第2章 愛と焦燥のゼミ旅行(後篇)
1.
そして到着した吉野ヶ里歴史公園は、暑かった。秋晴れにもほどがある(二階堂先生の世代では『ピーカン』と言ったらしい)青空に、無風なることこの上もなし。出歩きが趣味の二階堂先生すら時々建物の影や木陰で一息ついて解説し、次の展示場所へ移動するを繰り返している。
学生が意味不明な唸り声を上げつつずりずりと足を引きずって行くさまは、まるで古き良き時代のゾンビのよう。一方、そのゾンビたちに追われるほうは、映画と違ってお気楽なもので――
「高い建物やねー」
「耐震がどうとか考えないから、お気楽なもんなんちゃう?」
「この上で仕事とか、冬は辛いだろうな」
「あんたたち!」
隼人とミキマキで好き勝手に感想を言い合っていたら、委員長に注意された。
「「なに?」」
「そーゆー中学生みたいな感想じゃなくって! もっとアキャデミックな考察をしなさいよ!」
「なぜそこだけ英語風?」
一同にならってポタリスウェットを飲みながら、隼人は周囲を見回す。
とにかく広い。まあ弥生時代における最大規模の環壕集落の遺跡として公園が整備されている(と公式サイトに書いてあった)のだから当然ではあるのだが。
もっと穏やかな気候の時に来たら、楽しめるだろうな。
(理佐ちゃん、こういうの喜ぶかな?)
ゾンビどもがやっと追いついてきた。そのだらしなさに、二階堂先生は呆れている。
「お前たち、本当に二十歳の若人なのか? シャキッとしろシャキッと!」
うぇーい、と腐敗の進んだ歩く死体たちが応えて、二階堂先生は行軍を再開した。
「さ、次はあの北内郭よ!」
「元気だな、委員長」
「隼人君こそ、疲れたようには見えないね」
ベースボールキャップを後ろで束ねた髪の上に被り、白Tシャツに紺の綿パン。正直『委員長』というあだ名には似つかわしくないが、この気候下の屋外見学に適したスポーティーな装いで好ましい。
「鍛えてますから」
隼人のライバーネタ込みの説明を真に受けたようだ。
「そういえば、ゴールデンウィーク明けくらいから身体絞ってるよね」
そういって、しげしげと隼人の身体を眺めてきた。
「どこのジム通ってるの?」と歩き出しながら訊いてきたので、
「そんな金無いよ。朝早く起きて走ってるだけ」ということにしておいた。事実だし。
「そっかー。いいジムだったら紹介してもらおうと思ったのに」
なぜ女の子という存在は、必要無い子まで身体を絞ろうとするのだろう。理佐ですら『お腹周りが最近ちょっと……』と悩んでいたし。だが、それをあえて訊くのはタブーであることを隼人は知っている。
「ジムもいいけど、手軽にやれるところからやってみたら? そして――」
そろそろ来るかなという隼人の予想どおり、彼の両腕に負荷がかかった。
「「はやとく~ん、うち疲れた~」」
「――俺はここまでのようだ、って写真撮るな写真!」
突如委員長が飛び退くと、首から提げていたコンパクトカメラで隼人たちを撮影し始めたのだ。
「いやほら、わたし幹事だし」
「いやほんと、マジ止めてくれませんかね? 流出したら刺されかねないんで」
二階堂先生が呼んでいる。委員長はくすりと笑うと先生に応え、行ってしまった。
「「さ、隼人君、うちらも」」
「そのぶら下がりのほうが疲れないのか?」
そんなことを言い合いながら歩こうとしたのだが、やっぱり小柄とはいえ2人は重い。
そこへ。
「とぅ!!」
隼人の背中に靴の裏がぶつかってきた!
