悪魔と人間
周りには皆がいて、最後にはちゃんと笑えてるような、そんな幸せを俺は求めていた。だがそれを俺は見つけることができないのだろうと、どこかで諦めている自分がいる。
だが、それでも⋯⋯それでも俺はこの思いを捨て切ることができなかった。きっとそれは隣にお前がいるから。そしてお前の隣には俺がいる。だからお前も捨てられないんだろ?
でも俺達はそれに手を伸ばしているだけ、繋ぎあった手と逆の手で。足を進めることはない。馬鹿みたいな俺達は、それでも二人でそれを求め続けていると宣うんだ。
──────────────────────
「君は誰?」
そう言って川の向こう岸から問いかけてきたのは小さな少女。と言っても俺と変わらないぐらいだったが。
「お前こそ誰だ。こんな場所に何でいるんだ」
「ちょっと道に迷っちゃって⋯⋯」
「は?そっち側の道って言ったら迷う道でもないだろ?道なりに沿って一直線に進めばいいだけなんだからさ」
「私、目が見えないんだ」
少女は目が見えなかった。
曰く生まれた時にはすでに目は見えなかったらしい。見たところ少女はただの人間のように思える。数日前に父に人間について聞いたこと覚えがある。父は、『人間とは脆弱で、醜い生き物だ。まあ全員がそうではないんだがな。基本的にはそんな奴等ばかりだと思うぞ』笑いながらそんなことを言ってすぐに自分の仕事に戻った。
確かに、父の言う通り人間と俺達悪魔は同じ姿をしていた。違いなんて全く分からない。
「あの、それで君は誰なの?」
「俺?俺は⋯⋯」
ここで悪魔だと言ってしまえば目の前の少女は怖がるだろうか?それとも嘘だと笑うだろうか?多分どちらかだろう。こんなところに悪魔なんて普段いないだろうからな。俺もちょっと散歩してたら偶然ここに来ただけだし。
でも、どうしてか俺は少女に自分は悪魔だと告げてもいいのだろうかと悩んだ。その末に、俺は少女に自分が悪魔だと告げないことを決めた。
「俺はここから少し離れた場所にある村のガキだよ」
「⋯⋯ガキ?君も子供なの?」
「は?ああ、そうだよ。まだまだ子供だよ。別にそんなの重要でも何でもないだろ」
「まあ、ちょっとね。それよりさ、もし良ければ何だけど、一本道までの道を教えてくれないかな?このままだと私お家に帰れそうにないからさ」
悪魔である俺が少女の暮らす場所に行ったらどうなってしまうのだろうか。姿は変わらないみたいだし別に大丈夫なのか?いや、でも本当は違いがあるのかもしれない。今のところ魔力の有無ぐらいしか違いが分からない。その魔力も俺の感知程度だと当てにならないかもしれないし⋯⋯どうするか。
悩みに悩んだ結果、俺は少女を家まで送り届けることにした。
自分でもどうしてそんなことで悩んだのか分からない。自分が全く分からなくなっていく。
俺はそんな思考も、今日はやけに悩む日だと適当にぼかして、無視をした。
「分かった。帰るのを手伝ってやる。そういえば、お前の家はどこにあるんだ?」
「ありがとう。私の家?私の家はね、イーラ村ってところにあるの」
「イーラ村って言うと⋯⋯」
俺の家庭教師をしている父の部下から聞いたことがある。悪魔の住む地、リーススと一番近い村だとか。父の部下はそれしか教えてくれなかったが、口ぶりからして他にも何かがあるみたいだったしついでにどんなとこか見てみよう。
「知ってるの?私の村」
「まあちょっとな。確かあの悪魔がいる場所から一番近い村らしいじゃん。そんな場所でよく暮らせるな。俺だったら近寄りたくもないんだけど」
我ながら上手く嘘をつけているのではないかと思う。
