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第1章 愛と焦燥のゼミ旅行(前篇)

1.


 新幹線が博多駅に停車すると、神谷隼人は座席から立ち上がり、ぐっと伸びをした。そのまま首を回していると、降車の支度を完了したゼミ仲間たちに笑われてしまった。

「おっさんかよ隼人」

「っせえな。こんなに長時間乗り物に乗ったの、初めてなんだよ」

 高校の修学旅行で鹿児島に行った時は飛行機だったし、中学の時は京都・奈良だったのだ。

 荷物を入れたボストンバッグを持って昇降口から降りると、先頭を行く二階堂先生に遅れないように付いて行く。始発の新幹線に乗って5時間弱の博多駅は、混雑と初秋の残暑でむんわりとした熱気に満ちていた。秋休みという大学にしかない連休を利用したにもかかわらずの混み具合に、早くも隼人には金魚の糞がくっついた。

「「隼人君がんばれ、隼人君がんばれ」」

 真紀と美紀が隼人のTシャツの裾を握って、付いてきていた。エスカレーターのところで2列になるための渋滞が既に起きていて進めない。ついでにと後ろを振り返ったら、ゼミ仲間の女子が全員ミキマキに続いているではないか。

「なぜ俺」

「だって、なあ」と真紀が笑う。

「隼人君、背高いから、先生を見失うこともないやろ?」と美紀も笑う。

 結局エスカレーターで一旦はぐれたが、双子の目論見どおり二階堂先生をすぐに発見できた。

「腹減った……」

「こらそこの腹ペコ!」と委員長ににらまれる。

「買い食いしてる暇無いわよ! 天満宮でお昼ご飯なんだから」

 その太宰府天満宮は、観光バスを連ねた団体客でごった返していた。地理的なものか隣国の団体客も多いが、年配の日本人が群れを成して天満宮までの緩い坂を登っている。

「予約しといてよかったな」

 二階堂先生の言葉に委員長がうなずき、20メートルほど向こうにあるお店を指差した。そこの自動ドアをくぐるとすぐに2階の座敷へ通され、既にずらりと2列に並んだお料理膳の前に座って昼食である。

 ふいに溜息のしたほうを見れば、杉木がなんともやるせない顔をしている。

「こんなの、初めてだ」と言うのだ。何がと聞けば、

「普通、座ってからお料理が運ばれてくるものじゃないか? 女将の挨拶も無いし」

「あんたねぇ」と委員長が呆れ始めた。

「1食2千円の日替わり御膳に、何を求めてるの?」

「いやだから、せめて女将の挨拶を待ってから――って隼人早っ!」

 杉木のコメントなどイチミリも腹の足しにならないと踏んで、隼人はいただきますと手を合わせていた。正直2,000円だろうが(以前、杉木が食ったとかしれっと言っていた)2万円のお食事だろうが、腹が膨れる食事は良い食事、なのだから。しいて言うなら、

(このあいだ理佐ちゃんと食べたのよりおいしいな)くらいか。

「んー、このお魚おいしー」

「なんで自分で焼くと焦げるんやろ?」

「美紀はな、並行処理をやり過ぎやねん」

 と真紀がお茶を一口飲んで言った。

「もうそろそろ焼けるちゅう時にメールの返事打ち始めたりとか」

 そういうもんなんだ、と料理をしない隼人が聞き流しながら天ぷらを頬張っていると、真紀が絡んできた。

「隼人君の部屋って、一応ガスコンロあったよね? あれ、いつから使ってないの?」

「失敬な。コーヒーやお茶飲むから、お湯くらい沸かしてるぞ。それになごみがたまに飯作りに来るし」

「最近は来てるの? なごみちゃん」

 隼人は少し考えた。

「……そういえば、2ヶ月くらい来てないな」

 それを聞いた真紀が妹を振り返る。気のせいか、キラーンという擬音が聞こえたような……

「美紀、チャンスやで」

「おお、なるほど」という同意が委員長から飛んで来た。

「あの、何がチャンスでなるほどなんだ?」

 委員長がメガネをクイっと持ち上げる。

「私の聞いた噂では、あのミス・キャンパスちゃん、手料理をまっっったくしないらしいじゃない。そこで美紀ちゃんの精一杯がんばりました手料理が満を持して登場、ってわけよ」

