記憶の再現。
「クリフ、どうやって証拠を?」
「再現魔法です」
学園長が問えば、何でもないことのようにクリフォードが答える。
「再現? まさか」
「はい」
「禁術じゃないか」
「禁術?」
「魔法で本の記憶を可視化させるんだ」
私が首を傾げるとクリフォードは穏やかな声で教えてくれた。
「そ、想像がつきません。どういう魔法ですか?」
「今準備する」
「クリフ、使いなさい」
学園長がローブの内ポケットから折りたたんだ紙を取り出す。クリフォードが閲覧席のデスク上に広げたら、紙は大人の身長ほどの大きさになる。
「少し時間が掛かるので皆さんは楽にしていてください」
クリフォードはそう言って紙に魔法陣を描き始めた。
「わぁ……」
こんな事態なのに私は興味が勝り、つい駆け寄ってクリフォードの手元をのぞき込む。
彼は中心に手のひらほどの円を書き、周囲にデザイン化された古代文字を連ねていく。
迷いなく進むペンの軌跡が美しい。
「何も見ないで書けるのか、彼は」
「あぁ、すごいな。クリフの頭の中はどうなっているんだ」
グレイと学園長がわくわくした顔でその指先を見ている。
この人たちも魔法が好きでしょうがないって顔。
もちろん私の顔もわくわくしているんだろうなぁ。
司書の人たちはこわばった顔で、でもやっぱり好奇心を持って見ている。
日が少し傾いた頃、魔法陣を書き終えたクリフォードがふぅと息を吐いて顔を上げた。
真っ先に私と目が合い、微笑んでくれる。そして私の横に視線をずらし、問いかけた。
「どうですか、マーカス教授」
「うん、術式もスペル間違いもないよ」
「マーカス教授っ?」
いつの間にか図書館に来ていたらしい。魔法陣に集中していてまったく気づかなかった。
「いらしてたんですか?」
「結構前からいたんだけどね。学園長、私に黙って勝手なことをしないでくれと言ったでしょう」
「そうやって苦情を言われないよう、呼んでやったのに」
くちびるを尖らせて拗ねる学園長をマーカス教授はあっさり無視してクリフォードの肩を叩く。
「やりなさい」
「はい」
クリフォードは紙の中心に人差し指を乗せた。
その指先がぼんやり発光する。アイスブルーに黄味が混じる光は彼の魔力の具現だ。
その魔力を少しずつ指先から流し、魔法陣全体に行きわたらせる。
発光する陣は美しく、薄暗い図書室に夜空の星たちを思い起こさせる。
クリフォードはディアス教授の召喚術をその中心に置いた。
「最後に君に触れた人物を教えてくれ」
そう言うと本の上の空気がぐにゃりと歪み、ぼんやりと人の姿が現れる。
「クリフ、不鮮明だ」
「これからです」
クリフォードが今度は赤い光を指先から魔法陣に流した。すると人の姿が徐々に鮮明になってきた。
まず目についたのはモスグリーンのローブ。司書たちのユニフォームだ。
そのローブの上で茶色の髪が動く。白く細い手が何かを抱えている。
「あっ」
司書たちの中からか細い声が上がった。
私はそこでやっと、小さな人の姿が見覚えのある人物だと気づく。
……司書のサラだ。
手のひらサイズのサラは魔法陣の間をゆっくり歩き、きょろきょろと周囲をうかがってから手にした何かを書架に乗せるしぐさをした。
うまくできなかったのか、しばらくまごついていたが、そのうち満足してため息を一つ。
鮮明になった表情には笑みが浮かんでいる
いつも貸出カウンターで見せる落ち着いた笑みではなく、子供のような幼さがあふれ出ていた。
そこでクリフォードが青い光を魔法陣に流し込むと、手のひらサイズのサラは、「目ざわりなのよ、あの子」と話し出した。
「しゃべった」
「そんなこともできるのか、クリフ」
「できますけど、今の問題はそこじゃないでしょう」
はしゃぐ学園長とグレイに苦笑して、クリフォードはさらに青い光を送る。
魔法陣の上のサラは先ほどの笑みを収め、今度はほの暗い目を伏せる。口元は泣きそうに歪んで、「これで退学になればいい」とつぶやいた。
そしてその場を立ち去り、魔法陣から姿が消える。クリフォードは魔力を流すのを止めて、冷たい瞳をサラに向けた。
「何か申し開きは?」
「あ、わ、私……」
「サントス調査官、司書の中でリディアの名を最初に挙げたのは?」
「……彼女だ」
グレイは口元を引き締め、重々しく答える。
私は頭に石でもぶつけられたような気持ちだ。
なぜ、サラが?
