三十九話 乙女の再臨
「私、今日と言う日は『買い食い』というのをしてみたいのです!」
地獄の宿題を終え、他の面々と別れる間際に美李奈に呼び出されていた綾子は彼女の突然の言葉に唖然としていた。
と言うのも、呼び出しをした美李奈の表情はえらく真剣で、有無を言わせないプレッシャーもあった。さらに言えば美李奈らしくもないどこか肩肘張ったようにこわばっており、緊張という感情も見受けられたので、綾子としても何かとてつもなく重大なことを話すのではないかと腹をくくっていたのだ。
「か、買い食い……ですか」
「そうです!」
ドンッ! と両手を腰に当てながら、きっぱりと言い放つ美李奈。
「実は以前にも実行しようとしたのですが、セバスチャンがうるさく……いえ、買い物の途中でしたので、仕方なく、えぇ仕方なく取りやめになったのですが、今回はなんと私の貯金が貯まったのでこの機会は逃がすまいと思ったのです」
そう語る美李奈の表情は燃えている。理由はよくわからないが、どうやら美李奈にとっては買い食いと言うのは大きな出来事のようだ。
ある意味では、綾子もその感覚を理解できないこともない。少なくとも自分がそういうことをやるようになったのは早くて中学二年からだ。
確かに、学校帰りの道すがら何かをお菓子でも軽食でも食べて帰るなんてことは奇妙なあこがれでもあった。それが今では何の抵抗もないし、むしろ成金な両親はそんなみすぼらしい真似はやめろなどと言ってくるぐらいには常習である。
それはこういったお嬢様たちとて例外ではないのかもしれない。特に美李奈にしてみれば自由に使う金もなければそんな暇だってあったかどうか。内職も行い、学業も努め、≪アストレア≫で戦うことになったことを考えれば、美李奈の日常は自分が考えている以上に窮屈なものだったのかもしれない。
「べ、別にいいですけど……コンビニとかクレープ屋とか、それなら別に私がいなくても……」
「いえ、これは友人と見込んだ綾子さんと出なければならないのです。麗美さんだとちょっと騒がしいですし、他のお二人もと思ったのですが、そんな人数で押しかけるのもなんだか……」
一体どこに行こうというのか、皆目見当もつかないが、どうやら美李奈としては誰かが付いていないと困るようで、その視線からは「ぜひついてきて」という感情が煌びやかな光線となって放たれていた。
これで相手が男なら一撃で落ちるであろう儚げで、麗しい上目遣いなのだが、どうにも「奇妙な」少女である部分を知ってしまっている綾子にはそんな光線は一切通用していなかった。
「……まぁ真道さんがいうなら。変な所じゃないだろうし、ちょっと私もお腹空いてたし」
「まぁ! やはり綾子さんはお優しいわ! でしたら善は急げ、早速参りましょう!」
ぱぁと満面の笑みを浮かべた美李奈は綾子の腕を掴むとその勢いのまま駆け出す。
綾子もバランスを崩しそうになりながらも美李奈の後をついて走る。
「ちょ、ちょっと真道さん!」
「急いでくださいまし、綾子さん! 売り切れてしまいますわ!」
子どものようにはしゃぐ美李奈に手をひかれ、わずかに汗を滲ませながら、高級住宅街を駆け抜け、さらに数十分と時間を掛ければ、そこはいまだ復興の兆しが見られない一般層の区画である。
いや、復興という事であれば今なお耳をつんざくような重機の作業音はそこかしこから響いてくる。でかでかと西洋であるとか東洋であるとかよくは分からないが龍の紋章を刻んだ業者がせっせと見た目まじめそうに働いている。
彼らが不真面目というわけではないのだろうが、そもそも街をこんな風に破壊したのは他ならぬ龍常院ではないかと、憤りを覚える綾子はいくら復興、復旧に携わろうと、そこにいる彼らをまともな目で判断することなどできなかった。
「……まだ壊れたところ多いんだね」