「うおっ! 何すんだよ!」
「やかましい! カノジョがいるくせに、なんだその美女独占態勢はよぉ!」
杉木がアクティブ化している。なおも吼えようとする杉木に、隼人は美紀をキャストオフしてまたポタリを一口飲むと反論した。
「先頭集団つか先生に同行してんだから、委員長は自動的に一緒にいるだけだし。ミキマキちゃんは不可抗力だっつーの!」
「そのフカコーリョクがなんでお前にだけ――「杉木くん?」
アクティブ化イコール口が過ぎるのが常の杉木は、ゼミの女子ゾンビたちから死の視線を浴びた。
「あたしらは美女じゃない。そうおっしゃる」
おお、杉木から大量の汗が流れ出ているなぁ。
「さ、みんな。ここに突っ立ってると、肌が焼けちゃうよ。行こうぜ」
隼人の呼びかけに主に女子が反応し、木陰で涼を取っている先生と委員長のところへ向かった。
2.
夕方に宿へたどり着いた時には、いったいどれだけの飲み物を消費したのだろうというくらい汗が流れていた。Tシャツの乾いた部分が塩で白くなっているのをお互いに笑いながら部屋に荷物を置いて、下はパンツ一丁になってだらける男子。
「文明の利器、スゲー」という隼人の述懐に、ほかの男子が反応した。
「ああ、隼人ん家、エアコン無いもんな」
「お前そんなに金溜めてどーすんだよ?」
「溜めてねーよ」と隼人はごろんと反論の相手に向いた。
「真紀ちゃんから話聞いてるんだろ? 義理の妹に金がかかるんだよ。俺の学費と生活費が主だけどな」
義父の商売はそれなりに儲かっているらしいが、生活費を抜くと義母への借金返済でカツカツのようだ。したがって浪人生であるなごみの毎月の小遣い、高校に復学したくるみの教育費と毎月の小遣いを隼人が負担している。
隼人が詳しく話す気が無いのを悟ってくれたのか、誰となく風呂に行こうという話になって、浴衣を探すことにした。
「あれ? 普通ここに入ってるよな?」
と納戸を見渡すが、見当たらない。というか、アメニティ全般が見当たらないのだ。幹事の男子がフロントに電話をかけ始めた。
「おーい男子、先生が――」
うわあとぎゃあが混じった、真性の悲鳴が廊下に轟き渡った。
「隼人、なんとかしろ」
「ざけんな。杉木のビキニパンツのせいだろ。行ってこいよ」
「つかなんでノックもなしに戸を開けるかな……」
浴衣及びアメニティはフロント脇にてご自分に合ったサイズをお申し出ください、だったらしい。
「たるんでる……」
委員長が渋い顔で湯に浸かっていた。
「まあまあ、あたしらも余所様の目がないと、結構ラフな格好だし」
ほかの女子が笑って、洗髪をしに湯船を出て行った。
「ここはその余所様の集う場所なのに……」
と、なおもぶつぶつ言っている委員長。美紀はそれを眺めながら、温泉の熱めの湯に浸る幸せを噛み締めていた。
「温泉なんて久しぶりやね」
「そうやね」
姉の顔も心なしかほんわりと緩んでいる。美紀は手ですくった湯を肩にかけながら、こちらはあごの下までお湯に浸かっている委員長に話しかけた。
「委員長ってさ、就職ってなんか考えてるん?」
「まだなんにも」と言って、委員長は風呂の縁に頭をもたせかけた。
「日本史学の大学院が無いから、もしそっちならほかの大学行かなきゃいけないし。別にやりたい仕事があるわけでもないしなぁ」
「そっか、進学っていう手もあるんやね。うちも考えよっかな」
と真紀も委員長にならう。
「あれ? 真紀ちゃんって卒業したら結婚するとか言ってなかったっけ? カレシにそう言われてるって」
先に身体を洗っていた女子が湯船に入りながら、不思議そうな顔をした。
「それ、前の前のカレシやで?」
指摘に口ごもってしまった女子に笑いかけて、真紀は一転やるせない顔になった。
