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第6章 その先につながる未来5

1.


 まず、足を少し広げて立つ。

 次に、上半身を前に倒し気味にしつつ膝を90度に曲げてかがむ。ここであのオレンジ道着主人公は両のかかとをくっつけていたが、あれは両手を合わせて出すエネルギー波の足バージョンだから。昨日姿見を使ってやってみた予行演習では、理佐に『カッコ悪い』と悪即斬されたこともあり、普通にかがむことにする。

 足裏に意識を集中する。イメージは、少し離れたところで実験を見守っているエンデュミオール・ルージュの投射スキル・ボリード。あの火の玉を掌底から発射する感覚を教えてもらっていた。溜める。溜める。ひたすら溜める。

 すると、足裏というかハーフカットのコンバットブーツの底から光が湧いてきた。地面に踏ん張っているため、ブーツ裏のトレッドパターンの隙間からそれが吹き出て、付近に生えているススキを揺らし始めたではないか。徐々にそれが力を増し、ススキを圧倒し始めるのを見て、エンデュミオール・ブラックは気合を込めた。

 掛け声とともに、より一層地面を踏みしめる足に力を込める。そして次の瞬間、足下に打ち出された光弾の勢いで、ブラックは空中へと跳び上がった!

 風を切る音が耳をつんざく。内臓やら血やらが置いていかれるような上昇感はジェットコースター並み、いや座席にバーで固定されていないからそれ以上だ。それらが合わさった高揚感が何秒か続いて、ふと已んだ時。

 ブラックはあることに気付いた。

 一つ。最前の意図に反して、真上に近い角度で跳び上がっていること。

 二つ。どうやって着地するのか、全く考えていなかったこと。

 そして三つ。着地に失敗して負傷しても、この場に治癒スキルを持っているのが自分しかいないこと。つまり意識不明になったら――

「うわぁぁぁぁちょっと待てぇぇぇぇ!?!」

 そして、人の頭は重い。慌ててじたばたしたことにより前のめりのような姿勢になったブラックは、段々頭が下になりながら地面目がけて落ちていく。

 風切り音にルージュの悲鳴が混ざっていた気がするが、それを気にする間もなく、ブラックの体は突然柔らかいものに抱き付かれて方向を変えた。

 短い掛け声とともにくるりと回転させられて、その柔らかさんとともに無事着地――とはいかず、ブラックだけは回転の勢いを殺しきれずにつんのめってしまった。

「まったく、あんたはほんと無鉄砲なんだから……」

「ぐぅ痛てて……なんで最後で離すかな」

 ようやく起き上がったブラックににらまれて、エンデュミオール・プロテスはぺろりと舌を出した。

「着地の仕方も考えてない人に言われたくないね。失敗の痛みは貴重な経験だよ経験」

「まったく……ありがとな、助けてくれて」

 どういたしましてと笑う幼馴染の後ろから、呆れ顔のルージュが顔をのぞかせた。

「フィニッシュはともかく一応実験成功、ってことか?」

「まぁな」とブラックはうなずく。

 ブラックはゼミ旅行の最終日に得た着想を元に、実験を行ったのだ。同じ光線系であるバルディオール・レーヌが港倉庫跡地での戦闘最終盤に見せた逃げ足の速さが、こういったスキルを利用した跳躍なのではないかという確認を。

「でも、もうちょっとタメを素早くしないとだめだよね」

 と元の地点に戻りながら、プロテスは言う。

「そうだな。真紀ちゃんが言ってたもんな。ほんとにすぐ姿が見えなくなったって」

 とルージュも応じて、手にしていたポタリスウェットを飲む。

「なあプロテス、斜めに飛んだらどうやって着地すりゃいいんだ?」

 ブラックの質問に、プロテスはあっさり。

「さあ?」

「お前はどうやって着地してんだよ!」

「あたしは質量変化できるから、それさえ落下に移行した時に忘れなきゃふわりといけるんだよ。敵に技かけて一緒に地面に落ちる時は逆に質量を増大させるから、体全体の衝撃耐久力も高くなるし。地面はグジャグジャだけどね」

