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第3章 沙耶の罪

1.


 鷹取本家の屋敷は、内にも外にも緊張がみなぎっていた。

 正門をくぐるリムジンの数が尋常ではないこともそうだが、屋敷の正面玄関前でそれらから降り立つ女性たちの顔に一様に現れている厳しい表情が、それを如実に表している。

 海原琴音は、総領付きの召使に屋敷の東北に位置する離れの一つへと案内された。そこから漏れ聞こえる声に不審を抱いて戸を開けるとそこには、

「琴音様……! おはようございます」

 関東、いや東日本在住の鷹取家や海原家の巫女たちがいた。ざっと見る限り、中学生以上のほぼ全員が揃っているようだ。いや、四国や九州在住の巫女もいるではないか。琴音が問うと、

「あちらの守りもありますので、代表して1人だけ来ました」と言う。

「どうして、ここに?」

「もちろん、沙耶様に対する裁定を見届けるためです」

 親族寄合の出席者である母や姉とは同乗してこなかったと聞かされて、とりあえず座りながら考える。

 彼女たちがここに集められているのは、恐らく寄合の裁定に影響を与えないためであろう。それほどまでに集まった皆の顔は憂いと決意を秘めており、寄合の場に近い場所で待機など到底させられないことが察せられた。

 憂いと決意。それは、膝を送って進み出た一人の女性の表情と声色からも一目瞭然であった。

「琴音様、お願いがあります」

 仙台鷹取家の鷹取優羽たかとり ゆう。普段はもっとのんびりかつ砕けた物言いの彼女からして、この表情なのだ。

「なにかしら、優羽ちゃん?」

「沙耶ねえさまと、鈴香様を救ってあげてください」

「鈴香?」

 うなずく優羽の眼は真剣そのもので、琴音は我知らず居ずまいを正していた。

「沙耶ねえさまもそうですけど、鈴香様もお兄さんのことで、かなり悩んでるんです」

「鈴香が……」

 確かに、彼女が兄の蒼也について話す時、表情に言い知れぬ影が差すのを何度も眼にしてきた。問いただすたびに笑顔を返してくれたが、やはり――

 琴音の沈思を見て、優羽の舌の回転は勢いを増した。

「そうなんです。心無い中傷をされたりしてるみたいで、ほんとにヒドイ――」

「誰に?」

 急に語気も眼つきも鋭くなった琴音を見て、優羽の顔色が変わった。

「優羽! 余計なこと言っちゃダメって言ったじゃん!」

 いつの間にやら優羽の横ににじり寄ってきていた海原瞳魅うなばら ひとみが膝を抑えたが、もう遅い。

(沙耶様のことをあれこれ言ってる、あの人たちね……)

 一族の内偵をしている母からそれが語られたことはない。恐らくは琴音への配慮なのだろうが……

(いやぁん琴音様怖ぁい)

(もう言っちゃったことはしようがないんだから、ほら続き続き)

 瞳魅に促されて、優羽は恐る恐る口を開いた。

「と、とにかく、お二人をなんとか救ってあげてほしいんです。わたしたちも寄合出席者の方に、なるべくお願いはしてきたんですけど……」

「どうして――」

 琴音は静かな微笑を浮かべ直すと、優羽と瞳魅の顔をまっすぐ見た。

「沙耶様や鈴香の事を、そんなに気に掛けるの?」

 同族だから、というのはあるだろう。血族の者に、特に同世代より下の巫女に沙耶が好かれていることもある。だが、こうして寄合の場に大挙集結する、その理由はいったい。

 すっかり萎れてしまった優羽の代わりに、瞳魅がゆっくりと口を開いた。

「わたしたちが、呪いから逃れられないからです」

 呪い。

 『一族の者が他所人と結ばれるには、その他所人が妖魔討伐を心から理解し相手を支えると、祝言の際に心から誓わねばならない』というそれは、鷹取と海原の男女に等しく掛かる忌まわしきもの。誓わない、あるいは偽りの誓いをなす他所人は、新婚初夜の床で死ぬ。