さらに奥へと美李奈の後をついて行けばそこはいつか彼女の家に遊びに行く時に通った狭い路地や民家が密集する団地へと続く道であり、綾子の記憶が正しければそのもっと先は商店街に続く道のはずである。
その道中を見ていくと折れた電柱や窓や屋根が割れた民家、ひびの入った道路や崩れたマンション……改めて見渡してみれば、そこは守られたはずの風景ではなく、いうなれば無残にも踏み荒らされた状態であった。
「戦いの爪痕というものはどのようにした所で生じるもの。それは私の戦いとて例外ではありませんわ」
先を行く美李奈の声音は普段と変わらないように聞こえたが、その表情をうかがい知ることは出来ない。綾子は横に並んでそれを覗きこもうとすることをなぜかためらっていた。
「そりゃ、そうかもしれないけどさ……」
背後でうつむき、言葉を選ぼうとするが綾子にはその次は思い浮かばない。
『そんなことはない!』と言うだけならばたやすい。美李奈や麗美の戦い方は優雅であれ、派手であれ、そこには人を守ろうという意志がある。
それは海での戦いであってもそうだ。美李奈の操縦であれば重厚な≪アストレア≫であっても無様に攻撃を受け続けることなど許すはずがない。
しかしあの戦いにおいてはその背後には綾子自身を含め、大勢の人々がいた。それを理解していた美李奈が、攻撃を避けるなどと言うことを選ぶはずがない。
少なくとも真道美李奈の戦いに無駄な被害はなかったと綾子は断言できる。
「さぁ! そのような話はもうよろしいじゃありませんか」
継ぎはぎのスカートをふわりと浮かせながら美李奈はクルリと綾子へと振り返る。横髪をわずかにかきあげ、いつもの大胆不敵な笑顔を浮かべる美李奈の肩の向うに見えるのは『商店街』というかすれた看板が掲げられた大通りの入り口であった。
商店街の雨よけだったのだろう天井には無数の大穴が開き、良く見れば鉄骨のフレームだって歪んでいる。人だってまばらであり、商店街の中もどこか薄暗い。
美李奈は構わずその中へと歩いていき、綾子もそれに付き添うように後を追う。やはりというかシャッターは閉まっており、大体の店は営業活動すら再開しているようには見えない。
だが、そんな暗い大通りの中であっても、ほのかに漂う香ばしい匂いは、同時に温かさをも運んできているようであった。
「……? コロッケ?」
その香りは不思議と食欲をそそり、問答無用で腹をすかせる魔性の香りであった。そんな香りにつられるように美李奈は小走りで大通りの中腹、わずかに人の集まり、唯一人の気配の多い店の前にまでやってきては小躍りするようににこやかな笑みを浮かべていた。
「綾子さん! ここですわ!」
「早くいらっしゃいな」と言わんばかりに大きく手招きをする姿は気品さではなく、どこにでもいる少女そのもののようであった。
「店主、コロッケ二個ちょうだいな」
綾子が追い付いた頃にはもうウキウキが止まらないのだろうか、美李奈はすでに注文を終えており、綾子はアツアツの揚げたてのコロッケをそのまま受け取る形となった。シート越しからでも伝わるぶあつい衣もザクザクとした感触と香ばしい匂いは否応にも唾液を分泌させるものであった。
「あーこれは卑怯だわ。うん」
ふと周囲を見渡せばこの商店街でまともに活動を再開しているのはこの店位だった。看板を見るとそこが肉屋であることが分かる。周囲にいるにも中学生や小学生がほとんどだ。
なるほどこの店はそういう子らが集まるような場所なのだなと理解した綾子は早速隣りでコロッケを頬張る美李奈へと視線を移す。
にへらっと普段であれば絶対に見せないであろう破顔した美李奈の姿はとても新鮮であった。
「あぁ、この子はこういう顔も出来るんだ」などと呟きながら、綾子もそのコロッケを一口かじる。ザクッとした触感とホクホクのジャガイモのハーモニーはなんとも言えない至福の時を口中に伝えてくれる。確かにこれは買い食いをしたくなる味だ。