「今のカレシはな、なーんも考えてないて言ってた。つか卒業すらやばいんちゃうかな、あの男」
「ほんとに切れ目無く付き合えるんだね、真紀ちゃん」
委員長が呆れ半分で笑う。
「ま、引きずってもしゃあないし。ご縁が無かったっちゅうことで、次! やね」
「ねーやんはタフやからね」と美紀が揶揄すると、真紀がにらんできた。
「美紀かて、隼人君に振られた次の日に篠木君にコクられてオッケーしてるくせに。人のこと言わんといて」
「ねーやんとは実績が違いすぎます」「なんやとコラ」
姉妹でにらみ合いをしていたら、委員長たちに止められた。
「隼人君もあっさりしているというか、はっきりしてるというか」
「返事引っ張られてずるずるずるよりいいんじゃない?」
「ま、もともと勝ち目の薄い戦いやったしね」
と美紀は薄く笑った。正直少しだけまだ胸が痛むのだ、この話題は。
「ああ、そうやそうや」と真紀がパチンと手を鳴らした。
「お客様の中に、次に隼人君と付き合いたい方はいらっしゃいませんか~?」
「……なんで?」
皆の物問い顔に、真紀はにやりとした。
「あれな、長くは持たんで」
「え? ラブラブじゃん? いっつも一緒に歩いてきて、坂上ってるよね?」
「腕組んでね」
女子たちは口々に、自分たちの目撃情報を公開し始めた。委員長がまとめる。
「これだけ肯定的な情報が集まってるんだけど?」
「ふっふっふっふっ、ちゃんと根拠はあるで?」
美紀は真紀を胡散臭そうに眺めた。姉(騒動屋モード)の言動は、今一信用できないからだ。
その根拠を聞きたい皆を遮って、真紀は言った。
「いい加減お湯に浸かったし、身体洗って続きは部屋で」と。
そこからはみな三々五々身体を洗ったり湯船に浸かり直したりして、委員長の部屋に再集合。戻る時ちょうど行き会った隼人の顔を直視できない自分に戸惑いながら、美紀は足早に部屋に戻った。
「まさかとは思うけど――」
車座に自然と座った女子たちの上座で、委員長が口火を切った。
「隼人君がもう目移りしているとか?」
「時々一緒にご飯食べてる経済学部の子に?」
「ああ、あの子もなんか怪しいよね。隼人君を見る目が時々潤んでるし」
みんなよく見てるな。美紀は笑い出したい衝動を必死で抑える。『あたしを混ぜるな』という"経済学部の子"の声が脳内再生されたのだ。
「いや、隼人君は理佐ちゃんのこと好いてると思うよ」
真紀はまず自説の否定から始めた。当然それは、
「じゃあ、なんで?」という疑問を生み、聞き手は引き込まれる。
「それはね、腕のわっかよ」
意味が分からないという皆の顔に向かって、輝く瞳の真紀は語り始める。
「腕組んで歩くときってさ、こう――」
真紀は美紀の横まですすっと寄ってくると、その左腕に腕を絡ませてきた。
「寄り添う形になるやん?」
特に異論無くうなずく一同。
「でもな、男のほうの心が離れてくると、こうなってくるんよ」
真紀は美紀から身体を少し離した。腕を絡めたままなので必然的にひじが曲がって――
「な? ここにわっかができるんよ」
そういうものか、と感心した美紀がふと自分の脇から顔を上げると、そこには苦虫を噛み潰したような顔の女子たちがいた。自身の経験に照らしてみると、皆それぞれの過ぎ去りし日々の記憶が蘇ったようだ。
「そういえばあの時も」「アーそれ分かる」らしい。
美紀は美紀で別のことを思い出していた。
(そういえば、うちが隼人君の腕に抱きついた時も、密着はしてなかったな……)
自分に対して本当に気が無かったんだなと考えると、また胸が少しジクジクした。
(ま、ええけど。篠木くんがいるし)
