22.声くらいかけてくださいよ!
決行は深夜。てっぺんを回ってからで、僕はそれまで部屋で寝ていていい、と言われたけれども、僕の役目が囮であると聞いておきながら前後不覚に惰眠を貪れるほどの胆力は残念ながら持ち合わせていない。あてがわれた部屋に籠もってはいながらも、まんじりともせずに布団の上に正座している。
することもないから、本でも読んでいればいいんだろうけれど、とてもそんな気分にはならないし、仕方がないのでぼんやりと、部屋の隅の暗がりを眺めて時間を潰していた。――事態が動き出したのが、ちょうどその薄闇からだったのだから驚きだ。
初めは視界が霞んでいるのかと思った。もぞ、と何かが蠢いた気がして――そこから真っ暗な大蛇のようなものが飛び出してくるのと、僕が「うわっ」と思わず引っ繰り返るのと、「っしゃ来たオラァ!」と吼える前島さん以下水戸さん、加賀さん、ついでに田中さんまでが障子をスパァンと叩き開けるのが全て同時だった。
ずっとそこで見てたんですかっ!?
全力で突っ込みたいところだけど、状況がそれどころじゃない。僕の方へ勢いよく襲い掛かってきたその大蛇は、しかし僕まで近づくことができず、眼前で方向を転換した。僕は引っ繰り返ったまま見送るしかできない。大蛇が僕を諦めたのは、一重に前島さんのブレスレットのお陰だろう。
大蛇はどうやらこの場から逃げ出そうとしているようだけれど、戸口二方のうち一方は前島さんと水戸さん、残る一方は田中さんと加賀さんに塞がれていて、咄嗟には動けないようだ。
これぞ袋の何とやら。
しかし、指をわきわきと動かしながら舌なめずりをしている前島さんの方へ向かうよりは、まだしも知的クール女子とロリ幼女の方が突破するに分があると判断したらしい、大蛇は一瞬身を縮めたかと思いきや、勢いよくそちらへ向かって跳ねた。
それも、戸を開けたはいいものの、未だ何の身構えもしていない田中さんへ。
「――!? 田中さん!」
水戸さんや加賀さんは、恐らく前島さんから身を守るための何らかのアイテムは受け取っているはずだ。でも田中さんは、そうはいかない可能性が高い。そもそもどうしてこの土壇場になって田中さんまで登場しているのですかというお話で――
けれど僕の懸念は、意外にあっさりと一蹴された。
「――ふん」
部屋の中を見回して、裏返った蛙のようになっている僕を一瞥して――田中さんはそれを見下ろした。
見下ろして、鼻を鳴らした。
田中さんがしたのは、それだけだった。他には別段、何もしていない。服装だって昼間に見る巫女服ではなく、大学でもよく見る普段着だ。そもそも田中さんが『見える』人なのかどうかだってわからない、その位置に視線を落としたのはただの偶然だったのかもしれない。霊感の類はないと、そう言っていたはずだ。
けれども大蛇は、田中さんのその怜悧な視線を受けて、明らかに身を竦めた。それは一瞬のことで、すぐに再びあらぬ方向へ跳躍しようとしたけれど、
「あらよっと」
そんな、いっそ気の抜けそうなほどに軽い前島さんの掛け声で、掬い上げられるようにしてあっさりと、大蛇は前島さんの手に落ちた。
むんずと掴まれびちびちと暴れる大蛇を、前島さんはちょっとつまらなそうに一瞥すると、すぐに空いた手に持っていた札へ、力づくで押し込んでいく。
真っ黒で、大人の脚ほどの太さのあるそれは、前島さんの手によって嘘のように、みるみると木札の中へ押し込まれていく。数メートルはあったはずなのに、精々が十秒足らずで吸い込まれていくかのように跡形もなく呑まれてしまった。
あとに残されたのは、部屋の出入り口を塞ぐ四人と、部屋の真ん中で情けなく這いつくばっている僕。
「――おっし、今回の仕事は終わり、と。おいユーヤ、いつまでそんな格好をしてる。さっさと寝ろ。もう夜も遅いんだから」
僕にそんな理不尽な言葉を投げつけながら、「ほら解散だ、解散」と皆を散らす。呆然としているのは僕ばかりで、水戸さんは眠そうに目を擦っているし、加賀さんは欠伸、田中さんだけは平素と変わらない淡々とした態度で戸を開けっぱなしにしたまま廊下を帰っていく。
攻防は、たった一分足らず。
「え、もう終わり?」
「そうだよ。囮役、ご苦労さん」
しれっと、前島さんは悪びれなく言う。一体いつから構えていたんですかと問いたいけれども、前島さんは聞く耳をもってくれそうにない。あ、明日には説明してくれるんでしょうね……落着したのなら、いいんですけど。
よくも悪くも、僕が酷い目に遭うのはやっぱりお約束なんですね。




