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鋼鉄令嬢アストレア  作者: 甘味亭太丸
二章 可憐! ダンシング・オブ・マシーン!
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二十七話 乙女の嵐・前編

 バカンスである。

 もう一度言う。バカンスである。

 なのに、少女の顔は不満げだ。


「……何でこういつもいつも」


 呟く綾子の周りには大勢の人間がそれこそ波のように押し寄せ、アンニュイな綾子のことなど構わずに走り抜けていく。とはいえ、そんな風に落ち込んでいる状況でもないのだが、愚痴の一つでも言わなければ気が済まないのだ。


「今日はバカンスだったのに!」


 気が付けば美李奈たちともはぐれてしまっていた。

まぁ彼女たち、特に美李奈は大丈夫だろうが問題はまだ幼い弟である。

 小生意気で可愛くない性格だが、それでも血の繋がったたった一人の弟だ。はぐれれば心配もするし、状況が状況であった。


「こんな時にあのバカはぁ!」


 口では悪態をつきながらも、頭上を走る光弾が遠くのホテル街へと飛来するのを目撃してしまえば綾子とて緊迫した面持ちになる。


「弘ー! どこにいるのよぉー!」


 ドン! と背中を押された。


「ったいなぁもう! 弘! どこなのー!」


 ぶつかってきたのは中年のおばさんだが、慌てふためき奇声のような悲鳴をあげて、謝罪もなく人込みを押しのけて走り去っていく。

 綾子はキッとそのおばちゃんを睨みつけながらも、再び弟の名を叫んだ。

 だが、その声も大勢の悲鳴でかき消され周囲に響くことはない。

 それに、次から次へと押し流れる人の波を綾子は防ぐことなど出来なかった。半ば流される形で綾子はドンドンと海水浴場から引き離されていく。


 「ちょ……っと! 押さないで!」


 腕で人ごみをかきわけようとするささやかな抵抗ももはや無意味である。


「朋子ちゃーん! 静香ー! みんなー! どこなのー! 弘!」


 あらん限りの力を腹に込めた綾子の悲鳴のような声は曇天の空を突き抜けるように響き渡る。

 しかし、だからと言ってそれが何の意味があるかと言われれば、全くない。

 再び光弾が頭上を照らす。遥か後方の街からはサイレンの音と爆音が響いていた。

 そして海の方からも新たな衝撃が伝わり、地響きが人々の足をぐらつかせた。


「きゃあああ!」


 綾子は悲鳴とともに誰かに体を押されて地面に倒れてしまう。地面は整地され固いアスファルトとタールで出来ており、倒れた拍子に右の腕と足を擦りむいてしまったようだった。

 だが、じりじりとする痛みなどよりも綾子は視界に移る衝撃的な光景に息をのんだ。


「アストレア……!」


 視界の先、人々の盾になるように立つアストレアはその右腕に本来あるべきものがなく、スパークと火花を飛び散らせて、膝をついていた。

 アストレアの両腕はいわゆるロケットパンチとなる。だが、今のアストレアの姿はそれとは違う。失った右腕を庇うようにひしゃげた左腕をかざし、カメラアイを露出させた頭部を巨大なヴァーミリオンへと向けていた。

 それは今までに見てきたヴァーミリオンとは明らかに違う異質のものであった。まずその全長が計り知れない。巨大ヴァーミリオンの体は海に浸かっているが、見えているのは胴体らしき部分から上であり、そこから下は海の中である。

 この時点でかなりの巨体であることが分かる。

 さらにうねうねとうごめく触手のような両腕はそれだけでアストレア並みの大きさがあり、なにより異形なのは顔の存在であった。

 ヴァーミリオンには顔がない。顔のような部分はあれど目や口などの存在は確認されなかった。

 だが、この巨大ヴァーミリオンは違う。目はないが、くぼんだ穴のようなものは目に見えなくもなく、不恰好に備え付けられた四角いくちばしのようなものは上下に開閉し、プレス機のような動きをしていた。

