太古の呪符。
通路から早足で近づいてきたクリフォードは眉間に大きなしわを寄せている。
「レオン・タッカー、彼女から離れろ」
「クリフォード・ガルシアか」
クリフォードはレオンを押しのけ、私の前に立ちふさがってくれる。
二人の間に冷たい空気が流れた。
「リディア、何もされていないか」
「はい、もちろん」
不機嫌そうなクリフォードの顔も怖いが、レオンより慣れ親しんでいるので、ほっとできる。
「まるで姫を守る騎士だな」
「そのつもりだ。その怖い顔を引っ込めろ。威圧感がありすぎる」
「お前だって始終不機嫌な顔をして……せっかく美形に生まれついたんだから笑顔の一つでも浮かべたらどうだ」
「自己紹介か? お前に笑顔なんて機能が備わっているとは思えないが」
陰険な会話が続くが、周囲に配慮するよう 互いに低く抑えた声。それにくだけた口調を聞く限り、仲が悪いわけではなさそうだ。
これが普段の彼らの会話なのかもしれない。
少し興味を惹かれて、私はクリフォードの背中から顔だけ出してレオンをうかがう。目が合うと、憮然とした顔でにらまれた。
「だから、にらむな。リディアが怯えている」
「にらんでない。これが普通の顔だ」
そう言いつつ、一歩引いてくれたので、圧が少し薄くなる。
私は肩の力を抜いた。
「で、レオンはなぜここに?」
「呪符の件で確かめたいことが」
「呪符の件?」
クリフォードが首を傾げたので、私はかくかくしかじか、説明をする。
「そんなわけで、タッカー先輩のお仕事で使う呪符を書くことになったんです」
「なるほど、確かにレオンの呪符は幼児の落書きよりひどいもんな」
クリフォードの言葉にレオンは口を子供のようにぎゅっと尖らせた。
「事実だろう、拗ねるな」
「うるさい。それより、心鎮めの呪符の件だ」
「えと、お気に召さなかったら申し訳ありません。未熟者でして」
責められる前に謝ると、レオンは頭を振った。
「そうじゃない」
「レオン、何が言いたい?」
クリフォードに問われ、一旦口を開き、レオンはもう一度頭を振る。
「説明しにくい」
「それで自分の主張を理解しろと言うのは無理があるだろう。言葉をひねり出せ」
「それより、ここであの呪符をもう一度書いてみろ。そうしたら俺の言いたいことが、クリフォードにもすぐ理解できる」
「はぁ」
疲れたように言われて、私もなんだかため息をつきたい。
とりあえずデスクスペースに移動して、ノートに心鎮めの呪文を書いてみた。
「クリフォードさま、呪文、合ってますか?」
「うん、正しいよ、リディア」
「よかった」
「レオン、これの何が問題なんだ?」
「両親に渡したのはこの呪文だけじゃない。ここにもう一つ書いだだろう」
「はい、おまじないを一つ」
頷くとクリフォードがいぶかし気に眉を寄せた。
「おまじない?」
「はい。あなたに幸運がありますようにと古代文字で」
改めておまじないをノートに書き添えると、二人は目を見かわし、無言になる。
「うん、なるほどな」
「俺の驚きが分かるか? クリフォード」
「分かる」
先ほどの険悪な雰囲気を消し、二人そろってあきれたように私を見た。
「あの、なにか……?」
「レオン、リディアは無自覚だと思う」
「やはりか。呪符の報酬にケーキを求めるなんて、欲がなさすぎると思ってたんだ。金に困っている学生だと聞いていたのに」
レオンの言葉にいぶかし気な私を見て、クリフォードは隣に座り息を吐く。
「リディア。君の書いたおまじないは太古の守護呪符の一部として使われている。それは知ってるか?」
「太古の呪符?」
守護呪符は数パターンの図案を見たことがあるけど、あのおまじない部分は使われていなかった。
「知らなかったようだな。リディアが書いたおまじないは呪符の一部というより、根幹部分になる」
クリフォードは指先で私の書いたおまじないをそっとなぞった。
「この一文を中心に周囲へ呪文を重ねていくと守護呪符になり、過去には高額取引されていた」
「はぁ……、えと、でも私のは」
