序章1
目が覚めた時、私は一瞬夢を見ているのかと思った。
……そういう時ってあるよね?
変わらない日常で、至って普通の一日の始まりが訪れたのだ、と、私は思っていた。
とりあえず朦朧とする意識を正常に戻すため、起き上がろうと体を起こす。
が―――。
「…ッ、痛ッ!!?」
どうも脇腹が痛い。いやいや痛いなんてもんじゃない。
それはもう尋常じゃないくらい痛くて、私は眉を潜めて口をハクハクとさせた。そのまま般若心経唱えたくなるくらい普通じゃない痛さだった。え?唱えられはしませんが…。
とにかく、そのせいで目が覚めた。
すると背後から、バンッッ!!と勢いよく扉の開く音がして、
「お嬢様…っ!!」
(はっ、お嬢様??)
ビビリな私は心臓バックバクになりながら、若い男性の声が聞こえてきた方に反射的に振り返ろうとする。
だがその前に、声の主が姿を現す方が早かった。
「嗚呼おいたわしい…っまだ横になっていないと…!」
思わず「うわっ!!」と驚嘆の声を上げてしまうところ、何とかグッと呑み込んで耐えた。見たところ二十代前半くらいの執事服を着た男性だ。プラチナに光るサラサラの銀髪を揺らしながら、アンバーの双眸が心配そうに私の顔を覗き込む。
えぇっと…イケメン執事のコスプレイヤー?
でも、どこかで見たことがなくもないな。
彼は今にも泣きそうになりながら私の手を握って…―――
って、ハッ!?
待って!何かがおかしい。
“私の手”?ってか、ここどこ!私は誰っ!!
……と、落ち着きのない頭を自力で整理するのは不可能だと、天からの判断が下されたようで。
私はキャパシティオーバーの通告を受け、その場でまた意識を失った―――。
***************
次に目が覚めたとき、私は悟った。さっきまでの場所が夢だったら納得できたのだが、どうやら今居るこの“非日常的”な場所の方が現実らしい。
シャンデリアとか天蓋付きベッドとか、中世ヨーロッパを思わせるような部屋。そして、ロココ調のネグリジェ…(? 多分そんな名前だった)姿の自分。
私は痛む体を無理矢理起こして、恐る恐るドレッサーの前まで歩いた。
束ねず下ろした長い髪は眩しいほど黄金の蜂蜜色で、黒いフリルのカーテンの隙間から覗く西日に照らされたところだけが宝石のように輝いていた。白い肌に似つかわしい大きな紺碧の瞳も人形のようで、これまた宝石みたく美しい。
……ん?自分に対して“美しい”って変じゃない…?
私ってばナルシストか?
さっきから、どこか他人事のように自身を眺めている青い瞳。喉に引っ掛かりがあるような違和感を感じて、自らの指先を鼻の上にもっていってみた。
「えいっ!」
そのまま右手人差し指で自分の鼻を押し付ける。豚のポーズ。
「…ブフッ、酷い顔」
やっぱり他人の顔を見ているようだ。もうちょいイジってやろうと思い、今度は両手人差し指で目尻を上に釣り上げてみた。
「……エ!!」
このツリ目、既視感を感じる。ちなみにさっきの男性もだ。それに、この部屋もどっかで……。
そう、思い出そうとした刹那―――。
(……っ、う…!!)
ドッドッド…ッ! !と、すごい勢いで私の中を何かが駆け巡るような感覚が流れてきた。
そのせいで頭と胃の中がグルグルと廻り回って、吐き気をもよおすところだった。まぁ、その前に嵐が去ったように、その感覚は消えたのだけど…
…シン…と、静かな部屋には私以外の誰も居ない。さっきまで側に居たイケメン執事コスプレイヤー……もとい、“私の執事”である彼もだ。
スーッと息を吸ってー、ハァ、と吐いて深呼吸。まだ地味に頭痛がするが、ちょっと動いたら痛む脇腹よりマシだった。
ルナリア・メル・アズライト―――。
これは、目の前の鏡に映る彼女の名前だ。やっと今までの記憶を思い出したから間違いない。
しかし…思い出したのは、それだけじゃなかった。
「…メル……そんな、うそ、うそ…っ!」
思わず私は、頭を抱えてその場に座り込んだ。
発狂したくなったが、残念ながらそんな元気はなかった。それでも気持ちとしては、今すぐこの場から逃げ出してしまいたかった。
ヤケにズキズキと痛む脇腹が、これは現実なのだと告げているようだ。
ルナリア、ルナリア、ルナリア…違う。
私の中には―――春川 芽瑠が居る。
私“だった”少女、春川 芽瑠は“地球”という星の“ニホン”という小さな島国に生まれ育った平凡な女子高生だった。
黒髪セミロングに小柄な体型。特別美人でもない、素朴な見た目の普通の女の子。人からはよく“お人好し”って言われてきたが、今ならそうだと自覚できるかもしれない。
あの日、芽瑠として最後の記憶にある、その瞬間。
私は学校帰りで、いつも乗るバスに乗ろうとしていた。変わらない日常で、変わらない行動をするはずだったのに、それは起きてしまったのだ。
バスに乗り込もうとする直前だった。
ぼんやりと視線を移動させた先で偶然にも目撃してしまった、赤信号を走る大型トラック。
危ない…!
そう思った途端、私は考えもなしに駆け出していたのだ。そして―――横断歩道を渡る男の子の背中を、無我夢中で押した。
よかった…。間一髪で助けることができた。
なんて、それ以外のことが頭になくて、すっかり自分のことを忘れていた。向かってくる大型トラックが視界に飛び込んできた時は、既に遅かった。
頭が真っ白になり、体中に電気が走って、
目を見開く少年が反転して、
宙を舞うのが自分の体とは…それはそれは悪夢な非現実だった。
いくらファンタジー好きだからって、そんなの求めちゃいなかった。私は、もっとこう……心ときめくファンタジーが好きだったのだ。
まだ知らない甘い恋を夢見て、乙女ゲームや少女漫画を読むのに勤しむ日々に思いを馳せた。ん?誰?今虚しいなって言ったのは。
…ともかく、そんな私がハマっていたのが、少女漫画が原作で、その人気からアニメ化もされた乙女向け恋愛シミュレーションゲーム。その名を「Lucent Kingdom~王子様に恋して~」。ちなみに、みんな略してルーキン、ルーキンって呼んでいた。
特に、漫画からファンになった私は、美麗なイラストに色と動きが加わったことでかなり興奮した。
最近と言えば邪道を狙った作品ばかりだったから、久しぶりに王道色が欲しかった私含む乙ゲーマーは待ってましたと食いついたのがちょっと懐かしい。
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