書店にて。
タッカー家の帰り道、私は文房具店に寄った。
呪符を書いたお金に少し色を付けてもらったので、足取りは軽い。文房具店で買うのは新しいノート三冊、呪符用の紙とインク。
「呪符用の紙は少し多めに買っておこうかな」
帰りがけ、ソニアに今後も呪符の仕事をしてほしいと頼まれたのだ。
「五枚の呪符を書いたら一万ポーンの収入かぁ。来週は下着を買えるかな」
皮算用しながら今度は書店へ向かう。やっぱり買うことはできないけど、この空気に触れるだけで心が躍る。
通路をにまにましながら歩いたり、気になるタイトルを見つけて立ち読みしていたら、不意に店内がざわめく。
何事かと振り向くと、書店に一人の男性が入ってくるところだった。
男性は金髪碧眼、長身で姿勢がいい。
書架を眺め、本を手に取っただけでも人目を集める華がある。クリフォード・ガルシアだ。
最近よく話すようになり慣れているはずの私でさえ、本を引き出す指先や文字を追う目、そこにかかる髪につい見とれてしまう。視線を感じたのか、顔を上げたクリフォードと私はぱちりと目が合った。
「リディアか」
「ガルシア先輩、こんにちは」
いつもの黒いローブ姿でさっそうと私に歩み寄ってくる彼に周囲の女性の視線が離れない。
でも本人はそんな視線に頓着せず、正面に立ち私の額を指で弾いた。
「名前で呼ぶように言っただろう」
「あ、そうでした。クリフォードさま」
ついつい癖でガルシア先輩と呼んでしまうのを会う度こうして咎められる。素直に言い換えたら、彼は目じりを下げて微笑んだ。
「買い物か?」
「いえ、書店の空気を吸いに」
「なんだ、それ」
クリフォードが苦笑し、でもうんうんと頷いた。
「でも分かる。俺もしょっちゅう書店の空気を吸いに来てる。図書館でもいい」
「分かります」
とにかく本のあるところが好きな人種ってのが世の中には一定量いるのだ。
そういう人種には書店や図書館が聖地。だけど残念なことに、学園の図書館はあの騒ぎで今少し行きにくい。
「……早くほとぼりが冷めるといいな」
「はい」
私の心情を察知してか、クリフォードがさらに笑みを柔らかくする。
「リディアはまだ王立第一図書館に行ったことないんだよな?」
「はい。あと半年です。誕生日に突撃したいと思ってます」
王立第一図書館の利用規則は十八歳以上の成人からと決まっている。私は来年二月に誕生日を迎えるので、あと少し……!
「じゃあ、その時は案内してやる」
「いいんですか? ぜひお願いします!」
私が飛び上がって喜ぶと、クリフォードが目を細めた。
「俺と一緒なら今すぐ第二に行けるぞ」
「王立第二図書館!」
成人になり申請すれば誰でも入れる第一図書館とは違い、魔法省の奥にある第二図書館は許可証を持つ者と、その招待者しか入れない。
そこには古来の文献、希少な本や資料が集まっていると聞く。言わば知の宝庫。
「だいに……だいにおうりつとしょかん……」
「行きたいだろう?」
「行きた過ぎて身震いします」
「まったく、リディアも俺やマーカス教授と同じ人種だなぁ」
クリフォードはくしゃりと私の髪をかき回す。
「論文を発表すれば研究者として第二の許可証をもらえるぞ」
「発表しただけじゃ無理です。王立魔法学会と魔法省に認められないと」
それかクリフォードのように魔法省に就職するかだ。
「今から行ってもいいが……どうせなら一日中、本の海に浸りたいよな」
「浸りたいです!」
「じゃあ、来週、朝から行こう。予定は?」
「空いてます! お願いします!」
食い気味に返事をすると、クリフォードは「本当に分かりやすい」と笑う。
「え?」
「花が出たぞ」
指さされ、足元を見れば薄ピンクの野ばらがたくさん落ちていた。
「リディア、おかえりなさい。その花はどうしたの?」
「興奮して無意識に生み出しちゃった」
「大量ね。何に興奮したのよ」
花束を抱いて寮に帰れば、夕食前のひと時に談話室でくつろいでいたマリーとキャロルに目を丸くされた。
「書店でガルシア先輩に会って」
「会って興奮したのねっ?」
「ちがうわよ、来週王立図書館に連れてってくれるって言われて」
「デートね!」
「それは興奮するわっ」
「うん。第一じゃなく、第二の方に入らせてくれるみたいで……あぁ、どうしよう。魔術書とか、魔法陣とかがたくさんあるのよね。もしかしたら失われた魔術をまとめた本もあるかもしれない」
ぱさぱさと、私の足元にまた花が落ちる。
今度は黄色い野ばらだ。
「ちょ、ちょっとリディア」
「興奮するとこ違うわよっ?」
「伝説の魔術者たちが残したメモなんかないかしら。触らせてとは言わないから、拝みたい……!」
「黄色の次は赤い野ばらが出てきたわ」
「まったく、魔法バカなんだから」
キャロルが呆れながら杖を一振りして、散らばった野ばらを集める。
「キャロル、相変わらず収集の魔法が上手いわねぇ」
「まぁね。それに買ってもらった杖と相性がいいみたい」
「杖っ?」
来週へ思いを馳せていた私はその言葉でキャロルを振り返った。
「見せて! あぁ、すべすべできれいな杖だわ」
「また食いついてきちゃった」
二人に笑われながらも、私はキャロルの杖に見入る。
「よく磨かれた梨の木ね。魔力伝導をスムーズに行う彫刻が入ってる」
「そうなのよ。やっぱり私は魔力量が不安定みたいで。杖にサポートしてもらうことにしたの」
「一定量で放出するのって本当に難しいわよね。私もお父様におねだりしてみようかな」
魔力コントロールの難しさは私も分かるので、杖に見とれつつ何度も頷く。
「ガルシア先輩はいつも素手よね?」
「うん、魔法陣に魔力を流した時も杖は使ってなかった」
「さすがよねぇ」
魔力操作の補助をする杖はあった方が楽だと言われている。しかし魔力コントロールを杖に頼りすぎると上達しないので、五年生までは授業内では使用不可。
なので六年生、最終学年になったり、卒業記念に杖を持つのがアリスト学園生の流れだ。
「そうだ、確か第二には杖の展示もあるんだった」
有名な魔法使いたちが使用した杖とか置いてあるかも? と、想像しただけで胸が高鳴る。
「どうしよう、実物を見たら息が止まるかもしれない」
「それより、リディア。来週は少しメイクしましょ? あと髪と服も準備して……」
「そうよ、デートなのよ。着飾らないと」
マリーとキャロルが何か言ってるけど、私の頭の中は偉大なる魔法使いたちの残した痕跡に出会える期待でいっぱいだ。
「だめだ、聞いてないわ」
「こうなったら当日は私たちでセットアップしちゃいましょ」
「いいわね! ガルシア先輩を虜にする作戦よ」
「魔法バカのリディアに春を呼ぶわよ、マリー」
「えぇ、キャロル。楽しみだわ」
にこにこしている二人の横で、しまらない顔の私も来週へ思いを馳せた。