第11章 酷雨迫来の幕間劇
1.
永田は、自宅の洗面所で嘔吐していた。
あの時。爆発をフロントガラス越しに見て、永田は思わず急ブレーキを踏んでしまった。後続車がいないことが幸いして事故を起こさずに済んだが、立ち上がる火柱とキノコ雲を見て震えたのも束の間、アクセルを踏んだ。
ルージュたちがあそこに向かっている。なぜなら、あそこにブラックが、隼人がいるから。
ならば、私が彼女たちを回収しに行かなきゃ。永田は高揚した使命感に支配されていた。
対向車は鈴なりであった。そのことに不審を覚えず走ること10分、目的地に到着した。
運転席のドアを開けて飛び降りる。かつて駐車したことを思い出して同じ場所に止めようとしたが、路肩は大量の小ぶりな瓦礫で埋め尽くされており、それを取り除く必要に迫られたのだ。
ふうふう言いながら、瓦礫を掴んでは放り投げていく。サポートスタッフがたまたま自分しか支部にいなかった不運を恨みながら。
ようやく車が止められるだけのスペースを作り終えて、永田は車のフロントマスクにもたれかかって大きく息をついた。最近、どうも体の調子が思わしくない。
「あたしも歳かね……なぁんて――」
自嘲と独りツッコミは、この世のものとも思えない絶叫によって掻き消された。
情けない悲鳴を発して飛び上がった永田は、声がしたと思われる方向を恐る恐る見た。
「確か、あっちは広場だっけ……」
誰の悲鳴なんだろう? 聞き覚えがあるような無いような……
行かなきゃ。でも、怖い。
永田の脳裏に、あの時の光景がフラッシュバックする。
迫り来るオーガ。永田をかばう彼の、チェックのカーディガン。産婦人科のベッド上で死産だったことを告げる、看護師の哀しげな、しかし事務的な顔――
唇が破れそうなくらい噛みしめて、しかし覚悟を決めた彼女はうろ覚えを頼りに中央広場へと向かう。足下はかなり悪く、防犯半分の常夜灯が全壊していることもあって、何回か転びかけながら辿り着いた先。
そこには――
「!! 永田さん! 来ちゃダメ!」
エンデュミオール・アクアが叫び、こちらに走り寄ってきた。遅れて振り向くみんなの顔には驚きが一様に張り付いているが、永田はその内の一人に注意を奪われた。
「あれ? もしかして、会長?」
そして、永田は見てしまったのだ。フロントスタッフたちが彼女に向かってバラバラに走り寄ってきたせいでできた隙間から、地面に仰向けに転がる人体を。
自分は、どんな顔をしているのだろう。永田には分からない。だが、その表情を見たルージュたちの顔を見れば、想像はつく。
永田は、よろよろとその人体のもとへ歩み寄ろうとした。
「永田さん、ダメです!」
「お迎えありがとうございます! さ、帰りましょ!」
「……あれ、明美ちゃん?」
永田の声は震えていて、逆にルージュもブランシュも固まってしまって。アクアとイエロー、グリーンが素早く動いて壁を作ったが、目に焼き付いたものがそう早く消えるはずがないではないか。
「うそ……なんで……」
「永田さん――」
会長が近づいてきた。その表情は曇りが無い。震えが止まらなくなった永田の身体が抱かれ、耳朶に囁かれる。
「あなたが選びなさい。彼女に最後のお別れをするか。このまま回れ右して、車の助手席に乗るか」
回らない頭の中で、その選択肢だけがぐるぐる回る。会長がみんなに運転ができる人がいるかどうかを訊いている声も、遠い。
グリーンが手を挙げるか挙げないかのうちに、ブランシュが永田の腕をつかんできた。
「永田さん、帰りましょう」
帰りたい。でも、帰れない。
「あの子は……どうなるんですか……」
「私が連れて行くわ」
会長が手を振った。帰れ、ということなのだろう。
「うそ……うそ……」
もはや何が嘘なのかも判然とせず、でもブランシュに加えてルージュにまでつかまれた腕の痛みと温かみはリアルな感触として、永田の心に刻み込まれた。
その記憶が時々揺り戻されて……いや、本当にそれだけなのだろうか。放射線被害の心配は無いと報道されてはいたが……。
「……やっぱ、医者に行くべきかな……」
うがいをして気分をさっぱりさせると、永田はひとりごちた。あの時あの廃墟にいましたと申告するためには、ボランティアスタッフの治療を引き受けてくれている浅間会病院に行くしかあるまい。
長谷川の裏切りと死のショックという可能性を無理やり封じて、永田は付き添いを頼むべく彼氏に電話をかけた。
2.