 ぐぅ、と鳴いたブラックにルージュがポタリをくれた。

「体操選手みたいに前転すりゃいいんじゃねぇか?」

「やっぱそうなるよなぁ」

 ぐびりと飲んで、やっとさっきまでの動悸が収まった。と同時に、視線を感じる。

「……ふーん」

「なんだよプロテス?」

 別にー、とそっぽを向いたプロテスは、すぐに振り向くと勢いよく話しかけてくる。

「さ、もっと練習しようぜ! あたしが受け止めてやるからさ!」

「いや、実験は済んだから――」

「なーに言ってんの!」と腐れ縁のモトカノは止まらない。

「これでできるじゃん!」

「何が?」

「ライバートリプルキックだよ! 分かってるくせに、もぅ!」

 プロテスと相棒のゼフテロスにブラックを加えて、ということらしい。ブラックはもう一口飲むと、反論に転じた。

「いやいや、俺エストレだから。レーヴェキックだろ、常識的に考えて」

「この裏切り者! 最近ちょっと復活してきたからって、調子に乗るなよ!」

「裏切ってねぇっつうの!」

 にらみあいを始めたライバー原理主義者とエストレファンの争いに、いたって普通の人が参戦してきた。

「プロテス、ブラックに無茶させんなよ。怪我したらどーすんだよ」

「あらあらまあまあ」

 険悪な表情から一転して口元に手を当てて含み笑いを始めるプロテスに、ルージュが過敏に反応する。

「なんだよ!」

「あたしがさっきブラックに抱き付いたのが、そんなに気に障ったんだ。んじゃ、救助役はルージュちゃんに任せるから。ね?」

「違う! 違うってば!」

 赤くなってワタワタし始めたルージュを、プロテスは追い討つ。実に面白げに。

「ね? ね? 実際のところさ、あたしも圭も、優菜ちゃんが行くっていうなら応援するつもりなんだけど。どう?」

「なぁおい!」とルージュは沸騰し始めた。

「お前、何しに来たんだよ!」

「おーい――」

 救いの女神が来た――と思った一瞬が、ブラックは悲しい。やって来たのは火に油を注ぐことを苦にしない、嫌な意味での戦女神だったから。そう、エンデュミオール・グリーンである。

「おおぅ」

「なによ?」「なんだよ?」

「モトカノとツギカノのにらみあい?」

「違うから」「なんだよツギカノって」

 早速これである。グリーンはにかっと笑うと、次の火付けに走った。

「で、イマカノは?」

「今日はゼミの飲み会」とルージュが答えると、

「ふーん……」

 とうなって、グリーンはブラックの顔を見上げた。その眼は労わっているようにも、憐れんでいるようにも見える。 

「自分が飲み会に行くのはいいんだって、なんか理不尽やな」

 ブラックを始めエンデュミオールたちのあいだに、何とも言えない沈黙が訪れた。

 ここは動かなきゃ。ブラックは覚悟を決める。

「よし、じゃ、もう一度さっきの実験やって、グリーンに見せるよ。ゆう……じゃない、ルージュは今日の課題、なんだっけ?」

「! ああ――」とルージュは救われたように声を発した。

「炎の種が結構強力だったからさ、あれをもっとスピード上げて、あと地面だけじゃなくて壁とかにも設置できるかどうかやってみようと思って」

「ああ、それでここなんだ」とプロテスが納得の顔をする。

 ここは、ブラックの初戦闘の地。何年も前に閉鎖した複合商業施設の廃墟だ。浅間大学の裏山で訓練を再開しようという意見も出たが、ブラックはケーキ店『ヴィオレット』にて琴音の言っていた『第2回調査』という言葉を気にしたこともあって、ここを提案したのだった。

「あれ? 妹は?」とプロテスが周りを見渡す。

「イエローはバイトやで。アクアは飲み会」

「なーんだ。目の前で合体が見られるかと思ったのに」

 残念そうなプロテスを見て、グリーンの目が光る。その目はそのままブラックのほうを向いた。

「ほらブラック。変身解除して」

「なんで?」

「合体しろってプロテスが言うてるやん?」

「意味が違うだろ、それ」

 めげずにしなを作り始めたグリーンにチョップして、ブラックは跳躍の再実験を試みた。またブーツの裏に光を溜め、今度は斜め前に跳び上がる。

 先ほどの顛末で内心びびったのか、少し低めの高度で頂点に達し、ブラックは放物線を描いて落ちていった。さあ、前転して着地――のつもりだったが。

「!うわわわわ!」

 高校の授業で習った前受け身が予想外にうまくいって、前転に成功した。が、柔道の授業の時とは勢いが違いすぎる。ぐるんぐるんと3回転して、ようやく全身を投げ出す形でやっと止まった。