「確かに正式な呪符ではない。だが、リディアのていねいな手蹟と込められた魔力で守護呪符として通用するレベルになっている」
クリフォードは自分のカバンから呪符用の紙を取り出し、私が書いたおまじないを中心部に書いた。
「正式な呪符は真ん中に幸福を祈る言葉……昔の守護呪文。すぐ下に主願を書く。今回は心鎮めの呪文、対象者、期間と条件……」
クリフォードは私の名前などを古代文字で紙に書き連ね、最後に魔力を込めて呪符を完成させた。
「これが太古の守護呪符だ」
「きれい……」
黒いペンで書いた呪符はクリフォードの魔力で青白く発光している。インクのかすれもなく文様も美しく……見ているだけで胸が高鳴った。
「これを常に持っているといい」
「あ、ありがとうございます。ってこれ、正式ならおいくらですかっ?」
手に取れば、たっぷり魔力が込められている。現代の守護呪符取引価格は最低でも十万ポーンからと聞く。作成者の魔力によって効果が変わり、上限は天井知らずの値が付くらしい。
どう考えてもこれは天井突破レベルの呪符だろう。
私は焦って呪符を返そうとしたが、クリフォードは受け取らない。
正面に座ったレオンがあきれたように笑った。
「それには君のフルネームが入ってる。他の者に渡してもただの紙だ。ありがたくもらっておけ」
レオンの言葉にクリフォードが無言で頷き、返せなくなった。
おそるおそる太古の守護呪符を見返せば細部に至るまでていねいに文字がしたためられている。
色とりどりの花をかわいくアレンジしたブーケを目にした時のような、心躍る気持ち。不思議なあたたかさも感じて、持っているだけで安心する。
これが正式な呪符の力なのか……。
「ありがとうございます、クリフォードさま」
「うん」
ちょっと素っ気ない返事でそっぽを向くクリフォードを見てレオンが目を丸くした。
「クリフォード、お前」
「なんだ?」
「……いや、なんでもない。相変わらず魔力コントロールが上手いな」
「まぁな」
「しかし彼女が俺の家族に渡した呪符もお前と同等の魔力が宿っていた」
「リディアは優秀なんだ」
「そのようだな。おかげで家族は恐怖から解放された。感謝する」
「いえ、こちらこそ」
「書いてもらった目印や拘束の呪符も素晴らしかった。ありがとう」
目の前で褒められて、私は顔が熱くなる。
と、ふいに涙がぽろりと零れた。
「リディアっ?」
「あ、すみません。なんだかうれしくて」
実技の成績が悪い私。学園では優秀な同級生がいっぱいいるし、出来て当たり前の授業が続いていたので、こんなに褒められることなんてまずない。
がんばって勉強してきた甲斐があったなぁ。
クリフォードがやさしく頭を撫でてくれた。レオンはやわらかい目で笑ってくれている。
それでまた涙があふれそうになったけど、ぐっとこらえる。ハンカチで涙をぬぐい、深呼吸。うん、落ち着いた。
「パウエルくん、これは俺の気持ちだ」
レオンは白い封筒を私に差し出す。
「これは?」
「学園のランチセット無料パスカードだ」
「えっ?」
「安くないか?」
驚きの声を上げる私の横でクリフォードが即座にツッコミを入れる。
「金貨を積むとパウエルくんが困るだろう。ソニアから聞いた君の印象だが」
「あれはその、私に何かできないかと思って心鎮めの呪文を書いたので、お礼なんて……」
訪れた時にタッカー家の表札に古代文字でようこそと書いてあったのが印象に残っていて、おまじないを書き添えたら喜ぶかなと思った。
そんな軽い気持ちでしたことなのだ。
私がそう言うとレオンが苦笑する。
「そういう性格だろうから、金ではなくパスカードにした。受け取ってくれるとうれしい」
戸惑い、横を見るとクリフォードも頷いていたので、私は震える手で封筒を受け取る。
「……ありがとうございます。遠慮なくランチをいただきます!」
「うん、そうしてくれ。魔法実技の後はとにかく腹が減るだろう」
「減りますね」
「減るよなぁ」
私たちは今日一番まじめな顔で、頷きあった。




