1-4 確かにエストリカは綺麗だからね
小鳥のさえずる音が聞こえてくる。
カーテンの隙間から差し込んでくる光に目元を照らされ、呻きながら手でそれを遮った。
小さく溜息を吐き、品質が良いとも悪いとも言えないベッドから身を起こす。
ぼんやりと昨日までの出来事を思い出しながら右隣を見た。
「……、」
セルディアの方を向き、掛け布団を抱き枕の様に胸に抱くエストリカの姿があった。
伸ばされた左手は、少年の服の裾をちょこんと控えめに摘んでいる。
口から涎を垂らしあどけない表情で眠るエストリカを見て、思わず頬を緩めた。
「そんなにベッドが気持ち良いか。……悪いね、一〇〇年も待たせてしまってさ」
瑠璃色の髪が生える頭を優しく一撫でした。
途端に聞こえてくる心地良さげな声に笑いながらベッドを降りる。
首を傾け骨を鳴らし、窓際まで歩いたセルディアは勢い良くカーテンを開いた。
降り注ぐ太陽の光を全身に浴び、窓の向こう――天空へ昇る塔を見上げて言う。
「うん……今日もいい天気だ」
――迷宮都市アイオスでの一日が、始まろうとしていた。
◆
「当面の目的は資金調達だと思うんだけれど、異論は無いかな」
ベッドの上にあぐらを掻くエストリカは欠伸をしながら頷いた。
彼女の着る純白のワンピースは大きく肌蹴け、陶器のような肌が多く露出されていた。
ほんのりと浮かび上がる寝汗がその姿をより淫靡に見せたてる。
いつも無防備なエストリカだが、今日は更に際立っていた。
間違いなく、今までに比べて寝心地のいいベッドの所為だろう。
息を呑むセルディアに、まだ眠っていたいエストリカは気がつかない。
「このまま宿を取ってご飯食べてってなると、四日程度でお金なくなるからねー」
「うん。で、その方法なんだけれど……俺に出来る事は冒険者活動くらいなのよ」
「冒険者として活動しながらお金を稼ぎつつ、身辺の情報収集っていうのが妥当なところじゃない? あの大きな塔の事とか、戦争の結末とか色々と気になるし」
「戦争の結末ね……。あの塔に関しては想像がつくけれど」
「まあ、十中八九迷宮なんでしょうね」
エストリカは適当な調子で続ける。
「なにせ『迷宮都市』って言われているくらいだしー。そんな迷宮都市で迷宮とは全く無関係なものが一番存在感あるっていうのはちゃんちゃらおかしいと思わない?」
「全く関係ない可能性もあるっちゃあるよ。その場合、ではあのデカいオブジェクトは一体何なのか、と言う話になる訳だが」
この迷宮都市に立ち聳える『塔』は、黒結橋から見えるほどのスケールを誇っている。
街に入ってからは、角度的な理由もあってさらに大きく見えるくらいだ。
ただの塔であるとは考えられない。
「とりあえず度田舎出身の世間知らずっていう設定で切り抜けよう」
「なんでそんな面倒くさい事するの?」
「普通に生活している人が一般常識を知らなかったりしたらおかしいよね?」
少なくとも、あれほど目立つ存在ならこの町に住む誰もがその真像を知っていることだろう。
そこに、何も知らない人間が現れればどうなるか。
多少なりとも疑惑を向けられるはずだ。
積もり積もって取り返しの付かない事になる前に、手を打っておく必要がある。
「だから一般常識を知らなくてもおかしくない田舎者を演じる」
「ふーん。田舎者は田舎者で風当たりが強そうね」
「少しくらいは仕方ないさ」
エストリカの正面でベッドに腰を掛けていたセルディアが立ち上がった。
「まずは冒険者ギルドに行って登録、と」
「あたしは登録しないからねー」
「……まあ、エストはしなくても問題ないか」
もし『冒険者』でなければ入れないような区域があったとしても、彼女には『憑依』の権能が或る。
憑依・離体のタイミングさえ人に見られなければ、彼女の存在を気付かれる事はない。
