絆。
翌日も登校日だが授業はなく、新入生を歓迎する準備と専門学科選択、そのオリエンテーションと部活動交流会などがある。
「そう、あの人よ」
「警備隊に事情を聞かれていたんですって?」
「それに荷物検めされていたのよ。寮の部屋とか」
昨日は始業式後で、学園内に人は少なかったが、まったくいないわけではないし、寮ではグレイたちに付き添われて移動する姿を多くの人に見られていた。
だから私に何かあったようだとの噂が昨晩中に女子寮で広まり、今朝からは各教室でアッという間に拡散された。
自分の教室まで行く間の視線も痛く、針の筵。
「いたたまれない……」
「大丈夫よ、リディア」
「そうよ、マーカス教授の言葉通り胸を張って、堂々としてなさい」
キャロルとマリーはぶしつけな視線から私をかばいつつ、そばにいてくれる。
「なぁ、ちょっといいか?」
「フレッド、なぁに?」
「なんか騒がしいけど、大丈夫か?」
クラスメイトの一人、フレッドがオリエンテーションの間に話しかけてきた。
赤髪赤い目の彼は私をじっと見て、心配そうに問う。
その様子が噂を真に受けて好奇心で顔を突っ込んできた他学年男子とは真逆で、私は肩の力が抜ける。
「うん、ちょっといろいろあってさ」
「まさかフレッド、ゴシップ拾いじゃないでしょうね」
「新聞部所属だけど、その気はないよ」
キャロルが睨むとフレッドは慌てて否定した。
「一応、心配してる。僕だけじゃない」
その言葉にまばたきを数回。
フレッドの背後には聞き耳を立てている数人の男子たち。
私の視線を感じて、何度か無言で頷いた。
「事情があるなら、深くは聞かない。手助けできることは?」
真摯な態度で問われ、私の涙腺がまた緩んだ。
「おわ! フレッド、泣かしたな!」
「くそまじめなお前なら、イケると思ったのに」
「追い打ちで傷つけたんじゃないか」
男子たちがフレッドを肘で小突く。マリーがくすりと笑った。
「平気よ、リディアが泣いたのはうれしいから」
「そっか、よかった」
「見てわからない?」
「女子の気持ちはむずかしいから」
フレッドが頭を掻いて身を縮める。
そういえば今近くにいる男子たちはみんな大人しくて生真面目な人ばかり。
私はハンカチで涙を拭きながらなんとか微笑んだ。
「ありがとう。詳しくは言えないけど大人たちに事情を聞かれたんだ」
「図書館にたくさん外部の人が来てたよな。その関係?」
「そう。本の紛失があったんだって。でも私は何もしてないし、学園長や教授たちもそれはわかってくれてる」
「そっか。最悪な状況ではないんだな?」
「うん、心配してくれてうれしい。みんな、本当にありがとう」
私が頭を下げると、男子生徒たちは安心したように笑った。
「できることがあったら言えよ」
「同じ学年なんだから遠慮はするな」
ここまで一緒に過ごしてきた同学年の絆は強い。先輩方からは卒業後もずっとこの絆が続くと聞いた。
私もなにかあったらみんなを信じて助けられるようにしよう。
ちょうどランチの時間になったので、その場にいたみんなでカフェテリアへ向かう。
くだらない冗談を言いながら、ランチトレイを受け取りテーブルにつく。
他学年の人たちからの視線はやっぱり痛かったけど、フレッドたちがいつも通りの雰囲気で接してくれたので午前程の風当たりは感じない。
「今日はチキンサンドか」
「塩味だな、俺は甘辛ソースが良かった」
「俺はフィッシュがいい」
「それを言うならがっつりビーフ希望だな」
「男子たち、ぜいたくよ。十分おいしいじゃない」
そんな他愛もない会話に頷きながら食べるサンドイッチがおいしい。
昨日から食欲がなくて全然食べられなかったんだけど、リラックスした分、味もわかるようになった。
「フレッド、声かけてくれてありがとね」
「どういたしまして」
横に座る彼にひっそりささやけば、ちょっと照れた笑顔。また泣きそうになったけど、ぐっとこらえた。
そこに乱暴な足音が近づいてくる。
「リディア!」
「コーディ?」
つかつかと私に歩み寄ってくるのは元婚約者のコーディだ。
胸元で色褪せた紫のタイが大きく揺れている。
「君はなんてことを……あれほど僕が止めたのに」
「は?」
「司書に聞いたぞっ、なぜ本を盗んだ!」
コーディはカフェテリア中に聞こえるような大声でそう言った。
当然衆目を集めたし、フレッドたちも驚いている。
一瞬で静まり返った空気に私の胃がまた痛くなった。
「私は、やってないわ」
「だが」
「その妄想を大声で叫ぶのをやめて。迷惑よ」
私が固い口調でにらみつけたら、コーディは眉をひそめた。