「おーい、だいじょーぶかー?」

 ルージュたちが駆け寄ってくる。

「い、痛い……」

 授業とは違う点がもう一つ。ブラックが着地して転がったのは、武道場の畳ではない。さびれてところどころ雑草が顔を出す舗装タイルの地面なのだ。つまり背中と腰をローリング痛打して、仰向けにのびているということである。

「ブラック、お前なぁ……」

 プロテスが呆れ始めた。

「そんなことじゃ、真空煉獄車ができないじゃん」

「くっ……1号・2号原理主義者の分際で……なんでほかのライバーの技を俺に使わせたがるんだ……」

 何も無い空中に投げ上げた棒で大車輪をしたあと相手に飛び蹴りかますライバーの真似なんかできるかよ。

 ルージュとグリーンに助け起こしてもらいながらブラックは愚痴ると、まだ少し残っているめまいを我慢してグリーンに尋ねた。

「どうかな? こんな感じなら、レーヌの逃げっぷりが説明できる?」

「体張ってもらって申し訳ないんやけど、なんか違う」

 グリーンのすまなそうな顔は、ある程度予測できたものだった。

「だよね……やっぱもっと素早く溜めて飛ばないと」

「んー、ていうか――」

 グリーンは小首をかしげて当時を思い出していた。

「溜める時に出てた光も見た憶えないし、跳び上がる時の発射音ていうか爆発音もなかったで」

「へぇ、じゃあ本当に掻き消すようにいなくなっちゃったんだ」

「難儀なスキルだなおい……」

 プロテスとルージュが顔を見合わせてうなっている。

 ブラックは溜息をついた。

「振り出しに戻っちゃったね」

「ん、まあそれもあるし――」

「何?」とグリーンが下から見上げてくる。

「例の横浜の女、坂本さんじゃなかったからさ。そこも振り出しだなって思って」

 そう、あの写真を横浜支部で回覧した結果、おそらく別人だろうとの回答が帰ってきていたのだ。内通者探しもやり直しである。

「ま、お疲れブラック。ほい」

「お、サンキュー」

 先ほどのポタリの残りをルージュがくれた。彼女もかなり飲んだようで、その残りを喉に流し込んでいると、にやにやしている質量変化系エンデュミオールたちを見とがめた。

「なにニヤニヤしてんだよ?」

「な?」「せやな」

 ますますにやつく2人は、揃ってブラックが飲み干したペットボトルを指さした。

「間接キッスもモノともしないなんて、すっすんでるぅ~」

「あらあらまあまあ、やね」

 ルージュがまたワタワタしだす。

「こ、こいつ女だし! 変身前とはしないし!」

「俺は男だ!」

 まずルージュに律儀に反論しておいて、緑色の騒動屋どもにがなる。

「だいたい、間接キスで騒ぐとか、中坊かよ!」

「ほほぅ、二人は大人の関係とな」「いやらしいわぁ」

「違うから」

 ゲンナリしてきたが、グリーンのおしゃべりは止まらない。それどころか、ブラックの腕に抱きついてきたではないか。

「ま、大丈夫やから」

「……何が?」

 聞き返す相手の瞳が、いつかの宴会のときのように潤んでいる。

「このあいだも言うたやんか、残念ねーやんの襲撃はうちとイエローで片付けるさかい、そのあとはルージュと4人で一緒に暮らそ。な?」

「別ENDに分岐してる?!」

「メタ発言すんな」

「本体からもツッコミ入ったよ……」

 旅行の宴会で口走ったネタが、参加していなかったルージュに分かるはずもなく。

「本体ってなんだよ? ていうかブラックが困ってるだろ離れろグリーン!」

「別にええやないの。うちとブラックの仲やし」

 腕から腰へ。しっかとまとわりついたグリーンとルージュのにらみ合いを、少し遠目から眺める者がいた。

「ふーん――」

 ごすっ!

