五十六話 乙女の血族
事態の急変は真道美李奈が風邪で倒れて二日後のことだった。
それまでの間に散発的な≪ヴァーミリオン≫の襲撃はあったが、そのほとんどは『ユノ』によって殲滅された。意外、というべきか彼らにしては街に大きな被害も出さずに戦闘が終了していた。それは襲来した≪ヴァーミリオン≫自体の数が少なく、また通常型であったのも理由だった。
言ってしまえばマシーンのパンチ一発で撃破できる程度で、最悪≪エイレーン≫だけでも対処ができるレベルでもある。
「反応は今も増大しています」
『ユノ』の移動式人工島要塞内ではメンバーたちが慌ただしく作業に追われていた。
今朝の事だ。≪ヴァーミリオン≫襲来を告げる警報がかき鳴らされ、マシーン軍団に出撃待機の命令が下される。『ユノ』のスタッフは優秀である。彼らは即座に≪ヴァーミリオン≫の降下地点の予測に取り掛かっていた。
≪ヴァーミリオン≫たちがワープホールを通って地球に現れるのは既に周知されている事実である。それが地球の内側なのか、はたまた外側の宇宙からなのかの違いはある。今回は宇宙空間にワープホールが形成されていた。
だとすれば最近になって出現した戦艦タイプが降りてくるのか? という予測がなされたが、それは一瞬にして吹き飛ぶことになった。
「月面軌道に『艦隊』が集結しています。数は十隻。さらに反応増大、これは……」
龍常院が所有する人工衛星から送りこまれる映像には月に座する十隻の≪ヴァーミリオン・ソリクト≫が観測された。これまでに確認された≪ヴァーミリオン≫の戦力としてはかなりのものだ。戦艦タイプである≪ヴァーミリオン・ソリクト≫一隻に対して搭載されている機動兵器型の≪ヴァーミリオン≫の数はざっと三十である。つまり、三百体の≪ヴァーミリオン≫の兵団がいると思わなければならない。
しかし、敵の戦力はどうやらそれだけではないようだった。増大する反応に比例するように警告音が強まる。モニターするスタッフの顔が青ざめていった。
「よ、要塞……? 全長三キロ……超大型のヴァーミリオンを観測! 新型です!」
映し出された映像の中ではこれまでに見たこともないような巨大なワープホールが形成されていた。それらは数値データにも現れている。とにかく桁外れの存在が今まさに姿を見せようとしていた。
『要塞』としか表現できないその超巨大物体は悠然と艦体の背後に陣取った。巨大な月面であってもその異様な存在はくっきりと視認できる。
例のごとく赤黒くどこか生物的な印象を与える≪要塞ヴァーミリオン≫は言ってしまえば昆虫のゲンゴロウのような姿をしている。下部に無数の脚が見て取れたのだ。それらはうねうねとうごめいており、生理的な嫌悪感を与える。
「遂に来たか」
司令席に深く腰を降ろす銀郎は続々と報告される情報を受けながら呟いた。
「あの時の観測データ通りだな」
銀郎はフンと鼻を鳴らして席を立つ。
「諸君、聞け」
その一声でざわついていた司令塔内が静寂に包まれる。
スタッフはみな一様に銀郎へと視線を向ける。
「遂に敵は本腰を入れてきた。これより我らは決戦へと赴く。神の城を浮上させる。各員は至急取り掛かれ。マシーン部隊は待機。連中の先発隊が降りてこないとも限らん。場合によってはそのまま宇宙に上がることになるぞ」
銀郎はそれだけを伝えると踵を返すようにして司令塔から退席する。自動ドアをくぐった先には数人の黒服がいた。彼らは銀郎を出迎えると短く頭を下げた。
「どうであった?」
銀郎はそのまま通り過ぎながら言う。
「ハッ、現在は客間にて対応しています」
「その怪我は?」
振り向かずに銀郎は黒服の額が少しだけ切れていることを指摘した。黒服は慌ててその怪我の部分を抑え、「ハッ、お連れする際に、その……隣の家のものに箒で叩かれまして……」と申し訳なさそうに伝える。」 それを聞いた銀郎の眉がぴくりと動いた。
「騒がれたか?」
「申し訳ございません……」
「無駄を増やすな。まぁいい、放っておけ。所詮は市民だ」
「ハッ……」
銀郎はもう黒服に関心を抱かずにそのまますたすたと通路を進んでいく。
エレベーターを経由し、最上階へとたどり着いた銀郎は襟首を直しながら自室の隣に併設された応接間のドアを開ける。展望台のようにガラス張りの部屋は照明がなくとも陽の光で明るく、青々とした海が広がっていた。
人工島のすぐ近くには巨大な『城』が停泊している。窓からその『城』を眺めている少女を認めた銀郎は少女を視線に捉えたまま上座のソファーにどっかと座り込んだ。
「間近で見るのは初めてだろう?」
「えぇそうですね。これもお爺さまが作ったというのなら、我が家が没落するのもある意味では当然の帰結ということになります」
少女は振り返りもせず、ただじっと『城』を眺めていた。
