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鋼鉄令嬢アストレア  作者: 甘味亭太丸
三章 オブリージュ乱舞
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四十九話 乙女の使用人たち

 トンカンと金槌を打つ音がボロ屋敷から聞こえてくる。つい先日、瓦がまた吹き飛んだ真道屋敷である。その金槌の音は屋敷の庭園と呼ばれるそれなりに大きさのある庭から聞こえてくるものであり、屋根の修理をしている様子はなかった。屋根にはブルーシートがガムテープで張り付けられただけの状態である。


 そんな屋敷の庭に真道家に仕える最後の執事はいた。その手には使い古された金槌を握りしめ、これまた使い古された軍手を着用し、手ぬぐいを首に巻き、そしてスーツを着こんでしゃがんでいた。彼の目の前には二メートル程の木材が並べられており、彼はそれを組み立てながら釘を打ち込んでいたのだ。


「ふむ……」


 十月に暦が変わろうかという頃、そろそろ寒さを感じる時期であり、使い古してよれよれ、ボロボロになったスーツは風をよく通す形状へと変化していた。ようは隙間風が入りこむ程に穴が開いているということなのだが、彼は一切気にしていなかった。

 自身の服を縫う暇があれば親愛なるお嬢様の衣服に時間を割くのは当たり前なのだ。


 着替えればいいのに彼は頑なにスーツ姿を止めない。それはかつて真道の家が没落する以前に執事長から教わったことであり、「いついかなる時も使用人は使用人である」と叩き込まれたからである。

 つまりこの服装はたとえボロ雑巾のようにくたびれようとも真道という家に仕える使用人の証なのである。屋敷勤めをする以上はこの服装が制服なことに変わりはなかった。


 執事は金槌を打つ手を止めて額の汗をぬぐう。軍手は錆びで汚れており赤茶けた色が付着し、それは執事の額や頬にも少量ついていた。


「土台はこれでいいか?」


 立ち上がり、首のタオルで滴る汗と頬の錆び汚れを拭う。執事は組み上げられた『箱』の周囲をぐるりと見渡すようにしながら、不満足と言った表情を作る。木材にささくれが目立つのはこの際仕方ないとはいえ、組み立てた箱そのものできが不揃い、もしくは歪んでしまっているのはやはりまずかった。


 それはただの箱ではなかった。下部には車輪がつき、台座が設置されている。見るものが見ればそれが移動式の屋台であることがわかるだろう。ガス管を設置するためのスペースと引火防止用にいくつか鉄板などを貼り付け、管を通すように多数の穴があけられたそれは張りぼてというような形をしているが、確かに屋台のそれであった。少々骨組みが傾いているという点を除けばではあるが。


「えぇい、ダメだダメだ。このようなものを美李奈お嬢様にお出しできるわけがないだろう!」


 金槌を振り上げ、その歪な屋台めがけて打ち下ろす……ことなどできずに、執事は途方に暮れていた。時刻は十二時を回ろうとしている。

敬愛するお嬢様は現在、勉学に励み、昼食に移行する頃だろう。執事は今朝の八時からこの屋台作りに取り組んでいたが、やっと形にできたのは今であった。彼の周囲には散らばった木片と刃の欠けたノコギリがあり、先月のスーパーのチラシの裏に描かれた設計図らしきものにはいくつもの修正点があった。

執事はどっと疲れが押し寄せてきたのか、縁側に腰を掛ける。設計図を見直してみると、実物とはどうにもかけ離れていた。


「おぉ、できてるじゃないか」

「季吉様、お帰りになられたのですか?」


 ひょっこりと顔を出したのは近所の老人会に出向いていた季吉であった。


「うん。老人会と言ってもまぁ茶を飲んで喋っているだけの集まりだ。そう毎回碁を打ってるわけでもゲートボールをしているわけでもないからな」


 老人会への参加は美李奈の勧めであった。≪アストレア≫による戦闘が行われて以来、屋敷を開け、結果としては季吉を一人にしてしまう機会が多くなってしまうことに対する一つの提案であった。孤独にしてしまうのはまずい。かといって季吉を戦いの場に連れていくのはそれも危険である。


 それに爺やと呼び親しみ、何かと雑用を行ってくれる季吉にたまの休日を作ってやろうという美李奈の考えでもあった。そんな季吉自身は屋敷で細々と仕事をしている方が気楽というが、美李奈は「爺やにもお友達の一人や三人は必要です!」という意見に押し切られて通うことになったのだ。


かくしてなんやかんやと老人会に通ったり、そこそこに碁を打つ仲間もできてきたらしい季吉は、そこでの土産なのか白いビニール袋から饅頭を取り出し、その一つを執事に投げて渡した。


