第5話 王子さま
ご飯が終わったら、もう寝ようとアレクに連れられてベッドに来た。
そして、アレクに丁寧に髪をブラッシングされた。
「そのブラシ……」
いつも私の世話をしている女性が使っていた物と同じだった。
「さっきオリビアの神殿にエンジュの使っていたものを取りに行かせた。服もブラシも」
さっきお風呂から出て、服を着ようとして困ったのだ。
羽がでない……仕方なく着ていた服をもう一度着た。
そんな様子をサキちゃんが見ていて、アレクに言ってくれたのだろう。
神殿に人をやって私の部屋にあったものを、いっさいがっさい持ってこさせたらしい。
見覚えのあるチェストや姿見もある。
とりあえず運んで置いただけなのだろう。
だから部屋は少し雑然として見えた。
でも見知った家具があるだけで、ここが私の居場所だと思える。
神殿の生活は不自由だったけど飢える事はなかった。
神官はうるさかったけど、お世話係の女性は私を『神様』として大切にしてくれた。
家具を見ながら私はもう神殿に戻ることはないのだな……と思った。
アレクは私の髪を毛先から順番に丁寧にブラッシングしてる。
アレクの髪を触る手がすごく優しい。
「髪を切ってしまうのか?」
「できれば……」
私は深くうなずく。
アレクが私の髪を1束手にとって、その髪に口づけながら私をみた。
「こんなに綺麗なのに……」
私はドキッとした。
アレクの目は切らないで欲しいと懇願している。
大きな体なのに、ちょっと可愛かった。
神殿の神官のように『切るな』と、私に命令すればいいのに。
しばらく待ってもアレクは自分の希望を口にしない。
だから私は言ったのだ。
「アレクが毎日ブラッシングしてくれるなら切らないかな?」
できれば私は髪を切りたかった。
でもアレクは嬉しそうに笑って頷いた。
「ブラッシングする」
髪が切れなくなった。
もう『神様』じゃないから髪を伸ばす意味はないけど……。
まぁ、アレクがブラッシングしてくれるみたいだし、何よりもアレクが嬉しそうだからしばらく我慢しよう。
たぶんアレクは私の『王子さま』なのだろう。
神殿で世話をしていた女性が、よく本を読んでくれた。
私に知識をつけさせるためであったはずだけど……。
内容は恋物語が多かった。
囚われの姫を王子さまが救ってくれて、姫は結婚して幸せになる話が多かった。
そして、いつかホワイティアにも王子さまが現れて幸せになれるといいですねっと彼女は言ったのだ。
その時は私は『誰かが私を神殿から連れ出してくれる未来』など想像がつかなかった。
だが、神殿から救いだしてくれたアレクは私の王子さまに違いない。
……結婚して幸せになった姫のその後の話は無かったな……これから私は物語の結びの言葉のように、『王子さま』と幸せに暮らせるのだろうか。
私はふぁあっとあくびをした。
ブラッシングが心地よくて眠くなってきた。
私はアレクにブラッシングされながら、そのまま寝てしまった。
◇◇◇
暖かい。
目の前にすごく暖かい壁があるのだ。
私は目をつぶったままその壁にべったりとくっついた。
そして頬を寄せる。
寝ぼけている頭でそれが何とは考えなかった。
暖かくて気持ちいい……。
目が覚めると私はたくさんの上掛けを掛けてベッドで寝ていた。
そして近くの椅子にすわっていたアレクと目が合った。
「よく眠れたか?」
私はうなずいた。
「とても暖かくてよく眠れました」
私はすっきりと目が覚めたが、アレクは心なしか疲れているように見えた。
「時間的にはすでに昼に近いが……何か食べれるか?」
私は朝ごはんを食べそびれたらしい。
でも、昨日の夜にたくさん食べたので今日はお腹が減っていなかった。
「何も無くて大丈夫です。」
私はそう答えたが、アレクは納得しなかったようで何かを考えている。
「ちょっと待っていろ」
しばらくすると皿を手に戻ってきた。
「林檎を持ってきた。エンジュは痩せ過ぎだ。少しでも食べろ。」
アレクはベッドのそばの椅子の前にある小さな丸いテーブルにお皿を置いた。
だけど……。
私はベッドの上にすわっていて、寝ている時に着ていたたくさんの上掛けを肩から掛けている。
今は寒くて上掛けから出たくない。
私は、アレクは神殿の神官の様に私にがみがみ言わないだろうと思った。
つまり私はアレクを見ながらあーんと口を開けてみた。
アレクはびっくりした顔をした後で楽しそうに笑った。
そんなに間抜けな顔だったのだろうか……。
そして、椅子とテーブルをそれぞれベッドに近づけてアレクは椅子にすわった。
「クレバーに見つかったらがみがみ言われるから、今日だけ特別だからな」
アレクは小さくカットされた林檎をフォークで刺して、私に差し出す。
私は横着が成功したことに、にこにこしながら口を開けた。
アレクは楽しそうに私の口に林檎を運ぶ。
「林檎は好きか?」
私はもぐもぐしながらうなずいた。
「あとは何が好きなんだ?」
私は首をかしげる。
食べ物に好きとか嫌いとか聞かれたのが、はじめてで考えた事がなかった。
「好きとか嫌いとかはあまりない……かな?」
食事の前に連れていかれたら何も考えずに食べていた。
ただお腹を満たす為に手と口を動かしていただけだ。
アレクは私をじっと見る。
これはアレクのくせなのかな?