いる・いないについては適当に帳尻を合わせればいいだろう。
「そうと決まれば善は急げだね。朝食貰ってギルドに行こう」
「……あれ? ねえディア。朝食のサービスって何時までよ」
「え?」
エストリカの言葉に首を傾げつつ、
「九時まで……だった気が……」
途切れ途切れに言いながら、セルディアは壁に取り付けられた魔法時辰儀に目を向けた。
針が指し示す時間は――十時過ぎ。
とっくの前に、朝食時は終わっていた。
◇
結局、もうすぐお昼だから朝食は諦める事にして宿を出た。
雲の無い青空に輝く太陽が一直線に日差しを照り付けてくる。
「っ」
視界がチカチカするのを感じ、額に手をかざして眼を細める。
隣ではエストリカが大きく伸びをして、次いで盛大な欠伸をした。
「ふぁーあ。暖かいなぁ。あ、ダメ、気持ちよくなってきちゃった」
「あれだけぐっすりと寝ておいてまだ眠くなるの? あーもう、しなだれかかってこないでほしいな!」
うへー、とか言いながら凭れ掛かってくるエストリカを鬱陶しげに押し返す。
自分の足で立たせた後で視線を巡らせ、目的のものを見つけ出した。
「あれが冒険者ギルドかな。他の建物より一際大きいし立派だ」
他の住宅の頭から飛び抜けて見える大きな建物。
赤、青、金のトライカラーに染色された布で豪華に装飾された、如何にもな雰囲気を纏っている。
取りあえず案外近くにあるその場所へ向かうことに決めた。
まあ、もし間違えていたとしても時間は沢山ある。
どうせ街の中は見て回る必要があったし、どっちに転んでも不利益にはならない。
「ほら、歩くよ」
「ぐてー」
「……まったく」
【五大精霊】の一角を担うエストリカのダメダメっぷりを改めて実感しつつ、セルディアは苦笑する。
こんなのでも、一〇年近くも一緒にいれば嫌でも慣れてくる。
世話のかかる精霊だなと呟きつつ、彼女の手をとって一先ずの目的地へ向けて歩き出した。
「あー、お腹空いたー」
「昨日食べないで寝てしまうエストが悪い」
なんて会話をしながら歩く事一〇分近く、目的の建物に辿り着いた。
正面に立ってそれを見上げる。
宿の前で見た時に感じた通りかなり大きい。
天辺を見上げるとなると首が痛いレベルである。
入り口の扉上に取り付けられた看板には、人族語で『探求者ギルド』と書かれている。
「……ん? 探求者? 冒険者ではないの?」
看板に書かれた言葉を見て首を傾げる。
彼の様子に釣られ、エストリカも視線を持ち上げる。
彼女もまた同様に首を傾げた。
「本当だね。一〇〇年前は『冒険者』だったはずだけど」
「変わったって事なのかな。……まあ、そこらへんは中の人に聞いてみればいい。入ろうか」
「んー」
キィ、と言う音を立てて開く扉。
中はまだ昼前だと言うのに多くの人々で賑わっていた。
二階建てになっていて、一階フロアはテーブルと椅子を並べただけの酒場と、受付嬢の立つ依頼カウンターになっている。
二階フロアは基本的にスタッフ以外立ち入り禁止らしい。
荒くれ者の集まり、戦う事しか出来ない等と揶揄されるのも納得な、無骨な雰囲気を感じ取った。
「にしてもこれは……」
ギルド内に一歩踏み出した途端。
より正確には、扉を開けた瞬間。
中にいた冒険者――いや、今は探求者か――達がこちらを見てきた。
……セルディア等は知らないが、基本的にギルド内の者は聞こえてくる扉の音に反応する。
厳密な理由は不明だが、『そういうもの』なのだ。
ただ二人の場合、一人はまだ十七歳と若い少年で、もう一方は絶世の美少女ときたものだ。
憎らしい目で見られても無理は無い。
「どうなっているのかな」
「ふふふーん。きっとあたしの美しさに見蕩れているのよ、みんな」
「へえ……まあ確かにエストは綺麗だからね」
「き、綺麗とか……照れるじゃない、もうっ!」