「⋯⋯やっぱりそう思う?」
「まあそうだな。悪魔と自分から近付きたいって思う人間なんてそういないんじゃないか?それより道を教えるのはやめだ。イーラ村まで着いてってやる」
「いいの?結構大変だと思うよ?」
「別にそれぐらい気にしない」
さっき吐いた嘘と全然違うことを言ってしまったがどうやら少女はそこには対して気付かなかったみたいだ。
それから俺と少女はイーラ村まで一緒に歩くことになった。その際に補助として手を繋ぐことになったが、繋いで見てやっぱり悪魔と人間は全然変わらないのだと、再認識した。
道中、少女は俺のことを知りたいと言って色々質問してきたが、悪魔だとバレてはいけないので何とか本当のことと嘘を織り交ぜて乗り切った。
どれほど歩いただろう。案外遠くもなかったし、近いわけでもなかった。となるとこの少女は一体何のようで村を出ていたのだろうか。村から近い場所ならともかく、遠いなら大人の一人ぐらいいてもおかしくはないと思うんだけどな。
イーラ村はリーススと近いにも関わらず、堀や壁なんてなく、無防備にも自分達の住む家々を露出させていた。
イーラ村の家々が近くなったところで、少女の足は止まった。
「どうしたんだ?」
「ここら辺でいいよ。ここまでくれば自分で帰れるからさ」
「大丈夫なのか?別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「別に無理してないよ。私は────────」
「エリン!!!!今までどこに行ってたんだ!!!!」
少女の言葉を遮る形で突然男の声が響いた。少女はその男の声に反応して、そちらに顔を向ける。俺も同じく声のした方を向くと、俺とあまり変わらないような背丈の少年がこちらに向かって走ってきているのが見えた。
男はこちらまで来ると、息を切らしながら少女の肩を掴んだ。
「お前今まで何してたんだ!!」
「いや〜ちょっと散歩に⋯⋯」
「村の皆心配してたんだぞ!!お前は目が見えないんだからもっと気をつけないといけないのに!!それなのに!!」
「ちょっ、カリア、分かったから、肩掴まないで、痛い」
少女のその言葉で、少年は謝りながら慌てて肩から手を離す。少女は少し痛そうに顔を顰めながらいると、ふと少年がこちらを向いた。どうやらやっと俺に気が付いたよ───────
気が付けば俺は少年に組み伏せられていた。
「おい何で悪魔がこんなところにいるんだ!!!」
「は?」
突然組み伏せられていたことよりも、どうして俺が悪魔であると分かったのかが分からず、つい変な声を出してしまった。
⋯⋯そうか、目か。どうやら悪魔と人間は目に違いがあるらしい。だから少女との違いが分からなかったのか。
「カリア!!やめて!!その人は私をここまで連れてきてくれたの!!」
「はあ!?悪魔がそんなことするわけないだろ!?なんか裏があるに決まってるだろ!!」
少年の腕を掴み、俺から引き剥がそうとするが、少女のその努力も虚しく、俺を組み伏せる少年の力は剥がされまいと余計に強くなった。
すると、どこからともなく大人と思われる声が複数響き、沢山の足音がこちらに近付いてきた。
「どうしたカリア!!」
「悪魔だ!!やっぱりこいつらあの約束破ってきやがった!!」
「くそっ、やはりこいつらの非道さには敵わないか」
「取り敢えずこの悪魔を拘束しろ!!カリア、もう少しだけそいつを抑えておいてくれ!!」
「ああ!!」
なんか俺以外で勝手に盛り上がってんだけど俺はどうすればいいわけ?別に少年の拘束は簡単に抜けられるが⋯⋯どうすればいいんだろう?