「あの、美紀ちゃんは俺に食わせる前に、篠木君に食わせるべきだと思うんだが」

「ちっちっちっ、分かってへんな」

 何が分かってへんのか分からないので、隼人は天ぷらの残りに集中することにした。

「隼人君の部屋にお泊りに来た理佐ちゃんが、キッチンで調理してる美紀を見つけるから修羅場が生まれるんやないの」

「そんなんで揉めるかな?」

 声を発したのは、いかにもつまらぬものを食べているといった雰囲気を醸し出す――それゆえにほかのゼミ仲間からさっくり無視されていた――杉木であった。

「そんな修羅場を何百と潜り抜けてるんだろ? なあ師匠」

「師匠言うな」

 隼人の幼馴染である千早と圭が暴露した中学・高校時代における隼人の恋愛沙汰。それを真紀がさらに膨らましてゼミで吹聴した結果、彼はゼミの男子連中から"師匠"と呼ばれる羽目に陥っていた。

 先日開催された、彼女のいない男子の飲み会『まだ独り会?』に参加した際も、恋愛相談(とは名ばかりの愚痴大会)に延々付き合わされたのだった。げんなりである。

「ふーん」

「なんだよ委員長?」

 もぐもぐやりながらの隼人のにらみに動じず、さっくり切り返してくる。

「修羅場を潜り抜けてきたことは否定しないんだ」

「全く無かったとは言わないけど、何百もねぇよ」

 しかも全部千早が絡んでる。思い出しただけで憂鬱な記憶に、隼人はやるせない目になった。

「ちゅうか、なんでそのキモい飲み会に参加するん? 確か独りもんなんが参加条件やろ?」

 ようやくデザートに取り掛かった美紀の眼が、心なしかジト目っぽくなっている。

「飲み代タダでいいから来てくれって言われたから」

 どうだと胸を張ったら、今度はユニゾンでジト目され始めた。

「ていうか、キモいを否定しろよ隼人!」とほかの男子学生まで騒ぎ始める。

「ああキモくないキモくない」

「棒読みすんなよ師匠!」

「師匠って呼ぶなっつうの!」

 ここらで潮と出発の号令をかけた先生によって昼食の歓談は終幕となり、隼人は何やらニヤニヤしながらメールを打つ真紀の真意を問い損ねたのであった。

 ……そういえば、昼食の途中から携帯が振動しなくなったな。

「あ、やべ。バッテリ切れちまった」

「はい、隼人君」

 美紀がスマホを貸してくれた。画面を見れば、手回しよく理佐の携帯番号が選択されている。礼を言って電話をかけると、4コールほどで理佐が出た。

「もしもし、隼人だけど」

「え?! え?! 何やってんの隼人君!!」

 つながって2秒でもうお怒りの様子に屈せず、携帯のバッテリが切れたこと、充電は宿でするため夜にしか復旧しないことを告げると、一気に理佐の声が低くなった。電話の向こうの室温が30度は下がっているのが感じ取れる。

『……なんで美紀ちゃんのを借りるのよ』

「真紀ちゃんのならいいのか?」

『あなたって人は……』

 歯軋り音とともに、理佐の後ろでケラケラ笑う声と、それを抑えようと必死になっている声が聞こえる。どちらもお馴染み過ぎて苦笑いが浮かんでくるのを抑えられない。

(やっぱ、テレビ電話なんていらないな、うん)