「あ、美味しい!」
「でしょう! 私もここは良いものを出すと前々から狙っていたのですよ!」
確かにこれは良いものだった。よくテレビなどでも流れる隠れた名店といったところか、これはついてきて正解だったのかもしれない。
「ここ、いち早く店を再開させていたので、気にはなっていたのですよ」
コロッケを半分以上食べ終えている美李奈は満足そうな顔を浮かべながら言った。
「あんなことがあって、この商店街も全く人がいなかったのですが、今朝通りかかったら仕込みの香りがしたので、もしやと思ったのですよ」
「ユノ」とかいう組織、そしてそれらが保有する二体のマシーンの戦闘の余波はこんな所にまで届いていたらしく、綾子の想像を超えるものであったことが分かる。
確かにこの商店街が存在するエリアは綾子が映像だけで見ていた区画ではあるが、二体のマシーンの戦いはここよりももっと街中であった。
商店街はどちらかと言えば街中よりはずれに位置する場所なのに、このような状態である。それほどまでに「ユノ」が所有するマシーンの戦闘力がずば抜けており、行われた戦闘がいかに苛烈であったかを物語っている。
「例え傷ついてもコロッケは食べられる。それはとても幸せなことだと思いません?」
「え?」
既にコロッケを完食した美李奈は先ほどまでの惚けた表情が消え去り、ジッと肉屋の方を眺めていた。彼女の視線の先には小銭を抱えた子ども達がわっと肉屋の店先に群がってはコロッケを買い求めている。
そんな子ども達に店主はにこやかな顔を向けて次々と揚げたてのコロッケを配っていく。店内の奥からは他の従業員たちの小さいながらも活気のある声が聞こえてくる。
美李奈はそんな姿を眺めながらフッと笑みを浮かべ、わずかに顔を綾子に向ける。
「未だ街の復興はならず。まだ大勢の方が避難所で生活していますわ」
しかしそんな話はニュースで流れたことなどない。不自然にも連日流れるニュースは「ユノ」の活躍ばかりだ。たった二回の戦闘だけなのにまるで歴戦のつわもののような宣伝の仕方に綾子は辟易としている。
「ですが店主は負けじと店を再開させたのです。ごらんなさい、彼らの笑顔を」
店に押し寄せる子ども達は騒がしく調子が良さそうな姿であふれていた。一見すれば良くいる元気な少年たちだろう。
「笑顔が溢れるということはまだここも余力があります。ですが、それは彼らの戦いに義があるということにはなりません。この笑顔とて、消し去ろうとする不条理が存在するのですから」
「けど、真道さんはそれと戦ってくれていますよね」
「それが、私に課せられた使命であると認識していますわ」
そんな言葉を当然のようにいってのける少女の姿は凛々しい。
「フフ、いけませんわね。そんな難しい話をする為に来たわけではないのに」
しかし、美李奈はけろっと表情を変えて優しい微笑を浮かべる。そしてがまぐちの古臭い財布を懐から取り出してれじゃらじゃらと小銭を確認しながら、そわそわと肉屋とを交互に見つめる。
「ううん……もう一つ欲しい所ですが、ここで使ってしまうとアイスが……」
小遣いの使い道を真剣に悩むお嬢様という姿は早々見られるものではない。
今日に限っては美李奈の様々な一面が見られたと思う。凛とした雰囲気を出しながらも、どこか変わった少女が今まで自分たちを守ってきたのだと思うと、感謝という感情よりもなぜかだ綾子はおかしくなって笑いがこみあげてくるのだ。
「あははは! 真道さん、そういう時はぱーっと使って後悔した方があとくされってのがないんだよ!」
「あら、そういうものなの? でしたら……」
