7*退屈王女のお料理コーナー『夏の食欲不振を救え!』
ステラ・テテラの別荘に滞在してから、早二週間の時が流れた。
王都よりも南にあるこの島の夏の暑さは……確かに日毎に増していた。
私はというと、図書館で買い取ってしまった山のような本に囲まれながら、快適な室内に引きこもっていた。
冷房のない世界だが、石造りと木材を組み合わせた別荘は、風通しを良くすればそれなりに涼しい。
何より、知識欲を満たす時間が楽しすぎて、気づいたら一日が終わっていることが増え、やめ時がわからなくなってしまった。
「……ルナリア様、今日も部屋から出てこないな」
「食事は運んでいるけれど、ちゃんと食べているのかしら……」
部屋の外から、ガイとマリーの心配そうな声が聞こえてくる。
し……しまった。
流石に心配をかけすぎたかな、と反省し、私は本を閉じて立ち上がった。
ガチャリ、と扉を開けると、廊下にいた二人がビクッと肩を震わせる。
「あら!二人とも、ちょうど良かったわ。気分転換に、街へ出たいのだけd──」
「ルナリア様ーーー!!!!!」
(うわ、びっくりした……!)
二人を押し退けてくる勢いで現れたシリル。
アンバーの瞳が眼鏡の奥で、今にも泣き出しそうに潤んでいた。
さすがに、もと居たガイとマリーもシリルの圧に押されてドン引……唖然と見ている。
あまりに室内にこもりきりだった私が突然外に出たいと言い出したから、シリルは安堵したのか、驚くほどすんなりと許可を出してくれた。
もちろん馬車移動という条件は変わらないのだが。
***
シリルと二人、馬車に揺られてステラ・テテラの中心街へ降り立つ。強烈な日差しが肌を照りつけた。
少し市場を見て回ろうかと、目的もなく歩いていたら、広場の噴水の近くで何やら人だかりができているのが見えた。
「……騒がしいですね。何事でしょうか」
シリルが眉をひそめる。
野次馬をかき分けて中心を見ると、一人の女性が道端にうずくまっていた。
「ちょっ…、大丈夫!?」
私は思わず駆け寄った。
彼女は、太陽の光を反射して輝くような黄金色の髪を黒い帽子の中に入れ、荒い息を吐いている。
帽子から覗く肌は、この島の日差しを知らないように真っ白だ。そして、苦痛に歪んだ顔から覗く瞳は、深いガーネット色をしていた。
(綺麗な人……)
って、そうじゃなくて!
「シリル、手を貸してちょうだい!彼女を医者に連れて行くわ!」
シリルは一瞬ためらったが、私の剣幕に押され、すぐに女性を抱き上げた。
私たちは近くの町医者へと急いだ。
*
彼女を医者に見せ、少し休ませてもらった後。
先程よりだいぶ顔色が良くなっていて、ひと安心だ。軽い熱中症のようだった。
「ご親切に、ありがとうございます。助かりました」
その声は鈴を転がすように美しかったが、まだ力がない。
「いいえ、当然のことをしたまでよ。送っていくわね。馬車に乗って」
彼女が滞在しているという施設へと向かう道中、少し話が聞けた。
彼女はお仕事柄、各国を巡っており、この島には商用で少し滞在しているのだという。
しかし、どうやら生まれつき暑さに弱い体質らしく、このところの猛暑で参っていたようだ。
「……お恥ずかしいお話ですが、夏になると食欲がなくて。この島に来てから、まともに食事をとれていなかったんです」
「滞在している宿も日中は暑くて…」と。力なく笑う彼女を見て、私の頭の中でピン!と何かが繋がった。
「ねえ、時間はある?……よければ少し付き合ってくれないかしら?」
彼女は不思議そうにも頷いてくれたので、私は御者に合図し、馬車を別荘へと向かわせた。
***
別荘へ戻ると、私はシリルに彼女の客室への案内と、栄養価の高い飲み物の手配を頼んだ。
まずはゆっくりと体力を回復してもらうのが先決だ。
「……ルナリア様。誰なんだ?」
二人の背中を見送っていると、後ろからガイがやってきた。
「ガイ、ちょうどいいところに!彼女を助けるために、あなたの力を貸してくれないかしら!?」
私はかくかくしかじか、事の顛末を早口で伝えた。
彼女が暑さで食欲不振に陥っていること、それを解消するような、さっぱりとして栄養のある料理を作りたいことを。
「なるほど……弟子としての初仕事ってわけだな。面白い、乗った!」