 ちなみにこれでも緩和されたほうである。当初、開祖オビトマルの妻が我が子に掛けた呪いは、『我が子と睦み事をなす者に全き死を』であったのだから。

 だが、この呪いと、疫病神がこの現世に対して行っている『世間が妖魔討伐に共感や興味を持たないようにしている』工作により、鷹取家の成婚率は一般のそれに比べて低い。

「呪いから逃れられない。だからわたしたちだけでなく、先祖代々の皆さまも一様に苦しんできました。ついに結婚を諦めた方も少なからずお見えになられます。そして沙耶様は、ああいった手段をお取りになりました」

 瞳魅はそこで息を接ぎ、また話し始めた。そのピンと正した姿勢に揺らぎが見えないのは、自分がここにいる巫女たちの気持ちを代弁していると理解しているからであろう。

「その行為は、決して許されるものではありません。それは分かっています。でも、だからこそ、罰を受けられた沙耶様を、もう赦していただきたいのです。そして、沙耶様が赦され、救われることで、鈴香様も救われる。……そう、思うんです」

 瞳魅は、もう一度息を吸い込んだ。

「いつ、沙耶様と同じ絶望に陥るかもしれない、わたしたちのために」

 琴音はしばらく目を閉じ、彼女たちの訴えを噛みしめていた。やがて、ゆっくりと眼を開ける。

「みんなの気持ち、よく分かったわ。私自身には1票しかないけど、できる限りほかの方々にお話しして、流れを決めてみせる」

 それが、わたしの役割。実際は最前の秘密会合にて枢密の方々と打ち合わせ済みの役割ではあるが、この重大案件『沙耶への罰を終わりにする』は出席者の5分の4の賛成が必要である。流れを確かなものとするために、琴音の役割は重要であった。

 そこまで考えて、瞳魅たちの視線に気づいた。

「実はもう一つ、琴音ねえさまにお願いがありまして」

「なぁに?」

 瞳魅が隣の相方を見やると、優羽は空咳をして、しかし顔は厳粛なまま話を引き継いだ。

「あの時の経緯を、詳しく教えていただきたいんです」

「あの時のことを……?」

「はい。あの時、母や姉から十分な説明を受けていない人もこの中にいるんですけど、わたしたちではうまく説明できなくって」

「……そうね。わたしは当事者だものね」

 琴音は手首の内側をちらりと見た。まだ寄合開催までは時間がある。ひとつ軽いため息をつくと、誰を見るでもなく語り始めた。愛憎劇と美称するには余りにも生々しい、その一部始終を。


2.


 そもそもこの事件は、沙耶が大学3年の春に同級生の蔵之浦蒼也くらのうら そうやに告白して、交際が始まったことに端を発する。彼女にとって初めての告白の成功であり、有頂天になった沙耶は、いや鷹取家は早くも今後のロードマップまで検討し始める有様であった。

 だが事態は、いや、蒼也の"動き"は沙耶と鷹取家の想像を超えていた。

 交際開始から4カ月ほど経った夏休み終盤、日ごろの不摂生が祟って部屋で倒れている蒼也を沙耶が発見、救急搬送されたのだ。

 一旦彼の部屋に戻って着替え等を準備して、病室へ馳せ戻った沙耶が見たもの。それは、点滴を受けて寝ている蒼也と、その傍らで苦虫を噛み潰したような顔をしている5人の女の子たち――仙道たずな、仙道弓子せんどう ゆみこ、海原満瑠、江利川千夏、そして高校以来の親友である向井木乃葉むかい このは――だった。

 蒼也は、沙耶たちと付き合い始めたことで自分に自信が持てるようになったと以前言っていた。その時は彼の不遇な人生を聞いていたがゆえに喜んだのだが、その自信は別の方向にも働き始めていたようだ。彼は沙耶の友人や親戚にも手を出していた。その結果がこの緊急入院と、この場に集いし女性6人という有様だったのだ。

 いったん蒼也の部屋に集まって今後のことを話し合おう。そう言い出したのは、年長者のたずなだった。ほかに案もなく従った皆であったが、後に聞いたところによると、どうやら5人は沙耶が病室に来る前に、既に示し合わせていたようだ。

 自分しか持っていないはずの合鍵で玄関を開け、さも自分の家であるかのようにお茶を淹れて皆に振る舞うたずなの挙動に、沙耶は愕然とした。なんとなれば、自分と蒼也以外の痕跡に全く気付いていなかったのだから。浮かれていたとしても面目を失う現実に、沙耶の心は煮えくり返らんばかりであった。