私を嫌っていた素振りなんか感じなかったのに。
何も言えない私の前を通り過ぎ、クリフォードはサラの前に立つ。
「あの子とはリディアのことなんだな?」
「ち、ちがいます! 私は……申し訳ありません。きっと本の整理中にうっかりしてしまって、書架に紛れ込んだのだと思います」
「五冊も? 司書としての能力を疑うな」
クリフォードの言葉にサラは口をパクパクさせた。
「退学にしたかったのか? リディアを」
「ちが……」
「待て、濡れ衣だ」
司書長がクリフォードとサラの間に割り込む。
「濡れ衣とは?」
「今の魔法で陥れられたんだ。君ならサラに似せた人形を作りだして動かすことぐらい簡単だろう」
クリフォードは司書長の言葉に片眉を上げて「できる」と同意した。
「やはり! では……」
「できるからと言って、俺がそれをする理由は?」
「えっ?」
「俺が彼女に濡れ衣を被せる意味は?」
「え、あ……」
とっさに理由を思い浮かばなかったようで、司書長とサラは口ごもる。
すると他の司書が声を上げた。
「君がこの生徒と知り合いならば、かばっているということもあるだろうっ」
「確かにリディアとは親しい。だが、俺は彼女をかばっているのではない。真実を洗い出そうとしているだけだ。その結果がこの魔法陣」
クリフォードはテーブル上の大きな紙に手を向ける。
「俺が恣意的に情報を捻じ曲げるような術式が記されているか、確認してほしい。司書の中で魔法陣に詳しい者は?」
「私が」
壮年の男性が進み出て、魔法陣をつぶさに観察する。ややあって、深く頷いた。
「この魔法陣に一筋の偽りも見られません」
「だ、そうだ。俺の能力に不服がある者は学園長に訴え出てくれ」
そう言われて、司書たちは顔を見合わせた。
生徒ではなくてもクリフォード・ガルシアの評判は知っている。
自分たちよりはるかに有能とされる彼に物申せる人間はこの場にいないようだった。
一段と顔色を悪くした司書長が、脂汗をかきながら、あがく。
「し、しかし、サラの言い分も聞いてくれ。整理ミスだと本人が言っている」
「ディアス博士の召喚術を整理ミスするのか?」
「ミスは誰にでもある」
「元は厳重に保管されているのだろう。取り扱いには細心の注意を払っているはずだ。そもそも……」
クリフォードは私を振り返る。
「リディア、本の保管場所を知っていたのか?」
「し、知りません」
ぶんぶんと頭を振って否定する。背中にたぶんマーカス教授と学園長の手。私が倒れないよう支えてくれている。
「リディアはこう言っている。本はすぐに見つかる場所にあったのか?」
「いや」
「その場所を司書たちは全員把握しているのか?」
「……している」
「保管方法は? 施錠はなされていたか?」
「厳重に鍵をかけている」
「鍵の保管場所は?」
「司書長室のデスクの中だ」
「リディアがそこに入ったことは?」
「……ない」
司書長の声がかすれる。
クリフォードは追及の手を緩めない。
「保管場所も知らない本をリディアがどうやって隠すことができる?」
「な、何かの拍子に見つけたのでは?」
目線で問われたサラが震えながら答える。
「では本の記憶をもう少し振り返ろう。それでもその中にリディアの姿がなかったら?」
「あの、私が本の置き場を間違えたかも……」
「退学を願ったあの言葉は?」
「ただの愚痴です。誰に向けたものでもない、です」
「そうか、ではすべての本を魔法陣に乗せよう」
「えっ?」
「だがその前に聞きたい。すべての本で同じ結果が出たら、次はなんと言い訳するんだ?」
クリフォードの視線がひたとサラに突き刺さる。
見えない矢に打たれ、サラは何も言えないまま、へたりと崩れ落ちた。