二十三話 乙女の憂鬱・前編
体育祭が終わればあとは特に大きなイベントもない。基本的には夏休みを心待ちにする生徒が大量に出るであろう課題とそれを忘れる為の夏の遊びの計画を練るのがこの間の楽しみだ。
海に行くのか、山に行くのか、はたまた外国にまで足を伸ばすのか。如月乃学園の生徒たちには選択肢というものが無数にあるゆえに一般的な学生に比べればこの時期の長期休暇というものは、かなり贅沢なものになる。
長期休暇の楽しみという点だけならば、美李奈もそれは変わらない。この夏に庭園で何を植えるべきかを真剣に悩むのが近頃の楽しみになってしまった。
古本屋で大金(三〇〇円)をはたいて買った家庭菜園の本は、中々に良い情報が乗っている。
問題を上げるとすれば植える為の種や苗を買う余裕がないということだが。
今日は日差しが強いので、いつもの中央庭園のベンチではなく、学食の二階に備え付けられたテラスで、日よけの傘を立てていつものメンバーが集まっていた。
最近では美李奈も綾子、朋子、静香と一緒にいることが多い。自分のクラスにも友人はいるが、気が合うという意味では彼女たちだった。
それに、三人が自分を海に誘ってくれるというのなら、その話し合いに参加しないわけにもいかない。
とはいえ、主催は静香であり、基本的には彼女が買ったという小型のフェリーに乗って遊覧を楽しんだ後は、ごった返すビーチで女子学生らしく遊ぶというぐらいなのだが、それでもこのように顔を突き合わせてあれでもないこれでもないと予定を立てるのはやはり楽しい。
「はふぅ……」
これで、隣にあからさまに落ち込んではかまってオーラを出す麗美の姿がなければなのだが。
「麗美さん、ちょっと鬱陶しいですわ」
麗美にここまでストレートに言えるのは美李奈だからこそだ。美李奈にそれを言わせるのだから、麗美のその態度はここ数日ずっとなのだ。
捕捉するなら、体育祭が終わってからこの調子である。
原因は簡単だった。婚約者である霞城蓮司の事である。
「ぐすっ……ミーナさんまで私に冷たいのですね……」
ヨヨヨと芝居がかったしぐさで泣き真似をする余裕があるのだからまだ大丈夫だなと美李奈は考える。
「蓮司様はお仕事なのでしょう?」
「そりゃそうですけどね? 可愛い婚約者が毎日ラブコールをしているのに返事が帰ってこないんですよ」
その言葉を聞いて真っ先に反応したのは綾子だった。
「そりゃ毎日かけてりゃ鬱陶しいって思うような」
この夏の新作水着というページを開きながらボソッと口にした。
「お黙り!」
対する麗美の反応もまた早かった。綾子のぼやきにぴしゃりと言い放つが、またすぐにだれてテーブルにつっぷす。ロールされた金髪の髪がクワガタのように広がっているのを見て、綾子は笑いを堪えた。
「恋は盲目……と言いたいですが、麗美さん。むこうの事情を察してこそじゃありません?」
美李奈はあまり男女の関係についてとやかく言える程の経験はないが、多少の意見というものは持ち合わせている。
過激な恋もそれはそれで夢を見るが、あまりにも激しい求愛は相手を辟易とさせる。時には引いてみて、反応を伺うぐらいはしてみせないといけない。それができれば苦労もしないだろうが、美李奈の中では少なくとも女の恋というものは駆け引きが重要であると考えている。
恋を患うという相手もいなければ相談するような相手もいないのがちょっと残念ではあるが。
「まぁ、確かに蓮司様もなんだか冷たいような気もしますがね……」
体育祭での彼の態度は、少し酷いと感じた。麗美に対して八つ当たりをしているような感覚である。
美李奈は、その理由を探るようなことはしないが、その瞬間にはかつての戦いで撃墜された二機の戦闘機のことを思いだしていた。