「ちょっやめてって」
「エリン!!悪魔の近くに寄るんじゃない!!好奇心で関わっていいようなものじゃないんだぞ!!」
ふと、あの少女の声が響いたので、拘束された状態でチラリと見てみると、こちらに向かおうとしている少女を大人が止めているようだ。
少女は目が見えない筈なのに喋っていない俺の方向をしっかりと見て叫んだ。
「あの人はただ私を助けてくれただけなの!!ねえ聞いて!!」
⋯⋯このまま捕まっていても少女に変な心配をかけるだけだな。
そう判断した俺は、少年の拘束を難なく逃れると、何も喋ることもなくただ村から逃げるように走った。
後ろから少年と大人達の怒号が聞こえる。ただ、追ってくる様子はないため、少しだけ走る速さを遅くする。少女はこれから大人達に怒られるのだろうか。
俺も怒られたことはあるが、皆あそこまで感情を顕にしてはいなかった。あくまでも俺の成長に繋げるために怒る時は怒っているような感じだった。⋯⋯悪魔と人間とでここまで違うのか。なんか、人間ってあんまり楽しくなさそうだな。
「それにしても約束って何のことだ?俺全く知らないんだけど」
先程まで少女という話し相手がいたからか、ついそんな独り言が漏れてしまう。
そういえば名前、エリンって呼ばれてたな。俺達結構喋ってたけど結局名前とか全然聞いたりしてなかったな。
取り敢えず、今日は流石に疲れたな。さっさと家に帰って寝たいな。
そんなことを考えながら、俺は家へと帰っていった。
「は?お前あの村に行ったのか?」
家に帰り今日あったことを父に言うと、驚きはしたが、怒っている様子もなくそう言われた。
「やっぱダメだった?ちょっと盲目の子を手伝っただけなんんだけどさ、なんかいきなり捕まっちゃって」
「まあ別に行くこと自体は何も悪くないんだが⋯⋯」
「え?そうなの?なんか約束を破ったとかどうのこうの言ってたからなんかダメなのかなって思ったんだけど」
「いや、別に行くこと自体は問題ない。ただ危害を加えることをしないと約束しただけだからな。ただあの村の人間達は皆少し、俺達悪魔に対して偏見がすぎる節があるからどの悪魔も近付かなかっただけで」
てことはあの村の住民は悪魔が自分たちに害をなす、悪い生き物って思ってるんだろうか。だとしたらあの対応にも納得だ。やっぱりあの時何も言わなかったのは正解だったみたいだ。余計に拗れてたかもしれない。
「まあお前に何もなくて良かったよ。まあお前ならそんな心配なくても良さそうだけどな」
「別に魔力が多いからってそれが使えるかは別問題じゃん。俺まだ下手くそだし。まあでも捕まえてきたのが俺と同じくらいの人間だったから全然楽に抜け出せたけど」
「そうか。これからしばらくはあの村に近付くのもやめたほうがいいと思うぞ。そのほうがこっちも向こうも変に気を使う必要もないしな」
「分かった。これから散歩する時は別の方向にするかな」
そんなことを言いながらも、どうしてか俺はあの少女がどうなったのか気になって仕方がなかった。
俺を庇おうとしたことで彼女は怒られてしまっただろうか。まあ怒られているだろうな。あの少年の話からして何も言わずに出掛けてたみたいだからそれも込みでこっ酷く叱られてるだろう。
別に出掛けてたことは俺は無関係だが、俺を庇おうとしたせいで怒られるのは何だか申し訳ない。謝りたいとは思うがそれもいつになることやら。
「そうだ、今日の夕飯はお前の好きなグラタンらしいぞ。楽しみにしとけ」
「グラタン!?やった、楽しみにしとく」
今日は少し不幸なことがあったからかな?でも俺まだ何も言ってないしな⋯⋯母凄し。
それからしばらく、食事もして風呂も入った俺は、ベッドの上で寝転んでいた。
これからどうしようか。あの少女⋯⋯エリンはどうなってるだろうか。そんなことを考えてもあの村の人間達が悪魔に対してあの反応ならしばらく経っても近付くのは無理そうだ。どこかで偶然会うみたいなことでもないと話す機会なんてないし⋯⋯まあ今日会って少し話した程度だから別に気にすることでもないか。
そう思って目を瞑る。だが、それでもどうしてもエリンのことが気になって仕方がなかった。
気付けば意識は途切れ、眠りについていた。
◇ ◆ ◇
「きちゃった!!」
「⋯⋯は?」
朝、いつもより少し遅い時間に起きた。窓から覗く眩しい朝日を浴びながら体を起こし、自分の部屋を出る。そこまでは良かった。だが問題はリビングに着いた時だ。