 そして、全員が一つのテーブルに集まったところでたずなから切り出された提案は、聡明な沙耶をしても理解できず言葉を失うものだった。

『わたしも、ほかの4人も、合鍵を持ってる。それにみんな、蒼也君のことが好きなの。でも、彼は今のところ、誰か1人に絞る気はないわ』

『そんな、ちょっと――』

『話を最後まで聞いて。でもそれじゃいずれ、さらにドロドロのグチャグチャになる。だから』

 彼を6人で共有しよう。ただし、期間限定で。それが、たずなの提案だった。

 彼のスケジュールは、弓子が自分の男関連のスケジュールを管理するために自作したソフトを流用して管理する。弓子が借りているサーバーにそのソフトを入れておくので、各自でそれにアクセスして彼との予定を閲覧し、書き込む。

『彼の食事の世話は、わたしがするわ』とたずなは言った。

 だが、彼女はこの下宿から車で2時間弱かかる街でセレクトショップを経営していて、閉店後のあれこれで夜10時にしか店を出られない。朝8時には開店準備に入らねばならないため、毎日彼のところに帰るのは物理的に無理である。よって、食事は週に1回来た時に1週間分を作り置きする。お店は火曜日定休である。

『だから、月曜日の夜と、火曜日の午前中をわたしにちょうだい』

 そして、期間限定のこと。蒼也は大学3年生なので、終期は4年生の卒業までとし、その時点で就職ができていようがいまいが、蒼也は1人を選び、選ばれなかった5人はそれを受け入れる。

『どう?』

 即答で是としたのは、木乃葉だった。そしてこの展開に頭が沸騰しかけた沙耶を部屋の外へ連れ出して、2人で付近を歩きながら説明が始まった。

 蒼也が木乃葉にちょっかいをかけてきたのは、つい先月のこと。初めは相手にもしなかった。沙耶と交際をしていることを、ほかならぬ沙耶自身から聞いていたから。だが――

『あたし自身の心に、嘘をつけなくなったの。あたしも、蒼也君のことが好きだったから』

 確かに1年の時、蒼也のことを好意的に見ているようなことを言っていたのは沙耶も憶えている。でもそのあと、まったく話題に上らなくなっていたではないか。

『沙耶が蒼也君のこと好きだって分かってたからだよ。沙耶がいたから、あたしは引いたの』

『じゃあなんで……なんでそんなこと……』

『沙耶――』

 木乃葉は立ち止まって、沙耶を見すえた。

『あたしを殴りたけりゃ、殴っていい。でも、気持ちは変わらない。あたしは、あの人となら幸せになれる。そう思ってるから』

 その言葉を聞いて、沙耶の脳裏に彼女と過ごしたこの5年余りがフラッシュバックした。

 男運が壊滅的に無く、酷い目に遭ってばかりの彼女。それでも笑って、彼女とは別の意味で男運の無い沙耶と笑い合って、『いつかいい人見つけて、2人とも幸せになろうね』と誓っていた日々を。

 木乃葉が幸せになるなら――でも。

 沙耶は拳を握り締めた。

 木乃葉を殴れば、彼女は死ぬ。戻ってみんなを殴れば、みんな死ぬ。その強大にもほどがある鬼の血力ちからを支えるため、常人とはかけ離れた身体能力(殊に膂力)を持つ彼女なら、いと容易きことだ。

 けど、それでは蒼也は自分のものにはならない。激情に流されて凶行に及ぶには、まだこの時の沙耶には理性が残っていた。

 押し黙った沙耶に、木乃葉は言った。このままグダグダを続けても埒が明かない。それなら彼をきっちり管理したほうが、これ以上ほかの女に手を出すのを防げるのではないかと。

 最終的に沙耶はこの提案を飲み、蒼也を巡る『 Share 』が成立した。


3.