「痛っ! なんだよ?!」

「別に~」

 胸に助走付きでワンパン食らわされたブラックの抗議を余所に、プロテスはまたそっぽを向いた。



 それから1時間ほどした複合商業施設の廃墟に、原付の排気音が響いてすぐに停止した。運転者がきょろきょろしたあと、フルフェイスのヘルメットを脱ぐ。解散して下宿に帰る振りをして戻ってきた隼人だった。

「ふぅ……よし、誰もいないな」

 なおも用心深く闇を透かし見たが、誰も来る気配は無い。隼人は先ほど訓練をしていた大広場ではなく、駐輪スペースから見て死角になる場所を選んだ。

「よし、変身!」

 白水晶から溢れ出た光が彼の周りに集まり、繭状になる。それを内側から右手で掴んで外に勢いよく振ると、光は大きな布のように隼人の右側に拡がった。右手をまた左に振り、光の布を体に巻きつけさせると、光はエンデュミオール・ブラックのコスチュームを形成し、残余は細かな光の粉となって煌き消えた。

 大きく、溜息をつく。彼、いや彼女がこれから訓練しようとするスキルは、先ほどの大跳躍ではない。いや、訓練ですらないのだ。

 レーヌの作り出す光の壁すら即砕して、あの女を吹き飛ばす。もちろん、ブラックの周りに群がってくるであろうオーガもまとめてぼろ雑巾以下の細切れにしてみせる。

 ブラック自身を火点とし、その周囲の物全てを爆砕することを企図したスキル、すなわち"自爆"だ。

 これも、エストレ戦士の技がちゃんとある。インフィニットダイナマイトというもので、自分と周囲を吹き飛ばした後、インフィニティブレスの力で体が再生するというものである。ブラックの場合、インフィニティブレスではなく白水晶の力で再生することになる。

 ――といえば簡単そうだが、問題が2つある。1つは、本当に粉々になったブラック(もしくは隼人)の体を白水晶が目論見どおり再生してくれるかどうかという点だ。したがって習得のための訓練は、爆発する寸前までしかできない。スキル発動の効果が確認できないのだ。そもそも発動するかどうかも含めて。

 2つ目は、インフィニットダイナマイト使用のデメリットである『寿命が縮む』という点である。本物の――あくまで特撮作品としての本物であることくらい、ブラックには区別がついている――技は、使用によって寿命が20年以上縮むという設定なのだ。

 エストレ戦士は、その点を気にしない。彼らの寿命は数十万年であり、20年ぽっち、我々ヒトの数日程度だろう。それで難敵を撃破できるのなら、安いものだ。そういう割り切りができる戦闘種族でもある。

 だがブラックは、隼人は地球人である。比率換算でも数日縮むのはためらうところだし、設定どおり20年以上寿命が縮んだら、へたすれば40代で大往生。それは困る。おそらくその時傍にいてくれるはずの理佐を泣かせるような真似はしたくない。

 だからブラックのスキル構築は『インフィニットダイナマイトをコピー。ただし、寿命が縮むデメリットは無しで』という、大変虫のよいミッションとなった。そんな器用なことを不器用な自分ができるのか。

 でも、やるしかない。これ以上みんなの被害を食い止めるために。



 30分後。大きく両手を広げたブラックの全身を、白い炎と見まがう揺らめく光が包んでいた。しばらくそのままの姿勢で炎の発現を続けたあと、ふぅと息を抜いて白炎を消す。

「これで完成、なのかな……」

 もう一度白炎の発現まで試してみたいが、さすがに疲れた。

 大跳躍はあのあとみっちり訓練させられて、最後のほうでは頂点で宙返りから飛び蹴りへの移行までマスターさせられたのだ。むしろやっていくうちに、ブラックのほうが乗り気になって練習したのだが。

 プロテスの歓喜に湧く声、グリーンの『男の子やねぇ』という苦笑、ルージュの心配顔――思い出すだに微笑ましく、ブラックの頬も自然と緩む。

(理佐ちゃんが俺の飛び蹴り見たら、なんて言うだろう?)

 そんな埒も無いことまで考えてニヤついて、ブラックはようやく表情を引き締めた。

「あとは、あの厄介なスキル対策か……」

 どういう仕掛けかが全く分からないのがしゃくに障る、姿を消せるスキル。そう、まるで掻き消すように。そういえば横浜で戦った時も、光壁が消えた時には既に影も形も無かった――

 隼人は、呆然と立ち尽くした。いや、惚けたわけではない。ここ1ヶ月のあいだの情景が、脳裏をもの凄い速さで巡っているのだ。

 一度天を仰いで、しばしのち、目を閉じてがっくりとうなだれた。

「そうか……それなら……」

 眼をカッと見開いたブラックは急いで変身を解除すると、疲れた体に鞭打って駐輪場へと走った。

 西東京支部へ行かなきゃならない。横浜支部にも照会をかけなきゃ。

 今日はまだ休めない。こんなこと、休んでからなんて脳味噌がもたない。


2.


