32.本当に、佐々木さんが家出しちゃいました。
佐々木さんが家出した。
飾りなくそう言い放った前島さんの言葉は、僕だけでなく、他の皆を困惑させるに十分だった。
まず、『家出』という文言からしていきなりダウトと叫びたくなる。
佐々木さんは、ゆうやけ荘から出られない。正確には、ゆうやけ荘の敷地内から。
これまでにも何度も繰り返してきたことだが、ゆうやけ荘の屋敷神である佐々木さんは、自らの神域であるゆうやけ荘の敷地から外に出ることができないのだ。
家から出られない。
それなのに、言うに事欠いて『家出』だなんて、冗談もいいところだ。しかも前島さんは、まつげさんとは正反対でこういうタチの悪い冗談を結構言う。だから今回も、その悪趣味のひとつなのだろうと思った。
どうせまた、佐々木さんは裏庭で、最近よく出てくるという野良猫と遊んでいて、夕食時になればひょっこり帰って来るんだろうと、そう思った。
思いたかった。
考えたくなかったんだ。
まさか本当に、佐々木さんが『家出』した、だなんて。
「――あ、あれ、佐々木さんは……?」
けれど。
水戸さんが夕食を運んでくる時分になっても、佐々木さんが姿を現す気配は全くなかった。
佐々木さんが家出した。その報を聞いていないのは、まだ懇談会から帰らないまつげさんと、しばらく台所に入っていた水戸さんだけだ。いつもと同じ大皿に、花笑ちゃんの記念日を祝ってのことだろう、いつもよりも豪勢な料理を載せて運んできた水戸さんは、やや沈んだ空気の面々を一目見るなり違和感に気付く。
「ん、ああ、佐々木ちゃんはな――」
前島さんが答えかけたが、ちょうどそこでまつげさんが帰宅したらしい、玄関から「ただいまー」という声が響く。
「やー、思ったよりも盛り上がっちゃったわ。夕御飯、間に合ったかな」
言いながら居間に顔を出したまつげさんは、ちょうど料理が据えられたばかりの食卓を見て「よかった、間に合った」と安堵の息をつく。そしてすぐに皆の雰囲気を感じて、うん? と首を傾げた。
「まあ、とりあえず座ってくれ」
鷹揚な前島さんの指示で、要領を得ないながらも席に着くまつげさんと水戸さん。ひとまず全員がそれぞれに座ったことを確認したところで、改めて中断していた口を開く。
「ユーヤたちには一度話したが……佐々木ちゃんが家出した」
まつげさんと水戸さんの反応は全く同じだった。ふたりとも、そして初めて聞いたときの僕たちとも。
耳にした言葉を額面通りには理解できず、きょとんと瞳を瞬かせたあとで、同時に、
「「え」」
と唱和する。
「そ、それってどういう……だ、だって佐々木さんは……」
戸惑いを隠せない水戸さんの言葉に、まつげさんも頷く。
「佐々木ちゃんは、ゆうやけ荘からは出られないはずでしょう?」
皆、思うところは同じというわけだ。
けれど、前島さんは肩をすくめて返す。そして空席になっている佐々木さんの定位置を示し、
「だけど、本当なんだから仕方ない。考えてもみろ、佐々木ちゃんが、飯時にいなかったことが今まで一度としてあったか?」
「それは……」
ない。
いついかなるときでも――以前、まつげさんにこっぴどく叱られて、拗ねて部屋に半日引きこもっていたときにも、夕食の時間にはきっちり席についていた。あのときは原因も単純だったけれど……お菓子のつまみ食いが原因だった。しかしとにかく食事だけは外さない佐々木さんだ。
そのはずなのに、今、佐々木さんはいない。
「そ、それじゃあ、探さないと……!」
意外にも水戸さんが一番に立ち上がったけれど、いい、と前島さんに制される。
「探すのは明日からだ」
「で、でも」
「何よりもまずはメシだ。冷めちゃいかんからな」
言下に前島さんは箸を構える。水戸さんはまだ何か言いたげだったが、しかし逆らうだけの言葉を持たず、不承不承箸を持った。他の皆も同じく倣う。
「まずはたっぷりメシ食って、一晩たっぷりと寝て、落ち着いてから探すんだ。焦ったって佐々木ちゃんが見つかるわけじゃないからな」
別に威圧されているわけではないんだけれど、誰も前島さんの決定に逆らうことはできなかった。何せ、前島さんは専門家なのだ。そんな人の意見でもあるし……それに、確かに今は、落ち着いていない。
驚いて、焦っている。
こんなコンディションで捜索しても、徒に時間と労力を空費するだけ――なのだ、と。
自分に、言い聞かせ、御飯に手を合わせる。
折角水戸さんが腕によりをかけてくれたのに、申し訳ないけれど、ほとんど味がわからなかった。
佐々木さんがいないだけで、こんなにも食卓は静かになってしまうのか。
そんな思いを抱いているのは僕だけではないようで、加賀さんも、まつげさんも、水戸さんも表情に影が差している。平気そうなのは前島さんだけだ。そして、花笑ちゃん。
生まれて初めて参観日に誰かが来て、今日は花笑ちゃんにとって凄く嬉しい日だったはずなのだ。それが、こんなことになってしまった。
でも……わかっている。
佐々木さんは、責められない。決して、責めることはできない。
わかっているんだ。
だから、せめて今は――一刻も早く、佐々木さんを見つけないと。
探し出さないと。




