二十五話 乙女のバカンス
真夏の季節となれば女子高生がやるべきことと言えば海に行くかプールに行くかぐらいである。
煩わしい学校生活を抜け出し、見飽きた街並みとはおさらばして、遠く離れた避暑地へと足を伸ばす。学生にだけ許された唯一の楽しみであり、この夏のひと時こそが若い時分の最高の思い出になるのだと少女たちは確信していた。
そして海、プールとなれば必要となるのは水着だ。毎年の水着選びは普段着を買うことよりも慎重にいかなければいけない。普段着はよほど肌を露出するような特異な服装でもなければ体形の何割かは隠せれるしいくつかの組み合わせで様々な姿へと変身できる。
だが、水着ではそうはいかない。ほぼ下着同然の面積故にデザインや色は実際に手に取って、試着してみなければ似合うかどうかなどわからないし、なにより水着を着る前に体についた余分なものをその時期までに燃焼させなければならない。
人気の水着のカタログは毎年違ってくるわけだし、去年人気だった水着が今年も人気とは限らない。さらに面倒なのはその人気の水着も自分たちに合うか合わないかなども考慮して、なおかつ単に水着を選ぶだけではなく、飾りとしてのパレオであるとかサングラス、帽子、日焼け防止のラフなシャツや肌にやさしい日焼け止め……準備するものはたくさんあった。
女の子の夏というのは楽しみ以上に晴れ舞台なのだ。下手な姿で夏は過ごせないし、生半可な気持ちで水着の臨むことなど許されるものではない。
綾子も静香と朋子を連れて今年の水着を買いに行くだけで妙に体力を使ってしまった。可愛いデザイン、色というだけではなく自分はもうお嬢様なのだ。それなりの金額を使った上での水着でなければ、お嬢様たちの土台にすら立てない(勝手にそう思っているだけだが)。
だがしかしその労力のおかげで今まで着ることもできなかったちょっとお高いわりと攻め込んだ黒いビキニなんてものを買ってしまって少し恥ずかしいながらもそれを着てきてしまったのだ。
対する静香はフリルのついたゆったりとしたワンピースの水着であり淡いピンクと花柄のものであった。僅かに水着の食い込みからあふれる豊満な肉体を静香は恥ずかしがっていたが、むしろ肉付きの良さを際立たせているようで何人かの男の客は明らかに静香の方へと視線を向けていた。
朋子はいたってシンプルな白いビキニである。体育祭の前後で程よく焼けた肌を見せつけるような大胆な水着であり女の綾子から見てもそのスラッとして引き締まった手足は憧れるようなものである。
三人ともがその水着を選ぶのにあれもこれもと何回も試着してやっとしっくりくるものを選んだわけなのだが、時としてそういった苦労など気にもせず着の身着のまま、普段通りの生活の延長で夏を過ごすものもいる。
真道美李奈もまたそんなものたちの一人であった。
「お待たせしました」
海水浴場に設置された簡易更衣室から、きらきらと光の粒子をまき散らすように姿を現す美李奈の姿にその場にいた面々は息をのむ。
朋子にも匹敵するようなモデルのようにすらっとした足を艶めかせ、わずかに日焼けした薄い小麦色の腕で栗色の髪をかき揚げると、ふわりと光の粒子が周囲へと舞って行くようだった。
美李奈もまたゆったりとした動作で待たせている友人たちの下へと歩み寄っていくとふふんとなぜか誇らしげな笑みを浮かべた。まるで勝負水着を持参してきましたと言わんばかりの顔だった。
彼女の肢体はしなやかであり無駄な肉もついていない。所謂スレンダーと呼ばれる体形であるが、胸元から腰、お尻にかけた曲線美のラインは相当な管理の下維持しなければならないのではないだろうかと思うほどの黄金比であり、どんな水着を着たとしても問題なく魅せれることだろう。ふっくらとした胸もいやらしさではなく健康的に見え、庭園の手入れでわずかに日焼けした体と焼かれなった元の陶器のような肌のコンビネーションもまた美李奈という少女を際立たせていた。
その完璧なまでは肉体美は綾子、朋子、静香の三人も思わず見とれてしまうほどだ。それほどまでに美しい肉体なのだ。
ただし、その美しい肉体がちんちくりんな紺色の学校指定水着で覆い隠されていなければの話なのだが。
美李奈の着ている水着は恐らく誰しもが一度くらいは着るであろう懐かしいものだ。綾子たちもその水着は幼い頃に幾度となく着てきたものであり、ぷんと鼻に来る消毒液の独特な香りは確かになつかしさも感じる。