「――っつーわけでさ、廃墟がピンク色に染まってたぜ」

 千早の報告に、圭はボンゴレビアンコを食べる手を止めて一言のたまった。

「なんだかんだでまたハーレム作ってんのかよ、まったく」

「真紀ちゃん、カレシいるって聞いてたから、からかい半分だろうけどな」

 報告を終えて自分もアマトリーチェをすすりこみ、空腹を満たすことにした。圭の視線に気付くまで数分、物問いたげな視線を返すと、大して面白くもなさそうな答えが返ってきた。

「んで、お前も出戻りたくなったの? ハーレム」

「冗談じゃないよ」

 と返すついでにお冷を飲む。まだランチタイム。ワインは遠慮している。

「もう戻れないし戻る気もないし。むしろ、こころじゃね? 未練タラタラなの」

「あの子こそ無理だろ」

 と圭に軽く否定されてしまう。真夏の海で再会した同級生の水越こころは隼人のモトカノで、付き合っていた当時彼女の浮気がばれての喧嘩の末、決定的な行動に出てしまったのだ。

「胸をドーン、ってやっちゃったんだし」

 まあね、と相槌を打って、食事に意識を戻しながら千早は思う。

 ドーン、か。どうしても教えてくれなかったな。

 それでもと食い下がって聞き出した情報も、実父の蒸発直前に父子のあいだで何かがあったという程度。そもそも自分の不幸話を、隼人はめったにしない。

「くくく、偵察お疲れ様」

「偵察じゃないって」

「またまた~」

 千早の否定を気にせず、圭が追い込んでくる。

「自分が捨てた男が他所でヨロシクやってんじゃん。そりゃ気になるよね?」

「べ つ に」

 パスタ屋の自動ドアが開いて旧知の人が来たのをこれ幸いと、千早は圭から顔をそむけた。

「すみません、授業のあと質問してたら遅くなっちゃって」

 神谷なごみは遅刻した照れ隠しか、にこにこしながら千早の横に座った。さっそくメニュー表を見始めた隼人の義妹に、圭がボンゴレのスープにパンを浸しながら話しかけた。

「授業、付いていけてる?」

 なごみは大学受験のため予備校に通っている大学浪人生だ。父親が経営しているいかがわしい飲食店の2階に妹も含めた3人で住んでいるため、受験環境としてはよろしくない。ゆえに日中の予備校と図書館が、勉強を集中できる場所ということになる。

「まあまあです。このあいだの模試の点数も志望校になんとか受かりそうな感じだったし」

 なごみの屈託のない笑顔に、ほっとする。あの鬼義母と同居していた時は、家に呼んで一緒に勉強したり夕食を食べたりしたのだ。なごみにもくるみにも、幸せになってほしいと願っている。

 だからこそ、変わって人の悪い顔になったなごみの発言に、千早はどきりとした。

「そういえばこのあいだ、お兄ちゃんの下宿に行ってきたんですよ」

「何しに?」

「そりゃあ――」と笑みがますます悪化する。

「部屋のお掃除と、食事を作りにです」

 聞けば、『最近なごみが来ないと隼人が愚痴ってた』と真紀からメールが来たらしい。

「真紀ちゃん……なにが狙いなんだ……」

「――でですね、お掃除を終わってお料理をしてたら、ちょうどお兄ちゃんと理佐さんが帰って来て」

 圭と二人して、うなりのけぞる。

「理佐さん、すっごい形相になって――「ああああもういいもういい!」

 圭がイヤイヤをして耳を塞ぐ一方で、千早はペペロンチーノを注文したなごみを胡乱げな眼つきで見つめた。

「どっこも刺されてないってことは、一目散に逃げたの?」

「まさか!」

 と笑うなごみ。この子、こんなに得体の知れない子だったっけ……?