そいつは椅子に座って母と一緒に駄弁っていた。その光景を見た瞬間、いつもより寝た筈なのにやけに酷かった眠気が一気に覚めたような気がした。
「⋯⋯なんでお前がこんなところにいるんだ?」
それほどの衝撃を受けたにも関わらずここまで冷静なのはやっぱりまだ眠かったからか。
俺は純粋な疑問を目の前にいる少女、エリンにぶつけた。
「昨日悪いことしちゃったから謝らないとって思って」
「いや、あの村まで着いてくって行ったのは俺だし、悪魔ってことも隠してたから、そんなに気にしなくてもいいよ。むしろこっちが謝りたいぐらいだよ」
「そう言ってくれてありがとう。別に君が謝る必要はないよ。君は私に優しくしてくれただけだから。本当に、昨日はごめんなさい」
謝られた時ってどんな反応していいのか今一分からないんだよな。
頭を下げる彼女にどんな言葉を返してやればいいのか困っていると、後ろから足音がしたので、振り返ろうとしたら頭を軽く叩かれた。
「ちょっ何すんだよ」
突然の衝撃に痛くもない頭を押さえながら振り返ると、そこには父がいた。
「彼女が誠心誠意謝ってるんだからすぐ反応してやれよ」
「いや、こう言う時ってどんな反応すればいいのか分からなくって」
「謝られたのならそれを受け入れるだけでいいんだよ。別にわざわざ謙遜する必要もないんだから。すまないね、エリンさん。もう頭を上げてくれ」
父さんのその言葉でエリンは顔をあげ、どこか不安そうな顔でこちらを見る。
すると、父さんに背中を軽く押される。はいはい、そうですね、俺が何か言わないといけないんですよね。⋯⋯気まずい。
「その、何だ。⋯⋯分かった。許す」
「⋯⋯本当にいいの?」
「いいんだよ。そう気負うな。お前は昨日のことを謝った。俺はそれを許した。これで終わりだ」
「⋯⋯ありがとう」
エリンはか細い声でそう言ったかと思えば、涙を流し始めた。へ?涙?
「え?ちょっ何で!?」
「ご、ごめんなんか安心したらなんか涙が」
それから何とか俺と母でエリンを宥め、色々会って四人で朝食を食べることになった。
「そういえば目が見えないのに何でここまで来れたんだ?」
朝食を食べながらふと、思ったことを口にした。あの村からこの家まで複雑な道はないにしろ、目が見えない者が一人で来れるような場所でもない筈だ。それに何でエリンは俺がここにいるって分かっていたのか。
「えっと、私目が見えない代わりなのか知らないけど、何か物とか人の光?オーラ?なんか靄みたいなのが頭に流れてくる感じがして、今自分の前に何があるのか何となくだけど分かるの」
「靄?何だそれ?いや、それでも何で俺のいる場所が分かったんだ?」
「えっと、なんて言えばいいのかな?なんて言うか、私昨日よりもずっと前から貴方のことを知ってたの。って言っても名前とか家とかを知ってるんじゃなくて、貴方がいるってことを知ってたの」
「俺がいること?どう言うことだ?」
「小さい頃からこの家のある方向から他の物とか人とは違う色で、すごい大きな靄がずっと見えてたの。私、生まれてからずっと目が見えないって言ったでしょ?だからあんまり外にも出してもらえなかったの。だから毎日その靄だけをずっと追いかけてた。そして昨日近くに来たのを見て、家を抜け出して見に行ったら貴方がいた」
「つまり、その色の違う大きな靄は俺だったってことか」
あの村から見えるぐらい大きいならそりゃ家分かるよな。それにしてもエリンの言う靄とは何なのだろうか。そして何故俺だけ色が違く、大きいのだろうか。
って、あれ?こいつ今家抜け出したって言ったか?え、てことは今日も家を抜け出したってことなんじゃ⋯⋯
俺がそのことについて聞こうとした時、俺の隣に座って黙って彼女の話を聞いていた父が口を開いた。
「エリンさん。もしかしてイルの靄の色は他のよりも明るかったりしないかい?」
「えっと、多分明るい?と思います。あ、でも違うことは分かるんですけど、どう違うのかはあまり分からないので本当にそうなのかは分からないです」
「⋯⋯配慮が足りなかったね、すまない。それでその靄なんだが、もしかしたら魔力かもしれない」
「魔力⋯⋯ですか?」
「ああ、魔力は視認しようとすると靄として見えるんだ。これはおそらく君の脳に流れてくるその靄のイメージと同じ物だと思う」
おお、さすが。伊達に研究者してないね。
でもあれ?確か魔力を視認するにはかなりの魔力操作技術が必要なんじゃないっけ?⋯⋯てことはエリンには魔力が存在していて、昨日の俺は魔力の感知に失敗してたってことか?