 鳥類の頭の骨のように見えるその頭部、そしてそのくちばしからはボロボロと鉄くずが落ちてくる。

 それは紛れもなくアストレアの右腕であった。


「なんなのよあいつ!」


 綾子が巨大なヴァーミリオンを見上げると同時に曇天がさらに黒くなり、一瞬にして豪雨が吹き荒れる。

 周囲を打つ雨音は水着姿の肌に突き刺さる程に激しく綾子は反射的に自身の体を抱いた。震えていた。

 黒雲となった雨雲は稲妻を走らせ、海辺で相対する二つの影を照らす。

 触手はその先端を鋭く変化させ、その切っ先を二度、三度と振り回す。その度に風と雨とを斬り裂く甲高い音が人々の耳にも届いていた。

 もぞもぞとうごめく触手槍は、遂に狙いを定めていた。触手槍はアストレアの胸部へと突き立てられようとしていた。

 そして、アストレアは…………


***


 ヴァーミリオン襲来より一時間程遡る。

 一通り泳いだ一向は、疲れ果て海水で濡れた肌に細かな砂がへばりつくことすら気にせず寝そべっていた。

 晴れていれば熱せられた砂が痛い程の熱を体に伝えるだろうが、曇り空の下では砂もどこかひんやりとしているように思う。

 唯一の救いは海水浴場の熱気がそれなりにあるということだろうか、少なくとも体が震える程に寒いと感じることはなかった。

 息を整え、ある程度体の疲労が収まってくると今度は動き過ぎて空腹になるのも人の性である。

 もちろん、買い出しは男の仕事である。

 とはいえ、軟弱な和宏では客の押しあいが始まった海の店で注文を取ってくることなど不可能だし、幼い弘ではそのまま迷子確定なので、実質動けるのは執事ぐらいである。


「では、確認しますが焼きそば大盛が四つ、ラーメンが二つ、海の幸ピザを一枚、とかき氷とアイスクリームを食後のデザートとして最後に注文でよろしいですね?」


 執事はメモを取ることなく注文を頭に叩き込んで、昼食代を握って少年二人を引き連れてわらわらと賑わう海の家まで向かう。

 昼食代は静香のポケットマネーであった。他の面々はもちろん遠慮していたが、主催者である静香は断固としてそれを譲らなかった。


「主催者ですもの、それぐらい当然ですわ」


 とのことであり、そうなると美李奈たちも頷くしかない。ありがたくごちそうになるしかないのだ。


「んー! いやぁ久々に泳いだわねぇ! やっぱり海はプールとは違って体力使うわ!」


 朋子はググッと体を伸ばし、再び砂の上に寝ころんだ。


「本当、静香さんには感謝しなくてはいけませんわ」


 美李奈はペットボトルの水を飲みながら小さなウィンクを静香に向ける。


「いいんですよぉ、親戚に外国の別荘先に使われてしまって、思い付きで立てた計画ですからぁ」


 静香は何個目になるかわからないアイスを舐めながら答えた。

 結局彼女は波打ち際で水遊びをしているだけであとはこのようにアイスやかき氷ばかり食べていたようだった。


「それなのにこのお天気……」


 静香はため息交じりに空を見上げ、ぱくりとアイスの半分をかじる。


「まぁいいじゃん。海に来たってことが重要よ、私ら女子高生にとってはね!」


 ニヒヒと笑いながら朋子は頭の後ろで腕を組んで枕の代わりにしていた。


「ま、定番のナンパ男たちが寄ってこないのも幸いね。あの手の連中は鬱陶しいから」

「まぁ、朋子さんは経験がおありで?」


 美李奈はまぁと言うようにちょっと驚いた顔をした。


「ま、それになりにはね。とはいえあの時は家族総出だったかし、使用人たちもいたから、すぐに追い払らわれたけど」

「あら、朋子さんが追い払ったのではなくて?」

「私はか弱いお嬢様ですー!」


 朋子は笑いながら、そんなことを言っていた。

 美李奈も口元に手を当てて小さく笑う。


「そーいや、於呂ヶ崎さんってどうなっての? 誘ったんでしょ?」


 朋子は体をうつむかせて上半身だけをむくりと起き上がらせながら、静香へと今回参加していない麗美について質問した。

 静香は「あぁ……」と小さく頷いて残ったアイスを頬張り、飲み込んでから、


「何でも乙女心をチャージするとかしないとかで……よくはわかりませんが、それっきり返事がありませんの」

「全く麗美さんったら……」


 静香の返答を聞いて反応をかえしたのは美李奈であった。軽こめかみに手を当てて目をつぶる。

 溜息も出てくるが、あの少女であるならば確かにそんなことにもなるだろう。


「仕方ない子ですことね……」


 美李奈は麗美のその意味不明な言葉の理由を知っているが、それを他の少女たちに話すことはせず飲み込んだ。


(蓮司様とのことをまだ引きずっているのね……繊細な子)


 とはいえ、夢見がちな少女である麗美にとって婚約者につれない態度を取られてしまっては落ち込むのも無理はない。

 お調子者でもあるので、すぐに立ち直るとは思うが、落ち込むとそれはそれで面倒臭いのは幼い頃からの麗美である。


「まぁ、麗美さんの事ですし、今頃元気になって騒いでいるはずですわ。プライベートビーチで遊んでいる頃じゃありません?」


 そう語る美李奈は執事たちが買い出しから戻ってきていることに気が付き、視線を向けた。


「もしかしたら、プライベートジェットを飛ばしてここまでやってくるかもしれませんわ」


 その最後の一言だけは、冗談をいったつもりでもなく、本気であった。


***


「粉っぽーい! キャベツにソースかかってなぁーい!」


 昼食が始まると、よほど腹を空かせていたのか、黙々と食事を続けていた。

 しかし、遂にというべきか、やはりというべきか朋子がしびれを切らして文句を言い始める。


「味……薄い……」


 朋子に同調するように和宏もぼそりとつぶやく。

 彼も同じく焼きそばを食べているのだが、麺に絡んだソースの色にしてはその焼きそばかなり味が薄かった。盛りこまれているキャベツやニンジン、玉ねぎなどはよく炒められておりしなしなで柔らかくなっているのだが、水分が大量に出てしまっていたのか、それがソースの風味を消してしまったようなのだ。


