三十一話 乙女は蚊帳の外
日本海近郊に点在する無人島の中には手つかずのものが多く、わずかばかりの渡り鳥が羽休めを行う時ぐらいにしか生物の姿は確認できない程に寂しいものもあれば野生豊かな島もまた同時に存在する。
しかし、その島は島と言うにはあまりにも小さく、島というよりは整備された空港のようにも見えた。
事実その島は、人工物であり、自然のものではない。それであっても二〇〇メートルの巨大な物体は存在していた。
その人工島はわずかに移動しているのが周囲の波の動きでわかる。一切の自然が感じられず灰色の鉄で覆われた巨大な島は、武装を施しているわけではないのに、まさに要塞と言うべき風貌であり、威圧的なものすら感じられる。
二〇〇メートルという巨体の中、太陽の光すら届かない海底に位置する内部空間には大きな空間が広がっていた。
その大広間は明かりが極端に少ないが、電光パネルと三つの大型モニター、そしてわずかばかりの照明が何十人もの人間を照らし、物々しい空気を感じさせていた。
扇状に広がる専用のデスクは上下三段に分けけられ、その上には様々な電子機器が並べられていた。
それを前にした黒い制服を着込んだ者たちが一斉に作業を行い、その周囲を三つの大型モニターが囲む。
広いはずの空間はそのせいで酷く狭苦しく感じられ、空気がさらに異質さを加速させた。
「起動データの更新を完了しました」
「情報封鎖完了」
「開発部より連絡です、予定の三十パーセントの遅れとのこと」
「急がせろ」
集められたものは皆、一斉にパネルやキーを忙しなく叩き、目の前に用意された小型のモニターに映し出されるデータを処理していた。
放たれる一言一言に感情らしさはなく、事務作業を徹底した姿勢はマシーンのように見える。
彼らが処理するデータの多くは数値データであったり、映像、画像、各種メディアが放つ多種多様な情報であったり、様々である。
龍常院晶はそんな空間の中、上部中央に座する老人の傍に立ち、眼下で繰り広げられる無機質な作業を眺めていた。
「マーウォルスの性能はまずまずのようだが?」
そのしゃがれた声はかなりの齢を感じさせるものであるが、その躯体は大きく精悍なものであった。肌のしわも殆どなく若々しい艶をみせており、何度見てもその男が老人であるようには見えないだろう。
だが、この男は既に齢八十を超える老人である。それでも黒の制服に身を包み、白銀に輝いて見える白髪をオールバックに整えた姿は野心を持つ企業青年のようも見える。
老人は腕を組み、昌と共に作業を続ける部下たちを満足そうに眺めていた。
「はい、お爺様。パイロットの心拍数の増加が気にはなりますが、一時的な興奮でしょう」
晶の返答に老人は無表情のまま頷き、次の言葉を紡ぐ。
「だが、雷帝を動かすという話は聞いていないな」
「申し訳ございません。ですが、あの状況下においてマーウォルスにピラミッドタイプを迎撃する手段はありませんでしたので」
モニターに逆三角錐の大型ヴァーミリオンが映し出される。
「確かにな……だが、雷帝の完成予定に一か月の遅れを生じさせてしまったぞ? 時間は有限だ、正しく運用されてこそ最も賢いと思うべきだ」
「それは承知しています。処罰は甘んじてお受けいたします」
繰り出される会話には妙な温度差があった。老人は、孫を諭すような穏やかな口調であったが、昌は逆らうことのできない上司への対応のような言葉である。
「フッ、罰はない。心得ておいて欲しいのだよ。我々は既に十六年もの時間を無駄にしている。その十六年は必要な無駄であったと思いたいがね」
「はい、必ずやお爺様のご悲願が果たされますよう、私も全力で協力いたします」
「頼りにしているぞ昌……ふむ」
老人は銀色のブランド物の腕時計に視線を落とす。
時刻は昼過ぎの二時を回っていた。
「昼食はまだであったな。来なさい、昌」
老人は足腰の衰えなどないのか、すっくと立ちあがりその躯体を翻す。身長一九〇はあろうか、孫である昌よりも頭一つ分大きく肩幅もがっちりとしていた。
「はい、お供させていただきます」
昌はそんな祖父の背を追いながら、共々に暗い空間を後にする。
出た先の通路も赤い照明のみで薄暗い狭いものであった。二人は無言であった。
狭く長い通路の突き当り、エレベーターへと乗り込み昌がボタンを押す。エレベーター独特の駆動音だけが個室に響く。
「……時に」
「はっ? はい!」
静寂を破ったのは老人である。
昌は不意な祖父の言葉に生返事を返してしまったので、慌てて訂正した。
「真道の孫娘はどうなった?」
「無事なようです。機体も於呂ヶ崎公が回収しています」
「そうか」
老人は短い返事だけをするとまた押し黙ってしまう。
それと同時にエレベーターが目的の階へと到着すると、やっと明るい光景が広がる。
