02.田中さんはいつでも上品に遠回しです。
佐々木さんは屋敷神である。
というと、は? と思う人が大多数であろう、かく言う僕も大家さんである前島さんに佐々木さんの話をされたときには「……はい?」と返したものだったが、事実である。その佐々木さんの祠はゆうやけ荘の庭、北東の位置にこぢんまりと設置されている――のだけれど、実際には佐々木さんはゆうやけ荘の一室に住んでいたりする。
屋敷神とはなんぞや。
詳しいことは、実のところ僕にもよくわからない――民俗学を専攻して現在大学院に在籍しているまつげさん曰く、屋敷神というのは一族の祖霊神であるとか、農耕神であるとか、他にも詳細に教えてくれたけれどよく覚えていない。平たく言うと、土地やお屋敷の守護神という理解でいい、とのことだった。
ゆうやけ荘の守り神。
その割には随分と自由奔放で、子供っぽかったりもするけれど……ちなみに、どうして口調が廓詞風なのかは謎だ。
「……うーん」
佐々木さんの口調って、そういえばこれまで気にしてこなかったけど、考えてみると急に気になってきたな。今度誰かに訊いてみるか。誰に訊こう……佐々木さん、本人に訊いてもまあわからないだろうな。前島さん、も多分ダメか。じゃあ誰だ。まつげさんか。
などと、次の講義の準備をしながら考えていると、不意に物音もなく誰かが隣に座った。
「ソーセージとは腸詰のことなのです」
そう言ったのは誰有ろう、田中さんだった。大学における僕の数少ない友人のひとりである田中さんは、僕の顔をまっすぐにかつ無表情に見ながらそう言った。
「牛や豚の挽肉に香辛料や塩を加えて保存食とします。その歴史は古く、古代ギリシャにも既にみられます。日本ではドイツによるソーセージが一般的です。ベルリン発カリーヴルスト、バイエルン伝統ヴァイスヴルスト、フランクフルト名産フランクフルターヴルスト。ちなみにサラミやカルパスなどといったものもソーセージの親戚なのです」
「なのですか」
「なのです」
言うだけ言うと満足したのか、田中さんは机の上に置いた鞄を漁って、次の講義のノートや資料を引き抜いた。
「…………」
で、それっきり教科書の予習を始めてしまう。
思うに多分、一番初めの台詞が言いたかっただけなのだろう。田中さんはそう言う人だ。佐々木さんに手を入れてもらってからそのままの凄絶な僕のヘアスタイルにもノーコメント。
いや、せめて一言くらい欲しい。スルーされると無闇に恥ずかしい。
と、そこで僕はふと思って、教科書に視線を落としている田中さんの横顔にちょっと訊いてみた。
「そういえば、ウィンナーってあるけど、あれもソーセージの親戚なのかな。似てる気もするけど」
「なのです。ウィンナーソーセージのウィンナーとはオーストリアの首都ヴィーンに由来します。羊の腸を使います」
田中さんは即答した。
「ちなみにお弁当で定番のたこさんウィンナーは日本独自の調理法だったりします」
豆知識までついてきた。
妙なところで博識だなあと感心する。こうして田中さんが披露する知識には大抵脈絡がない。
「ユーヤさんはソーセージは好きですか?」
僕が次の講義に備えるでもなく、暇なので田中さんの横顔を眺めて、田中さんって睫毛長いんだなあなどと鑑賞していたら、依然として教科書に視線を固定したままの田中さんが唐突に訊いてきた。
訊いてきたのが田中さんだから、まさか卑猥な質問じゃないよなあと思いながら、ちょっと考える。
ソーセージねえ。
「まあ、好きな方かな」
「そうですか。ではホットドッグは」
「好きだねえ」
「そうですか。ちなみに私も好きです」
そう言ったきり、田中さんは黙ってしまう。ふうん、と返してまた田中さんの横顔鑑賞に戻りながら、僕はまたちょっと考えた。ついでにちょっと思い出し、ああ、と納得して、僕は自分の財布の中身を思った。
そういえば、学食の前にホットドッグの屋台が来てたな。
「田中さん、後でホットドッグ食べます?」
「食べます」
く、と僕の方へまっすぐに視線を上げて、田中さんは力強くそう言った。
妙な事ばかり博学な田中さんは、今どき稀な苦学生だったりする。