「いえ、これでは赤子の積み木も同然。この程度のものではすぐに崩れるでしょう」


 執事は饅頭を受け取り、立ち上がる。すぐさま季吉の手を取り、荷物を預かる。


「いやいや、若いのによくやってるよ。わしも小さい頃は木の枝を削っては槍だ刀だ鉄砲だーと騒いで遊んでいたが、いやぁそんなものに比べれば大違いだ」



 季吉は執事の作った屋台車を眺めながらうんうんと頷いた。

 彼が立派なもんだと呟く度に執事は深々と礼をした。


「そういっていただけるのはありがたいことです。さ、足下にお気をつけて。昼食の準備を致しましょう」

「ゆっくりで構わんよ。朝からずっとだろ? 少しは休んだ方がえぇ」


 季吉は玄関には回らずにそのまま縁側に腰掛ける。気温は低くなってもこの時間帯の日差しは比較的暖かい。


「いやしかし、本当におでんをやるのかい? わしは構わんし、野菜を腐らせるのも勿体ないからいいんだが……」

「美李奈様は言い出したら止まらないお方ですから。それに、最近は物価の値上がりが酷いですからねぇ……我々の細々とした稼ぎでは食いつなぐのは大変ですから」


 特に野菜の類はかなりの値上がりであった。隣に住む岡本典子もそのことでぷりぷりと怒っており、さらなるセールに闘志を燃やしている。


「はっはっは! 確かに、あの子は案外頑固だ。うむ、話に聞く、お爺さんとも話してみたかったなぁ」

「良きお方でした。使用人一同、尊敬の念を込めておりましたので」

「世界に名を轟かした真道の家……巡り巡ってその孫娘と執事と一緒に暮らしているとは、若い頃のわしに教えればひっくりかえるわい」


 二人して日差しの中、笑った。真道屋敷の日中はいつもこのような談笑が交わされる。執事にしても季吉は人生の先輩であり、この屋敷になくてはならない存在であるのはもちろん、長らく過ごすうちに彼を祖父のように慕うまでに至ったし、季吉としても働きものの若者が自分の話し相手になってくれるというのはうれしいものであった。


「出汁はわしに任せちゃくれんかね? 童の頃、婆さんに作ってもらった煮物の味は今でも覚えてる。それを応用してみようと思ってな」


 季吉はゆっくりと立ち上がり、腰を叩いた。


「そろそろ拾われた恩も返さにゃならん。今頃はのたれ死んでいた身だ。それぐらいはさせてもらうよ」


 それだけ言うと季吉は屋敷の奥へと消えていった。

 執事は季吉を見送りながら、自身も立ち上がり体を伸ばした。


「さて、もうひと頑張りするとしましょう。昼食の準備も夕食の準備もしなければなりませんからね」


 執事は鉢巻のように巻いたタオルを撫でながら、再び金槌を握った。

 取り敢えず、歪んでいる部分だけでも今日の内に直しておこうと思ったから。例えどのような苦境に立たされようとも、主には常に一流の対応をするのが務めである。それが慣れていようが不慣れであろうが、何とかするのが使用人の仕事なのだから。




***




 外では若い執事が元気に作業を続けていた。季吉は土産の饅頭を冷蔵にしまいながら、入れ替えるように麦茶を取り出してコップに注いだ。一息つくようにして、コップの中身を半分程飲み干した後、季吉は特に何をするわけでもなく椅子に腰かける。

 外からは金槌が釘を叩く音が聞こえ始めた。暫くはその甲高い音を聞いていると、時々釘ではなく木材の方を叩いたらしい鈍い音も聞こえてくる。さらに聞いていると「あぅ!」と執事が悶絶する声も聞こえてくる。


「ありゃ、案外どんくさいのかね?」


 季吉は執事を高く評価している。最近の若者に比べれば真面目だし仕事もできるし、礼節も重んじている。いささか真面目すぎるきらいもあるが、もともと務めていた先を考えればそれも当然の仕草と言えた。

 料理、洗濯など家事全般から慣れない野菜農園、買い出し、屋敷の修理に最近はロボットの操縦と来た。彼ほど多彩かつ多忙な若者はいないだろうというぐらいだ。


 だが、そんな彼にも苦手な事はあるらしい。自分がもう少し分ければいくらでも手伝ってやっただろうが、皮と骨ばかりの腕では金槌を握っても振り下ろすだけで釘は打ち込めないだろうし、木材を運んだりすることもできないだろう。

 それに比べれば執事は十分すぎる程の仕事をしているのだと思う……のだが、今も失敗したのか執事の小さな悲鳴が聞こえてきた。


「せばす君! 大丈夫かね!」

「だ、大丈夫でございます! 万事お任せくださいませ!」

 

 震えるような声で返答が帰って来る。ついつい立ち上がった季吉だが、「そうかね」と返しながら、やはり心配なので居間の方へと移動する。そこからなら執事の姿を確認できる。

 執事は何かを我慢するように口をすぼめており、明らかに作業のスピードも遅くなっていたが手を止めることはしていなかった。


「骨、折れてないだろうね?」

「だ、大丈夫です。そうやすやすと骨が折れないように鍛えていますから……」


 強がっている姿はどこか滑稽だった。季吉はぼんやりと執事の仕事ぶりを観察しながら、「自分に息子や孫がいればこうだったのかも」と思った。

 季吉は、結局この歳になるまで子はいなかったし、妻もめとることはなかった。幼い頃は鼻水をたらし、町のガキ大将を気取っていたこともあったし、徴兵され戦場に赴いた経験もあるが、戦後の混乱期にはヤクザな商売に手を出して身の破滅を招き、今や拾われの身である。