「ぐえっ!? いたっ、いたたたた痛いっ!!!? 分かったから後頭部殴るのやめてくれない!?」
バギッ! ボカッ! ドゴッ! と強烈な殴撃を浴びせるエストリカ。
その頬が薄っすら赤い事に、殴られるセルディアは気が付かない。
なんとかエストリカの攻撃を耐え切り、探求者に睨まれる――イチャイチャしているように見える故――のを無視しながら、呑気な様子で受付へと向かう。
カウンターでは、若干引き攣った笑みを浮かべる受付嬢が立っていた。
「い、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」
「はい。冒険者――じゃなくて、探求者登録をしたいんですけれど」
「……かしこまりました。では登録料に銀貨一五枚です」
「じゅっ!? わ、分かりました」
焦るセルディア。
先日魔結晶を換金して手に入れた資金は銀貨一八枚。
宿の一部屋をとるのに銀貨二枚。
つまり残金は銀貨一六枚程度だった訳で、この後に昼食を取れば底を尽きる。
かなりギリギリだ。
今日中に何とかしなければ宿は無い。野宿の生活に後戻りである。
提示された額を渡しつつ尋ねる。
「あの、田舎者で知らないんですけれど、登録料の銀貨一五枚って何か意味があったりするんですか?」
「??? ああ、銀貨一五枚は探求者に施す『刻印術式』の代金と手数料ですよ」
「……『刻印術式』を施す?」
復唱し、何をされるのかと身構えるセルディア。
刻印術式とは対象に術式を刻み込み、魔力を込めるだけで展開される『魔術』の一種である。
術式演算が必要の無いソレを武具に刻印する事で、法具や攻為法具が出来上がるのだ。
身構える理由は単純。
もしかすれば、それが原因でセルディアが半魔だという事がバレる可能性がある。
だが、受付嬢さんは苦笑しながら
「いえいえ、別に危険なものではありませんよ。施すのは『潜在能力』を魔術的に引き出すためのものですから」
「……? 潜在能力を魔術的に引き出す?」
「経験を積む事で、その身に宿る隠された力を引き出すんですよ。ちょっと格好良く言い過ぎかもですけど」
本来、ポテンシャルというのは努力や経験で表に現れるものではない。
いわゆる目に見えない力、可能性としての力を差す。
探求者に施される『刻印術式』とは、その原理を魔術的に覆すものなのだろう。
「それをやったらどうなるんです?」
「現在の自身の身体能力に付加能力がつきます。外付けされた力ではなく、元来から持つ内的な力なので、厳密には付加とは言えませんが」
内心でゲームみたいだな、と思いながら頷く。
端的に言えば"強くなる"訳だ。
これならセルディアにとって不利益になるものではない、寧ろ利益的な術だと考えられる。
「では俺にもその術式を施してもらえる、という事でいいんですか?」
「そうなりますね。勿論、最終的にはそちら側の決定に従いますが」
「……ふむ。ではよろしくお願いします」
「かしこまりました」
礼をした受付嬢は、次いで法具らしい水晶玉を用意する。
透明感の強い水色の内部には、ライトパープルに輝く人族語が刻まれている。
これが術式の核で間違い無さそうだ。
「それではこの【術印宝玉】に手を触れて、魔力を込めてください。そうすれば【秘巧の刻印】の施術が完了します」
「……え? あの、魔力を使わないといけないんですか?」
「はい。探求者には魔術が使えない人もいますので、少量で発動できるようになっています。心配しなくても、少しでいいので大丈夫ですよ」
違う、心配なのはそこじゃない。
別に魔術が使えないわけでも魔力が練れない訳でもない。
魔力を使うという事は。
青鬼種の証ともいえる角が生え、髪が伸びるという事だ。
(嘘だろ……?)
冷や汗を流すセルディアの隣で、エストリカは呑気に酒場を眺めて「お腹空いたなぁ」なんて呟いていた。