十二月二十六日
初投稿です。
「君って、十二月二十六日みたいな人だよね」
その日、二十歳の誕生日を迎えた僕の部屋で、すっかりアルコールに沈んだ恋人がそう言った。
普段はいっぱしの看護師として激務に身を投じる五歳年上の彼女だけど、その時ばかりは空になった大量のアルミ缶をローテーブルにずらりとならべて、うつろな目をしきりにしばたかせながら顔を赤くしていた。
「それはどういう意味?」
コンビニで買ってきたピスタチオの袋に手をのばしながら僕は訊く。
季節は夏で、僕の通う大学も長期休暇に入っている。突如として話題にあげられた場違いな冬の日は、確かな違和感をともなって僕の好奇心を刺激した。
彼女が体勢をおこしてテーブルに頬杖をつく。かたちのよい卵型の頭に整地された端正な顔がぐにゅっと歪む。
彼女はつややかな黒い髪を肩に広がるくらいにさらりと伸ばしている。服装や話し方、それから日々の過ごし方なんかは都会にいそうな今時のお姉さんのそれなのだけど、彼女は髪を染めるという行為を極端に嫌悪していた。友人に勧められたリなんかもするらしいけど、頑なに拒んでいた。彼女の染毛への嫌悪は黒髪への愛からくるものらしい。人それぞれ好みはある。だけどたまに垣間見える彼女の黒髪へのこだわり様は、僕の理解の範疇をこえている。
「なんか、十二月二十六日って不憫じゃない?」と彼女はいった。
「クリスマスっていう大々的なイベントの次の日なのに、元旦のときの一月二日みたいな余韻がまったくないの。イブがクリスマスの前日だから存在するって知った子供が少しだけ関心をむけるだけじゃないかな? まあもちろん、儀礼的なあれこれが理由なんだろうけど。でもそれにしたって地味。君も、それに似てる」
そう言いながら口角をあげ、頬杖をついていないほうの肩を愉快そうにすくめる。
「まるで、神様に見捨てられたみたいに、存在感がうすい」
虫の声と涼やかな夜風が、窓の網戸を通して流れ込んできていた。
僕は彼女の言葉について考えてみる。
幼いころから年不相応おとなしく、成長してもその性格が変わらなかったうえ、一芸に秀でているわけでもなかった僕は、必然的に他人から関心を向けられることが少なかった。学校の友人とも遊ばず、いつだって家にいる我が子に、母はかなり気を揉んだらしい。そんなこんなで大きくなった僕への彼女の評価は、不服だけどおおむね正解といえる。
だがしかし、そんな陰気な僕でも日常生活は普通に過ごせているのだ。それに、こんな若者は現代日本に掃いて捨てるほどいる。「神様に見捨てられた」とまで言われるのはいささか心外だった。
「別に、そんなことはないと思うけど」
そんな反論に彼女はしばし口を開かず、薄ら笑いを浮かべながら僕の顔をじっと見つめていた。やがて、
「今、君が考えた存在感がうすいって、どういう意味合い?」
「周囲から意識されずらい、とか。世間一般でいう影がうすいってことかな」
「ぶっぶー、ハズレー」
唇をとがらせてそう返したあと、彼女は勝ち誇ったように鼻で笑った。ちょっとむかついた。アルコールの入った人間の思考回路はいまだによく分からない。僕は故郷の田舎にいる父親のことを思い出す。記憶の中にある彼の姿は、いつだって焼酎瓶を握っている。
「この場合、あたしの言いたい存在感がうすいってのは――生気が弱いってこと。周りからみて『あ、この人は生きることを楽しんでないな』、みたいな。はりぼてが本体ですみたいな、中身のない人のことよ」と彼女はいった。
「それはつまり、僕が恬淡な人間だって言いたいのかな?」
「ちっ」
舌打ちされた。何故だ。
「あのさあ」と彼女が苛立ったようにいった。
「すぐに小難しい言葉を使うところもそう。君はなんというかね、はりぼてっていうか抜け殻なんだよ。『てんたん』だかなんだか知らないけど、淡々としすぎ。僕はもう人生達観してます、みたいな。飲んでるところ見たことないけど、君、ブラックコーヒーとか好きでしょ。あと、『タクシー・ドライバー』みたいな海外の古い映画とか。それも個人的な好き好みじゃなく、かっこつけ目的で。普通そういうことする若者って痛い目で見られるけど、君は違う。本来の人となりにあっているから」
「いや」
「十二月二十六日もそう!」
まくしたてるような彼女の語気に口を挟もうとしたけど、彼女は止まらない。
「もっと叫ぶべきなんだよ! 君たちは! 世界に自分の存在をアピールするの。『僕はここにいます!』って。『十二月二十四日はクリスマスの前日なんだろ? だったら翌日の俺もついでに特別扱いしろよお!』って。叫ぶのよ。……叫んでいいの」
尻切れトンボに言い終えた彼女は、満足したのかスイッチが切れるようにテーブルに突っ伏した。腕に押し出された空き缶が倒れて、数本が床におちる。カラン、と乾いた音を立てる。そのまま寝息でも立て始めてしまいそうな彼女に、僕は問いかけた。
「じゃあ君は、なんでそんな僕と付き合っているの?」
彼女がもそもそと腕の中で顔だけをあげた。そして目を細めたまま「んー」という。その様子はあまりにも無防備で、僕は彼女の乱れた黒髪を撫でてみたい衝動にかられる。それは幼子をいつくしむ感情に似ている。だけど我慢だ。彼女は髪を触られるのを、とても嫌がるから。
「わかんないや」と彼女はいった。
彼女が本格的な眠りに落ちたあと、僕は長い間、残った酒をちびちびと飲んでいた。
窓の外の虫の声は、よく知らない有象無象のものから、聞きなれたひぐらしの旋律へと変わっていた。
○○○
ひょんなことから彼女が他の男性と関係を持っていると知ったのは、それから数か月後のことだった。
相手の男性のことは詳しく知らないけど、どっかの美容師で、まあ、いい男らしい。
そりゃあそうだろうさ、と僕は思った。
なんの華やかさもない冬の一日常より、ケーキやプレゼントで彩られた神様の息子さんの生誕祭のほうが、誰の目にだって魅力的に映るに決まっている。
――叫んでみようか。
ふと、夜の路上で一人そんなことを考えた。
息が白い。
雪が降っていた。
十二月二十六日だった。
すこしその場で立ち止まったあと、馬鹿馬鹿しいと歩き出す。
代わりというわけでもないけど、自販機でホットのブラックコーヒーを買った。
初めて飲んだ。
あまりの苦さに、一口飲んで捨ててしまった。
ブラックコーヒーが好きな人ごめんなさい。