 今のこの表情を見られたら、多分刺される。刺しに来られるな。うん。

 ゼミ仲間の追い出しを完了した委員長が、気遣わしげに隼人を見ていた。それに手を振って、

「ごめん、移動するから。じゃまた夜に」

 もはや地の底から聞こえてくるような重低音の呪詛をあえて無視して、通話を切った。

 大変ねという顔をして、しかし声にはしない委員長の気遣いに目で笑いかけて、二人は階段を急いで下りた。店の外で美紀にスマホを返すと、一緒に坂を登りながらも、こちらは別の意味で気遣われた。

「理佐ちゃん、なんでうちの借りるんって言ってた?」

 また苦笑いしてぶんぶんうなずくと、苦笑いで返された。

「ほんま、なんでそんなに束縛したいんやろ」

「美紀ちゃんは束縛しないの? カレシ」

 俺が聞きづらい質問を良くぞ聞いてくれました。内心で委員長に感謝する。

「束縛も何も、うちと篠木きゅんはもう離れないって誓ったのよ~」

「ねーやん!! うちのセリフ勝手に作るな!」

 いや、声も姿かたちも、どう見ても本人……ではないな。明らかに真っ赤になってるほうが美紀だろうし。

「こないだうちの前で言うてたやんか。素面で」

「分かった」

 美紀の表情が消えた。

「ついにうちが倍個体になる日が来たんやね」

「ひっ! 嫌や! うち、まだ吸収されたくない!」

 真っ青な真紀が逃げ、真っ白な美紀が追って、双子は天満宮の社殿のほうへ消えた。

「バイコタイってなに?」

「なんの設定だっけ? マンガ?」

 ゼミ仲間がいぶかしげにささやき交わしている。隼人の知識にも該当が無いが、このあいだの融合スキルの件もあるし、怪しい……

 二階堂先生が騒動を見て照会してきたので、顛末を話すと笑って道行を再開した。鷹揚というか大雑把というか、他人様に迷惑をかけない範囲でのという注釈は付くが、基本的に大目に見てくれる教官である。もちろん、『九州北部の訪問候補地に薩摩国を上げる』などという日本史学の、いや、この国の歴史の根幹を揺るがすアホ回答は見逃してくれない。

 社殿に参拝して、二階堂先生の解説が始まろうという段になって、ミキマキは戻ってきた。にこにこしている美紀の両手にはお団子と甘酒が握られている。真紀にそれをおごらせることで手打ちとなったらしい。

 とはいっても、あの衝撃のお惚気セリフは忘れようが――

 プスッ。

 隼人の脇腹に、Tシャツ越しの団子串が刺さった。3ミリほど浸突して、そこで止まる。

「忘れた?」

「モーサッパリ」

 なぜか自分にだけ因果を含められたが、まあいいかと気を取り直す。隼人は二階堂先生の解説を聞く体勢に戻った。

 その後は移動して大宰府水城跡を見学後、1日目の宿にたどり着いた。部屋割りを確認して部屋に駆け込むと、ボストンバッグをどっかと下ろして中身を探る。

「おい隼人! そこに座り込むなよ邪魔!」

 ほかの男子にあれこれ言われながらも、ドラムバッグの中を引っ掻き回すこと数分、

「無い……忘れちまった……」

 下宿を出る前に入れたはずの、携帯の充電ケーブルが無いのである。ヤベぇ……

「あ? 充電ケーブル? しようがねぇなぁ」

 男子の1人が同じくかばんの中をがさごそやって、ケーブルを貸してくれた。

「悪ぃ、借りる――あれ?」

「どした?」

「携帯のほうに刺さらない……」

 小さいパーツをよく見比べてみると、コネクタの形状が違うではないか。

「あそっか、隼人お前スマホじゃないんだな」

 別の男子(携帯ショップのバイトをやっているらしい)が教えてくれた。携帯の充電ケーブルとスマホのそれは違うものなのだと。

「マジかよ……」

「最近のガラケーはコネクタがスマホのに共通化されてるはずなんだけど、隼人のそれ、相当古い奴だもんな」

 その男子が気の毒そうに呆れている。

「おら! へこんでないで、みんなに聞けよ。なんかいい知恵ないかって」

「そうだな、んじゃ行ってくる」と隼人が腰を浮かすと、

「どこへ?」

 なぜそんな不思議そうな顔を皆でする?