だが、よもやこんなところで、真夏のビーチで、それぞれが工夫を凝らし極めてきた水着の展覧会と化したこの場所でまさか堂々とスクール水着などと呼ばれる特殊なものを出してくるなど誰が思うのか。
「し、真道さん?」
綾子は堂々とした立ち振る舞いでやってきた美李奈へと恐るおそる声をかける。流石に名前を書く部分がひらがなということはなかったがいかにもと言った具合にマニアックな姿であり、なんとも表現にし辛い姿であった。
そうだというのに美李奈はゆっくりと瞳を開けると、「はい?」と涼やかな顔で返事を返した。
「み、水着って……それ?」
「えぇ、毎年使っている愛用の水着でしてよ。体が引き締まりますし、抵抗も少ないので」
当然でございましょう? と言いたげな返答だ。
綾子は忘れていたのだ。ここ最近は真面目な姿ばかりみていたが、この真道美李奈という少女はわりと変な所があると。なにせお嬢様なのにゆでた大根を語りだすような子だ。ただものではない。
それに極貧生活を送る飛び切り例外の女の子であったと。
(うかつだったわ。あの時無理してでも買い物に連れていけばよかった)
軽くこめかみに手を当てながら綾子はうんうんと唸っている。静香が主催した海行きの企画の準備として綾子らも当然のように街に出てはあれこれと水着を探していた。そんな中で美李奈だけは既に用意をしてあるとのことで参加していなかったのだ。思えばこの時に予想しておくべきだったのだ。
「みなさん、お似合いですわよ」
とうの美李奈はそんなことなど気にもせずに綾子たちの水着を見ては女子高生らしい水着論議を始めていた。的確に自分たちの水着のアピールポイントであるとかブランドを当てていくのだが、誰も美李奈の水着に関してはノータッチである。
「え、あぁ……真道さんも……」
と、言うよりそれ以外にどう答えていいのかが困るのだ。
「それにしても天気が悪いというのに海水浴場というのは人の多いものね」
綾子の困惑はさておくように、美李奈はわずかに目を凝らして、空を見上げる。美李奈の言う通りにあいにくと今日の天気は曇り空であった。それでも元の気温が高く、客でごった返しているので寒いということはないのだが、せっかくの夏の休暇の初日がこれでは少し出鼻をくじかれた思いであった。
とはいえ今の時期どこに行っても大勢の人で賑わっているわけで目的地を変えた所で大した違いはないのだが。
「そうですねぇ。このお天気ですとフェリーに乗ってもあまり楽しくありませんし……」
静香も小さな溜息をつき、頬に手を添えながら、同じく空を見上げる。灰色の雲がどこか重苦しい空であった。予報では雨の心配はないようだが、日差しの下であるからこその海だったのだ。それに彼女が予定していたフェリーもこの調子では曇り空の下を進むだけでなんら楽しみなどない。
本来であれば晴天の下、釣りであるとか船上での昼食であるとか、運が良ければイルカかクジラでも見られるかもしれないと言われていたので参加する面々もそれを楽しみにしていたのだ。
「はぁ……フェリーの上でお昼を食べるのが長年の夢でしたのに……」
静香はがっくりと肩を落としてぼそぼそと予定していたらしい料理や食材の名前を上げていた。
「まぁいいじゃない。別に今日明日帰るわけでもないんだから」
朋子は気を落とす静香の肩をポンポンと叩いてやると、女子更衣室の隣、男の方へと視線を向け、ぞろぞろと出てくる男たちを目で追いながら口を尖らせた。
「にしても男連中は遅いわねぇ。女の子待たせるなんて気が利いてないわ」
この企画に参加したのは少女たちだけではない。静香の場合は小型フェリーの運用の関係で数人の使用人を連れてきているのだが、泳ぎには参加していない。二泊三日という予定で泊まる静香の複数ある別荘で待機中であった。
朋子はどういうわけか婚約者である和宏を連れてきていた。曰く「どうせ家でゴロゴロしてるだけなんだからたまには太陽の光を浴びさせないと根暗になる」ということだった。婚約者であるかどうか別にしても彼女なりに気を使ったのかも知れない。
和宏という少年は、中学三年であるが同年代に比べれば背も低く幼く見える子であった。がりがりとまではいかないが細い体は確かに華奢で、肌も少し白い。あまり外に出ていないということがわかる。黒髪は艶があり明らかに手入れが行き届いているのがわかる。パッとみれば朋子の弟と言われても違和感がなく、よもや婚約者であると言われて紹介されてもにわかには信じがたい子であった。