 沙耶は前にも増して蒼也と真剣に向き合い、彼のために尽くした。自分が予定を入れたい日に他の子の予定がすでに入っていることに歯噛みしたことも再々あった。だが、彼女には彼女なりの読みがあったのだ。

 たずなは食事を管理しているとはいえ、週1でしか彼と会えない。

 満瑠と千夏は演奏活動で不在が多く、これまた彼と会う機会は少ない。

 弓子にとって彼は数多い――そして度々入れ替わる――男友達の一人でしかなく、『一番の人』と広言はしていても、その本心は怪しい。

 残るは飽きっぽい木乃葉のみ。誠心誠意彼に尽くせば、きっと彼は沙耶を選んでくれる。

 はず。

 5人とはライバル関係にあるとはいえ、一緒に遊びに行ったりお酒を飲んだりしているうちに、徐々にお互いのことを知り、仲を深めていった。

 といっても高校以来の親友である木乃葉と、彼女経由で知り合って、鷹取家の家業のことも受け入れてくれた弓子とその姉であるたずな、親戚筋の満瑠とその音楽活動のパートナーである千夏であるから、要するに狭い世界ではあったのだが。

 その後、疫病神の顕現とそれに伴う蒼也の妹・鈴香の"発見"、たずなの参謀部入りなどの出来事を経て、運命の卒業式。

 選ばれたのは、木乃葉だった。

 沙耶は泣いた。三日三晩泣き続けて、心配で部屋の前に詰めかけていた琴音と鈴香の前に現れた時には、吹っ切れたような穏やかな笑顔を見せることができた。

 身づくろいをして蒼也と木乃葉のところへ行ってお祝いを言い、以後は前祝いや披露宴での余興、二次会のセッティングなどを積極的にこなした。その姿に沙耶の母は涙したが、友人たちは安堵の溜息を漏らしていた。実に明るく屈託のない笑顔を新郎新婦に向ける、沙耶の姿に。


 だが、それは友人たちの希望的観測が見た幻でしかなかった。


 披露宴の翌日。奇妙な胸騒ぎを覚えた琴音が鷹取屋敷を訪問すると、朝食後庭内を散歩すると言って出た沙耶の姿を見た者が誰もいないことが判明。戸惑う琴音の眼に、曇天と表現するには奇怪過ぎる空模様が写る。続いてその知覚は、ただならぬ"鬼の血力"の放出を感知した。

 危急を沙耶の母たちに告げて、琴音は"鬼の血力"の放出源に向かって走った。胸騒ぎは奇妙から怒涛へと変わり、たどり着いた近所の河原でそれは心凍る確信へと変わった。

 堤防を下った先の開けた草っ原で、瞑目した沙耶は胸の前に手を組み、低い声で呪文を唱えていた。その手から滴り落ちているのは、彼女の血。鬼の血力を使った技をより確実にかつ強力に発動させるための流血である。沙耶の腰の辺りまで伸びて一面を覆う草ゆえ術式は判然としなかったが、琴音は沙耶の口から漏れ出ている呪文を聞き、戦慄で身がすくんだ。

 厭離轍鮒おんりてっぷの儀。

 地獄の牢穴より顕現したる疫病神をその住処に追い返すことがもはや叶わなくなった時に発動される技である。その術式が成就した時、現世は消滅し、無に帰す。

 これしか、『現世をあまねく穢し、己の巣とする』という疫病神の願いを虚しくする方法が無いのだ。なぜなら、神を弑し奉ることはできないから。

 通常は――悲痛な場面でしか実行されないのに"通常"とはおかしな表現だが――6人の巫女によって行われるこの極技をたった独りで為し得るだけの血力が、沙耶にはあるというのだろうか。厭離轍鮒の儀で現世を滅して、全てを道連れにして蒼也に復讐するために。

 いや、そんなことを推量している暇はない!

『沙耶様! やめてください!』

 叫んで堤防の斜面を駆け下りる。まずは説得を、と考えた琴音は、のちに激しく後悔することになる。既に"河を渡ってしまった"人間に説得などが通用すると考えた、自分の甘さを。

 河原の大気と草々を引き裂きつつ押し潰すような轟音と共に、沙耶の振り向きざまの攻撃が琴音に襲いかかってきた! 赤白い光を鈍く発するそれは、沙耶の拳を中心に縦横2メートルほど、厚みは倍程度の光の壁。横殴りに無造作に繰り出されたそれは速さも仮借なく、琴音は避ける間もなく青白い光の膜を自身の前に展張した。羽衣はごろも――敵の攻撃を受け止めて防ぐことに特化した薄絹状の防御技――の膜は、当然のことながら琴音が張りえる最大の厚さにしたのだが……