「LINNEで聞けよ」

「そんなアプリは無いぞ。俺の携帯に」

「お前、本当に大学生なのか?」

 大学生じゃなきゃ、なぜこの面子で旅行に来られるのかね?

 LINNEで聞けと言った男子に、代わりに聞いてもらう。打開策は真紀から来た。

「旅館のフロントに貸し出し用のがあるかどうか訊いてみたら? だってよ」

 男子に礼を言って、フロントへ急行する。わけを話したら、あっさりと奥から持ってきてくれた。年配の宿泊客に結構需要があるらしい。

 部屋に戻ると、皆で大浴場に出発するところだった。充電を開始して、急いで支度をすると鍵を閉め、追いかけた。



 そこは、30人は同時に入浴できそうな広さ。文字どおりの大浴場で、こういう設備がある宿に泊まったことのない隼人は実にわくわくする。それが顔や声に出たのだろう、からかわれるのだった。

「やっぱ師匠はあれっすか、カノジョとしっぽり秘湯系っすか?」

「師匠言うな。温泉宿なんて、小4以来行ったことねぇよ」

 小学校5年生の時に実の母親が死んで、隼人の穏やかな家庭生活は終わった。そこからは様々な意味で家族旅行などありえず、現在に至る。

(そういえば、なごみやくるみと旅行行きたいって話してたよな……)

 だが今は、少なくとももう2、3ヶ月は無理だろう。理佐のこともあるが、バルディオール・レーヌの動向も気がかりだ。

 先日は長野支部に現れて、横浜で隼人――エンデュミオール・ブラックが行った"オーガの群れを光壁で囲む"を真似て、かの支部のエンデュミオールたちを光壁で囲ってしまった。そしてレーヌは、支部長を含めたサポートスタッフに、召喚したオーガをけしかけてきたのだ。

 幸いなことに、支部長の機敏な判断でサポートスタッフは逃げ、支部長は変身してレーヌとオーガ2体を食い止めた。そうやって時間を稼いでいるうちに残りの所属エンデュミオールたちが駆けつけてオーガやレーヌと戦闘に入り、そのあいだに囚われのエンデュミオールたちは光壁を破壊して脱出できた。

 最後は全ての機材放棄と引き換えに、支部長が冗談で投げつけた箱丸ごと爆竹一斉爆発にレーヌが怖気づいているあいだに、全員撤退に成功していた。

 損害は(腹いせだろうか)レーヌが破壊した機材と、逃げる時にオーガに爪で引っかかれたサポートスタッフ2名、転倒してあばら骨を骨折したサポート1名、そして単身で遅滞戦闘を遂行して負傷した支部長。スタッフについては支部帰還後治癒スキルで全快したから、実質は金額的な損失に留まっている。

 長野の一件は、取りあえず消極的成功といえるだろう。それを積極的成功に転じるには、レーヌをおびき出して罠に嵌めないといけない。だが、奴の行動が読めない。次はどこに現れるのか。どうすれば奴におびき出しのための情報が渡るのか。

 盗聴機等の機械的な手段については、『ビルの空調の緊急点検』との名目で業者による検査が行われ、それらしき機器類は発見されなかったと支部長から連絡が来ていた。となれば、

(内通者、か……)