「理佐さんがお料理しないって聞いたから、お兄ちゃんにちゃんと栄養を取ってもらわないと困るんです。――って行ったら掴みかかってくるんですよ、あの人。それを、お兄ちゃんが羽交い絞めにして抑えてくれたんです」

 お兄ちゃん、かっこよかった。夢見る乙女のポーズまでして、往時を回顧する義妹。その仕草を見て、話が終わったと判断したのだろう、圭がようやくしっかりと塞いでいた手を耳から離して一息ついた。

「で、その隙に逃げてきたんだ」

 夢見る乙女はにっこりNO。

「お兄ちゃんにそのまま抑えてもらっていて、お料理を仕上げて帰りました」

「あんた……ほんとになごみちゃん?」

 圭の気味悪げな顔は、可笑しくもあり、全面的に同意できるものだったり。元気にはいと答えたなごみは、びしっと敬礼で締めた。

「以上、小姑1号でした!」

「いいのか? そんなんで。未来の義理の姉候補――じゃないのか、なごみちゃん的には」

「もちろん、くるみ的にも、です」

 なんかここまでくると、逆に応援したくなってくるな、理佐ちゃんを。

 天邪鬼成分がちょっぴり含有されている千早は心の中で、さらにちょっぴりだけ理佐を応援することにした。


3.


 沙耶は目を閉じて、練武場の片隅にしつらえられたテントの前に立っていた。テントを始め今日の合同練武の会場を設営した庭師――鷹取家において、家人の護衛や邸内の警備、妖魔討伐の際のサポート役などを任務とする他所人の職名である――以外は、誰もいない。

 本当に久しぶりに、陽の光を浴びている気がする。まぶたを通して感じ取れる温かみが彼女の身体に流れ込み、緩やかな流れとなって指の先まで巡っている、そんな風に思えてならないのだ。

 もう少し、この温浴に浸っていたいのに、どうやら終わりが来たことが悲しい。そしてこんな時でも、自分に飛びかかろうとする親戚の存在を10メートル手前から知覚できてしまう自分がくやしい。もっともそれは、その親戚の派手な歓声が主因なのだが。

「沙耶ねえさま~!」

 眼を開き、優羽の身体をがっぷり四つで受け止め――

「もぉ~沙耶ねえさま酷いですぅ。あたしはお相撲さんじゃありません~」

 思考に従って体はリニアに動き、優羽の身にまとう戦胞の袴の帯をがっちり握ってしまっていた。

 全力疾走してきたらしい優羽に遅れて、瞳魅もやってきた。同じく抱擁をして迎えると、沙耶は不思議そうに言った。

「また来てくれてうれしいけど、受験勉強ちゃんとしてる?」

 彼女たちはそろってあたふたし始めた。

「大丈夫です! こっから挽回しますから!」

「いつかどこかで聞いたようなセリフだわねぇ……」

 そのまま雑談していると、他の巫女たちがやってきた。先日の親族寄合の場に来てくれた巫女も、そうでない人たちも。その全てに抱擁を繰り返したあと、沙耶はつっと離れて直立不動の姿勢をとった。

「皆様、今までご迷惑をおかけしました。これからまたよろしくお願いします」

 深々と頭を下げると同時に、拍手が巫女たちから沸き起こった。ほとんど同時に周囲で見守る庭師たちからも。皆の屈託の無い雰囲気に安堵して、沙耶は顔が上げられない。

 起き上がる前に袖で涙を払って、沙耶は巫女たちに告げた。

「さあ、練武を始めましょう」

 それからしばらく、小学生、中学生、高校生以上に分かれて練武が行われた。月輪や突光の投射、羽衣や撥帛の取り回し方、遅刃おくれば――手首に発生させて、拳を振るのに遅れて敵に斬りつける光の刃――あるいは無手での近接戦闘をそれぞれの年代に合わせて鍛錬する。沙耶の役目は、各年代2人ずついる教官役の取りまとめと補助だ。