「沙良ちゃん、どうしたの?」
また声を掛けられた。わたしは、そんなにぼおっとしているのだろうか。
「なんでもないよ」
と、これもさっきと同じ答えを返す。だからまた訊かれるのだ。
「顔色、悪いよ?」
「そうかな?」
最近、ろくに寝ていないのは確かだ。
忙しいのに加えて、受験生として当然に勉強もしなければならない。ご飯を外食で済ませる気はないし。
沙良は、東京と神奈川の県境にある小さな市から通っている。もちろん、地元ではなかなか良い塾が無いからであるが、それだけが理由ではない。
「沙良ちゃ~ん! 今度の日曜日さ――」
みやびが教室に到着して早々、沙良の机に飛んで来た。
「午前中に買い物行かない?」
「ご、午前中……」
午前中はわたしにとって貴重な時間なのです――とは言えない。
「い、いいよ。でも、どこ行くの?」
周りの子たちが笑い始めた。
「沙良ちゃん、連れてかれる子牛みたいな眼してる~!」
「みやびちゃん、行っちゃえ行っちゃえ! 沙良ちゃんがほんとに震える子牛みたいなっちゃうとこ!」
「どこよそれ? てか見たことあるの? 震える子牛」
「大変興味深いが――」
いつの間にか隼人が教室に入ってきていた。みんな騒々しい悲鳴を上げて散る。
「さ、授業を始めるぞ」
そう宣言した隼人の仕草に、沙良は言いようのない重さを感じた。ため息とか、所作が鈍いとか、そんな分かりやすいものではない。
そこから沙良の眼は、隼人に釘付けになった。
いつもどおり丁寧に、しかしくどくならない程度に必要なポイントは強調して説明をしていく。男性講師や教師によくある"良い声だけど眠くなる"がなく、抑揚もちゃんと付けて、生徒の反応を見ながら微妙に変えていく口調。集中力の足りない生徒を怒ったり揶揄したりせず、やんわりと全体を引き締めていくだけで壇上に注目を引き付けていくのはさすがだ。
だが、重い。テンションでもなく、声色でもなく。
その瞳が沙良のそれと合った時、見えたものがある。
(ああ……)
昏く、静かな、埋み火のような意志。
それはすぐ見えなくなり、変わって驚愕が支配した。
「あの、坂本さん? どうかしたの?」
沙良は泣いていた。ぽた、ぽた、とノートが湿っていく。
みやびを初め女子が3人駆け付けてきた。口々に労わりの言葉を掛けられて、しかし沙良の心は晴れない。
彼女の涙の理由を、誰も知らない。彼女自身にだって全てを説明はできないのだから。
「すみませんでした。わたしのせいで……」
心から謝罪して、結局沙良は嘘をついた。学校での辛い出来事を理由にしたのだ。
「うん。ごめんな、みんなの注目を集めるようなことしちゃって」
頭を掻いて謝ってくる隼人が、優しさを、突き刺してくる。そう考えるのは、沙良の心がささくれだっているからだろう。
非道い人。
でも、
素敵な人。
沙良も素直にもう一度謝罪して、その場は収まった。
授業が終わって、もはや年中行事になっている個別質問の時間。沙良は参考書片手に――行けなかった。
「沙良ちゃん! さあ、行くよ!」
みやびを初め、今度は女子5人、つまりクラスの女子半分が教室と講師控室のあいだに仁王立ちしているのだ。
「あの~、どこへ? ……まさか、震える子牛案件?」
どっと受ける。
「なにそれ! 案件て!」
「うちのパパみたい!」
「いやあの、わたし、隼人せんせーのところに質問に――」
「だめだよ、沙良ちゃん」
なぜ止める?
「学校で何かあったなんて、嘘でしょ?」
ギクッ
「ほらやっぱり」とみやびが一人で納得し始めた。
だが彼女たちは、まだ暴走しないだけの理性を保っていたようだ。素直に道を開けて、講師控室へと行かせてくれた。
「隼人せんせー、これを教えてほしいんですけれど」
なるべく眼を見ないように座る。今度泣いたら、本当にまずい。なぜなら――
「……坂本さん?」
「はい?」
「あの子たちも質問なのかな?」
そう、さっきの女子5人が、講師控室の出入り口に半身を曝してこっちを見つめているから。
「あとでみんなでちょっとお話し合いがあるみたいで」
と隼人の喉元を見ながら苦笑いする。『みんなでどこかへ繰り出す』とは、塾の先生にはさすがに言えない。
さすがに。そう、塾長的にもさすがに乗り出してこざるを得なくなったようだ。
「君たち、そろそろ帰りなさい。お迎えを待たせちゃいかん」
「塾長さん、あたしたち、自転車組でーす」
なるほど、お迎えが無い人たちだったのか。塾長がなおも言い立てようとするが、隼人が声を出して遮った。
「すみません、もう解説終わりますから」
その後、本当に5分で解説終わり。参考書をにらんで唸っていた自分がバカみたいに感じられて悲しい。
「じゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい! あの――」
沙良はそのあと続けるつもりだった言葉を飲み込んで、微笑んだ。
「せんせー、がんばってください」
なんとか一瞬だけ隼人の曖昧な微笑を見返して、くるりと背を向ける。そのまま友人たちのところに駆け戻ると、塾長たちにもさよならを言って階段を下りた。
駐輪場のところで、改めてみやびに尋ねる。
「で、どこ行くの?」
「で、どこ行くの?」
みやびにスルーパスを供給された友人が驚く顔が面白くて、みんなで笑いながら駅のほうへと向かった。
今度はどう言いわけしよう。それを密かに練りながら。
3.