「最近な、隼人君の腕のわっか、広がってきてるんよ。頭では好いてるのかも知れへんけど、カラダは正直っちゅうこっちゃね」
美紀の心に、さざ波が立つ。どうしてそんなことに、という問いは、委員長が代わりにしてくれた。
「何が原因なのか、知ってるの? 真紀ちゃん」
「理佐ちゃんな、ものすごく一生懸命なんよ」
真紀の口調は、さっきとは打って変わって、そこはかとなく哀しげ。美紀も口を揃えた。
「でもそれが、ものすごくずれてんねん。教えてあげたいんやけど、正味の話、敵認定されてるさかい、難しいのよ。うちも、真紀も」
真紀の表情は、そして美紀の気持ちは、半分嘘だ。理佐の目の前で隼人の腕に抱きついてみたりして、その怒りを自ら買っているのだから。
ずれているとはどういうことかとの問いに、真紀は哀しげな表情を崩さず答えた。
「例えばな、今日この宿に着くまでに、理佐ちゃんから隼人君にメールがどんだけ来てると思う? 60件やで? 朝の7時過ぎから」
「……10分に1件くらい?」
「隼人君がすぐに返信しなかったら即追求メールが飛んで来るから、体感的にはもっと間隔狭いやろね」
な? ずれてるやろ? と真紀は締めた。
「それ、もういっそ電話したほうが早いんじゃないの?」
「つか、付いてきかねないレベルだね、この旅行に」
「そんな怖い子だったんだ、あの子……」
「まあ旅行で離れてるからやね。普段はその半分以下やで? 確か」
と美紀は一応フォローする。なんでうちが、と内心苦笑しながら。
「そいでさ、どう? 委員長」
真紀はまだ事後の勧誘をしている。委員長は困ったような笑い顔だ。
「隼人君、悪い人じゃないんだけどね。初めの印象と違って気さくな人だったし」
「そーそー、最初オリエンテーションで見た時『うわデカッ』って思ったな」
「なんか笑顔少なかったしね」
確かに、隼人の第一印象は『ガタイのいい、ちょっと愛想の無い男子』だった。今にして思えば、これから始まる大学生活が決して安穏としたものではないと自覚していたのだろう。学費と生活費そのほかを全て自分で稼ぎ出さねばならなかったのだから。
「そーいえば、ミキマキちゃんはなんで絡んでんの? 隼人君に」
「「絡んでるて人聞きの悪い」」とユニゾンで笑う。
「なんかな、話しかけ易かったから、かな。見た目完全に男子やのに、そういう壁が無いというか」
真紀の説明に同意しているゼミ仲間を見ながら、美紀は考えた。隼人のそういう面が、彼をエンデュミオールにしたのではないかと。本人は悩んでいるようだが。
委員長が小首をかしげた。
「話を戻すんだけど、奨学金とかさ、授業料免除とか申請してないってことかな? 隼人君」
「ああそれな、言うてたで」と真紀が反応する。
隼人の両親はともに高収入――義父は例の"飲食店"経営、義母は会社経営で、特に義母は金融機関からの融資の関係で帳簿上は黒字になっている――のため、どちらも申請が通らないのだと。
「『俺、学校の成績も良くなかったから、そっちからの奨学金もダメだったしな』って笑ってたよ」
んふふ、と真紀が忍び笑いをする。
「今の、ほかの人らには内緒やで? 理佐ちゃんも多分知らへんことやし」
「……なにして聞き出したの? 真紀ちゃん」
手作りアップルパイで釣ったと暴露して、どっと一同が沸いた。
「ほんと食べ物に弱いな! 美紀ちゃんもその線で攻めたらよかったんじゃないの?」
「うちが? あかんわ、料理へたやし」
「ほぅほぅ、んじゃ、今のカノジョは?」
ユニゾンプラス委員長でバツ印を出したら、みな唸り始めた。
「……それ、ダメじゃね?」
「なにに惚れたの? それ。顔?」
あーでもないこーでもないと女子たちのだべりは夕食の案内が来るまで続いた。
3.