ガイは腕まくりをして、ニヤリと笑った。料理人の血が騒いだようだ。
*
それから──私たちは厨房へ直行した。
流れで、作りたい料理についてガイに共有する。
「私が考えているのはね、麺料理よ。それも、キンキンに冷やしたやつ!」
「冷やした麺?……パスタを冷やすのか?」
意味がわからない、とガイは手をひらひらさせ天を仰いだ。
そうだった。『冷製パスタ』の概念はここには無いんだった。
「ううん、違うわ。もっとコシが強くて、喉ごしのいい……そう、『手打ち中華麺』を使った料理よ!これなら生地を寝かせる時間を考慮しても、お昼には間に合うはずだわ」
「てうち…チュウカ……?何だそれ、聞いたことないけど。乾麺を使うのか?」
そうか。『冷やし中華』もニホン生まれだ。その概念も、この世界にはないわよね。
私はふふっと企み笑いを浮かべ、答えた。
「違うわよ。作るの!」
「はぁ!?麺を!?」
ガイは素っ頓狂な声を上げたが、私は構わずに腕まくりをして、髪を束ねた。
「私が手本を見せるから、よく見ていて」
前世の記憶──調理師専門学校の実習で、何度も練習した思い出が蘇る。
あの頃は、冷やし中華だけでなく、色んな麺という麺に向き合ったことがあった。
夏といえば『素麺』も捨て難いのだが、これも存在しないので麺から作ることになる。しかし、あれは作るのに計三十時間ほど必要だ。それに、作るなら冬だ。
そんなこんなで、知らない料理の技術に対して、とにかく探究心が止まらなかった芽瑠の頃の私。
普通はそこまで教わらないということまで、一通り質問攻めにしてしまい、先生たちをたくさん困らせたなぁ……。
懐かしい記憶に思いを馳せながらも、私はせっせと手を動かしていた。
「力任せじゃなくて、手のひら全体で生地と対話するの。小麦粉、水、そしてアルカリ性の塩水…これは『かん水』と呼ぶのよ。それらを混ぜ合わせて……」
「す、すげぇな」
ガイが息を呑む。
この"水回し"が大事なんだよな~。ムラがあれば食感がボソボソになってしまう。
そして"加水率"も大事。麺によっての特徴は水の割合で変わるので、これが意外と奥深い作業なのだ。
さて、今度は、ガイに実践してもらおう。
「こ、こう……か?」
ガイは見よう見まねで材料を手に取った。
最初はぎこちなかったのだが、さすが天才料理人という筋の良さで、数回繰り返すうちに肌で理解したようだ。
(えっ…。本当に初めて!?)
その手捌きはまるで……業務用ミキサーだ。もはや私より上手い。
次の工程も、ガイに任せることにした。
「そう、そう!さすがガイ!筋がいいわ!」
ガイは照れ隠しか、「はっ、言われなくてもわかってるっての」と突っぱねて、見事に生地を捏ね上げている。
その力強さと正確さには、やはり天性の才能を感じた。
「よし、一旦ここまでよ。生地を寝かせている間に、タレと具材の準備をしちゃいましょう。この島の食材に合わせて、特製ソースを作るわよ」
私たちは"タレ"作りの準備を進めた。
作るのは三品ぶん。
まず、トマトをメインにして、オリーブオイル、ガーリック、そして隠し味に魚醤を使ったソースを作る。この島のトマトはかなり濃厚で甘いので、味付けは少なくても十分主役になれそうだ。
次に、バジルを使ってジェノバソースも作りましょう。お好みでトマトと一緒にもいただけるように、シンプルに仕上げる。
それから最後、エビには、レモン果汁とハーブソルト、少しの蜂蜜を混ぜたシトラスジュレを合わせたい。
「──じゃあ次は伸ばして切る作業ね。ガイ、麺棒で均一に、そしてリズミカルに伸ばしてちょうだい。私がこの魔法の包丁で一気に切り分けるわ!」
「了解、師匠!俺様が伸ばした生地はどこを取っても厚さ均一さ」
──ごろん、ごろん、ごろん…
──トン、トン、トン、トン、……
二人で並んで作業をする。
ガイが楽しそうに力強く生地を伸ばす横で、私は包丁を滑らせ、良い感じの幅で麺を切り分けていく。
終わったらガイが麺を茹でるお湯を沸かしてくれていた。茹で時間は、二分前後だ。
「──で、麺が茹で上がったら仕上げよ。キンキンに冷やして……締めるっ!」
私は深呼吸をして、厨房のボウルに張った水に手をかざした。イメージするのは、氷。
(冷たく、硬く、透き通った氷……!)