私はひとりでもぐもぐしている事がちょっと恥ずかしくなった。
私は赤くなりながら言った。
「アレクも食べてください。ひとりで食べているのは嫌です」
アレクは驚いた顔をしてフォークと私の顔を交互に見る。
私は何か変な事を言ったのだろうか?
でも、ひとりでもぐもぐしているのをじっと見られているのはいたたまれない。
「食べてください」
アレクと私はなぜか赤くなりながら無言で林檎を食べた。
何でこんなむずむずする空気になったのだろう……。
皿の上の林檎がなくなると、アレクは皿をテーブルに置いた。
そして上掛けごと私を抱えあげた。
私はびっくりしてアレクの首にしがみつく。
「力持ちですね……」
軽々と抱えあげられたのだ。
アレクは眉をひそめた。
「エンジュが軽すぎるのだ」
そして部屋をでたところにちょうど廊下を歩いていたクレバーがいた。
「魔王様!」
クレバーは言いながら速足でアレクのところまできた。
アレクはびっくとして、足を止める。
「魔王様! なんですかそれは!?」
「いや……今日は寒いから……」
クレバーは魔王の寝室の扉を開ける。
「いったん戻してください。布団ひきずって歩くつもりですか?!」
私にはアレクの足元は見えなかったが、上掛けが垂れていたらしい。
私はベッドの上に降ろされた。
アレクはクレバーに怒られている。
散々小言を言ったあとで、クレバーは中がファーになったマントと短めのケープをもってきてくれた。
「なぜエンジュの寝台は部屋に入れなかったんだ?」
アレクはクレバーからマントとケープを受け取りながら言った。
「この状況で寝台は入らないでしょう? それに魔王さまの寝台が3人ぐらい寝れるサイズだからいらないでしょってサキが言った時に魔王様同意してましたよ。」
クレバーはアレクの顔を見ながら苦笑した。
「クマができてますよ?」
そしてぼそっと言った。
「……手を出せばいいんじゃないですか?」
そしてテーブルの上の林檎ののっていた空いたお皿をもって、笑いながら部屋を出て行った。
クレバーに怒られたせいかちょっとしょんぼりしているアレクが可愛い。
アレクはクレバーが持ってきてくれたマントを手に取って私の側にかかんだ。
私はアレクの頭に手を伸ばす。
アレクはびっくとして動作を止めた。
私はかまわずによしよしとアレクの頭を撫でた。
アレクのつややかな黒髪は見た印象よりも柔らかでさらさらしていた。
「ありがとうございます」
アレクは下を向いた。
撫でやすくなったので私は伸びあがって両手でアレクの髪を撫でた。
「なぜ……」
アレクが動揺したかすれたつぶやきをこぼした。
私が寒そうだからと気を使ってくれた結果クレバーに怒られてしまったのだ。
「私のせいで怒られてしまったので……ごめんなさい」
そんな事をしていたら私はくしゅんとくしゃみがでた。
アレクは慌ててマントで私をぐるっと巻いて、肩からケープをかけた。
「寒くないか?!」
私がうなずくと、アレクはまた私を抱えあげる。
「どこに行くのですか?」
「パントリーに行く」
「ぱんとりぃ?」
はじめて聞いた言葉だった。
アレクは私を抱えて城の中を歩いた。
ちょうどアレクの首の下あたりに自分のほっぺがあるのだが、アレクは私よりも体温が高いようだ。
私はアレクの首にぴったりとほっぺたをくっつけた。
「アレクは暖かいですね。」
私を抱えているアレクの腕にぐっと力が入って、アレクはじゃかじゃかと速足で歩いた。
パントリーの扉を開けて中に入るとアレクは私を椅子の上に降ろした。
パントリーとは食品倉庫のことだとアレクは言った。
そして部屋の棚にある籠の中の物を手に取った。
「これは嫌いだとか、これは好きってものはないのか?」
部屋で聞かれたのと同じことをまた聞かれたが……。
アレクが持っている食べ物がどんな味なのかよくわからなかった。
果物はそのままの形を見たことがあるが、野菜は調理されたものしか見たことがない。
「それは何ですか?」
アレクは手の中の茶色い丸い野菜をみた。
「いもだな。よくスープに入っている。」
アレクは何かを考えている。
サキちゃんが部屋に入ってきて言った。
「ねぇ、クレバーに聞いたんだけど呼んだ?」
「特に呼んではいない」
サキちゃんは相変わらずの薄着だった。
見ているだけで寒い……。
私は思わず上に掛けているマントの合わせをぎゅっと閉じた。