 支部長に任せればいい。検査結果を報告したら、真紀にそう言われた。それが正解なのかもしれない。だが、それでいいのか。

『復讐、したいの?』

 そうつぶやかれた時の、美紀の眼は悲しげで。隼人は知らずうつむいていた。

「――やと、隼人! おい!」

 呼ばれていた。慌てて顔を上げると、ほかの男子は皆身体を洗っていて、隼人だけがうつむいて浴槽に浸かっていたため、のぼせているのではないかと思われようだ。

 それから15分後、髪と身体を洗って男風呂から出たら、女子連中も風呂から出てくるところだった。

「あ! 隼人くーん!」

 双子のどちらかが呼びかけざまに近寄ってきて、くるくると隼人の前で回り始めた。

「どぉ? 似合う?」

 浴衣姿のことらしい。隼人はにっこり笑って答えた。

「うん、みんなよく似合ってるね」

 くるくるがぱたりと止まり、双子の片割れは顔を覆ってしくしく泣き始めた。女子のさえずりが始まる。

「……今確実に、無難なコメントで逃げたね」

「そこまで彼女に義理立てすることないのに」

「なぜ褒めて非難されてるんだ俺……」

 隼人は遅れて出てきた双子の片割れに声をかけることで逃げを打った。

「真紀ちゃん、妹をちょっと引き取ってくれないかな? このシチュ、どう見ても俺が泣かしてるんだけど」

 言って、隼人は失敗を悟った。昼間に見たあの表情消失が起こったからである。

「うち、美紀やけど」

 言って一転にやりと笑ってずいと進み出てきた美紀と、よく見ると泣き真似をしている真紀に、同性から指摘が入った。

「そーゆーことしてるから無難なコメントになるんじゃないの?」

「さすがイインチョかっこいい!」

 と杉木が持ち上げ、ミキマキが衝撃を受ける。その流れに一同笑いながら部屋のある階に戻ると、もう夕食の時間だった。


2.


「また出ない……」

 リビングの壁に力無くもたれかかって、理佐は歯噛みをした。隼人と付き合いだしてから、もう何度目になるか分からない。夜には電源が復旧するって言ってたのに。

 なぜ行程表には、彼の一挙手一投足の時間が書かれていないのだろう。これでは今彼が何をしているか、分からないではないか……

「何してるの? いったい……」

 彼と繋がらない。彼とお話がしたい、ただそれだけなのに。

 彼と会って、思う存分彼と一緒にいられる。それまでまだ48時間27分もある。

 今、夕食を食べているのだろうか。ゼミ仲間と。あの双子と。

『なんで学業のことまで、あんたに指図されなあかんの?』

 わたしの彼氏の周りをうろつくからよ。どうしてそれが分からないのだろう。そしてそんな双子をかばうかのような隼人の表情が思い出されて、理佐の苛立ちは募った。

 私以外のメスに気配りなんてしなくていいのに。

 だから、彼はわたしと住まなければならない。わたしと一緒にいる時は、わたしだけを見て、わたしだけと話をして、わたしだけに触れてくれるから。

 電話が鳴った! まさに光の速さで飛びついた理佐は、がっくりうなだれた。震える指でタップする。

『もしもし、もしもーし。理佐?』

「……なによ優菜」

『ん、いや、隼人も旅行中で暇だったら、呑みに行かないかなと思ってさ』

「わたしを嗤うために?」

『んなこたぁないよ。暇だろ? 今』

 暇じゃない。隼人からの電話を待っているのだから。そう答えようとしてふと顔を上げた理佐は、啓示を得た。

 今忙しいから。そう断って通話を切り、理佐はゆらりと立ち上がった。


3.