『ぐっ……ああああ!』

 一縷の望みも虚しく、羽衣は用をなさなかった。幾分か減衰されたとは思えぬほどの衝撃が琴音の総身を襲い、顔だけは両腕をクロスして守ったものの、全身の激痛とともに後方に吹き飛ばされた。服越しの背中に刺さる草のチクチクした痛みに耐えて起き上がり、覚悟を決める。

『く……沙耶様……させません!』

 3メートルほど先に佇立する沙耶を見すえて念を込めると、琴音の頭上や側に大型の月輪――大月輪おおがちりんが4つ生成された。月輪とは隔絶した攻撃力のそれは同時に複数生成して飛ばすことは難しく、可能な巫女は5人といない。その1人である琴音は額の脂汗をぬぐおうともせず、血を吐く思いで叫んだ。

『行けっ!!』

 友を、愛すべき先輩を、自らの技で刻んで殺す。現世の消滅を食い止めるために。

 その覚悟を乗せて、大月輪は4本とも沙耶目がけて疾翔する!

 沙耶はその成り行きに、瞬き一つしただけだった。まさか、受け止めるというのか。抵抗をあきらめる――はずもなかった。

 悲壮な表情でいて、どことなく平然としているようで。そんな顔つきの沙耶の周囲に、大月輪が生成される。攻撃手にあわせて4本あるそれを、こちらはなんの挙措もなく前へと飛ばす。大月輪同士がぶつかり共に破壊されたのは、沙耶の身までほんの手前でのことだった。

 粉々になって儚げな光を放ちながら消えていく大月輪を見ながら、琴音は絶望した。もう彼女には、これ以上の攻撃手段が無い。接近戦は絶望的に分が悪く、そもそも接近すら叶わない。そしてなにより、沙耶は汗一つかいていないのだ。

 その沙耶の手が前に振り上げられた。アンダースローの要領で打ち出される"突光とつこう"。並の巫女なら握り拳大のそれを沙耶が放てばどうなるか。

「きゃああああああ!!」

 琴音の身長に比肩する光の弾が唸りを挙げて飛来し、琴音を羽衣ごと吹き飛ばす。跳ね起きて構えを取るまでが限界となり、琴音は草むらに倒れ伏した。それでも気力を振り絞って顔を上げる。その定まらぬ視線の先の、沙耶は――

『ごめんね、琴音ちゃん、ごめんね……』

 青白い玉の頬に涙を滝のように流しながら、沙耶は琴音に別れを告げた。くるりと振り返り、厭離轍鮒の儀の術式へと戻る。

 その時だった。堤防の上から、鈴香の声が聞こえてきたのだ。琴音の名を叫び、駆け下りてくる足音が次第に近くなって、

『琴音、琴音っ――』

 抱き起こされて、全身を襲う痛みに耐えながら、鈴香に訴えた。

『う……さやさまを……とめて……』

『沙耶様……よくも琴音を!』

 痛みに耐えながら、琴音は耳を疑った。ついさっきまでの鈴香の声色とは変わっている。まさか……

 鈴香は琴音をゆっくりと降ろすと立ち上がり、沙耶に向かって言葉を投げつけた。

『直ちに止めよ』

『鈴香ちゃん……? そう、出てきたのね。ならば尚更よ』

 振り返った沙耶が涙を払い、また突光を繰り出す。その豪撃を、鈴香はなんと右拳一振りで払い除けた!

『ほう』と感心した態の鈴香の口が三日月状に歪む。

『あくまで逆らう所存か』

『鈴香! ぐっ……やめて! その力を使っちゃダメ!』

 琴音の声を限りの制止も聞こえず、鈴香の胸の前に黒い霧が鏃型に収斂されていく。禍々しきそれは、予想に反して大仰な音を立てずに沙耶に向かって飛翔し、沙耶の作り出した撥帛はねぎぬ――羽衣と違い、自身に向かって飛んでくる攻撃を跳ね返す防御技――でも受けきれない。

 黒鏃が撥帛を貫き、沙耶の身に吸い込まれて消えた数秒後、沙耶も、そして攻撃が通じたことを見届けた鈴香も、草むらに鈍い音を立てて倒れた。

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