綾子にそそのかされるように美李奈は小銭をかき集めて肉屋の列に並び直す。小銭を握りしめ、少年たちの混ざりながらわくわくといった顔をするこの少女は今後も戦い続けるのだろう。
それを知るものは少ない。ここにいる彼らだってつぎはぎのご令嬢ってだけでも驚きなのに、そんな少女が実はスーパーロボットのパイロットだなんて思いもしないだろうし。
少なくともここにいる中でその事実を知るのは自分だけだ。自分だけがこの少女が抱える大きな使命を知っているのだと思うと、美李奈がコロッケを思う存分食べるぐらい許してやった方がいいに決まっている。
それぐらいの自由をしたって罰は当たらないはずなのだ。この真道美李奈という少女には……
だからこそ、綾子は腹が立つのだ。
遥か頭上で響く轟音、ガタガタと周囲を振るわせる振動と怪音、それは聞き慣れてしまった、≪ヴァーミリオン≫の音だ。
この音が響いた瞬間、肉屋に集まっていた少年たちからも、店主からも表情が消える。みなが一斉に静まり返り、身を掲げて、上を見上げた。
真紅の巨体が悠々と空を飛んでいくのが見える。いつか見た≪高機動型ヴァーミリオン≫の細見の機体である。
「やはり、不作法者はどこまでいっても無礼でしかないということなのでしょうね」
いつの間にか綾子の隣に立つ美李奈も、その姿を睨みつけるようにして見上げた。美李奈はチラッと綾子へと目配せをすると、フッと笑みを浮かべる。
「なんだか、私はあなたを誘うといつも邪魔が入りますわね」
次に苦笑をした美李奈に、綾子も同じく苦笑で返した。
「あはは……あたし、そういう女かも」
「フフ、ではそういう運気を払ってまいりましょう」
美李奈はそういうとつかつかと進んで行く。綾子はその背を眺めながら、思わず声を掛けてしまう。
「美李奈さん!」
その時、なぜ下の名前を呼んだのはか後になっても分からなかった。美李奈は立ち止まり、振り返ると優雅にスカートのすそをあげて、膝を折ってそれを返答とした。
そして再び商店街が轟音に揺れる。影が覆うその頭上には青い巨人が主に付き従うように現れる。
≪アストレア≫はそのまま商店街の入り口前に降り立つと、その巨躯で日差しを受け止める。
そして、主たる美李奈もまた≪アストレア≫の股の下を潜り抜け、≪アストレア≫が見つめる先を同じく見つめる。
『お待たせいたしました美李奈様』
≪アストレア≫から発せられるのは執事の声である。どうやら先に乗り込んでいたようであった。
腕を組んだ美李奈を包み込むように≪アストレア≫から光が放たれ、少女を包み込む。そして、一瞬にしてその身をコクピットへと転送させると同時に≪アストレア≫の両の眼に光が灯る。
全身から駆動音を轟かせ、その振動をシート越しに受ける美李奈は久しぶりの感覚に思わず頬が緩んだ。
「さぁ休息の時間は終わりですわ、アストレア。今一度、あなたの力をお借りします!」
『美李奈様、反応多数。それと口元の食べ残しのことはあとでお聞きします』
「あら?」
突然の指摘を受けた美李奈はとっさに口元に手を当てると、コロッケの衣の破片がくっついていることに気が付き、ほんの少し顔を赤くする。
「んん! 行きますわよセバスチャン!」
『ハッ! ですが、あとでお話は聞かせていただきます!』
青き巨人は再び大地に降り立つ。その身を盾とし、あらゆる不条理を跳ね除ける神の名を冠した巨人の力強い姿は方々からでも確認することが出来る。
聞き飽きたサイレンの音がコクピットにも伝わる。同時に周辺からも騒ぎの音が聞こえてくるのが分かる。
「手筈は覚えていますね、セバスチャン!」
『お任せを。まずが敵をここから引き離しましょう!』
「その通りよ!」
美李奈がアームレバーを押しだすと同時に≪アストレア≫の巨体が軽やかに舞い、全身のスラスターを展開、飛行を開始する。
今この瞬間、≪アストレア≫は再び舞い戻ってきたのだ。