「あら、このピザ、チーズが少ないのですね」


 一人特大のピザを頬張る静香もその半分を既に食したあとにそんなことを言い出す。

 なんだかんだと言ってもこの三人はセレブである。故に一般的な海水浴場の食事など食べたことはないし、まさかここまで味が悪いなどとは思わなかったのだろう。


「ラーメンも、スープがうっすいなぁ……海の家たってこれりゃちょっと詐欺ね」


 そして唯一庶民を知る綾子と弘も昼食の味付けに文句があった。

 どうやら今年の海の家は外れであったらしい。かといって今更他に買いに行く気力もないし、正直な話としては面倒臭いのだ。

 文句を言わずに食事を続けているのは美李奈と執事くらいなものだ。そんな二人でも表情は少し険しい。

 一言も話さずにもくもくと食事を続けていた。


「ぷっ……はははは!」


 弘が突然笑いだす。


「フフフ……」


 釣られるように静香が笑った。


「ちょっと、二人ともなに……」

「はははは!」


 そういう朋子も表情は崩れていた。隣にいた和宏などもうお構いなしに笑っている。


「なんか夏の海って感じだよねこれ」


 綾子も笑いすぎて食事が喉につっかえてしまいむせていたが、どうしてもそんなことを言いたくなった。


「本当、とんだ海の昼食になりましたわね!」

「えぇ、左様で……! はっはっは! いや、なる程これが海の家というものなのですな!」


 そして、黙々と食事を続けていた美李奈と執事も気が付けば笑っている。特に執事などは普段のクールそうな顔からは想像もできない程の爆笑していた。

 その場にいる全員がなんだか今の状況がおかしくて、おかしくて笑いが止まらないのだ。

 笑いが起きて、これがまずい、いやこっちの方がまずい、口直しにデザートを早く取ってこいなどと会話が弾んでいく。

 気が付けばいつの間にかそのまずい昼食など既に腹の中に納まっていて、味はさておきその奇妙で、おかしくて、楽しい昼食はあっという間に終わってしまった。


「さぁて、アイス食べたらまた泳ぐわよ! ほら、今度はむこうの岩場まで行くわよ!」

「え? あわわわ!」


 朋子はさっそく和宏の腕を掴んで立ち上がった。

 腕を掴まれた和宏はその勢いで食べていたアイスを落としかけており、慌ててかぶりついていたが、それが相当な冷たさだったのか口の中にへばりつく感覚に襲われていた。


「もう! 食べてすぐに動くなんて体に悪いですわ」


 静香はまた横になりながらストローでジュースを飲んでいる。

 もう一歩も動くつもりはないようだった。


「私もパース、なんだか疲れちゃった」


 綾子も静香の横に並んで寝転がる。弟の弘の方を見やって手で「行きたいならいってこい」と合図を送ってから目を閉じて、休息に入ろうというのだった。


「セバスチャン、私たちは行きましょう。もしかしたら魚が獲れるかもしれませんわ」

「ハッ、網の用意があればよかったのですが……」

「手づかみよ。何とかなるはずだわ」

「ハッ!」


 明らかに目的は違うが美李奈と執事は朋子へとついていく姿勢であった。

 少女たちは再び思い思いのバカンスへと興じる。ただ泳ぐだけでも、傘の下で寝転がっているだけでも、楽しく穏やかな空気が少女たちを包んでいた。


「あれー?」


 ふと、弘が水平線の向う側を見つめていた。意識して見ていたわけではない。


「あんなとこに船が来てる」

「ん? 漁船なら来るかもしれないけど……」


 弘が指さす先、和宏もそれに釣られて水平線を眺めた。

 確かにぽつんと船影らしく影があった。まだ距離があるので、形も実際の大きさも全くわからないが黒い影がこちらに進んでいるように見えた。

 他の客もそれに気づいたものはいたようだが誰一人気にも留めていない。そんなことなど気にするほどのものでもないからだ。

 だが、数十分後、その考えは一瞬にして消え去る。


「ヴァーミリオンだ」


 誰かがその名前を呼んだ。


「ヴァーミリオンだぞぉ!」


 誰かの叫び声が周囲に轟く。

 瞬間、まばゆい光弾が海水浴場を飛び越え、遥か後方の街へと落ちていき、轟音が響き渡る。

 それは、バカンスの終わりを告げる音であった。


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