口数も少なくおどおどとしているような印象もあり、なんやかんやと気が許せるのが朋子らしく暫くの間はずっと朋子のそばを離れていなかった。
そして、綾子はといえば弟の弘を連れてきてやった。海に連れて言ってやると話すと弘はきょとんとした顔をして暫くボーっとしていたがすぐに大きな声を出して「姉ちゃん大好き! 優しい姉ちゃんでよかった!」などと現金な事を言ってきた。両親も特に反対することもなく姉弟を送りだしていた。
弘は弘で物怖じしない性格なのか、初対面である年上のお嬢様たちのも人懐っこく挨拶をしたり、久しぶりの海に思い切りはしゃいで見せていた。さらには和宏のことを年上ではなく同学年だと思っているのかかなり馴れ馴れしく肩まで組んでいる状態であった。
朋子は「やったじゃん、友達できて」とどこか母親のような顔でそれを良しとしていたので、綾子も弟を叱るということはしなかった。意外と社交的であり、ある意味では自分以上にこの世界に順応している弟であった。
最後は美李奈である。美李奈は予想通りに執事をお供に参加した。本当なら季吉も連れてくるつもりだったが、ボロ屋敷と庭園の管理、そして老体には夏の海はきついとのことで辞退したらしく、二人だけの参加となったのだ。
そうこうと待っているうちにぎゅうぎゅう詰めの更衣室から吐き出されるようにして男三人の姿が現れる。
「申し訳ございません、遅れてしまいました」
がっちりと鍛え上げられた胸元を露わにしながらも白いシャツを羽織り、真っ黒なボクサーパンツのような水着を着た執事がまず少女たちの前に出て深く頭を下げる。
美李奈はそれを見て「よい」」と一言、頭を上げさせると腕を組み執事に解くように、
「セバスチャン、男たるものレディを待たせることはあってはいけませんわ」
「ハッ、以後厳命いたします!」
執事は再び礼をする。いつ見てもこの青年の仕草は様になっていた。
その主従の後ろにはシンプルな黒い水着を履いた和宏と青と白のストライプが入った子どもっぽい柄の水着を着た弘が続いていた。
弘は綾子を見つけると何がおかしいのか腹を抱えて和宏の腕を引っ張って姉を指さしていた。
「見ろよカズ! うちのねーちゃんがトンデモねぇもん着てる!」
照れ隠しでそんなこというのならまだしも弘に限ってはそんなことはない。明らかに素直な感想として姉である綾子の勝負に出過ぎた水着を見て笑っているのだ。
「失礼だよ、弘君」
和宏の方は顔を赤くして女性陣の方にはあまり視線を移さないようにしていた。もじもじと腕を前に組んでおり、歩みも遅い。
「カズ! もちょっとしゃんとしなさいしゃんと!」
見かねた朋子が怒気を含んだ声で和宏の腕を掴んで引き寄せる。和宏は小さく「うわっ」と悲鳴を上げてバランスを崩していたが、朋子がそれを支えていた。
「まったく……だらしない。ほら、弘君もあまり女の子待たせちゃダメだからね。男らしくないわよ」
朋子はやれやれと言った具合に首を横に振ると、和宏を立たせて背中を軽く叩く。そうするとまた和宏の体が大きく揺れるのだが、今度はバランスを崩すということはなかった。
そして傍にいた弘に苦笑したような顔を向けて目線を合わせると彼の頭をぐしゃぐしゃと撫でてやった。
「はぁい!」
弘はえへへと笑いながら返事を返す。綾子はそんな弘の軽く小突くと、「あんまり調子に乗らない」と叱る。
「いってぇ! 段々かーちゃんに似てきたな!」
頭を抑えて恨みがましい視線と抗議の姿勢を見せる弘であったが綾子は腕を組んで、
「うるさい! 連れてきてやったんだから言うことは聞きなさいよ。あと、和宏君には敬語ね、あんたより年上なんだから」
「いいのよ、綾子さん。そういう相手だって必要なんだから」
朋子は笑いながら和宏の背中をバシバシと叩きながら言った。その度に和宏の体が大きくぐらつく。
「ともかくこれで全員そろったということで……お昼にしましょう!」
そんな騒がしい合流を確認した静香はにへらと笑顔を見せながら宣言する。
「いや、まだ泳いでないって」
呆れた顔をした朋子の冷静な突っ込みが入る。対する静香は「だって予定ではお昼でしたもの……」と落胆した姿を見せた。
確かに時間帯としては昼頃なのだが、ひと泳ぎもしていないのにお昼というのはなんだかもったいない気もする。