 呼ばれて、小学生の場に行く。巫女が一人、月輪がなかなか命中せず困っているようだ。その彼女の後ろに回って、両肩にそっと手を置く。

 一日に使用できる鬼の血力は個人によってその総量が違うが、有限であることに変わりはない。『んー惜しいわねぇもう1回』が気軽にできない巫女もいるのだ。

 それでも一度だけ月輪を放たせてみてから、沙耶はその巫女の小さな耳に語りかけるように言った。

「月輪はね、知ってると思うけど、作り出してから中れって祈ってもだめなのよ。念を込めながら作り出すの」

 知らずかがみこんで、小さな耳のふちに唇が触れんばかりに囁く。

「中れ。敵を切り刻め。憎いあいつの顔面を断ち割り、はらわたをぶちまけさせろって――」

 脳天に軽い衝撃を受けて、沙耶の説明は中断した。

「沙耶ちゃん、小学生に刺激の強い表現はダメよ」

 小学生の場の教官役が、チョップの手を再び振り上げたまま笑っていた。謝って姿勢を正すと、事の成り行きにドキドキしている様子の小学生巫女に向かって微笑む。

「ま、そういうわけで、動き回る敵だろうが飛び回る鳥だろうが、ちゃんと念を込められれば中るのよ」

 そして沙耶は的に目線を動かす。軽量級の妖魔・長爪の動きより少し早めに調整してあるランダム軌道の的が、沙耶の視線を感知したかのようにグリグリと球形ホイールを駆動させて走り回り始めた。

 それに向けて、沙耶は月輪を1つだけ放つ。高速で回転して文字どおり月の輪に見えるそれは、的の繰り出すフェイントやダッシュに逐一対応して、まるで酩酊しているかのような複雑な軌道を描いて飛び、最終的に向こうへ遁走しようとした的に突き刺さった。

 静かな感嘆の声が見学者から漏れる。二桁の月輪を多目標に命中させることのできる沙耶にとっては文字どおりの児戯であるのだが、それを口に出す驕りも、目の前の小学生を意気消沈させる必要もない。代わりに、また背後から両肩に手を添えた。

「さ、やってみて。あなたならできるわ」

 おためごかしではなく、先ほどまで練武を見て回った上での督励である。それが通じたのか、巫女は目を輝かせてすぐ真剣な面持ちで、庭師が取り替えてくれた的をにらむと、月輪を小さな気合いとともに放った。

 軌道を複雑に変化させた月輪が、横薙ぎに的を両断する。甲高い声で喚声を上げてガッツポーズをする小学生の頭を撫でてあげると、一同に別れを告げた。自分への気遣わしげな視線を小学生たちの中から感じるが、向こうの巫女たちに呼ばれている。柔らかな笑顔の沙耶は高校生の場に向かった。

 楽しい。そう感じている自分に驚きながら。



 練武が休憩となってしばらく雑談していたが、どうしても気になって、沙耶は人探しをすることにした。5分ほど探し回って見つけたのは、練武場から外れた池のほとり。

「美鈴ちゃん?」

 沙耶の呼びかけに盛大に震えたのち、海原美鈴うなばら みすずはそーっとこちらを振り返った。小学5年生の彼女は、都内に居を構える海原家の分家の一員である。海原の女性らしいほっそりとした相貌は暗く、蒼い。

「あ、あの、沙耶様、何か……?」

「さっき、私のほうを見てたから。何かお話があるんじゃないかと思って」

 横に並んで池の土手に腰を下ろす。美鈴はうつむいたまま、おずおずと切り出した。

「……強いって、……どんな感じですか?」

「つまらないわ」と沙耶の答えはよどみがない。

「拳や足を振るうだけで、みんな簡単に壊れちゃうんだもの。壊れなかったのは、疫病神くらいだわ」

 そう、4年前に顕現した疫病神との戦いは、恐怖と緊張そのものだった。攻撃がなかなか届かず、届いても軽微な損害しか与えられない。フェイントが全て見破られる。こちらの防御など紙同然。

 それは、まさに驚愕と落胆をする暇すら与えてもらえない、悪戦苦闘を絵に描いたような戦いだった。

「……どうかしたの?」

 沙耶の問いに、美鈴は顔を上げた。

「わたし、もう5年生なのに……みんなより全然……」

 あとは細い涙声に途切れたが、沙耶には容易に理解できた。自分が蟄居する前と、何も変わっていないということだろう。

 美鈴は鬼の血力が極めて弱い。同年代の巫女が成長につれて血力を順調に増やしているのに、彼女のそれは微々たるままなのだ。

「何か、言われたの?」

 沙耶の顔色と声色が少し変わったのを敏感に見てとったのだろう、美鈴は涙を拭いながら激しく首を振る。

「みんな、優しいです。でも……」

 そう、1200年の歴史の中で、血力の弱い巫女はどの時代にもいた。血力の強さが子に引き継がれない――それは鷹取宗家でも同じである――以上、いかにその巫女を責めようが、あるいはどれだけ血の悪戯を嘆こうが詮無いことなのだ。そのことは皆、分かっている。

