23.佐々木さんは、外に出られないのです。
「対策としては、大昔に先人がやったことと同じだ」
翌日、帰路。
再び車のハンドルを握る僕に、前島さんはそんなふうにして説明してくれた。
「先人がやったことと言うと……」
「要は、また神様を置いたんだよ。ま、今度は市寸島比売ではないんだが」
後部座席では水戸さん、加賀さん、ついでに田中さんもが乗って、皆が眠っているので声は心持ち抑えめだ。昨晩遅くまで身構えていたため、お疲れのようです。いや、そんなことを言ったら僕だって昨日は寝ていないわけで、そんな人間にハンドルを任せて大丈夫なのかというのが著しく不安だけれど、また既に酔っている前島さんにも任せられず。結局僕が栄養ドリンクを呑みながら運転するはめになっている。
著しく健康に悪い。
「市寸島比売でない、というと、何の神様を?」
「名も無き神様さ……祀ろわぬものを祀ったんだよ。お前だって見ただろ? あの蛇みたいな奴」
前島さんの言葉に、僕は頷く。僕を襲ってきた大蛇。あれはまさか本当に大蛇であるはずがなく、つまりは『よくないもの』だ。空位になった神座に引かれて集まってきたモノ。
「あれを神様に……って、それで大丈夫なんですか?」
『よくないもの』を神様になんかしたら、それこそよくないことだらけになるのでは? けれど僕のそんな不安を、前島さんは鼻で笑って一蹴する。
「何だ、知らないのか? この国の神々の性質って奴を……和魂と荒魂」
それくらいなら、僕も知っている。和魂は神様の穏やかな部分、荒魂は神様の荒ぶる部分だ。両者は両側面で同一。
「荒魂であっても祀り上げることで災厄を抑え、恩恵を得る……つまりは、そういうことですか?」
「まあな。もともとこの国じゃあ、とりあえず祀っとけ、祀っておけばなんとかなる、みたいな部分がある」かなり乱暴な考え方だなあ……「自然だとか、無形の存在の霊威に与ろうっていう考え方はアニミズムや多神信仰にはよくある話さ。ちょうど神社で、設備には不自由なかったし」
「神具なんかが壊れてしまうのは、あの『よくないもの』が原因だったわけですよね」捧げられる神の不在なままに捧げられた供物は、その空位に引かれてきた『よくないもの』に蹂躙されていた、というわけだ。「あのお札って、何だったんですか? 大蛇を、封印した、んですかね」
封印と格好良く言うには、ややスマートさに欠けるやり方だったけど。力づくで袋詰めにする感じだったし。前島さんは、あれな、と鷹揚に頷く。
「あの神社の御神体」
「……ええ!?」
不敬にもほどがある! だってそれってつまり、もともとは神様、市寸島比売の神魂を分けていた神具なわけで、「というかどうやって調達したんですか? 御神体には神職ですら滅多に近付けない、というような話でしたけど」
だから無事かどうかの確認もできていない、と宮司さんが話していた。結果的に無事だったようだけれど。しかし前島さんの返答はいっそ清々しいくらいにぞんざいだった。
「そんなもん、くすねてきたに決まってんだろ」
「……うわあ」
言葉もない。
「私が言ったってさすがに、御神体を貸し出してもらうことはできないからな……心配するな、ちゃんともとの場所に戻してきた。さすがに永遠に不滅ってわけじゃあないだろうが、それでも細工はしてきたからな」
「細工って?」
「今回みたいに、神様がいなくなることのないように、さ……あえて『よくわからないもの』を呼び寄せて、それと合一しながら霊威の拡散を防ぐ。ま、少なく見積もってもあの神社が物理的になくなるまではもつだろう。その後は知らん」
よくわからないけれど、当分は大丈夫ってことなのかな。そういう風に理解しておこう。前島さんの不敬の数々は聞かなかったことにして……いやでも、共犯になっちゃうのかな?