壁一帯をガラス張りにし、明るい光が差し込むように設計されたそこは所謂展望台とも言える場所であり、大小様々なテーブルやソファーが並べられていた。
二人は窓際の一角に腰を降ろすと、そこから眺められる大海原へと視線を移した。
「昌よ。これより我々は表舞台へと出る。その際、お前には龍常院を率いてもらう必要がある」
「はい」
昌は給仕が運んできたナイフとフォーク、そしてコップを祖父の前に並べながら返事を返す。
「我らが母なる星を血に染める悪魔はなんとしても排除せねばならぬ」
「はい」
「ウェヌスを起動させよ。パイロットは決まっていたな?」
「はい、村瀬真尋です」
老人は小さく頷くと目を細めて、孫の顔を眺めた。
「昌よ。真道の遺産はなんとしても見つけろ。でなければヴァーミリオンとの戦いには勝てぬ」
「了承しております。調査員の増員は既に終えていますのでどうかご安心を」
昌が目を伏せ、祖父に頭を垂れる。
それと同時にカタカタとテーブルの食器が揺れ、部屋のガラスもわずかに音を立てた。
二人の座る窓際の席が一瞬にして影で覆われると、そこには赤銅の機体がゆっくりと下降してくるのが見えた。
「マーウォルスが帰還したか」
赤銅の機体「マーウォルス」は胸部のコクピットが展開し、その中から甲冑武士のようなスーツを着こんだパイロットが姿を見せ、その上で二人に対して傅く姿を見せた。
「フッ、お堅い子だな」
「武士の子、などと言われて育てられればあぁもなりましょう」
昌はマーウォルスのパイロットに片手をあげ、下がってもよいという合図を送った。
パイロットは再び深く頭を下げると、機体に戻り下降させていく。
それを確認した昌は祖父へと振り返ると、ちょうどよいタイミングで給仕が昼食を運んできた。パンと野菜のセットである。
「座りなさい、昌。仕事の話は食事のあとにしようではないか」
「はい、おじいさま」
促される形で席に戻った昌は祖父が食事を始めるまで料理には手を付けなかった。
「どうした?」
老人はパンをちぎってスープに浸しながら食事に手を付けない孫を不思議そうに眺めていた。
「いえ、いただきます」
昌はやっと自分のパンを取った。
そんな奇妙な空白のある二人はまた無言のままおそめの昼食を取ることになった。
***
矢継ぎ早に飛んでくる部下の報告や関係各所などの外部からの電話、ついでには屋敷に押し寄せるメディアとそれに釣られて集まる野次馬どもの声は於呂ヶ崎亮二郎の苛立ちを最高速度で加速させるには十分なものだった。
ヴァーミリオン襲来から既に三時間は経過しており、亮二郎は大破したアストレアの即時回収とユースティアの帰還を命じてからというもの、騒ぎまくる人々にあられを投げつけるという謎の奇行を見せて以降はイライラを募らせながらも部屋で大人しくしていた。
その間は常に老執事が全ての対応を取り仕切り、忙しくしていた。
こういう時、この執事は何も言わずに仕事をしてくれるので有能である。
そしてまた、スーツ姿の部下が汗にまみれた顔を見せに来ては小脇に抱えたファイルから新たな報告書を提出していた。
「アストレアの回収を終えました! パイロット二名は現地に残るとのことです!」
「二人は無事かね? 怪我をしているのなら傘下の病院を手配するが……」
受話器を首と肩で器用にはさみながら、老執事は部下より報告書を受け取り、電話口の相手に返答を返しながら、それらに目を通した。
「えぇ、では、また何かあれば」
ほぼ無理やり話を切り上げて受話器を降ろしても、また新たな電話が入る。
老執事はそれを無視して、部下に視線を向けた。
「両名とも怪我を負っていましたが……ご友人らを探すとのことで」
「わかった。念のため人員を派遣しておきなさい。彼女らは大切なパイロットです。ですが、バカンスの邪魔をしないよう」
「ハッ!」
部下の男はお辞儀をして退出する。すると入れ替わりで別の部下が入ってくる。
「おい」
「なんです? やっとお仕事に戻りますか?」
デスクで仏頂面のまま腕を組んで黙っていた亮二郎が重々しい口を開くと、老執事はやれやれといった具合に主に振り向く。
亮二郎の声があまりにも重く、威圧的なものであったために入室してきた部下はかちこちに凍ってしまい、冷や汗すら流していた。こういう時の亮二郎は機嫌が悪く些細なことで爆発しかねないからだ。
そんな亮二郎相手にのらりくらりと交わせる老執事も伊達に付き合いが長いわけではなかった。
「君、報告は後でまとめて持ってきてくれないか? それまでは指示した通りだ」
老執事は部下ににこやかな笑みを向けて、退出させたのちに自身のデスクの呼び鈴のようなインターホンを鳴らす。
ややすると備え付けられたスピーカーからメイドたちの声が届く。
『はい』
「あぁ、すまないが君たち。暫くご老公の部屋には誰も通さないでくれ」