そして私を見る。
「エンジュ? どうかしたの?」
「サキちゃんその恰好寒くないの?」
「人間にはこの気候で寒いの? 私は魔物だからこれぐらいは寒くはないよ。後でアレクの部屋の暖炉にまき持ってくわ。」
そうか、まだ暖炉にまきが入ってなかったんだ。
私はほっとした。
「それで何でパントリーにいるの?」
サキちゃんはアレクが手にした野菜を見る。
「エンジュが好きな食べ物があれば、それを食べさせようと思ったんだが……」
アレクは林檎だけじゃなくて何かを私に食べさせようと思ってここに連れてきてくれたらしい。
「お腹は減ってないので、夕飯まで大丈夫です」
私は言ったが……。
サキちゃんは棚から瓶をふたつとった。
「夕食までは時間があるし、甘いものでいいんじゃない? 女の子は甘いものが嫌いな子はいない。」
瓶をしゃらりと振った。
その瓶の中には色々な色の飴玉。左手に持った瓶にはクッキーが詰まっていた。
「そ、そんな高価なものはいいです!」
神殿でもたまに勇者にもらったと言って、お世話係の女性がこっそり私の口に入れてくれた。
確かに美味しい……だけど、甘いものは非常に高価だと言っていた。
毎日ごはんが食べられるだけでも幸せな事だ。
私はプルプルと首を横に振る。
「これ、クレバーが食べるからたくさんあるんだよ。言っとくからひと瓶ずつ部屋にもってけばいいよ。」
クレバーは意外に甘党らしい。
アレクは瓶を開けて飴を取り出すと私に差し出した。
私は口を開ける。
「エンジュ、鳥のヒナみたいだね」
サキちゃんは笑った。
アレクは私の口にひとつ、自分でもひとつ食べて、サキちゃんにもすすめた。
口の中で甘い味が広がる。
私は無意識で手をほっぺにもっていく。
どうしてだろう……おいしいものを食べると手をほっぺにもっていってしまうのは……。
アレクは相変わらずそんな私をじーっと見ている。
アレクはお菓子の瓶をサキちゃんに預けて、もう一度私を抱えあげた。
「部屋に戻る」
サキちゃんはお菓子の瓶をもってアレクの横を歩く。
「それで魔王様眠れないんだって?」
サキちゃんは笑いながら言った。
サキちゃんがそう言ったから、私はふたつの事に気がついた。
みんなアレクの事を『さま』づけで呼んでいる事と、アレクが昨晩よく眠れなかった事。
そういえばさっきアレクはクレバーと私の寝台の話をしていた……。
「私が居たから……アレク……さま?は寝れなかったの?」
「アレクでいい」
アレクが即座に言った。
「でも……みんな魔王さまって呼んでいるのに?」
「アレクでいい」
アレクが憮然とした顔で言う。私は困ってサキちゃんを見る。
サキちゃんは笑った。
「私もアレクって呼んだらエンジュも呼ぶ?」
サキちゃんがそう呼ぶのなら……私はうなずいた。
「じゃぁクレバーの事もクレバーって呼んでね。クレバーにも言っておくから」
私はうなずいた。みんな呼び捨てなら問題ないような気がした。
「そうそう。クレバーがアレクの事『へたれ』って言ってたよ」
サキちゃんは嬉しそうに言った。
「『へたれ』ってどういう意味?」
私は首をかしげる。聞いたことがない言葉だった。
サキちゃんはうふふって笑う。
「へたれは『優しい』って事だよ」
「そうなんだ。じゃぁアレクはとっても『へたれ』だね」
私はにこにこして言った。
サキちゃんはあはははっと笑う。
アレクは歩く速度が緩んだ。
そしてため息をつきながら憮然とした顔で言った。
「エンジュにいらん言葉を教えるな」
サキちゃんはうふふって笑う。
「食べちゃえばいいじゃん。そしたら眠れるようになるよ」
右手にもった飴の瓶をしゃらしゃら振って妖艶に笑う。
「……エンジュは華奢過ぎて……こわいだろ……」
「そうね。エンジュはもうちょっと肉がついた方が美味しそうかもしれないね」
サキちゃんはうふふって笑う。
私はびっくりしてサキちゃんを見た。
ふたりは魔物だから人間も食べるんだろうか?
もしかして太らせてから食べるつもりで飼ってるペット(非常食)なのかな?!
「……わたしを食べるの?」
私はおそるおそるアレクに聞いた。
アレクは難しい顔で言う。
「そんなことしない」
サキちゃんは『へたれ』っとつぶやいた。
アレクは優しい。私はにこにこしてうなずいた。
◇◇◇
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