銀郎もそんな少女の態度は気にせず小さな溜息のような呼吸をして、「部下が手荒な真似をしたようだ」とまるで家族同士の何気ない会話のような口調で言った。
「ともあれ、ようこそ、真道美李奈。こうして顔を合わせるのは恐らく初めてだろうな」
「えぇ、初めまして龍常院銀郎様」
少女、美李奈はくるりと振り返り、たおやかなお辞儀をして見せた。
***
美李奈はいつものボロ服ではなく、新品同前の制服を着ていた。それは銀郎が手配させたものだった。
しかし銀郎は服装になど特に関心は持たず、じっと美李奈の顔を凝視していた。そして、目が合うと、鼻を鳴らし、「忌々しい程に似ているな」と呟く。
「お前は一矢に似ているよ。その不遜な目も、苦境にいながらもその自信の顔。血筋だな」
「まぁ、乙女を拉致、監禁しておいてそのようなお言葉。世界に名だたる龍常院の隠居の言葉ではないですわね」
美李奈は涼やかに受け流しながら、向かいのソファーに座り銀郎と対面する。
「私、昨日まで寝込んでいましたのに。そちらはそんな都合などお構いなし。アポも取らずにつれてくるなど恥を知るべきですわ」
「君はたとえ呼んだとしても来ないだろう? 些か強硬だったことは認めるが、まぁ事業展開というのは時としてこのような手段も必要となる。私もここまで上り詰めるのには色々と……」
「無駄話はよしましょう。なぜ、私をここに連れてきたのです? よもや手籠めにしようなどと悪趣味な考えを持っているのでしたら、叫びますわよ」
「く、ははは! ずいぶんな言葉だ。なる程、昌が手を焼くわけだ。奴の周りには人形のような娘しかおらんかったからな」
銀郎は破顔しているが、美李奈は毅然とした態度のままだ。笑い顔一つ見せない。
「まぁ、いい。安心しろ。少なくともお前に危害が加えられることはない。暴れればその限りではないがな」
「既に私の私生活を妨害しているのですが? これから学校に登校しなければいけませんし、休んだ分の勉強もしないといけないのです。それに今日の内に今月のノルマを達成しなければ家計簿に赤い文字が増える一方ですので」
「そうかね。それは大変だ。だが、ここにいる以上は大人しくしてもらう。なぁに飯は出す」
「帰して欲しいのですが。それに我が執事と爺やはどこです。あの二人に何かあれば私、許しませんわ」
「あの者たちなら別室にて待機してもらっている。あちらも暴れなければ何も危害は加えんさ」
銀郎はそこで一息つけて、窓の外に鎮座する『城』へと視線を移した。
「とにかく、君たちには暫く大人しくしてもらう。ことが終われば帰すさ。何なら新築の屋敷だって与えてやろう。あのボロでは寒かろう」
「いいえ、結構です。気に入ってますので」
美李奈はきっぱりと断る。そんな彼女の態度を見て銀郎はわずかに眉をひそめたが、またすぐに鼻で笑い飛ばした。
「そういう頑固な所は一矢譲りか。ますます気に入らんな。真道の人間はやはり私とは合わん」
「先ほどからお爺様の事をとやかく上げていますが、一体何が言いたいのです? そんなに気に入らない人間をひざ元に招いてまで喧嘩を行いたいのですか?」
「フン、気に入らんとはいえ、『身内』だ。多少、気にかけてやってもいいだろうと思っただけだ」
「身内? あいにくですが、真道の身内などもういませんわ」
真道の家には分家ともいえるものが存在していたが、宗家である真道が没落した頃にはその資産のほとんどを食いつぶして離れていった。半ば断絶、縁を切ったような状態である。それに美李奈はそんな連中のことなどもう顔も覚えていないし、存在すら気にも留めていなかった。
「フン、まぁそうなるな。しかし、『直系』の血筋ともなるとそうはいかん。貴様ら真道は気に入らんが私とて人の子だ。可愛い身内ぐらいは様子を見ておきたい」
「あなた……一体何者なのです? 真道と龍常院の間には何の関係も……」
「それがあるのだよ、美李奈。まぁ私の存在など真道の家からすれば抹消してしかるべきものだがな、血という物理的なつながりだけは消せんものだ」
「血……?」
美李奈には心当たりはない。執事にでも聞いて見ればなにかわかるかもしれないが、その執事は傍にはいない。
それにしてもこの老人は一体何を言っているのか、美李奈にはさっぱりだった。
今朝、いきなり屋敷に黒服の男たちがやってきて半ば強引に自分たちを車に連れ込もうとしてきたし、その過程で助けに入った典子が黒服の一人を箒で滅多打ちにしている隙にこのざまだった。
そして何の説明もされないままここにいる。しかも理解しづらい遠回しな言い方で煙に巻かれているのが少し気に入らなかった。
「若気の至りという奴だ。親の引いたレールを進むのは嫌だというよくある無駄な行い。今となっては後悔はしていないがな。私は真道の家を捨て、ここまで一人で生きてきた。では改めて自己紹介しようか。初めまして美李奈。私は『真道正行』。一矢の兄だよ」




