三十五話 乙女はそれを許せない・前編
轟々と風を叩き割るような音と共に二振りの剣が振るわれれば、その度に赤い残骸が周囲に飛び散る。その刃は斬り裂くのではなく、ねじ切るといった感覚で振るわれ、力任せのそれは鈍器のような結果を伴う。
≪マーウォルス≫の赤銅の装甲は太陽に照らされ灼熱の炎のように揺らめき、輝いて見た。手にした二対の剣もその刀身を鈍く光らせながら次なる獲物を狙い定める。
だが、その足下で今もなお逃げ惑う人々がいる。悲鳴、絶叫、泣き叫ぶ声、様々な声が周囲に響き渡ろうとしても、それらは≪マーウォルス≫の振るう凶暴な剣戟の前には消えていく小さなものであった。
『ひ、ふ、み……七体か』
外に漏れることのない秘匿回線の中、≪マーウォルス≫を駆る鎧武者の如きパイロットは無機質な仮面の下で乾燥した唇を舐めた。
『真尋、貴様は初の実戦だ。よく見ておけ』
鎧武者は背後に控える≪ウェヌス≫のパイロットである村瀬真尋にそう伝えると、再び≪マーウォルス≫を加速させ、近くでのろのろとうごめく≪ヴァーミリオン≫へと斬りかかる。
『そっちだって二回目でしょ? あんまり上から目線はして欲しくないなぁ』
女神像のような蒼銀の機体の中、スイムスーツのようなパイロットスーツを着た真尋はそれなりに空間の広いコクピットの中でゆったりと座席に腰掛け、気だるげに答えた。
『張り切るのはわかるけどもねぇ……あんまり潰さないでよー、村瀬の家だってお金払うんだからさー』
真尋は小さくあくびをしながら、大地を大きく揺るがす踏み込みを見せる≪マーウォルス≫へと嫌味を言っていた。
だが、≪マーウォルス≫のパイロットはそんな真尋の嫌味など届いていないのか、はたまた自分の戦いに夢中になっているのか、演武のように、見せつけるように剣を振るう。
『あーあ、嫌だ嫌だ。猪武者って奴かな』
座席にもたれ掛かっていた体を今度はモニター側へと移動させ、うつ伏せの状態になった真尋は視界の端でちらりと映る別の≪ヴァーミリオン≫の接近を察知する。
≪ヴァーミリオン≫は舞踏を続ける≪マーウォルス≫の背後へと無貌の顔を蠢かしながら接近する。
『後ろ、後ろ』
『どうせ聞こえていないだろうな』と内心つぶやきながら、真尋はパネルを操作する。
瞬間、≪ウェヌス≫の左腕がゆらりと前に突き出されると、その掌からか細い閃光が走る。
ほんの一瞬、鋭い音と共に放たれたレーザーが≪ヴァーミリオン≫を真っ二つに斬り裂く。
『どーせ、お礼はないんだろうけどさぁ』
真尋は再びあくびをしながら、切断面をドロドロに融解させながら崩れ落ちる≪ヴァーミリオン≫をつまらなさそうに眺めていた。
『あのでっかい奴なら、私のウェヌスも存分に使ってあげられるけど、こんな雑魚たちじゃ準備運動にもならないんだよねぇ』
そして、≪マーウォルス≫の足下に広がる無数の廃墟と残骸へと視線を移すと、今度は小さな溜息をついて、どうせつながらない通信を再びつなげる。
『ちょっとー聞いてますー? あんまり壊さないでくださーい』
案の定、返答はない。
『ちぇー、何億の損失すると思ってるんだよぉ』
甘い香水の香るコクピットの中、真尋は潰れていく居住区の復興予算の計算を始めた。
『どうせ、後で保障が出るんだから』と呟きながら。
***
再びドームを閉じた社交場は薄暗い空間の中、特別に用意された大型のスクリーンにて「披露会」を上映していた。
「披露会」に映るのは龍常院グループが満を持して紹介した二体の巨人の圧倒的なまでの戦闘力であり、成果であった。
赤銅の戦士≪マーウォルス≫が両手に握られた剣を振るえばそれだけで数多の≪ヴァーミリオン≫は瞬断され、赤黒い血液ともオイルともわからない液体をまき散らしながら崩れてゆく。
その背後で待機する蒼銀の女神≪ウェヌス≫はレイピアを地に刺しながら、悠々と≪マーウォルス≫の演武を眺めていた。
時折、つまらなさそうに左手をかざせばそこからか細い光線が発射され、それが≪マーウォルス≫の背後を狙おうとした≪ヴァーミリオン≫の装甲を斬り裂く。
それが終われば≪ウェヌス≫は再び気だるそうな姿勢を見せながらレイピアを杖のようにして観戦に戻るのだ。
(あの街並み、真道さんの家がある場所じゃない!)