「白を切るのか? 君の事情はみんな分かっている。罪を認めて素直に本を返すんだ」
「何も盗んでない。返すものもない」
「もう売ってしまったのか? ならば今すぐお金を返してこい」
僕が付き添うからと言われて、私は我慢できず立ち上がった。
「だからやってないって言ってるでしょう!」
「リディア、意地を張るな。学費がなくて苦しんだんだろう。事情を話せばわかってもらえる」
「コーディ、落ち着きなさい」
マリーが興奮するコーディを冷たくねめつけた。
「リディアは無実よ。それは昨日すでに判明しているわ」
「だが本はまだ見つかっていないと聞く。リディアの婚約者として僕は正しく彼女を導かなければ」
「もう私たち婚約者じゃないっ」
「元婚約者としての義務だ。僕が罪を認めさせて……」
ふざけないでと怒鳴りつけようと口を開けた瞬間、「また君か」と静かな声が聞こえた
声の元を振り返れば、カフェテリアのオープンスペースから長身の男性がこちらへ向かって歩いて来る。
陽光を弾く金の髪。歩く速度に合わせて揺れるローブは光沢のある黒。白い肌に強い光を放つ碧眼。
クリフォード・ガルシアだ。
「ガルシア先輩だわ……」
「ガルシア先輩がなぜここに?」
「そんなのどうでもいいわ、またお目にかかれるなんて」
「卒業されて、よりいっそう美しさに磨きがかかったのではなくて?」
始めは男子生徒の声も聞こえていたのに、クリフォードが一歩歩くごとに、女生徒たちの興奮した、隠されていないささやきが大きくなっていく。
そんな自分に向かう視線を煩わし気に振り払い、クリフォードは私に向かって歩いてくる。
その姿にわけもなく安心して、目が潤んだ。
「大丈夫か、リディア」
「ガルシア先輩、なぜ……」
「マーカス教授から、リディアにトラブルが起こったとかで呼び出されたんだ。何があった」
私の前に立つとクリフォードは目元を和ませ、存外やさしい声で事情を問うてきた。
けれど私が口を開く前に横にいたコーディがでしゃばる。
「卒業生には関係ありません。在学生の問題です」
「リディア、話せるか?」
「はい、えぇと」
自分を無視して会話する私たちにいら立ったコーディが、私の肩をぐいと引いた。
「リディのことは僕が責任を持って警備隊に連れていきますから」
「黙れ」
コーディを一瞥し、クリフォードはさっと人差し指で空中をなぞる。
するとコーディの口が不自然に固まった。人差し指を返せば、私の肩にかかったコーディの手がすごい勢いで離れた。
自分に何が起こったか分からず目を白黒させ立ち尽くすコーディを押しのけ、クリフォードは私をじっとのぞきこむ。
「さぁ、リディア。俺に説明してくれ」
美形のドアップに私はめまいを起こしながら、かくかくしかじか昨日からのことを話す。
「なるほど」
聞き終えたクリフォードはうなずいて、首をこきと回す。
どことなくお疲れのようだ。
そういえば二、三日会っていなかったなぁ。
「俺が王都を留守にしている間に災難だったな」
「留守?」
「領地に帰ってたんだ。だが昨日、マーカス教授から至急戻れと連絡が来て、馬を走らせた」
その言い方に含みがあり、どこかで魔法を使って移動してきたんだなと想像する。
だってガルシア伯爵領は馬車で片道丸二日かかるはずだもの。
「マーカス教授からリディアを助けろって命令だ。このまま学園長のところへ行こう」
クリフォードが私の手を取れば、女生徒の黄色い悲鳴が上がる。
ついていくのもここに残されるのも、どちらも地獄。ならばさっさと逃げ出そう。
私はキャロルとマリー、それにフレッドたちへ手を振りクリフォードの横に並ぶ。
「ぐ、ふっご……」
コーディがもがいて追ってくるのを見たクリフォードがその足元に指先を向けた。とたんにコーディの足が固まる。
「束縛の魔法だ。数時間したら自然に解ける」
「くぅ……っ」
「自分で解いてもいいと思うぞ。授業をちゃんと聞いていれば、簡単にその束縛から逃れられる」
にやりと笑ったクリフォードを見ていると、コーディがあまり勉強熱心ではないことを察しているようだ。
コーディと目が合った。けれど解呪してやる義理はない。私は一瞥し、その視線を断ち切る。
クリフォードは図書館へ向かっているようだ。
足取りに迷いはなく、でも私の速度に合わせて歩いてくれる。
「あの、ガルシア先輩」
「なんだ?」
「私なにも盗んでません」
「もちろん冤罪だろう。誰かがリディアに罪をかぶせようとしている」
「私に? なぜ……」
「今からそれを確かめる」
クリフォードは強い光を碧眼にたたえたまま、私を見てきれいに笑った。