 夕食会場は他の客と相部屋のためあまり騒々しくもできず、隼人たちは食後すぐに男子幹事の部屋に集った。

 ビールとサワーと日本酒とお茶。それぞれが飲みたいものが入り乱れて手間取ったが、足りない分は近所のコンビニから調達してきて、2次会が始まった。

 二階堂先生を入れて15名が形だけ車座になって乾杯をしたが、しかし当然全員で会話ができるはずも無く、先生の周りは歴史絡みの話題になり、残りの女子はすぐに固まってキャイキャイやり始め、4人ほどの野郎どもは――

「師匠」

「く ど い」

 隼人はゲンナリ顔で缶ビールを傾けると、周りに集いしゼミ仲間たちに言った。

「まず、俺に寄って来るんじゃなくて、あの女子の輪に混ざりに行けよ。俺は神様じゃねぇから、何も無いところから恋愛の相手は出せねぇんだよ」

 とたんに固まる野郎ども。しようがねぇなと隼人は女子の輪に混ざりに行った。今日の天満宮で見た団体客の話をネタに居座ること5分、隼人は輪の外に声をかけた。

「ハセ、サワーがなくなっちゃったから持ってきて! ジュンペイはそこの隅にあるポテチ!」

 命令は果たされた。彼らのとんぼ返りをもって。

(なんで帰っちまうんだよ混ざれよ……!)

「大変だね、師匠さん?」

「あ、バレた? ていうか師匠じゃないから」

「戻んなよバカって顔してたから」

 女子連中に笑われて、頭を掻く。表情が分かり易いとはよく言われるが、もっと齢をとったら顔色を読まれずにうまくやれるようになるんだろうか。

「ところで隼人君」と女子の一人がまたにやつきだした。

「何か大切なことを忘れてない?」

「忘れてないよ。まだ充電中……ところでさ」

 隼人はこの機会に、理佐にかかわりの無い人たちに聞いてみることにした。

「男と順調にいってたとしてさ、今から一緒に住みたいって思う?」

「あたしはやだな。めんどくさそう」

「わたしは住んでみてもいいかな」

 いきなり意見が割れて、侃侃諤諤の議論が始まった。

「「ああ~ん隼人く~ん、うちらと一緒に住んでくれるの~?」」

「呼んでないからエロ双子は」

 明らかに酔っているミキマキが背中に張り付いてきたのを、何とか剥がそうともがく。控えめな胸の膨らみが2セット肩甲骨に当たって、何ともいえないむずむずした気分に――

「「当たってるんちゃう、押し付けてんの」」

「心を読むな!」

「いや、表情で分かるってば」

 また指摘されて、今度は思わず赤面して。ゼミ旅行1日目の夜は賑やかに過ぎていった。


4.


 2日目は九州国立博物館からスタート。

「……なんていうかさ」

 杉木が首を捻る。またお得意の分かった風な口をきくのかと身構えた一同だったが、

「東京や京都の歴博のほうが、風情があって好きだな、俺」

 存外にまっとうな感想に驚愕する。隼人は京都の国立博物館の記憶がおぼろげだが、東京ならば何度か行ったことがあって、確かに風情という点では東京のほうが勝ると思う。

「まあ、ついこのあいだできたばかりだからな」

 二階堂先生が笑いながら、展示物を解説してくれた。

 2時間ほどで見て回って、外に出たみんなが伸びをしたり暑さにだれていると、委員長のメガネが光る。

「さあ、今度は古代史のお時間だよ」

「昨日、水城跡に行ったじゃん」

「今日も古代史の時間! これでいい?」

 なぜ俺をにらむ? 隼人は穏当にうなずいた。

 委員長が張り切っているのは、彼女の事情と密接な関係がある。彼女は考古学を専攻しているが、浅間大学の日本史学科は規模が小さく、専任の教官は二階堂先生しかいない。彼の専門は中世であり、考古学を専攻する学生のために他の大学から週1回講師がやってくる。

 つまりこの旅行は、普段なかなか考古学の話ができない――他の学生は、基本的な知識は大なり小なり備えているが、専門的な話に付いていくのは難しい――彼女にとって、考古学を満喫できる絶好の機会なのだ。

 もう一つ、彼女がこの地方の出身者ということで、道案内を買って出たという事情もある。委員長はもし添乗員用の小旗があったら振り立てんばかりの勢いで、集団を先導し始めた。