その事実に辿り着いた俺は、誰にも気付かれるでもなく一人落ち込んだ。
「魔力⋯⋯ということはイル?君は他の人とは違う魔力を持ってるってことですか?」
「いや、魔力自体は他のと変わらないんだが、魔力量が段違いだ。イルは悪魔憑きだから、元々そこそこの魔力を持つ悪魔にさらに悪魔の力が上乗せされればその力は膨大になる。だから大きく明るく見える」
「え?イルって悪魔憑きだったの?」「え?俺って悪魔憑きだったの?」
え?初耳なんだけど。ていうか母さんも知らないのかよ。
確か悪魔憑きは人間がよくなる、どっかの悪魔の魂が赤子の魂に定着したときになる一種の病みたいなもの。体を蝕んだりすることはないが、その多くは大きくなった力で自らを殺してしまうと言われている。だがそれは人間であった時の場合で、悪魔の悪魔憑きは魂の定着は行われず、体に二つの魂が存在することになり、成長したときに元の魂が反発を起こし、結果、双方の魂の機能が停止してその体は抜け殻同然のとなるらしい。
つまり俺は今後そうなる可能性があって、今が十四だからあまり時間がないわけで⋯⋯
「俺、死ぬの?」
「お前は死なない」
「え?」
あっさりとそう返されて変な返事をしてしまった。
訳が分からないのは母さんも同じようで、「どういうこと?」と父さんに問う。エリンは突然の展開に頭が追いつかないようで、オロオロとしている。
「ちなみにお前の魂が機能しなくなるだけで死んではないとかそんな屁理屈を言ってる訳じゃないぞ」
「いや、それは何となく分かってるけど⋯⋯何でそんなことが分かるんだ?」
「それを話すにはお前の生まれた時のことまで遡らないといけない。今はエリンさんもいるからまた時間がある時にでも話すよ」
「それもそうか。っと悪いな。わざわざここまで来てくれた客人なのにほったらかしちゃって」
「い、いや全然大丈夫だけど⋯⋯いいの?」
エリンのそれはおそらく俺が悪魔憑きのことについて聞かなくていいのかみたいなことだろう。まあ確かに今すぐにでも聞きたいが、それはいつでも聞くことができる。それに別に俺が死なないなた時間も十分あるしな。
「全然大丈夫だ。ていうかそれよりさ、お前家を抜け出してきたのか?」
俺がそう聞くと、エリンは肩をびくりと跳ねさせ、「えっと、いや⋯⋯」なんて口籠った。
黒だな。
母さんも父さんもそれに気づいたようで、心配そうにエリンに大丈夫なのかと問う。彼女は罰が悪そうな顔で口を噤んだまま。
「貴方のご両親も心配してるだろうし、今すぐとは言わないけど早めに帰ったほうがいいんじゃない?」
「それとも何か理由があるのか?」
「え、えっと別に何でもないです。ただちょっと家に居続けるのが嫌だっただけなので⋯⋯」
「⋯⋯そう」
母さんは悲しそうな声で小さく呟いた。
先程よりも陰気臭くなってしまったからか、この場から慌てて逃げるように彼女は立ち上がった。
「あ、あの!これ以上私がいるのも何ですし、もう帰ります。ご飯ありがとうございました!!」
早口でそう言って彼女は家を出ていった。
⋯⋯何でもないなら逃げるなよ。
「父さん、母さん、いってきます」
そう言って俺も家を後にした。
きっと二人は俺がエリンを追いかけることを分かっているだろう。ドアが閉まる直前、二人の暖かないってらっしゃいの言葉は、しっかりと聞こえた。
家を出る前は歩いていたが、やっぱり出てから走って行ったのか、彼女はもう見えなくなっていた。
だが、そう遠くにもいけない筈だ。取り敢えず道なりに沿って行ってみよう。