もし蓮司の苛立ちがそれに関係するのなら、それは八つ当たりにしても幼いものだ。自分にそれが向けられるのならばまだしも、麗美に向けるのは筋が違う。なんなら今すぐにでも自分がもう一体のマシーンのパイロットであると名乗り出てもよかった。
このように麗美の肩を持つような言葉を出した瞬間、
「そうでしょう! そりゃ確かにクールで素敵ですが、最近は氷のようなんですよ!」
麗美がバッと身を起こして語りだす。
美李奈は下手に麗美をフォローしてしまったことを後悔した。火に油を注いでしまったようで、なんだか麗美は先ほど以上に饒舌だった。
二、三分程蓮司の魅力と最近の冷たさを、ほぼ同じ単語と内容で語り終えて満足するのだが、美李奈を含めてその場にいる者たちは話半分にしか聞いていない。
そんな騒がしい昼時が、少女たちの平和な一日なのだ。
***
そんな美李奈たちを見下ろすように学食、テラスと続く三階の広場で、手すりに体を預けながら昌は苦笑していた。
「やれやれ、蓮司さんもレディの扱いが下手だな」
そうなった原因の一つは自分にあるのだけどと自覚しながらも昌はそのことについては放っておくことに決めている。自分が出る幕じゃないし、何より面倒であった。
「テラスとはいえ、公共の場です。騒がしいのであれば、注意しますが」
その傍らには朱璃の姿がある。
「まぁいいじゃないか。学生の本分としてはあの姿は正しいよ」
昌は振り返らずに答える。その口調は穏やかで、朱璃を諭すような声音であった。
「僕としては君も少し明るくなってみるといいと思うんだが……」
「それでは下に示しがつきませんから」
カクカクときっちりとした仕草で朱璃は礼をする。そういう家に生まれ育ったからこその風格なのだが、この肩肘張ったお堅い部分だけで生きている朱璃を昌は少し同情していた。
「緩急をつけるべきだよ」
「自分ではそのようにしているつもりです」
「もっとさ」
昌は振り返り、鋭い目つきをしている朱璃の長い髪に手を伸ばした。
朱璃の体がビクッと震えるが、それはすぐに収まる。
「他の生徒がいます……」
その時の朱璃の声はしおらしかった。
「いつもそういう風な姿でいてくれると僕としては好ましいのだけれどね」
そういって昌は軽く笑って見せた。言ってしまえばさっきの行動はからかいだ。朱璃はお堅い性格のわりにはすぐに顔を赤くして混乱する。
それがまた愛らしいので、昌はついついそれをやってしまうのだ。
朱璃もまた自分がからかわれていることに気が付いたのか、頬を染めたまま視線をずらした。
ずらしたままでも髪を弄る昌の手を払うことはしない。されるがままの朱璃であったが、それでもいうべきことは言う性格でもある。
「と、所で……自衛隊に新型をまわしたというのは……」
「仕事の話かい?」
昌は朱璃の黒く長い髪を指先でくるくると丸めながら言った。そういう話はしたくないという声で言うものだから、朱璃は「いえ」と短く返答をしながら続ける。
「気になってしまったもので。自衛隊とはいえ、この国に御社の兵器を流すなど……」
「性能試験を知ろと委員会もうるさいからね。それに渡すのは日本や自衛隊じゃないよ」
「平成の侍ですか?」
朱璃もまた蓮司のことはニュースで知っている。彼が麗美の婚約者であることももちろん知っていた。
確かに彼の行動は、朱璃からすればあっぱれなものだし、これこそ男児のあるべき姿であるとほめることもできる。
だが、それと兵器の融通はまた話が変わる。朱璃には昌が蓮司に肩入れする理由がわからなかった。
「確かにあの方は尊敬できるやもしれませんが……」
「朱璃はあぁいうタイプが好きなんだ」
「い、いえ! そういうことではなくて!」