刹那──
パキィン……!と、小さな音と共にボウルの水が凍りつき、いくつかの不恰好な氷の塊が浮かび上がってきた。
「で…、できた……!」
かなり不格好だけど、使えなくは無さそうだ。
「ルナリア様……あんた本当に何者なんだ」
ガイは驚いたのか、しかしやがてキラキラとした眼差しを向けて呟いた。
ルナリア自身、氷魔法を使ったのはたぶん恐らく初めてだ。私は思わず得意げに鼻を鳴らし、どや顔をした。
***
ちょっぴり遅めの昼食の時間となる。
上品なワンピース姿の女性が、食堂のテーブルで待ってくれていた。
「体調はいかが?お待たせしてごめんなさい」
「とんでもないわ。休ませていただいたから、もう落ち着いたわ。ありがとう」
ガイに合図をし、料理を持ってきてもらう。
「さあ、召し上がれ。夏の食欲不振を救うための特別な贈り物よ!名付けて、『ステラ・テテラ産 地中海風・冷やし中華』っ!」
テーブルには、透き通ったガラスの器に盛られた手打ち中華麺の皿が三つ並ぶ。
それぞれトマトの赤、ジェノベーゼの緑、エビのピンクとレモンの黄色を添えて。
「具材それぞれの味をしっかり楽しめるように……そして、あなた自身の体調に合わせて好きなものを選んで食べられるように、小皿で提供してみたの」
「まあ……!宝石のように美しい……。それに、とても細やかなお心遣いね」
女性は感嘆の声を漏らし、フォークを手に取り、両手を胸の前であわせた。
一口、トマトソースと麺を絡めて食べる。
ガーネット色の瞳が驚きに見開かれ、輝いているのがわかり、私は思わず喜びで下唇を舐めた。
次いで、ジェノベーゼ、エビとレモンの麺も口に運ぶ。
「冷たくて美味しいわ……この麺のコシと喉ごし……!それに、トマトの甘さと……バジルソースも、大好きよ!こっちはレモンでさっぱりとしていて美味しいわ。小分けになっているから、すごく食べやすいのね」
彼女は夢中で麺を平らげた。
食欲不振だったことが嘘のように、見る見るうちに皿が空になっていく。
「ふふ、良かったわ!」
「大成功だな?師匠」
私とガイは厨房の陰で顔を見合わせ、喜びのハイタッチをした。
*
「本当に、ありがとうございました。こんなに美味しく食事ができたのは久しぶりだったの。……あなたは命の恩人よ」
食後、女性は心から感謝を伝えてくれた。
こんなに喜んでもらえて、ようやく元気になってくれた様子は嘘でなさそうだ。
ホッと、ひと安心できた。
「いいえ、お口に合って良かったわ。困ったら、いつでも尋ねていらしてね。しばらくはここに滞在しているから」
私は笑顔で答え、「そういえば」と思い出した。
「そうそう、自己紹介がまだだったわね。私はルナリア・メル・アズライトよ」
私の名を聞いた瞬間、彼女の動きが止まった。
「アズライト……って、まさか、この国の…」
彼女が何かを言いかけた、その時だった。
「──ルナリア様!」
シリルがやってきて、割って入ってきた。
「お話し中、失礼致します。ご報告があります」
シリルの眼鏡の奥の瞳が、鋭く光った。
「ユリウス氏より、依頼した品の試作品が完成したとの連絡が入りました」
「えっ、もう!?」
私は驚き、そして歓喜した。
「……では、ルナリア様、私はこれで失礼するわ。長く居座ってしまってごめんなさい。でも、本当に今日はありがとう」
女性はシリルと私を交互に見て、何かを察したように静かに立ち上がった。
「あら、ごめんなさい!こちらこそ長く引き留めてしまったわ」
シリルとガイとともに、彼女を見送った。
帰りは侍女のミリアと護衛にお願いして、送り届けてもらうことにした。
「では、またお会いしましょう。貴女に出会えた幸運に感謝して──この御恩は、必ず。」
馬車に乗る直前、そう、目を細めてにこりと笑った。
黄金の髪とガーネットの瞳を持つ彼女の、上品な後ろ姿を見つめながら、私は不思議な感覚を感じていた。縁とは不思議なものだ、と。
(……って、いけないわ)
日が暮れる前にユリウスに会いに行かなくては、明日に持ち越しになってしまう。
私は待ちきれない思いで、研究所へ向かう馬車に乗り込んだのだった。
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