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明日の天気はきっと晴れ  作者: FRIDAY
第四話 佐々木さんの家出
34/38

34.田中さんのお話はいつも有り難いのです。

「……うーん」

 唸る。


 何だかここ最近、こうして唸ってばかりな気がする。そして、僕がこうやって唸っているといつも、

「おや、これはまたユーヤさん、飽きもせずに難しい顔をして。今度はどんな少女で妄想たくましくしているのですか」

 と誰かがあらぬ疑い(冤罪も甚だしい)をかけてくるのが恒例になっている。だから、そんないつもやらしいことばかり考えてたりなんかしませんて。少女だなんて。


「では熟女ですか」

「方向性の問題でもないのよ」

「最近、何やら浮かない顔でいることが多いようですが、何かあったのですか? いくらか疲れているようにも見えます」


 僕の隣の席に腰を落ち着けながら、田中さんはそんなことを言う。浮かない顔、疲れた顔。そうかな……そうかもしれない。

 もう、佐々木さんが家出してから一週間以上が経つ。


「以前悩んでいた参観日の方は、どうなったのですか?」

「ああ……参観日の方はね、上首尾に済みましたよ。いやあ、ゆうやけ荘に帰ってみたら、他の皆もとっくに帰って来てまして。僕が一番遅いくらいだった」


 花笑ちゃんも喜んでくれたし、参観日という行事自体は、よかったんだ。

 そのあとの……置いていかれた佐々木さんが、問題だった。


 けれど、さすがにこればかりは、田中さんに相談できる範疇を超えているんじゃないか。


 まず、佐々木さんという存在――屋敷神という存在を、僕は上手に説明できない。いや、屋敷神という神様それだけであれば、説明はできる。けれど、それを佐々木さんという、実存を持った実在の神様として語ることは、僕にはできない。


 知識として有している屋敷神という信仰と。

 見て、聞いて、触れてきた佐々木さんという実在を、結び付けられるだけの言葉を、僕は持っていない。


 以前の花笑ちゃんの件に関しては、問題の核心部分――花笑ちゃんの両親が花笑ちゃんから距離を置いている理由、つまり集霊体質に触れる必要がなかったから、ぼかした説明でよかった。

 でも、さすがに無理だろう。


 家から出られないはずの佐々木さんが家出した。


 そんなことを言われても、きっとわからない。僕だって、どういうことなのかわかりかねるだろう。


 家から出られないとは、何だ。

 屋敷神だから。

 屋敷神って、何?


「…………」

「成程、また別の問題が浮上した、と。そしてその問題については、私に軽々けいけいに相談することはできないのですね」


 押し黙ってしまった僕を見て、田中さんは結構(まと)を射た理解をしてくれる。でも、それは少し違うんだ、と僕は首を振った。


「相談できないんじゃない……わからないんです」

「日本語がですか?」

「それはさすがにわかるよ……そうじゃなくて、こう、何と言えばいいのかわからないんだ」


 どうしてわからないのか、ということの説明もできない。酷いジレンマだ。そのもどかしさを見て取ったのか、成程、と田中さんは頷いた。それから、ちらっと腕時計を確認し、「まだ教授は来ませんね」と言う。そうだねと僕は返すけれど、何だか既視感のある流れだな。前とは違う講義なんだけれど。

 では、と田中さんはおもむろに、開きかけていた教科書を閉じた。


「私にさっぱりわからない話でも構いません。ユーヤさんなりに、思うところを全部話してみてください。何なら、日本語でなくとも構いませんよ。ロシア語でもスワヒリ語でもアラビア語でもアイヌ語でもウチナーグチでも」

「いや、そのどれも僕は話せませんけどね」微妙にメジャーからズレたチョイス……最後のふたつは一応、現代では日本語の範疇だろうし。「え、でも」

「話すだけでも楽になる、らしいですよ」

 僕の目を見ながら、田中さんは端的に言った。どうぞ、と。


「聞き手に対して説明しようと考えながら話すことで、自分の中でも整理されていくのです。余計な感情も消化できるでしょう。何なら私は全て聞き流して教科書でも読んでいますから、どうぞ遠慮なく」