綾子はテーブルから身を乗り出すようにして、そのスクリーンに映し出される映像を見ていた。確かに二体の巨人の戦闘力には目を見張るものがあるが、それ以上に戦場の舞台となる風景はどこか見覚えのあるものであった。
(というか、あいつらめちゃくちゃに暴れてるだけなんじゃないの!?)
綾子がそのような憤りを覚えるのは、不自然なまでに映されない街の状況と、それでも一瞬だけ映り込む崩れた建造物の残骸などの姿から直観的に感じとったものであった。
周囲の人々は二体の巨人が≪ヴァーミリオン≫を撃破するだけで一々歓声を上げては拍手をするのだが、綾子はそんな気分にはなれなかった。
綾子自身、自分が映像を冷静な視点で見れていることには驚きだったが、≪アストレア≫と≪ヴァーミリオン≫の戦いを何度も近くで見てきたからこそ、そんな意見も出るのだ。
「すさまじい戦闘力ですなぁ、この前まで戦っていた青いロボットとは全く違う」
「えぇ、これは……流石は龍常院の作るものだ……格が違う」
右隣りに移動してきた二人組の男がグラスを片手に感想を言いあうのを綾子は耳にした。声音からしてそれが龍常院に対するお世辞であることはわかっていても、綾子は≪アストレア≫を、ひいては真道美李奈を見下すような言葉にいらだちを感じていた。
「敵は倒せても暴れてるのと変わらないじゃない」
そんな呟きは≪ヴァーミリオン≫が爆発する轟音でかき消され、隣の男たちの耳には届かなかったようである。
スクリーンの映像は≪ヴァーミリオン≫の爆発の瞬間を映しても、すぐに≪マーウォルス≫らの姿へと切り替わる。
それらの演出は観客に二体の巨人の圧倒的な強さを見せつける最高の演出になって、会場を盛り上げる。
ただ一人、綾子だけは険しい視線を向けていた。
「クッ……」
再び映像の中で爆発が起こる。≪重装甲型≫の連鎖爆発であった。やはり爆発の瞬間は映されてもすぐに≪マーウォルス≫へと切り替わる。
だが、先ほどの爆発の余波はいくら映像を切り替えても伝わる程に強大であり、爆風と炎にあおられる≪マーウォルス≫の姿があった。
その爆炎の中に不動の姿で映る≪マーウォルス≫の姿に観客は文句なしの頼り甲斐を感じたのだろうか、会場がにわかに活気づく。
だが、綾子だけはあの爆発が住宅街付近で引き起こされたということを感じていた。
「そりゃどうしても出ちゃう被害はあるわよ! けど、それにしたって、もっと考慮するでしょ普通は!」
美李奈が駆る≪アストレア≫であっても、戦いの被害を完全に抑えることは出来ない。それは綾子も知る所だし、そういう意味では≪マーウォルス≫や≪ウェヌス≫の戦いも仕方のないことなのかもしれない。
だが、それでも「戦う姿勢」というものはあるはずだ。
例えそれが名目上のものであっても、龍常院昌は高らかに宣言したのだ、『ヴァーミリオンの襲来から守る』と。
で、あるならば『守ろうとする姿勢』を見せるのが礼儀ではないだろうかと。
「外に出ます」
綾子はテーブルから離れ、人をかき分けながら会場の出入り口となっている両開きの扉の前まで移動していた。
そこをふさぐ黒服のスタッフが顔を見合わせて困惑する。
「レディ、申し訳ございませんが、それは出来ません」
「なんでよ、外に出して。うるさいのよ、ここ」
「ですが、外は現在危険です」
スタッフの男二人は綾子の苛立ちを理解はしていても原因がわからず、しかも参加者である以上は「お客様」となるセレブである綾子に失礼な態度が取れない為に困惑していた。
しかも綾子はお構いなしに扉の取っ手に手をかけて無理やりにでも外に出ようとするので、スタッフは慌てて扉を抑え、首を横に振った。
「レディ、先ほどもお答えしましたが、外は危険です。戦闘が終わるまでは……」
「ご自慢のロボットが戦ってるんでしょ」
「ですので、危険なのです。私どもは軍人ではありませんが、戦場という場所が危険であることは承知しているつもりです。そのような場所にご婦人一人を放り出すような……」
「あぁもううるさい! 友達がいるのよ!」
綾子は扉を蹴飛ばしてやろうかと思い、スタッフを乱暴に押しのける。そして右足を突き出して、ドレスのスカートがふわりと舞う瞬間、
「そこまでですよ」
「おわっ!」
綾子は肩を掴まれ、いとも簡単に体を後ろへと倒される。女の子らしくない悲鳴はまたも偶然にスクリーンから響く爆音でかき消されたので恥をかく事はなかったが、扉の前で倒れるという状況は中々に恥ずかしいものである。
「な、なに!?」
倒れる感覚と同時に綾子はふわりと誰かが背中を抱く感覚も覚えた。そして、一瞬のうちに姿勢を整えさせられ、直立不動の状態になった綾子はわけがわからないまま、背後を振り返る。
「あ、あんた!」