『かしこまりました』
通信を終えた老執事は小さく溜息をついて、自身の席に座ると再び亮二郎へと向き直す。
亮二郎は相変わらず腕を組んで渋い顔だった。
彼が視線を向ける先には数枚の資料が用意されていた。それは、巨大ヴァーミリオンと赤銅の機体の画像であり、亮二郎はそれに目を通していたのだ。
「なんだこいつらは」
「なんだ、と言われましてもね。新しいタイプのヴァーミリオンと謎のロボット……としか」
「そんなことはわかってる! 特にこいつだこいつ!」
亮二郎は唾を飛ばしながら赤銅の機体の写真を取りあげる。
「俺はこんなもの知らんぞ! 真道の奴の残したデータにもなかった!」
「真道様の残されたデータにはいまだ解析できていない部分もあります。恐らくはそこに残されているのでは?」
「だとすれば誰があれを作った。それにだ、この機体もそうだが二体の大型ヴァーミリオンを撃破した雷もだ。あれはどうみても自然のものではないだろ」
「今調べておりますが、あいにく我々のスタッフは企業人ではあっても軍人ではありませんからねぇ。おのずと限界も出てきます」
於呂ヶ崎グループとしても赤銅の機体の調査は出現と同時に始めていた。それでも追跡を振り切られてしまったというのが実際の所なのだ。
「真道の阿呆め……もしやあれも奴が残した遺産の残りか?」
「しかし、だとすればなぜアストレアを美李奈様の残したのでしょうね? 素人目に見てもあの機体、アストレアやユースティアよりも性能は上と見ますが。それに、一族ではなく別の誰かに手渡すのも不可解ではありますね」
「孫には甘い男だったからな」
亮二郎は自身のことを棚に上げていることにも気が付かずに思案を続ける。
「えぇい、わからんわからん! ややこしい話は嫌いだ!」
で、結論が出ないので癇癪を起す。
「おい、所で真道の金の動きはどうなった」
ひとしきり喚いた後であられを頬張る亮二郎は以前に調査を指示した件がどうなっているのかが気になっていた。
美李奈の実家、大資産家であった真道家が一瞬にして没落した背景にアストレアの開発が関わっていることは間違いないことであったが、アストレア一体の建造でそんなにも資金を使うのであれば、この於呂ヶ崎家とて同じである。
亮二郎は真道一矢がアストレア以外のも何かを残していると踏んでいた。
「調べさせました所、やはり多額の資金が動いていました。あらゆる分野、あらゆる企業、はては各国にまでその金が伸びています」
「それで、やはり奴は何か作っているのか?」
「そこまではわかりませんが、可能性は高いでしょうな。調べました所、たった数年で兆を超える金額が失われています。レアメタルなどの買い占めも行っていますし、相当無茶な買い物をしていますなこれは」
老執事が提示した資料には各種様々な合金に加工されるレアメタルなどが記されていた。よくみれば、そのどれもがアストレアやユースティアの装甲に使われるものである。
貴重な資源であった。
「おい、なんだこの量は」
亮二郎が目を通した行にはゼロの桁が異様に多い。アストレアやユースティアに使用するレアメタルが仮に十だとすれば、そこに記されているものは千を超える量なのだ。
「わかりません。ですが、人の流れはつかめましたよ」
「ほう?」
老執事は新たな資料を提示した。
「……行方不明だと?」
老執事の提示した資料には多くの人材について事細かい文章が記されているが、末文には「行方不明」という文字がずらっと並んでいた。
「えぇ、かつて一矢様に雇われた技術者、研究員、その他もろもろ全て、忽然と姿を消しています。真道の家が没落してすぐに」
「つまりだ……」
亮二郎の表情が険しくなる。
彼は一つの結論に至ったのだ。
「アストレアの開発に携わった連中はまだどこかにいるということか? そして連中があれを作ったと?」
「飛躍はしますが、恐らくはそうでしょうなぁ」
ばかばかしいと蹴るには情報がそろいすぎているのも奇妙な話であった。
では、だとすれば一体どこに消えたのかが問題となる。
相当数の人員を引き入れるだけの組織があれば、それはすぐに露見するはずである。
「……まてよ、まさか……」」
亮二郎が新たな結論に達したその時、慌ただしい音と共に部屋の扉が開かれる。
「誰だ! 部屋には入るなと厳命したぞ!」
老執事が怒鳴り声を上げて振り返ると、そこには息を切らせた麗美の姿があった。
麗美はパイロットスーツのままであり、額の汗をぬぐいながらズンズンと大股で祖父の下へと歩み寄った。
「お爺様!」
言いながら、麗美はデスクを叩きつける。
「龍常院は一体どういうおつもりなのですか!」
亮二郎と老執事は少女のその突然の来訪と発言に困惑していた。
「龍常院が対ヴァーミリオンの組織結成を発表したのですよ!」