「完全に聞き流しの姿勢をされると、さすがに躊躇われるけれども……」


 冗談なのはわかってる。田中さんは、教科書を閉じたのだから。

 聞きの姿勢。

 それなら……甘えよう。

 聞いてもらおう。


「ゆうやけ荘には……佐々木さん、っていう神様がいるんです」

「ほう、佐々木さん」田中さんは肩眉を上げる。「随分と俗っぽい名前ですね」

「ええ、まあ。佐々木さんはゆうやけ荘の屋敷神、なんですよ」

「屋敷神……」

 田中さんは記憶を探るように少し遠い目になって、指先でトントンと机を叩く。「民間信仰のひとつでしたか。主に祖霊神を祀り、土地や家屋を守護してもらう」


 そう、田中さんの言う通り、それが民俗学的な、ひいては現実的な屋敷神の姿だ。でも、と僕が何かを言う前に、それで、と田中さんが先を続けた。

「で、その佐々木さんという方が、ゆうやけ荘の屋敷神なのだと。成程」

「……うん、そうなんだけれど」僕は少し驚いて、思わず訊いてしまう。「信じられるの? 佐々木さんが屋敷神なんだって」

「別に、私が信じるとか信じないとかいう話ではありませんよ」

 以前に話しませんでしたか、と田中さんは何でもないことのように言う。そういえば、そうだった。


 田中さんの幽霊観。

 非存在証明の不可能性。

 つまり、そこのところが説明できないという僕の悩みは、杞憂だったわけだ。


「佐々木さんが……家出、したんだ」

「ほう、家出」

「でも佐々木さんは、家出なんてできるわけがないんです。屋敷神は、屋敷の敷地から外には、出られないから」

 成程、と田中さんは相槌を打つ。「では、佐々木さんはゆうやけ荘のどこかにいるはずなのですね」

「ええ……でも、見つからない」

 どこにもいない。思いつく限りありとあらゆるところを皆で探したのだけれど、探し続けているのだけれど、佐々木さんはいない。


「フィールドを限定されたかくれんぼで、しかしどこをどう探しても見つからない、と……では、皆さんが探している間にも移動し続けている、というのはどうでしょう。一か所にとどまらず、捜索の目をかいくぐって。かくれ鬼ですか」

 田中さんの言葉に、僕は首を振った。それも、既に考えているのだ。


「佐々木さんを探している全員で、一斉にローラーしてみたりもしたけれど、やっぱり見つからなかったよ」

「屋外は? 未見ではありますが、ゆうやけ荘は長い歴史のある建物でしたよね。屋敷神が祀られているくらいなのですから、ゆうやけ荘そのもの以外の場所、庭のような場所は」

「探したよ。裏庭も、そこにある林も、蔵も、全部……でも、いない」

 それは、と田中さんは考え込むようにして顎に指を添えた。徹底していますね、と。

「それだけ人事を尽くしても見つからない、と……大家さん、前島さんは、霊能者でしたね。前島さんは、何と?」

 そういえば、田中さんは一度、前島さんに会っている。その職業も知っているから訊いたんだろうけれども、僕は首を振った。

「前島さんは、佐々木さんのいる場所はわかってるみたいなんだけれど……それを教えるわけにはいかないって。子供の喧嘩に大人が横入りしちゃいけない――僕たちが僕たちだけで解決しないといけないって」