そう決めた俺は、家の正面から続く道を走り出す。が、目的の少女は思ったよりも簡単に見つかった。一分も経たないうちに前の方で少女がとぼとぼと歩いているのが見えた。
「おい、エリン!!」
少し大きな声でそう呼ぶと、彼女は立ち止まった。だが、少しこちらを振り向いたかと思うとすぐに駆け出した。だが俺は彼女に簡単に追いつき、隣に並び同じ速度で走って話す。
「お前が俺から逃げるなんて無理だよ。大人しく立ち止まっとけ」
そう言ってみるが、彼女は止まるどころか速さを落とすこともなく、全力で走り続ける。
すると、何かにつまずいたのか、突然彼女の体が倒れそうになる。俺はそれを難なく受け止めると、彼女はもう諦めたように体を預けるように俺の胸に倒れてきた。
「⋯⋯大丈夫か」
「ううん。多分大丈夫じゃない」
「そうか。⋯⋯とりあえずそこに座るか」
とりあえずこのまま道のど真ん中で突っ立っているのもあれなので近くの木の下に座る。すると、彼女は俺の腕を掴んで、肩に頭を乗せてきた。
さっきまで逃げていたとは思えないほどくっついてくる。俺こんなに好かれるようなことしてないと思うんだけど。
「ねえ、私の話聞いてくれる?」
「あ、ああ」
「私さ、村の皆が嫌いなの。実は私あの村の村長の娘なんだけどさ、昔から村の皆が私の行動を制限してきてて嫌だったんだ。お父さんもお母さんも近所のおじさんもおばさんも、皆嫌い。だから何度も家を抜け出した。私が盲目だから心配するのは分かるけど、家にほとんど閉じ込めるのは流石に度が過ぎると思うの。そんなのが募りに募って、今日君に謝りにいく時に一緒に旅をしようかなって」
「荷物も何もなしでか?」
「だって私の私物なんてほとんどないから⋯⋯」
そう言って俯く彼女の顔は俺からは見えないが、多分暗い顔をしているのだろう。
そんな彼女を見ていると少しだけ、心が締め付けられる気がする。気がついたら俺のては、彼女の彼女の頭に触れていた。その瞬間、驚いたように体が震えたのを感じる。そしてゆっくりと手を動かすと、黙ったままなすがままに撫でられ続ける。
「まあ取り敢えずさ、お前は無計画に家を出てったってことでいいか?」
「うん」
「馬鹿とは言わないがあまり得策ではないだろ。今頃村中がお前を探してるんじゃないか?」
「別に⋯⋯こんなところにいるなんて誰も思わないだろうから見つからないよ」
「もしかしたら昨日の悪魔のせいだみたいなこと考えてるかもしれないぞ?」
「え?⋯⋯そうかも、ごめんなさい。また迷惑をかけちゃったかも」
「別に気にしてないさ。ただ、お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「⋯⋯さあ?」
彼女をこのままほっといたらどこかで野垂れ死んでるかもしれない。そんな不安が頭によぎった。
気が付けば俺はその提案を彼女に伝えていた。
彼女は遠慮し、断ったが、それでも俺は彼女を助けたいがために⋯⋯いや、自分が何をしたいのかを確かめるために、諦めずに彼女を引き留めた。
その末に、とうとう彼女は折れて俺の提案を受け入れた。
彼女は俺の提案を受けていなかったら、きっと村に帰っていたかもしれない。なんだかんだちゃんと生きていたかもしれない。そんな彼女の人生をただ悪戯に歪めた償いとして、俺はせめてでも彼女に楽しんで、幸せに生きれるように手助けをしてやろうと、心の中で静かにそう決めた。
──────────────────────
「⋯⋯またこんなところにいたの?」