アンヌは腕立て伏せを終えて、大きく息を吐いた。既に腹筋と背筋の運動を終え、もともと通気のよくないこの部屋のせいもあって、額に大粒の汗が浮いているのを自覚する。
抑縛呪の効果は、思っていたほどではなかった。もちろん元気ハツラツというわけにはいかないが、おそらく有翼族としての血を抑えるほうに重点がかかっているのだろう。
でなければ困る、とアンヌは生真面目に考える。4人がかりでそれすらできぬようでは、エンデュミオールの奴らとの戦闘において、苦戦は免れまい。
ベッドの枕元に置いておいたタオルで顔をぬぐい、部屋をぐるりと見渡しながら考える。
部屋にはテレビもラジオも、テーブルもイスもない。時計すらない。あるのはベッドのみ。電灯すら天井に半埋め込み式の徹底振りで、要するに自殺対策である。
それでも1つだけある窓――当然、アンヌの腕が1本やっと通る程度にしか開かない――からうつろう日の光で、おおよその時間は察することができた。日没して久しい。おそらく、18時30分から19時の間。ということはもうそろそろ夕食が出る時間であろう。
アンヌの着替えと食事は、ミシェルの下役と召使のクララが1日交代で持ってくる。クララはあっさりミシェルの指示に従い、彼らの雑事をこなしているようだ。使用人というものはそういうものかもしれないが、割り切れない思いはアンヌの心に残っている。
実に残念ながら、今日の夕食は諦めねばならない。この部屋に押し込められる直前に訪れたベルゾーイの部屋。そこに鎮座ましますコレクションケースに飾られた時計たち――ご丁寧にも、コレクター的に価値のあるものはベルゾーイによって持ち去られていた――の長針が指し示していた数字は、左から順に『3』『1』『9』『12』『12』。
それは、『3日後の19時00分』を意味していた。なぜ夜を選んだのかは分からない。ここは忠僕の判断に委ねるしかない。あるじとしては、ミシェルたちの意表を突くべくマンション内に潜伏している執事の無事を願うことしかできないのだ。
「さて、そろそろ始めるか……」
床にうずくまり、黙して待つ。本来はのた打ち回って悲鳴でも上げればいいのだろうが、忠僕として直言も辞さないベルゾーイですら論評を避けた棒演技ではまずい。そもそもアンヌは役者ではないのだ。
自分にいいわけをしつつ、さして待つことも無く、部屋の戸がノックされた。待つ。ノック。待つ――
(なぜ入ってこない? まさか、寝ていると思われたか?)
仕方が無い。アンヌはうめき声を上げてみた。我ながらひどい声だ。
これが功を奏して、部屋の戸が急いで開けられた。ミシェルの下役が2人、靴音も高く踏み込んできた。
「どうされた? 腹痛か?」
「う、うむ、痛い……」
いつもどおり片方は抜剣している。アンヌが逃走の気配を見せたら即斬殺する、それを目にもの見せるためだが、2人がかりでアンヌを助け起こしてベッドに寝かせようと鞘に剣を収めた。
納剣のパチリという音と、部屋に小ぶりな黒い塊が飛び込んできて床で跳ねる音。どちらが先だったろうか。
アンヌたち貴人は――貴人に限らず、VIPとして育てられている者は、ある訓練を受けている。本能的な理不尽を、理性的に押さえつける訓練。すなわち、
『自分がいる部屋に物が投げ込まれたら、それを視認するのではなく、すぐに目と耳を塞いで床に伏せる』
アンヌは訓練で叩き込まれた理性に従い、訓練を受けていない下役たちは本能に従った。
次の瞬間、手で硬く塞いだ耳にすら届く爆発音と、きつく閉じたまぶたを通して分かる光が部屋に満ちた。
立て籠もり犯制圧用の閃光弾、いわゆるフラッシュバンが炸裂したのだ!