昌のからかいはまだ続いているようだった。突然の言葉に朱璃はまたも顔を赤くして今度は大げさに手や首を振って釈明していた。
「ハハハ!」
意外とコロコロと表情の変わる朱璃が面白くて昌はまた笑った。
ひとしきり笑った後、昌は朱璃の髪を弄るのをやめる。その時、朱璃が少し残念そうな顔をしたのを彼は見逃さなかったが、もう一度髪を弄るのはやめた。
「まぁ、肩入れというわけじゃないけどね。僕としては真剣に日本の平和を考えているんだよ? その為にはアストレアとユースティアには頑張ってもらわないといけないし、蓮司さんたちに送った新型にも頑張ってもらいたい」
「……」
押し黙った朱璃の顔を伺いながら昌はフッと笑みを浮かべる。
「不満かい?」
「いえ……昌様のお考えはわかりました……私もこの国の平和を願っていますので」
「ここで地球の平和を! といえるのが男なんだろうけど、僕にはまだそれを言う勇気はないよ」
笑みを崩さずに昌は再び手すりにもたれかかる。眼下にいた美李奈たちの姿はもうなかった。それとなく視線を動かして周囲を見渡してみるが、やはり姿はない。
「ま、いずれ言わせてもらうけどね」
そういいながら、昌は空を見上げる。
二機の大型の戦闘機が学園の上を通過していった。
「その為には蓮司さんにはもっと頑張ってもらわないとね」
***
空を切り、蓮司は操縦桿を握りしめた。気が付けば汗で濡れているグローブの感触を嫌に思いながらも蓮司は前を飛ぶ浩介の機体に追いつこうとしていた。
蓮司は、初め加速で生まれるGに押し潰されそうになるが、今は体が慣れてきていた。それは曲がりなりにも彼本人がそういう風に訓練してきたプロフェッショナルである自負とこの新型戦闘機の対G機構の優秀さがなせる技だった。
徐々に高度を上げるその戦闘機は、白と青、赤と派手であり、いわゆるデモストレーション用のカラーリングのままである。大きさは全長が約二〇メートルとやや大きい。
戦闘機とは言っても既存の機体とはまた違うシルエットであり、くさびのような形をしていた。パッと見れば翼がなく、仰々しいブースターのようなものが後部に備え付けられているのが、わかる。
しかしそれでもその機体は何ら不自由なく飛行を続けており、機動性、運動性は彼らが今まで乗っていた既存のものとはくらべものにならない性能を誇った。
「まるでUFOだな……!」
浩介が突然機体を左旋回するので、蓮司もそれに従う。大きく弧を描くというより、その場でターンをするように軽やかな旋回であったが、それは猛烈なGを蓮司にぶつけた。
機体の対G機構がなければ今ので気を失っていただろう。
『こいつはご機嫌な性能だな!』
通信機越しに浩介のはしゃぐような声が聞こえる。彼もまたこの新型の性能に惚れ込んだようだった。
(エイレーン……神話の女神の名を与えているのは偶然か?)
記を抜けば加速に操縦桿を持って行かれそうになるが、蓮司はこの慣熟飛行である程度この機体の癖を捉えていた。
それゆえにそんなことを考える余裕も生まれたのだ。
アストレア、ユースティア、この二体のマシーンは異なる神話において同一視される女神の名前である。どちらともが正義を象徴する女神の名を関した機体なのは、なんともしゃれた発想だなと蓮司は感じていた。
そういう意味ではこの新型『エイレーン』の名も気に入っている。多少本来の名称とは違い、もじってはあるが、この女神は平和を願う名だった。
この日本の平和を守るという意味においてはぴったりな名前ではないかと蓮司はこの機体の性能を確認する度に歓喜していた。
純粋な速度ならユースティアにもそしてすばしっこい飛行型のヴァーミリオンにすら匹敵する。
(この機体はできる! これがあればヴァーミリオンといえども!)