「ああ、さらば福岡城……」

「最終日に寄るから」

 真紀――城郭関係で卒論を書く予定らしい――が遠ざかっていく城に手を伸ばし、美紀にツッコまれている。

 博多駅から鉄道を乗り継いで吉野ヶ里遺跡に向かう。アンケート上位を目的地に選んだ以上、コンパクトにまとまらなかったのがこの旅行の反省点である。

「美紀ちゃんは、卒論どうするの?」

 隼人の問いに、横に座った美紀は小首をかしげた。

「なんも考えてないなぁ。近世でなんかええのがあったらとは思ってるんやけど」

 隼人君はと問い返されて、考えつつ答えた。

「んー、漠然とだけど、せっかく近いから、鎌倉武士の関係でもやろうかな。ほら、2年の時に行ったじゃん? 古文書の調査」

 昨年の夏休みは二階堂先生の伝手で、隣野市の旧家が所蔵する古文書の調査に三食宴会付で駆り出されたのだ。その古文書の中に、その地域にあった荘園に関する鎌倉期の文書が見つかった。江戸時代の写しとはいえ貴重なものであり、在地の武士と寺社との年貢を巡る争いのようだ、と二階堂先生が興奮しながら話していたのを隼人は憶えていたのだ。

「そっかー、もう決まってるんやね。ええなー」

 美紀がへこみ始めた。対面に座る真紀が手を打つ。

「そや! 共同研究したらええねん。二人で仲良う声に出して古文書の読み下しして、卒論書くときは二人羽織で隼人君が後ろからこうやね――」

「なんで俺が美紀ちゃんを膝の上に乗せてタイピングせにゃならんのだ」

「あれ? 前抱き派やったっけ?」

「疑問に思うポイントが違う!」

「それ以前に――」

 近くのシートに座っていた二階堂先生から声が飛んできた。

「卒論は共同研究はだめだぞ。あそこのお宅の別の文書とテーマならいいけどな」

 あら残念、と屈託なく笑う姉と、やっと会話の意味が分かったらしく真っ赤になって隼人を肘で小突いてくる妹。なぜ俺と言う間もなく話題を変えてきたのは、やっぱり美紀のほうだった。

「理佐ちゃんと連絡取れた?」

「ん? ああ、10時過ぎにしたよ」

 なぜか理佐のテンションが低く、眠いのだろうと判断して早めに切り上げたのだった。それを聞いて安堵の吐息を漏らす美紀が可愛い。

「頼むでほんま。ギチギチうっさいねん最近」と真紀は迷惑そう。

「いやギチギチて」

 隼人が苦笑いすると、真紀の迷惑顔は続く。

「ドーンと構えとけばエエのに。結局、人が信じられへんのやね、理佐ちゃんは」

「そんなことないと思うぞ。この旅行もちゃんと送り出してくれたし」

「ほんとに?」と別のシートから声が飛んできた。委員長だ。

「このあいだ食堂ですれ違った時、あたしらにものすっごいメンチ切ってたんだけど」

「隼人君と一緒の講義に出てるとき、トイレで行き合っちゃって怖かった」

 ほかの女子まで口々に怖い怖いと言い出して、いたたまれない。

「まあそうみんな言わんといたってな」と真紀が収拾に乗り出した。

「言いだしっぺは真紀ちゃんなんだけど」

 委員長のツッコミにもめげず、真紀は続ける。

「隼人君ももうちょっと身を慎んでやね、女子を周りにはべらせるのをまず止めてみたらどやろ?」

 隼人は黙って席を立ち、男子のたむろするシートに移った。

「うん、まあそうなるよね」と一同うなずく。双子以外。

「「……もしかして、うちらが理佐ちゃんを煽ってる?」」

「今頃気付いたのかよ……」

 電車は走り続ける。初秋の風景を次々と後方に飛ばしながら。

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