 全く不本意でないと言えば嘘になるけれど、そこで僕が駄々をこねても何ができるわけではない。そうですか、と田中さんは考え深げに腕を組んだ。


「成程、それもそうなのかもしれませんね……しかし、そもそも佐々木さんは、どうして家出をされたのですか?」

 ああ、そういえばそこをまだ話していなかった。順番としてはこれが一番最初なのに。


「参観日、だったわけですよ」

「ええ、ユーヤさんの大好きな女子高生の……ああ」

 合点がいった、というように手を打つ田中さん。聞き捨てならないフレーズがあったけれどもそれを訂正する暇もなく、「佐々木さんは、行けなかったわけですね」

 そう、と僕は頷いた。


「佐々木さんはゆうやけ荘から出られないから行けなくて、でも行きたがった――佐々木さんが外に出たがるのは、これが初めてではなかったんです。今までだって、何度もあった。別に何でもない日にだって、その日の気分で外に出たがるような佐々木さんでしたから、そのたびになだすかして、だんだんと……慣れていってしまった」


 佐々木さんが外に出たがること。駄々をこねること。

 そう、駄々をこねている、と捉えるようになっていってしまった。


「佐々木さんが外に出たがるのはいつものことで、よくあることで、だから深く考えないようになってしまった。佐々木さんがどんな思いをしているのか……考えなくなった」


 また、佐々木さんが無理を言っている、と。それしか思わなくなった。


「あのときも、参観日に向かおうとしたときも、佐々木さんは行きたいと言った――いつものように。だけど、連れていけなかった……連れていかなかった」


 いつものように。


「確かに、あの日はいつもよりもずっと強く、激しく行きたがっていたけれど、そのことを僕は深く考えなかったんです。おかしいと、思わなかった」


 家族なんだ、って。

 佐々木さんは、そう叫んだのに。


「僕は考えることができなかったんです……だって、想像したら、それはとても恐ろしいことなんだ」


 その可能性を全く考えなかったということは、ない。何度かだけれど、思い当ったことはある。


 およそ鎌倉時代からあるゆうやけ荘。そこにずっと神様として祀られている佐々木さん。

 ざっくり数えて、千年。

 その千年間、佐々木さんがただの一度も外に出たことのないという、可能性。

 出たくても出られないという、可能性。


「それが怖くて、僕は深く考えてこなかった。考えようとしなかった。佐々木さんの気持ちを、おもんぱかろうとしなかった――もしも」

 もしも、一度でも佐々木さんの気持ちに思いを馳せることができていれば。

「それができていれば、こんなことには」「ならなかったかと言えば、そんなことはなかっただろうと、私は思いますよ」


 不意に差し込まれた言葉に、僕ははっとして田中さんを見た。僕の視線を受けた田中さんは、いつもと寸分違わない無表情なままに、ひとつ頷いて見せ、

「私はそう思います」

 そう繰り返した。


「で……でも」

「デモもストもありませんよ。ユーヤさんがそんなことを考えたところで、やっぱりこうなったでしょう」

 はっきりと、きっぱりと田中さんはそう言った。


「そもそも、神様の気持ちを思いやろうだなんて、ましてや気遣おうだなんて、思い上がりも甚だしいとすら言えるでしょう。千年もの屈託を、ユーヤさんがひとりで同情しようだなんて、土台不可能と言うものです。そんなものを、ひとりで背負おうだなんて」

 遠慮も容赦もない田中さんの言葉。けれど不思議と、腹が立ったりはしなかった。


「ユーヤさん。あなたは自分を責め過ぎです」


 びしっと、田中さんは僕に指を突き付けたりはしなかったけれど、勢いとしてはそんな調子で言い放つ。


「確かにユーヤさんはもともと、やや内罰的な傾向があります。内向的で、悲観的で、自虐的で、人見知りで、優柔不断で、後ろ向きで、陰湿で、根暗で、地味で、破廉恥で、少女趣味で、熟女趣味で」「ちょっと待ってちょっと待って、濡れ衣が混ざって来てる」しかもさらに意味が変わってきてる。「とにかくユーヤさんはそういうどうしようもない人間ですが、しかしこれにばかりは私もほんの少しだけ物申さずにはいられません」


 既にほんの少しどころでなく言いたい放題言われた感じがするけれど、というか田中さんの中での僕はそういう人間だったのかとほんの少しどころでないショックを禁じ得ないところでもあるけれど、とにかく今は、聞く。