隼人は困惑していた。その手にマイクを握って。いや、握らされて。
昨晩と違って、夕食は2階の座敷を貸切であった。そのため初めから大いに盛り上がったのだが、酔った勢いで座敷を徘徊し始めた二階堂先生がカラオケ機を発見。女将と幹事に交渉してカラオケ大会開催となったのだ。
通信カラオケなので、曲目に不足は無い。問題はそこじゃない。
「どーしたぁん? はやとっくん」
美紀はもう酔っているようだ。いつもよりとろんとした目で隼人を見つめてくる。その表情と、浴衣の襟元から少しだけ見える鎖骨に、思わずどきっとする。
(なんか、女っぽくなってるんだけど……)
パシャリ。
「よし、浮気現場を押さえたわ!」
「クケケケ、これでお前も終わりだ師匠!」
「どっから声出してんだ杉木! ていうか写真取らないで委員長!」
マジ串刺しの未来しか見えない。隼人は焦った。
「大丈夫ぅ、はやとっくんはぁうちらが護って あ・げ・る」
美紀がしなだれながら拳を突き上げ、同じ眼をした真紀がそれに倣う。
「そうそ~う、でなぁ、そのままうっとこで暮らしても、ええんやで?」
「なんでそうなるんだよ!」
ミキマキENDはちょっと――
「「メタ発言すんな」」
「優菜ちゃんが口寄せされてる?! ていうか心を読むな!」
騒いで、自分の番が過ぎ去るのを待とうとした隼人の読みは甘すぎた。
「はやとー、お前曲入れて無いじゃん」
皆の注目が改めて自分に向いて、隼人はあきらめた。マイクを握り締め、その場に立つ。目線ではなく体全体をモニターのほうに向け、ゼミ仲間たちがなるべく視界に入らないようにして――
「普通やな」
「うん、普通」
「酔いが醒めたようでなによりだ」
歌い終えて、隼人はコップに残ったビールを飲み干した。緊張が解けて、逆に少し手が震えている。
「つか、金が無い、歌も普通、ボーリングは下手、スノボしない、ガラケー持ち――」
杉木が指を折って数え始めた。
「お前なんで俺がボーリング下手って知ってんだよ」
「うるさい! なんでそれでモテモテにーやんなんだよ!」
「俺がいつモテモテだったんだよ」
「それは、モトカノとやらの話によると――」
隼人は溜息をついた。
「千早と圭の昔話はな、盛り過ぎなんだよ。付き合ってた延べ人数くらいだぞ、まともな情報」
それにしても、実際に列挙されるとひどいもんだな、俺。自嘲気味に隼人が笑っていると、委員長のメガネが光った。
「ま、今の叫びに、杉木君がもてない理由が凝縮されてるわね」
ぐふうっ! と杉木だけでなくゼミ男子多数がまるで吐血したように吹き出した。
「汚い、男子汚い!」
「提案! 明日から卒業まで男子と別行動しない?」
「長いお別れやね」
「 Farewell, My DOUKI やねぇ」
はいはい隼人君はこっちこっち、と女子側に引きずられていく隼人。泣き叫ぶ男子にうるさいと説教を始めた酩酊の教官。構わず持ち歌を熱唱する女子。混沌の夕食はその後1時間ほどして幕となった。
4.