兵装のテストはアメリカ本国で行われていたらしいが、自分たちはまだである。流石に配備されてすぐに兵装のテストは許可が間に合わなかったらしく、この飛行テストも半ば強引にねじ込んだようなものだった。
『蓮司! ついてきているな!』
「ハッ!」
『よぉーし! 気を失ってないだけでも合格だ! いいな、このエイレーンはまだ二機しかない! 三機目もあるが、ありゃ技術解析用で持ってかれちまったからな! 大切に扱えよ!』
「了解!」
『兵装テストはまだだからこのエイレーンに実弾は装填されてないが、眉唾もんの光学兵器はいつでも使える! エネルギー残量に注意しろと言われたがあてにできるかどうかは知らん! だが撃ちまくって飛べなくなるなんて馬鹿げた話は俺は御免だ! 貴様も注意はしろ!』
このエイレーンには機首先端からレーザーを放てるとのことだ。その他にも実弾の機銃とは別に機体上部に高出力のビーム砲が搭載されているらしいが実際の威力は不明だ。
ジェネレーターと直結している為に相当な火力が期待できるらしいが、アメリカではそれを撃ちすぎて機能不全に陥ったとの報告も受けている。
龍常院から送られてきた開発者、研究員たちからはその不具合は既に改善されたなどという説明を受けたが、そもそものデータを機密がなんだといって提示されていない以上、不安も残る。
だが、ここ暫くのテストを見るに確かに不具合らしきものはない。兵装のテストに移行すればその限りではないだろが、蓮司は無意識のうちにこのエイレーンを信頼していた。
『よぉし、これより帰投する!』
浩介の怒鳴り声に似た声音が響く。いつものなら顔をしかめるような声だが、エイレーンの性能に心酔しきっている蓮司はその浩介の声すら気にならなかった。
「この機体なら遅れは取らんはずだ! そうなれば、麗美も戦場で調子に乗らずに済む!」
その言葉は幼い婚約者に対する嫉妬も大部分に含まれているものだったが、蓮司はそのことには気が付いていない。
彼は意識しない中でユースティアを駆り、自分たち以上に戦って見せる少女に大人げない感情を向けていたのだ。それが体育祭での態度であり、今の言葉なのだ。
だが、エイレーンの魅力的な加速の中、蓮司はそんな感情すらもどこかに置き忘れたのか、子どものような声を出して、身を震わせていた。
そして、どこか待ち望んでいた事態が起こる。コクピット内にアラート音が響き、基地より緊急の通信が送られてきたのだ。
ヴァーミリオン出現の知らせである。
本来であればテスト中であり、いまだ実戦配備ではないこの機体を戦闘に回すことなど許されないのだが、この時は違った。
『なぁに! このまま実戦テストだぁ!』
オンになったままの通信機から浩介の声が響く。彼に送られてきた通信内容は蓮司の機体にも送られている。
二機のエイリーンはこのまま現場に急行、戦闘に入られたし。
その短い指令が下されたのだ。
『ふざけんじゃねぇ! ご機嫌な機体だがまだよくわかってねぇんだぞ!』
怒鳴りながらも機体を旋回させるのは、浩介が以外にも指示には愚直に従う男だからだ。それに判断力もある。不安はあるにはあるが、現地に急行できる機体は自分たちであることもわかっていた。
ゆえに文句を言いながらもそれに従うのだ。
だが、浩介がまがりなりにもまっとうな不安と使命感を抱く傍ら、蓮司は早くこのエイレーンの性能を試してみたいという欲求が勝っていた。
「隊長! すぐに向かいましょう!」
『わぁってる! エネルギー残量とやらに注意しろよ!』
二機のエイレーンは超音速を突破して轟音を立てながら大空を突き進む。
蓮司は不純な感情を抱いてはいても、浩介の後ろにぴたりとついて操縦に専念していた。ある意味で、その幼い感情が機体の操縦に集中させるのだ。