「あなたは、優し過ぎる」

 田中さんは、そう言った。


「自分を責め過ぎるというのは、つまりそういうことです。自分に責任を求め過ぎる。でも、違いますよ。勘違いしないでください」

 思い上がらないでください、と田中さんははっきり言った。


「それは、ユーヤさんが何を思ったところでどうにもならないたぐいのことです。あなたひとりでできることは、何ひとつとしてありはしない――そして、忘れないでください」

 いいですか、と田中さんはまっすぐに僕に言う。


「そんな思いを(いだ)いているのは、決してあなただけではないはずです」


 ああ、と僕は思わず吐息した。

 そうだ――そうなんだ。

 僕だけじゃ、ないんだ。この思いを(かか)えているのは。

 だから皆、まつげさんも水戸さんも加賀さんも花笑ちゃんも木鈴さんも最上さんも皆諦めずに佐々木さんを探し続けているんだ。

 同じ残念を抱えて。

 いつだったか、自分を責めるようなことを言った花笑ちゃんを止めたのは僕なのに――僕自身が、同じ思考に陥ってしまっていた。

 こんな後悔は、何にも繋がらない。何も生み出さない。それなのに、僕は。

「エロいことで常に頭をいっぱいしていればこんなことにはならなかったのにな……」

「あたかも僕のモノローグのように言わないでください」

 そんなことこそ夢にも考えないですって。オールタイム破廉恥妄想で悶々としているとか、中学生か。

 そんな突っ込みを入れたところで、ふっと田中さんの目元が緩んだ。


「思い詰める必要はありませんよ、肩の力を抜きましょう、ユーヤさん。行き詰ったときは一度、完全に脱力して全く関係のないことを考えてみるのも一手ですから」

 いや、それにしたって、エロいことは考えませんよ。ええ、本当に。


「勢い思い詰め過ぎ、背負い過ぎとは言いましたが……決して、考えることそれ自体は否定しませんよ。それもまたユーヤさんの優しさであり、人に誇ることのできる唯一の美点なのですから」

「え、唯一……?」

「思い悩まずとも、転機は訪れます。佐々木さんの屈託も、遠からず変化を迎えるでしょう。きっと、望ましい方向に」

「……?」

「そもそも、そのユーヤさんの心配も、やや見当違いと言えなくもなさそうですし……」

 占い師のようなことを言う田中さん。見当違いって、どういうことだろう、と首を傾げるけれど、他ならぬ田中さんの言うことだ、しっかりと心に留め置こう。


 ともあれ。


 僕の心は少しならず、軽くなった。

 状況は変わっていないけれども、心境は変わった。

 上を向いて歩き出せそうなくらいに。


「何と言うか……話すだけ、って始まったのに、しっかり相談に乗ってもらっちゃいましたね」

 僕は頬を掻く。一度ならず二度までも、田中さんに救われた。これは、何かお礼をしなければなるまい――そういえば、花笑ちゃんの件に関しても、騒動が一連しているせいで満足なお礼ができていない。その分も兼ねて、何か田中さんに報いたいところだ。


「では、今月と来月の家賃水道代光熱費を払ってください」

「え、それは……」田中さんは確か、格安の四畳半アパートに住んでいたはずだけれど、それでも二ヶ月分は結構な額に上るぞ……いや、それが田中さんの願いともなれば、万難を排して銀行に走るにやぶさかではないけれど。ちょっと尻込みした僕の様子に、くすっと田中さんは笑った。


 あ、田中さんが笑った。

 初めて見るかもしれない。


「冗談ですよ。それほど大したことではありません、話を聞いただけですから――」いや、こちらとしては人生相談に乗ってもらったくらいの気持ちなんだけれど。しかし田中さんは先程までと一転してぞんざいに手を振って、「今度、食事をおごってください」

「あ、それくらいなら」

「ではこれで手打ちですね。一日三食一ヶ月、よろしくお願いします」

「え」

 そいつは予想外だぜ。だが今度は冗談ではなく本当にそれで手打ちなようで、田中さんは腕時計を見ている。


 一日三食一ヶ月か……。

 二か月分の生活費の方が安かったんじゃないだろうか?