翌朝。
「うお、こっちってこんな古いアニメやってんじゃん!」
朝食を終えて出発までのひとときを、男子部屋は畳にごろ寝でテレビを見ることで過ごしていた。隼人も同じく転がって、昨夜由来の気だるさを出発までになんとか治癒しようとしているところである。
夕食後に女子部屋に連行されて、お酒とおしゃべりが楽しめた。それはよかったのだが、おねむの時間が来た女子が三々五々就寝を始め、頑張って付き合ってくれていたミキマキも力尽きて、残るは九州女の委員長と延々酒を呑み続ける羽目に陥ったのだ。
(るいちゃんもそうだけど、どこであれだけのアルコールを分解してるんだ? 絶対肝臓だけじゃ足りないだろ、処理能力……)
それはそうと。隼人は携帯の画面を見て、暗澹たる気分になった。何度読み返しても、結果が変わるわけではないのだが。
それは、昨晩の11時過ぎに届いたメールだった。
『仙台支部に狐出現、S4J・1S』
狐、すなわちバルディオール・レーヌが仙台支部と交戦し、S4J、すなわちサポートスタッフが4名重傷を負い、1S、1人が死亡したのだ。詳しい経過は支部長に夕方にでも聞くしかないが、ついにまた死者が出てしまった。
これで、3日前に襲撃された千葉支部を含めて6件目ということになる。千葉支部でもサポートスタッフに負傷者が出ていたから、奴の狙いはサポートスタッフの減少にあると思われる。
サポートスタッフの仕事は、車の運転と戦場周辺の規制・監視だけではない。"表"の業務、すなわち『あおぞら』の介護ボランティアとしての仕事をフロントスタッフとともに担っているのだ。彼らが減ることは、フロントスタッフの負担が増えることにつながる。
(くそ! 内通者さえ掴めれば、そいつからたどって変身者まで行き着くかもしれないのに!)
その焦燥はじりじりと隼人の脳裏を焼き、二日酔いの悪影響を倍加させている。
やはり理佐たちに事情を説明して、協力を仰ぐべきだろうか。……いやだめだ、秘密を知る者の数とそれが露見する確率は比例する。
ミキマキと祐希が襲われて以来、スタッフ個人への襲撃は全国で4件発生している。いずれも機敏に逃げたり、怪しいと感じたら即座に通報したりして、被害は出ていないのが救いだ。そしてそれも先週末から起きていない。
ミキマキや、支部長と相談したい。だがそれにも、大きな障害がある。理佐だ。朝食前に旅館の人気の無いところまで行って、重く痛い頭を悩ませながら、昨晩の状況について説明してきたのだ。
結果は、大激怒だった。
『どうして女の子の部屋でお酒を飲むの? どうして私以外の女の子とお酒飲んでるの?』以下繰り返し。
15分ほど押し問答の末、朝食の時間が来たことを理由に通話を打ち切った。帰ってから何かご機嫌を取る必要があることを考えると、さらに頭が痛い。こんな状況で作戦会議などしたら、文字どおりの討ち入りをかけられかねないだろう。
ならば理佐にだけ説明して協力を仰ぐか。
(今の理佐ちゃんが、冷静に話を聞いてくれるかな……)
頭が煮えてきた。これ以上堂々巡りを続けていると吐きそうな気がして、隼人はアニメのダラ見に切り替えた。
画面では、全身オレンジ色という奇態な道着を着た主人公が、緑色の体色をした触角釣り目異星人と最後の激闘を繰り広げていた。地面に叩きつけられた主人公に絶望を与えるべく、術で宙に浮いたままの異星人はその両腕を光線で麻痺させて悦に入っている。
(ここからどーするんだっけ? 確か……)
最後の攻撃を異星人が放とうとしたその瞬間、主人公はやおら腹筋だけで飛び起き、通常は手から繰り出すエネルギー波を、なんと足の裏から地面に向けて発射した!
エネルギー波の強烈な勢いを味方にしてまっしぐらに目指すは、空中で驚愕に顔を歪ませた異星人。ロケットの如く直立不動で打ち上がった主人公はその姿勢のまま異星人の腹に頭から突撃! 見事命中させて、異星人をノックアウトしたのだった。
「何べん見ても燃えるよな、ここ」
「足で出す、っつーのがいいよな」
男子たちがだべっているのを聞き流しながら、隼人はのそりと立ち上がった。玄関に集合の時間が近づいている。その時。
(待てよ?)
足の裏からエネルギーを噴出させて、高く跳ぶ。
「もしかして……あいつが逃げた時のスキルって……」
「隼人? なんか言ったか?」
杉木の不審そうな問いかけに曖昧に答えて、隼人は荷物を手に取った。帰ったらちょっと実証してみるか。
その発想が赫怒の刻と覚悟の瞬間を招くことに、彼はまだ気づいていない。