「まぁまぁ、静香さん。この時間ですと食事処も混んでいるでしょうし、泳いで時間をずらしましょう?」
美李奈の言葉に静香も少し考えるようなそぶりを見せて「そうですね……」と小さく頷いた。美李奈はにっこりと笑みを浮かべると後ろに控える執事へと振り返る。
「セバスチャン、私たちの荷物は任せましたわ」
「ハッ! 命に変えましても!」
いつの間に用意をしていたのか、組み立て式のパラソルや自分たちの荷物を抱えた執事が返事を返していた。うっすらとにじむ汗は暑さだけのせいではないだろうが、執事はそれが当然であるかのように文句も言わなければ顔色一つも変えはしなかった。
「ほら、カズ、あんたも手伝いなさい」
「う、うん!」
朋子に押されながら和宏が戸惑いながらも執事から鞄のいくつかを預かる。途中、綾子も弘を手伝わせようとしたが、弘はうまいこと逃げ出して一人で海へと走っていったので綾子はそれを叱りつけながら追っていった。
「あ、まてぇ!」
それに続くように朋子も荷物を抱えた和宏を引っ張りながら綾子たちを追いかけていく。残される形となった美李奈たちはその光景を笑い、眺めながら進んでいく。
「静香さん、今日は誘ってくださってありがとうございます」
美李奈は横に並ぶ静香の方を向きながら小さく礼をする。静香の方も「いいんですよ」と笑顔を返した。
「それにしても本当、嫌な天気ですわね。雨が降らなかっただけでもいいのでしょうけど」
静香は心の底から残念であるという声を出してもう一度空を見上げた。どんよりとした雲の隙間からはほんのわずかにだが太陽の光が差し込んでいるようだったが、それもすぐに覆い隠されてしまう。
「朋子さんも言っていましたが明日は晴れるようですし気を取り直してくださいな。私もフェリーでの食事だなんてやったことありませんもの」
「でしょう! 世間では私たちがずっとそんなことしていると思っている方々もいらっしゃるようですが、そんなに簡単にできることじゃないですもの」
静香は目を輝かせながら熱く語る。如月乃学園に限定したとして、船を持っている生徒というのは案外少ない。と言うのもクルーザーにしてもその維持費というのは中々に高いもので、おいそれと買い与えるにしては難しい買い物なのだ。中には買ったまま整備もせず放置しているものたちもいるようだが。
今回静香が買った小型のフェリーにしても親のつてと実家の仕事の関係がなければ実現しないようなものである。
「ですから本当に楽しみにしていましたのよ。海上BBQ……イカやエビ、ほたて、取り寄せたロブスターもありますわ! あとはおじいさまが釣った魚も捌いてもらったりして……アイスクリームだって完備させていましたのよ!」
「それは楽しみね」
アイスクリームという単語に美李奈の涼しげな表情が変化して目つきも鋭くなる。甘党である静香が選んだアイスならばきっとおいしいに違いない。コンビニで買うアイスも最近は種類が増えてきた楽しいのだが、やはり彼女たちが買う有名なメーカーのアイスはまた格別なのだ。
「えぇとても楽しみだわ」
美李奈は今の自分たちでは到底手の届かないメーカーですら熟知している。いずれ家が再興すれば真っ先にアイスを買ってやると思うぐらいには……
「セバスチャン!」
「ハッ!」
執事を呼び寄せた美李奈は小さく耳打ちをする。
「アストレアで雲を吹き飛ばすことは可能かしら」
そんなこという美李奈の目が大きく見開かれていた。執事は目を伏せて首を横に振る。
「ご自重ください。そのような事でアストレアを使っては……」
「冗談よ」
「冗談には聞こえませんでしたよ」
「どうかなさいましたか?」
主従二人の不思議なやり取りを見ていた静香は、話している内容こそは聞こえていない様子だった。
だが、それが想像力豊かな静香あらぬ妄想を起こさせるのだ。
「ハッ! まさか主と執事の禁断の!」
静香は顔を赤くしながら一人でキャーキャーと騒いでは「そんな私の企画で二人の仲が!」などと妄想が加速していく。途中からは何を言っているのかまったくわからないが当人は楽しそうであった。
「はぁ……静香さん、行きますわよ」
溜息をつきながら美李奈は妄想が止まらない静香の腕を引っ張り、執事も荷物を担ぎなおしながら追従していく。
少女たちのバカンスは始まったばかりなのだ。