「⋯⋯あの日の俺の判断で皆が辛い思いをしたんだ。例え誰も気にしてなくても⋯⋯忘れられるわけないだろ」
五年前のあの日、エリンに家で暮さないかと提案した日。
その日の三日後にあいつらは来た。その姿は今でも忘れない。ただ純粋に怒りに満ち溢れた、化物とも錯覚させるようなあのイーラ村の奴らの姿は─────
『お前らみたいな悪魔はここで死んでしまえ!!!』
『エリンを拐いやがって!!!!悪魔が!!ぶっ殺してやる!!!!』
『あいつらは約束を破ったんだ!!!こちらも遠慮なんかしない!!!全員殺してしまえ!!!!』
『お前らなんか生きてるだけ無駄なんだよ!!!!大人しく死んでしまえ!!!!』
『死ね!!!死ね!!!死ね!!!この悪魔共が!!!!』
あいつらの叫びは耳にこびりついて離れない。燃え盛る自分や友人、近所のおばさんの家。笑顔でいっぱいだったあの場所が一気に恐怖へと塗りつぶされたのを俺は忘れられなかった。
幸い、死んだのは二人で済んだ。いや、二人も死んでしまった。俺の悪戯な行動で、父さんも母さんも死んでしまった。あの時の二人の最後の笑顔はどうしてかぼやけるように霞んで思い出せない。
ああ、何で人間達への恐怖はあれだけ鮮明に覚えていて、二人の笑顔は覚えていないのだろう。これは罰なのかもしれない。自分のことだけを考えて周りの皆を巻き込んだ罰なのかもしれない、そう考えても、俺はそれを受け入れたくはなかった。
馬鹿みたいだ。
自分のせいなのに、自分のせいではないと信じたい。
十分な幸せを皆からもらっているのに、それでもまだ足りないのだと無様にも求め続ける。
ああ、こんな自分が憎くてとても馬鹿らしい。
「君の両親も貴方の幸せを願ってる。最期にそう言ってたでしょ?」
分かってる。でも、今与えられ、持っているこれが本当に幸せなのか、俺には分からない。だからその正体を知るために自分が幸せなのだと、そう確信できるようなものを探し続けている。
『イル。お前の周りには皆がいることを忘れるな。皆を見ろ。皆もお前を見てくれる。それが幸せだと、俺達がいなくても繋がりがあるお前は大丈夫だろ?⋯⋯じゃあな、愛してるぞ』
『私達がいなくなったら貴方は悲しんでくれるでしょうけど、それだけじゃ私達は嬉しくない。私達がいなくなっても笑ってくれないと、私達が笑っていられない。どれだけ悲しいことがあっても、どれだけ辛いことがあっても、どれだけつまらなくても、どれだけ人間が憎くても、最後には笑うのよ!!⋯⋯それじゃあね、イル、愛してるわ』
あの時の二人の笑顔は思い出せないけど、あの時の二人の言葉はしっかりと覚えている。
皆を見ろ?皆が俺を見てくれる?分かってる。でも俺はそれが幸せなんだって納得できない。
最後には笑う?こんなに悲しいのに、どう笑えって言うんだ。
二人がどれだけ俺の幸せを願っていても、俺は、二人がいない今を幸せと感じることができない。
でも、それでも、俺が手を伸ばすだけじゃなくて、足を踏み出すことができたのなら、今を幸せなのだと笑って言えるかもしれない。
「ごめん、そろそろ行くか」
「頑張って、貴方の幸せを見つけようね、イル君」
「⋯⋯そうだな。その時はきっと、俺も、父さんも、母さんも、お前も笑ってられるかもな、エリン」
だから俺は、俺達は、手を繋いで一緒に一歩ずつ、足を踏み出して、一緒に笑える日が来ることを無様にも待ち続けている。
自分達から歩かないと駄目だと、分かっているのに。
パッと思いついたにしては結構いいんじゃないかと、調子付いたことを思ってみたり。