すぐに跳ね起きて、絶叫を上げて床をのた打ち回る下役たちを一足飛びに飛び越える。戸口には、サングラスをかけたベルゾーイがいた。彼を先頭に廊下を走る。非常階段に向かうかと思ったが予測は外れ、なんと玄関を越えて中央エレベーターに向かうではないか。そのエレベーター前には、ドアを押さえて、
「お嬢様! お早く!」
同じくサングラスを掛けたクララが待っていた。目礼もそこそこにベルゾーイとともに飛び込むと、ソフィーもいるではないか。彼女が素早くパネルを操作して、追いかけてきた下役たちの鼻先でドアを閉じた。
4人で、束の間の再開を笑い合う。
「まだこれからです。エレベーターを降りたら私について来て下さい」
「これからどうするのだ?」
当然の疑問に、ベルゾーイは短く答えた。その顔は意外にも穏やかである。
「エレベーターを降りたらまた走ります。私に――」
最後まで言い終わらないうちに1階に到着し、ドアが開く。アンヌの人生で最も遅いスピードで。
またベルゾーイを先頭に、走ってロビーを駆け抜ける。抑縛呪の効いた身体に必死に鞭打って。
見慣れた初老の管理人の見慣れぬ驚愕顔を楽しむ余裕も無く、一気に4人は夜の住宅街へと走り出た。ベルゾーイの脚に迷いもためらいも無く、3ブロック先のビル建設現場へ向かって皆を導いてゆく。
(あそこの闇に潜んで、追っ手をやり過ごす気か?)
そもそも、彼女が執事から受けた事前説明では、まさかの時には彼の身の処し方しか聞いていないのだ。てっきり逃走用の車が手配してあると思い込んでいたのだが。
アンヌの不審に構わず、ベルゾーイは工事現場の暗闇に飛び込むと、膝に手を突いてぜいぜい荒い息を吐いた。少し遅れて飛び込んできたクララも同様である。
確かにここなら、道路からだけでなく空からも発見されにくいことは見て取れた。しかし、相手は日本の警察に協力者を飼っているのだ。遠くない時間に非常線が張られ、炙り出されてしまうだろう。
いったい、ベルゾーイはどうするのか。アンヌが問おうと口を開く間もなく、息を整えたベルゾーイは工事現場の奥へと進んだ。先ほどもそうだが、実に迷いが無い。
彼が立ち止まったのは、オレンジ色に黒色の太線が斜めストライプで入っている工事用フェンスの前であった。屋外工事現場でよく見かける上半分が網状のものではなく、薄い鋼板が3枚、ベルゾーイの背より少し高いくらいの足場付フレームに取り付けられている代物だ。
あの裏に、抗戦用の得物が隠してあるのか。アンヌはそう推測し、ベルゾーイに歩み寄った。
だが、またしてもアンヌの予測は外れた。低いながらもしっかりと、執事は工事用フェンスに向かって呼びかけたのだ。
「マスクドライバー」
……私の執事は、何を言っているのだろう?
「イチゴウ、ニゴウ」
工事用フェンスの向こうから、また分からない符牒が女の声で飛んで来る。アンヌだけでなくソフィーもクララも頭上にクエスチョンマークを付けたまま、奇妙な問答はまたベルゾーイの発言で再開した。
「サイコウ」
その言葉が発せられたとたん、フェンスが揺らいだ。いや、揺らいだのではない。こちらに向かってその一部分が開いてくるのだ。そこに見出した人影を見て、アンヌは状況も忘れて思わず叫んだ。
「お、お前たちは……!」
『あおぞら』と伯爵家の間に沸いた黒雲は消えることなく、酷雨が迫り来たらんとしている。
「悠刻のエンデュミオール Part.6」 END
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。感想をいただければ幸いです。
今作にサブタイトルを付けるとすれば、“涙”でしょうか。今作は前作にも増して、いろいろな人たちの様々な涙が流れました。キャラが泣いちゃうくらいの、あるいは激するくらいの状況を作り出すのって、本当に難しい。そしてシリアス成分って、ダベりよりニーズが無い……
さて、次回は2016年2月17日(金)公開予定です。『悠刻』はお休みして、読み切りになると思います。異種族共闘もの、と書くと格調高く見えますが、魔族や神族の女の子とあれやこれやで一緒に戦うハーレムものです。
『悠刻』はその次になると思います。今度は大丈夫。涙は多分、優菜のむせび泣きくらいでしょう。
お楽しみに。
※2016.02.06追記 次回作品の公開は2016年5月に延期としました。ご容赦ください。