「どうやら教授は、講義のあることを忘れているようですね」

 ほら、と自分の左腕の時計を見せてくれる。田中さん自身に対して正対なままに見せられたので僕の方からでは逆さになっているが、頭の中で回転させて読むと成程確かに、もう講義時間が終わる。しかしお陰で心機一転できたのだから、感謝しなければなるまい。


「田中さん、ありがとう。今度は気持ちを改めて、一から探し直してみるよ。見方を変えればまた違うだろうし、もしかしたら見落としてる場所もあるかもしれないからね」

 そう言いながら、僕は大きく伸びをする。と、鞄に教科書類を仕舞い込んでいた田中さんが、僕のその言葉を聞いて「ああ、そうそう」とこちらを見ぬままに、

「そのことなんですがね、先程お話を一通り聞いていたわけですが、どうやら恐らくユーヤさん含め誰も探していない場所がありますよ」

 確かに、見落としですね、と田中さんは言う。え、と思いもよらぬ言葉に本気で驚いて田中さんを見る。


「ど、どこ? どこですか?」

「ユーヤさんは、今日の講義はこれで最後ですよね。では、まっすぐ帰って早く見つけてあげるといいでしょう」


 もったいぶっている、というよりは、わかりきったことだから急がない、という調子の田中さんだけれど、見当もついていないこちらとしては是が非でも教えてもらいたいところだ。どこなんですかと食い下がる僕に、ふふん、と田中さんは笑みを見せた。

 今度の笑みはさっきの微笑と全く違って、完全にサディスティックなそれだった。


「私はあくまでも部外者ですので、はっきりと教えるわけにはいきませんが……ヒントです。ユーヤさんたちはゆうやけ荘を隅から隅まで探したと仰っていましたが、果たして本当にそうでしょうか? 佐々木さんがいくらゆうやけ荘から出られないと言っても、もう一か所、隠れられる場所がありますよ」

「いや、でも、本当に隅から隅まで探したよ。床下から屋根裏まで、草の根分けて探したし」

「それは勘違いというものです。あるいは思い上がりとでも言いましょうか。確かに平方面にはくまなく探し尽したのでしょうが、空間というのは決してそんな一面的に限られたものではありませんよ。『敷地内』という言葉に惑わされてしまいがちでしょうが、むしろもう一方の方が余程広い」

「平方面の、もう一方……垂直面ってこと?」いや、それにしたって、ちゃんと探したはずなんだ。「床下から屋根裏まで、ちゃんと探しましたよ。穴を掘るかって言ったら、前島さんに爆笑されましたし」

「惜しいところまでは行っているのですよ……屋根裏まで。しかし、もっと上があるでしょう」

「屋根裏より上って……空? でも佐々木さんは、神様だけれど空は飛べませんよ」


 そう答えたら、田中さんにあからさまに呆れた顔をされた。いや、表情の構成はいつもと同じ無表情なんだけれど、なぜかありありと伝わってくる。

 どうしてそうなりますか。

 前島さんにも同じようなことを言われたなあ。


「屋根裏から、どうして一足飛びに空まで飛んでいきますか。確かに空もゆうやけ荘の敷地内ではありますが、例え飛んだところで隠れる場所などないでしょう」

「それじゃあ、どこに」

「もうひとつ下です」


 やっぱり鈍いですねえ、と田中さんは、何だかこの件以外にも含みのあるような言い方をしながら、ついっと窓の外を指さす。


「ゆうやけ荘ではありませんが、同じ場所はここからでも見えますよ」


 ほら、と示されるのは、僕のいる教室のある棟から、中庭を挟んだ向こうにある別棟。

 その、上方。


「――あ」

「では、早速行ってらっしゃい――皆さんが、待ってますよ」


 僕が思わず立ち上がり、田中さんが僕の背中を軽く押すと同時、講義時間が教授の訪れのないままに完全に終わった。


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