「神がいなかったんだから、不敬も何もないだろうが……それより、だ。田中、っていったか?」
後部座席へ視線を流しながら、さらに声を抑えて前島さんが言う。田中さんは今もすやすやと眠っている。僕らと同乗しているのは、バイトの契約終了がちょうど僕らと同じ日だったので、それならついでにと乗せたわけなんだけれど。「田中さんが、どうかしましたか?」
「ああ、一般人なんだよな?」
妙なことを訊く。田中さんが一般人かって? 田中さんは変な知識に精通している苦学生だ。一般人であるはずがない。
「そんなことを訊いているんじゃねェ……殴るぞ」ちょ、今運転中だから、うわっ。「こっち側じゃないんだろうな、って話だ。少なくとも、見えてるのか? 私らと同じものが」
こっち側。前島さん側というと、『よくわからないもの』たちを認識できていて、それらに対し能動的に行動できるような人間。
「うーん……どうなんでしょう」
大蛇が田中さん目がけて跳びかかっていったとき、田中さんは大蛇をしっかりと見据えたようにも見えた。田中さんの視線を受けて、大蛇が怯んだようにも見えたのは確かだ。
けれど、あのあとでそれとなく訊いてみても全部はぐらかされてるんだよなあ……思えば花笑ちゃんを迎えに行ったとき、花笑ちゃんが纏う危険性について忠告してくれていたのも田中さんだ。
全く関係がない、とはさすがに言えない。けれど、どの程度までわかっていると言えるのか。
「何とも、言えないですねえ」
理知的クールビューティ苦学生。これにミステリアスまで加わるとなると、うわ田中さんてば属性多過ぎ。
「そういえば……神様、で思ったんですけれど、佐々木さんも、神様なんですよね」
話を変える、というわけではないけれど、ことのついでにそんな話題を振ってみる。
佐々木さんは自他ともに認める屋敷神、だ。ゆうやけ荘を守っている。
「詳しく聞いたことって、そういえばなかったなって思うんですけど。佐々木さんって、つまり神様としてはどういうタイプなんですか?」
例えばあの神社みたいに、どこかから神魂を分霊してきた、とか。あるいは今回みたいに『よくわからないもの』を祀り上げた結果なのだ、とか。
「でも、いずれにしてみても、佐々木さんには実体がありますよね。肉体があって、精神がある。神様というよりは、まるでそのまま人間みたいですよね。眼鏡をかけていない僕でも見ることができる。――佐々木さんって、どういう存在なんですか?」
佐々木さんの祠があることは知っている。僕もときどきまつげさんに頼まれて手入れをしたりしている。でも佐々木さんが祠に対して何らかのアプローチをとっている場面に遭遇したことはない。そもそもの話をすれば、どうして『佐々木さん』という名前なのかも知らない。
ゆうやけ荘、ひいては佐々木さんの管理者でもある前島さんなら知っているものと思っているのだけれど、しかし予想に反して、前島さんの反応は悪かった。
「佐々木ちゃんなあ……」
やや渋い顔になる前島さん。
「実を言うと、私もあまり細かいことは知らないんだよな。勿論、佐々木ちゃんを祀る儀式とか、事務的なことは知っている。マニュアルがあるからな」マニュアルがあるんですか。「神酒は一日二瓶まで、とか。しょっちゅう破られるが」
それは確かに。佐々木さんってば、まつげさんがどんなに巧妙に隠しても探し当てて勝手に呑んでしまう。
「ゆうやけ荘のある土地の由緒にも曖昧なところが多くてな。鎌倉時代くらいからあるっていうのは確からしいんだが」
「佐々木さんはその頃から、もう当時のゆうやけ荘の屋敷神としていたんですか?」
「大体な。創建と同時に、って程ではないようだが。私も先代から引き継いだときにいろいろ話は聞いたんだが、佐々木ちゃんが屋敷神に成った経緯が結構煩雑だったり曖昧だったりして、よくわかってない」
前島さんでも詳しくは知らないのか……意外だな。ん、でも、ちょっと待って。
屋敷神に『成った』?
「成ったっていうのは……まさか、佐々木さんってもとは人間だったとか、そういう話しじゃないんですよね?」
それは、あまり考えたくない事実だ。佐々木さんは、ともすれば千年近くもの間、ずっとあの場所で、あの敷地内だけで存在してきたということになる――人間が。
人が、土地に縛られて、永遠と。
「さあな。だから言っただろ、よくわかってないって。佐々木ちゃんがもとは人だったのか、それ以外だったのかも」
前島さんは曖昧に濁す。けれども前島さんは、否定していない。
佐々木さんが人間であったという可能性を否定していない。
「ま、佐々木ちゃんが消えることなんて絶対にないし、あの神社みたいなことにはならないから、心配することはないぞ」
「……僕はそんな心配をしているわけじゃ、ないんですけどね」
僕が何を思ったところで、何ができるということもないのだけれど。
それでも、何も思わないということはできない。
佐々木さんに、花笑ちゃんにも似た、いや、花笑ちゃんとは少し違いながら、その何百倍もの悲愴を――余計なお世話ながら、思わずにはいられない。
「……佐々木さんは」
「うん?」
「佐々木さんは、外に出たいって言うこと、ないんですか」
今回の仕事にしてみても、佐々木さんはついて来たがった。けれどもそれは、面白そうだからついて行きたいというだけで、そんな要求ならしばしばある。佐々木さんはただの買い物にすらついて来たがる。
そういうことではなくて、純粋に、ただ外に出たいと言うことは。
「あるよ」
前島さんは、あっさりと答えた。
「滅多には、ないけどな。でも佐々木ちゃんだってわかってるのさ。外に出るわけにはいかないし――出ることはできないってこと」
守り神が、守るべき場所から離れることは、できない。
「……まあそう思い悩むなよ。お前が悩むようなことじゃない」
暗い顔になってしまった僕に、珍しく気遣うようなことを言う前島さん。
「憐れになんて思うこともないぞ。曲がりなりにも神様なんだから、それこそ不敬ってもんだ。どうしてもっていうのなら、酒でも買って贈ってやればいい」
「……そうですね」
「ついでに私にも酒をくれるとポイント高いぞ」
「それはどうでしょうね」
前島さんの要求するお酒は高いからなあ。
ともあれ、とりあえず佐々木さんのことでものを思うのは、少なくとも今は置いておくことにする。滅多にない前島さんの気遣いを受けたから、ということもあるけれど。
生身では霊感すら全くない僕では、できることは何もないから。
「あー、早く帰りたいな。ミトッちゃんとまつげの料理が恋しいぜ」
「水戸さんは休ませてあげましょうよ。でも、そうですね。まつげさんの御飯は楽しみですね」
帰って来てるといいなあ。精進料理は勘弁だな。木鈴さん、白湯とか平気で出すからな。
そんな益体もないような会話をしながら、車通りのほとんどない山道を走る。
遠からず、その佐々木さんから騒動が起きる事なんて、このときの僕には知る由もない。




