2*着々と進めます
怪我は完治したとまではいかないが、痛みが引いてお医者さんもOKを出してくれた頃のこと。
私は、計画していたことを実行に移そうとしていた。
「ルナリア様!まさか、お一人で着替えられるつもりですか…!?」
心配を通り越し、とても大げさに声を上げた彼女は侍女のマリー。若葉色の瞳と、後ろで三つ編みにしているモカブラウンの髪が可愛らしい十代後半あたりの女の子だ。
いやいや、これくらい大丈夫だよ。
今更かもしれないが、着替えさせてもらうなんて恥ずかしい。自分でさせてください…。
「え?だって怪我も大丈夫そうだし、これくらい平気よ」
「何のために侍女がいると思っているのですか!任せてください!」
「うっ…はい」
気が強いルナリアではない私は、勢いに根負けしてしまい大人しく座ることにした。
私の反応を見たマリーは一瞬だけ怪訝そうに眉を顰めた気がしたが、気にしなーい、気にしない。
「あぁ、そうだわ。ルナリア様。今日もお化粧は…ご自分で致しますか?」
「え?」
恐る恐る、という感じだった。
あっ。この顔は、「こいつまたあの悪役顔作る気だな」って思ってるな。まずはこれも解決せねば。
「ええ。準備して頂戴!」と満面の笑みで答えれば、あからさまに残念そうなマリーの「かしこまりました…」という落胆の声が聞こえた。おい。素直だな。
メイク道具を借りて私はまず、真っ黒なマスカラとアイライナーを優しい印象のブラウンカラーに差し替えてもらった。
もちろん、どギツい紅色のルージュも卒業だ。パステルピンクのリップを使おう。
せっかく素っぴん顔が綺麗なルナリアだから、ナチュラルじゃなきゃ、もったいない。
着々とメイクを施していると、後ろで控えていたマリーがついに口を開いた。
「ルナリア様!今日はお美しゅうございます…!……あっ、ち、違うんです!!いつにも増して、という意味で…」
「ふふっ、いいのよマリー。私もようやく気づいたのだから。自分でもよくあんな悪役令嬢みたいな顔作ってたなーって」
まあ、実際に悪役令嬢なのだけれど。
おどけて言ってみせる私にマリーはポカーン…と口を開けて、「悪役令嬢、みたいな顔…?」と繰り返すように呟いた。そして。
「…ふふ、あはははっ!し、失礼致しました…でも、…ふふっ!」
ツボに入ったらしい。
素直な子は好きだから、マリーとはなかなか上手くやっていけそうだ。
*
「―――失礼致します。ルナリア様」
軽く叩かれたノック音に「いいわ、入って」と返事をすれば、シリルが入って来て言った。
「ルナリア様。先日の件の準備が整いました」
先日の件?……って、アレだよね!?
シリルってば仕事早ーい!デキる男だ。さすがメインキャラの執事は腕もいい。
嬉しくなった私は、パァっと満面の笑みをシリルに向けた。
「あら、本当に?ありがとう!じゃあ厨房を借りて……って、シリル?」
「…ル、ナリア、様……?」
振り返って早々にアンバーの双眸は大きく目を見開いた。何だか絶句しているみたいで、逆にこっちがビビる。
あ…ああぁ。私ってばまた、「ありがとう」って言っちゃった。
私としては慣れてほしいのだが。逆に二回目のこっちが慣れたよ。
―――と、苦笑いを浮かべていた次の瞬間、シリルの驚いた顔がボンッ!と紅く染まった。
「その…っ、お化粧変えられたのですね。そちらの方が大変お似合いだと思います。お美しい…」
「ヘッ!?あ、ありがとう…」
シリルは照れたような顔を片手で覆うようにして、言ってくれる。
「美しい」なんて、シリルほどのイケメンに面と向かって言われると破壊力がすごい。ついつい照れが移る。シリルって意外と照れ屋さんだったのか。
そんなことを思っていると、シリルは「コホン」と小さく咳払いをして仕切り直した。
「すみません、話が逸れてしまいましたね。ええ、厨房でしたら今は使用できるはずです」
「本当!?じゃあ早速なのね!」
久々に料理ができる!腕が鳴るぜっ!と、浮き足立っていた私に、「しかしながら…ルナリア様」と歯切れの悪いシリルのツッコミが降ってくる。
「ウォーレス陛下はかなりご心配、といったご様子でした。私が付き添うことで何とか許可は頂けましたが、あまり危険なことをされるのでしたら…即禁止になるでしょう。」
(……ぎくり。)
シリルの心配はご最もだった。
ただの令嬢でも包丁を握らせてもらえることなんて普段ないのが、ここでの常識なのだ。それが私―――一国の王女となれば更に困難なわけで。
「そうね…」と私は少し考える。
「……ふふっ。そこは私に考えがあるわ!」
「考え?」
「まずはお父様の方から何とかしないと、よね…。シリル。お父様の空いてる時間を確保できる?」
「ええ、それは可能ですが…」
シリルは「考えとは?」ってすっごく聞きたそうな顔をしていたが、上手くいかなかったら恥ずかしいから今は言わないことにした。
*
「ははっ、可愛いルナリア。今日は大事な話があると聞いたよ。何かな?」
おい。一国の王様がこんなデレンデレンな顔見せていいのか。正直言って、表情が顔に似合ってないよ。威厳が砂糖水だよ。
だけど、公務で忙しい国王の立場でありながら、娘の為には時間を作ってくれたのだ。
まずは第一関門突破。シリルにも後で感謝しないとね。
「はい。お父様、実は……私が“花嫁修業”を名目で、料理などの“家事業”を学ぶことの許可が欲しいのです」
「……な、何。花嫁修業に、家事業…?」
予定としては、せめてお父様が婿候補を揃えてから言うつもりだった。その方が暗黙で了承してくれそうで楽だったからだ。
でもまあ、早いうちから直接言質取っちゃえば後々楽ってこともあるだろうと思った。
「花嫁修業に関しては大いに賛成したいところだよ。だが…しかしルナリア。家事は貴族の令嬢がやるものじゃない。そんなものは使用人に任せればいいんじゃないか?」
やっぱりそう来た。
私は密かに込み上げる笑みを隠す為、上唇を舐めた。ちなみにこれは、喜びを隠す時の芽瑠の癖だ。
“今だ”と脳が指示を下したその時、私は言った。
「いいえ、お父様!お父様は、お母様のお料理をお忘れになったの…!?」
「!!」
私のお母様である―――ルナリアの母、マリア・メル・アズライト王妃殿下は数年前に病気で亡くなった。
だから記憶でしか知らないが、優しくて温かい人だった。
ライラック色の瞳と、ルナリアが受け継いだ美しい黄金の長髪を持つ女性。名前の通り“マリア様”って感じの、美しい人だった。
実は彼女、アンジュよりは貧しくないが平民出身者だった。そう考えるとこの世界って色々身分制度が緩いな。まあ、それはさて置いて。
お母様は決して料理が得意なわけじゃなかったが、お父様の好物である“アズーラスープ”という料理だけは時々厨房を借りて作っていたのだ。
アズーラスープはお肉と野菜を煮込んだスープで、郷土料理のようなもの。私の知る“ボルシチ”にちょっと似ている。
「…はぁ。それを言われてしまったら、許可をせざるを得ないじゃないか…」
随分と過保護に渋っていたが、最後は「その代わり、ルナリアのアズーラスープを今度作ってくれ」と言ってくれた。
何だかんだ私のすることを許してくれるのがお父様の長所で短所。今回に関しては良かったとしよう。
.