その視線の先には壇上で見事な演説を行った生徒会長、龍常院昌のキザったらしい笑みがあった。
「おや、どこかで見たことのある後ろ姿だと思ったが……うちの生徒か」
その言い方はどこかわざとらしいものがあった。初めからわかった上でさっきの行動に出たのではないかと思うぐらいにわざとらしい。
昌は意味もなく「フッ」と小さく笑うと、スタッフに目配せをして下がらせる。二人のスタッフはビシッと姿勢を正して小さくお辞儀をすると扉の両脇に戻っていった。
「生徒会長……」
「どうやら、僕の事は知ってくれているようだね。まぁそれは当然か」
「何でもいいんですけど、外、出てもいいですよね?」
「残念だが、ちょっとそれは許可できない。怪我でもされたた責任はこちらのものになるからね」
「お金持ちなんですから、些細な問題じゃないんですか?」
綾子はいつになく挑発的な口調だと内心驚いていた。そういう口調が出る理由はスクリーンに映し出される乱暴な戦いのせいだともどこかで理解していた。
そして、それを統括しているのがこの少年であることもわかっている。だから、こんな態度が出てしまうのだ。
「まぁそれはそうだな」
昌は否定もせずに前髪を弄っていた。
その余裕の態度は「そんなことはいつでも可能」と言うものであり、一々言葉に出す必要もないという風にも見える。
「だが、君のご両親や弟さんに対する言い訳をするのは私だ。正直、それは苦労するのでね」
「……」
家族のことを持ちだされてしまっては綾子も返す言葉がない。何かと間近で≪ヴァーミリオン≫の襲来を経験している手前、現場がどれほど危険であるかは綾子とて理解している。今までが無事だったのは、それは≪アストレア≫が守ってくれていたという点もあるだろうが、多くは運が良かっただけだ。
今回も同じく無事であるという保証は確かにない。今は≪アストレア≫がいないのだから。
「理解をしてくれるなら嬉しい。飲み物でももってこさせようか」
昌はスッと綾子と扉の間に滑り込むようにして移動すると、扉に肩をおいて、流し目で綾子を見つめた。
「結構です」
『付き合ってられん』という具合に綾子は昌の視線を無視して取っ手に手をかける。
「……なんです?」
しかし、昌の手が綾子の手首を掴み、それを阻止する。そこまで強く握られているわけでもないので、痛くはないのだが異様なプレッシャーを感じる。大人しくしていろと言葉にしなくても伝わる程に鋭く、冷たい視線が向けられていた。
綾子はそれを感じて一瞬、寒気を覚えたが、一度出してしまった無礼な態度を引っ込めることができずに突き通す。
「……生徒会長は私たちを守る為にユノとかいう組織を結成したと言ったけど、それってどういうつもりなんですか?」
それは精いっぱいの反論であった。
「どう、とは?」
「見りゃわかるでしょ、あのロボットの戦い方ですよ!」
綾子は戦闘が終わったらしい映像が流れるスクリーンを指さし、語気を強めた。
「あの街並み、私知ってます。友達の家があります。どう編集してるのか知りませんけど、あのロボットたちが戦ってる場所ってたくさんの家やお店が並んでたはずですよ。そんな所であんな暴れ方をしたらどうなるかぐらい想像はつきますよね!」
戦闘は終わったが会場はまだ暗く、スクリーンもまだ開いたままであった。龍常院グループの宣伝映像らしきものが流れ、音楽もそれに連なり奏でられる。会場からは溢れんばかりの拍手が起こる。
「失礼、デモストレーションが終わったようだ。また壇上に上がらなくては」
昌は、今度は綾子の方に視線を向けることなく、その場から立ち去る。
「一つ、聞きたい」
途中、昌は綾子に背を向けたまま問いかけてくる。
「アストレアが戦っている時はどうなんだろうね?」
「決まってるでしょ」
その問いかけに綾子ははっきりと答えてやる。
「体張って守ってるわよ」
綾子はズンズンと大股で昌を追い越しながら、今度は自分が昌に背を向けて語る。
「どうしても出てしまう被害があるのはわかるけど、それでも、被害を抑えようと戦ってる姿は美しいのよ。ただ敵を倒すだけよりはね!」
言いたいことはまだまだたくさんあるが、一先ずはこれで勘弁してやろうと思いながらも、綾子の心臓は破裂するのではないかというぐらいに鼓動していた。
背中に突き刺さる昌の視線らしきものを受け止めながら、綾子は足早に人ごみの中に逃げてゆく。
そして、その姿をずっと眺めていた昌は冷たい視線を向けたまま、壇上に向かった。
「その美しさが、あのような結果を招いたのだろうに」
その呟きは誰に聞かれることもなく雑音の中へと消えていく。
昌は自分の存在に気が付いた大人たちの媚びを売る眼差しを、暗闇に紛れて睥睨しながら通りすぎていった。