 だが、その結果発揮される"優しさ"が、当人にとって言い知れぬ辛さとなることもある。

「美鈴ちゃん――」

 沙耶は美鈴の薄い肩を抱き寄せて、自分の頬を彼女の形のいい頭に当てた。

「私たちの血力はね、誰かを護りたい、誰かとともに戦いたい、そういう人を得ることで強くなれるの」

 沙耶にとってそれは木乃葉であり、のち蒼也に変わった。そう願い続けていた。それなのに――

 そこまでで回顧を断ち切って、沙耶は頬を美鈴の頭から離すと、その可愛らしい顔に向かって微笑んだ。

「あなたもそういう人ができれば、ぐっと強くなれるわ」

 先の練武でのそれとは違い、今度は完全に無理を承知の激励である。2年前と変わっていなければ、美鈴は同年代を含めて男性が苦手のはずだから。まさか小学生に『じゃあ同性の子でも』とは言えない。

(そういえば、相方もいないのよね、美鈴ちゃん……)

 鷹取一族は、同年代の子供で近在に住まう者を相方として組ませる風習がある。それもできれば鷹取と海原であることが望ましい。本家と分家が断立しないように、あるいは戦闘の際のバディとして、あるいは別々に財閥を形成している両家のビジネスパートナーとして。

 同性同士で組まれることが当然の相方に、美鈴は恵まれなかった。近在の同年代は全て男子だったのだ。

 相方がいない寂しさは、沙耶にも経験がある。そのことに思いを馳せそうになった時、美鈴がもじもじしているのに気付いた。

「あの……すごく失礼なことをお尋ねするんですけれど……」

「なぁに?」

 美鈴は人差し指同士を突っつき合わせて、

「その……す、好きな人ができると強くなれる。それは、おば様とかからも聞いてるんですけれど……」

 もじもじが已む。

「優羽様はどうして、そんなに変わらないのでしょうか?」

「う……いやまあほら、あの子は発展家――ゲフゲフ、恋多き女の子だから」

 意外な質問に思わず本音で答えてしまい、沙耶はむせることでごまかした。

 要は護りたいという意識があるかどうかなのだが。そもそも優羽の巫女としての能力は並であるにもかかわらず、練武にもほとんど出てこないのだから、何も考えていないというべきか、すでに割り切っていると見るべきか。

「あ! 見つけた! 美鈴ちゃーん!」

 休憩と同時にここへ来たのだろう、美鈴は探されていたようだ。慌てて立ち上がった美鈴の瞳に、もう暗い影はなかった。沙耶も立ち上がる。

「さあ、戻りましょうか」

「はい!」

 にっこり笑って、呼びに来た巫女のところへ駆けていく。至弱であることに悩みながらも押し潰されもねじれもせず、まっすぐ育っている様子が好ましい。おそらく母親のおおらかな気質の影響だろう。

 元気に跳ねる2人の小学生に数歩遅れて歩きながら、沙耶は思いを巡らす。

 確かに、血力の弱い巫女が排斥されるわけではない。巫女の数は決して多くないため貴重な戦闘要員だし、そうでなくても財閥系企業の率い手として、そして血を後代に繋ぐ女としての役割もある。

 だが、このままでは彼女は戦闘において、確実に戦死するだろう。むしろ疫病神と対峙した時のほうが、塵芥扱いで見逃してもらえるかもしれない。

 彼女のけなげでまっすぐな資質を歪ませることなく戦闘に生かし、彼女の生存率を高める方法――

(そういえば、庭師用の護身装具を対妖魔戦闘用に改造転用する計画があったわね……)

 先日ブリーフィングを受けた内容を、沙耶は思い出した。それが優先度の低いプロジェクトであることも。

 それを推進して、試験運用に美鈴を参加させるか。瞳魅には及ばないが近接戦闘のセンスは高い彼女なら、適任として推薦しやすいだろう。

 沙耶はなおも練武の場へと歩を進めながら、総領への意見具申案と各部署への指示案を練り始めた。

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