 定職にもありつけず、物乞いに身をやつして今まで何とか生きながらえてきたが、数十年前に奇特なお嬢様に拾われることがなければ今頃は道端で餓死していたであろう老いぼれである。

 そんな老いぼれをお嬢様とその使用人は同情でも憐れみでもなく、拾い上げ、召し抱えた。二人とも、自分の過去を詮索することはなかった。むしろ季吉の方が根掘り葉掘りと二人の素性を聞いていたと思う。彼女らは包み隠さず全てをさらけ出すのに、季吉の過去を聞くようなことはなかった。

 一度だけ、ぼそりと「自分は悪人である」とぼやいたこともあったが、お嬢様は「今は違うのでしょう?」とだけ答えた。それ以降はその話題を取り扱うこともなく、普段となんら変わらない生活が繰り広げられていった。

 だから季吉もそれ以上は話題にすることはなかった。


「うおぉ!」

「やれやれ……」


 物思いに更けていると、執事がまた金槌をドジったらしい。季吉は拳で腰を叩きながら、溜息と共に立ち上がると、「手伝おう、指が壊れちまう」と言って草履を履く。

 そろそろ年の功を見せてやるのも悪くないだろう。自分は『爺や』なのだから、執事の面倒を見てやるのも仕事の内なのだから。




***




『敵、艦船を感知。これより自動迎撃システムを起動します』


 深い海のそこで、それは静かに言った。

 それがなんであるのかを正しく理解できるものは少ない。が、例えるならばそれは『船』であろう。しかし船は海上を進むものである。決して海中を進むものではない。故にその船はゆっくりと、しかし確実に暗く深い海の底からその全身を覗かせ、浮上しようとしていた。

 艦体全てを覆うように積もった土砂と岩石を砕き、数十年の年月をかけて育ち始めていたサンゴや海藻類を蹴散らしながら、その船は起動した。


 光の届かない海底の中であってもその船を覆う白亜の装甲はきらめきを放ち、その美しい装甲の下に隠された重厚な駆動音を容赦なく響かせた。

 その全長は約二百メートルといったところか。かつて世界中の海を轟かせた巨大な戦艦たちに比べればその全長はまだ小さいといえるだろう。付け加えるならば、それは船とはいうものの、船にしても異様な形をしている。


 天守閣もありやというように堂々と聳え立つ艦橋。艦首部分は城門のような構えを見せ、城壁の如き装甲は海水を押しのけながらその威光を見せつけた。艦体の上、三連装の砲台が自分の意志を持つように稼働を始める。それはまるで動作チェックを行うかのように、自然な動きであった。門構えを見せる艦体は広がり、両脇には丸みを帯びた大型のブースターノズルが二つ、それと艦尾に二個並列された同等のノズルが点火し、海水を蒸発させながら巨体を進ませた。


さながら城といっても差し支えないだろう。そう、まさしくそれは城であった。海底深くに沈められた城が飛び立つ。海中を轟かせ、存在をしめすかのようにその城は一瞬にして海面に躍り出た。それを目撃した者たちは海の中から突如として城が這い上がったとしか思わないだろう。

周辺へと海水を押し出し、吐き出しながら、城はその場に停止した。


 城の内部では、今も動力炉はなおも稼働を続け、今なお機能を停止しているシステムの起動を促していた。順々に城の機能が復旧していくと同時に艦橋内部に光が灯る。外見とは裏腹にどこか近未来的な趣向を施したそこは自動航行にて起動していた。

 その目的は計り知れないが、内部の大型スクリーンにはでかでかと「危険」の文字が記されていた。アラートが鳴り響き、城に設置された砲台がうごめく。三つの砲台はその全てを頭上へと向けていた。

 しかし、異変はそれでぴたりと止む。城はその動作を最後に動きを見せなくなった。だが、それは外見上の異変であり、城の内部は今なお騒々しい程のアラートが鳴り響いていた。誰もいないはずの艦内が慌ただしくなる。全ての隔壁が降ろされ、内部は戦闘用のそれに移行していた。


 人々がその城の存在を認知してから三時間。遠巻きに城を警戒する海上自衛隊の隊員たちはどこか言い知れぬ不安のようなものを感じていた。

 誰かが言う。あれもヴァーミリオンなのか? と。それに答えられるものなどそこにはいなかった。しかし、その場にいる誰もが考える不安でもあったのだ。


 その内に『ユノ』という組織が勝手に現場に割り込んでくる。そうすればわけのわからない事態からは離れることができるから、それまでの辛抱であると、誰かが言った。

 その瞬間であった。城は、三つの砲塔、その全てからまばゆい閃光を天高く放ち、雲を突き抜け、夕暮れの空を貫いていく。


 唖然とする隊員たちは、天を仰いだ。

 そして……バラバラと降り注ぐ赤い残骸に紛れて、奴らは現れた。

 ≪ヴァーミリオン≫たちが。


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