していた。
「泣き止んだかい?」
「呆然としてますねぇ」
落ち着いた男性の声に続いて少し若い男性の声。
迫る夕闇のせいで顔は見えない。
「クリフ、迎えに行きなさい」
「はい」
そんな会話の後に一人が窓から飛び降りて来た。
「きゃ!」
最上階は確か五階では……と肝を冷やしている間に男性が私の目の前に降り立つ。
着地音はしなかった。
「う、浮いてる?」
「そう。簡単な浮遊術だよ」
「な……るほど?」
私の周囲で雪がふわりと踊り、発光する。
その明かりで目の前の人が誰だか分かった。
「ガルシア……先輩?」
去年、卒業したクリフォード・ガルシア先輩だ。
混じりっけなしの金髪にグリーンがかった碧眼。
白皙の美貌に浮かぶ微笑。
「うん。君はリディア・パウエル嬢だよね」
「あ、はい」
「教授、当たりです」
クリフォードは飛び出してきた窓を振り仰ぐ。
「では連れておいで」
「まったく、人使いの荒い……ちょっと失礼」
クリフォードが、突っ立ったままの私をひょいと抱きかかえ、最上階の窓へ飛んだ。
「ひえぇぇ!」
突然の浮遊感、そして上昇スピードにか細い悲鳴しか出せない。
イケメンにお姫様だっこされたのだと気付いたのは後日になってから。
この時の私は幼子のようにクリフォードにしがみつき、目を白黒させるだけしかできなかった。
「連れてきました」
「力技過ぎるぞ」
窓際にいた男性が一歩下がり、クリフォードは私ごと、室内へ。
そっとソファに降ろされて声も出せないでいたら、「大丈夫かい?」とやさしい声。
声の主は魔法史史実学科筆頭教授のボブ・マーカス。週に一度の授業を心待ちにするほど尊敬する人物だ。
「マ、マーカス教授……」
「ずいぶん泣いていたようだね。ほら、お茶を飲みなさい」
手ずからお茶を淹れてくれ、淡い茶色の瞳で心配そうに見つめてくる。
「教授、俺にもください」
「まったく、お茶くらい自分で淹れたらどうだ」
「なぜか不味くなるもので」
クリフォードは私の横に座り、教授は二つ、新たにお茶を淹れ私の対面に座った。
二人は慣れた様子でお茶を飲んでいる。私もつられてカップを傾けた。
「おいしい……」
「よかった。おなかは減ってないかい?」
「あ、はい」
食欲なんかまったく湧かない。手紙を受け取ってから、胃は冷たく、硬いままだ。
「教授、クッキーいただいていいですか?」
「もちろん。エネルギーを補充しなさい」
クリフォードは指先をちょっと動かして、棚から四角い缶を手元に引き寄せる。
「奥方のお手製ですね。おいしそうだ」
もぐもぐとおいしそうにクッキーを食べるクリフォードを見ていたら、自然に口が開いた。
「あの……浮遊術は物だけじゃなく、人……生体も浮かべられるんですね」
「生体も物体だからね」
「理論的に可能だと習いましたが、……初めて見ました」
「クリフの魔力と精度は学生時代から、ずば抜けているんだよ」
マーカス教授もクッキーを手にし、さくさくと美味しそうに食べる。
「大昔と違い今は魔力持ちが少ないから、簡単な魔法しか見られないけど……クリフレベルになればあんなこともできる」
「浮かばせられる重量と魔力は比例するんですね」
「うん」
まるで授業のような会話とあたたかいお茶に肩の力が抜けた。それを見計らったのか、マーカス教授が静かに問う。
「で、どうして泣いていたんだい?」
二人の包み込むような雰囲気に、私はまた泣きながらすべてを話した。